十三話

 二人はただただ驚いて固まっていた。自分達を率いる騎士団長が、まさか偽者であったという信じがたい事実に、思考はまだ追い付いていなかった。


「あなたが偽者……? まさか……そんな……」


「総長が明かしてくださったこれが事実だ。私は、自分が偽者だと知り、初めてその立場の気持ちを理解した。偽者はすべて悪魔とされ、ただちに排除される存在だったが、私は自分が悪魔だという感覚も意識もない。皆と同じように神を信じ、その元で働き、暮らし、周りと同じ人であると思っている。むしろ悪魔は、目が合うなり剣を抜いた本物の〝私〟のほうだ。有無を言わせず命を奪いに来た姿は、我ながら恐ろしく、悪魔と言っても過言ではなかった。一方的に排除される立場となり、私は偽者である気持ちを痛いほど理解した。そして、そこに寄り添い、助けを差し伸べ守ろうとする総長のお心に感銘を受けたのだ。ご協力することを決めたのは、至極当然な思いからだった」


 未だに呆然としたままの二人に、エレミアスは聞いた。


「君達は、お互いのどちらかが悪魔だと、今も思っているか」


 カインツと偽者は顔を見合わせる。どちらの表情も戸惑いが濃かった。答えられない様子に、エレミアスは続ける。


「どちらが偽者だろうと、ここはそういう者しかいない。身の安全は保障されている。別の言い方をすれば、偽者はここしか安心できる場がない。強制はしないが、人目を気にしながら町で暮らすよりは、ここで平穏に暮らすことを私は勧める。……どうだろうか。ここで暮らし、私と共に総長にご協力する気はないか?」


「協力、ですか……」


 誘いに二人は考え込む。エレミアスと同じ境遇に置かれ、その心境は共感できるものばかりだったが、実際にここで暮らすとなると、一つ引っ掛かることがあった。妻のカタリナだ。今は実家で養生しているが、体調が戻れば家へ戻ってくる。そんな妻と離れて暮らすということは、二人にとっては耐えがたく、心配な状況でもある。聖地での任務とは違い、手紙を書いたところでここは存在しない村だ。誰も届ける者はおらず、また届くこともない。カタリナの様子を知るにはわざわざ町へ行って自分の目で見るしかないのだ。そんな生活に耐えられると二人には思えなかった。


「妻を、独りにはさせられません」


「生まれながらの虚弱体質なのです。離れるわけには……」


 同様に妻を気にかける二人を見て、エレミアスは薄く笑む。


「何も二人で暮らすことはない。偽者であるほうだけが暮らせばいいのだ。それならご夫人を独りにさせることはない」


「それは、そうですが……」


 二人にとっては、それが最大の問題だった。どちらが本物で、どちらがカタリナの側にいるのか――散々もめてきたが、答えは出ていない。カインツと偽者は言葉には出さないものの、互いに牽制するような目で視線をぶつけ合う。


 その様子に、エレミアスは言った。


「……では、ここではっきりさせてみるか?」


 これに、二人の間に緊張が走った。見分ける方法を知った今、それはすぐにわかるのだ。自分こそが本物――そう信じる二人は力をみなぎらせた目で相手を見やる。


「……望むところです」


 言ったのは偽者だった。


「ここで、すべてをはっきりさせよう。……団長、判断をお願いできますか」


「もちろんだ」


 承諾を得て、次に偽者はカインツに顔を向けた。


「どんな結果であろうと、これは団長も確認した事実であると認めろ。いいな」


「わかっている。お前こそ、文句を言うなよ」


 ふんっと鼻を鳴らし、余裕を見せる偽者は、エレミアスに顔を向けると、その口を大きく開けて見せる。


「それでは、見るぞ……」


 顔を近付け、エレミアスは真剣な表情で口の中をのぞく。持ち上げられた赤い舌の裏を目を凝らして見つめる。だが、それも十秒ほどで終わり、エレミアスはすぐに離れた。


「団長、私は一体どちらでしたか……?」


 自信と不安の混じる表情で詰め寄る偽者に、エレミアスは言った。


「君は偽者だ。私と同じ模様が浮かんでいた」


「なっ……!」


 思いもしなかったのか、告げられた事実に偽者は動揺し、自分の足を椅子にぶつけ、ガタンと音を立てた。


「私が、偽者? そんなはずは……」


「すぐには受け入れられないだろうが、これが事実だ」


 あまりの現実に、偽者は言葉を失い、茫然自失になって一点を見つめていた。やはり、偽者は偽者だった――隣でカインツは胸を撫で下ろしていた。一人が偽者と決まれば、本物は自動的に自分ということになるからだ。


「先ほど自分で言った言葉を忘れるな。これで、すべてがはっきりした」


 カインツの言葉に、偽者の顔が振り向く。


「お前が、本物? ……私には信じられない」


「何と言おうと、お前はこれを認めるしかないんだ」


 しかし納得のいかない様子の偽者は、机に両手を付いてエレミアスに言った。


「団長、念のため、こいつも確認してはもらえませんか」


「おい、団長を無駄にわずらわせるな」


「模様がないのであれば、私はこれ以上何も申しません」


「判断は下った。素直に認めろ」


「まあ落ち付け」


 声を荒らげる二人を、エレミアスは手を振って静める。


「判断は確かに下ったが、納得いかないのであれば、直にその目で確かめたほうが腑に落ちるだろう。すぐに済むことだ。いいか?」


 聞かれたカインツは偽者を睨みつつ、渋々うなずいた。


「団長がそうおっしゃるのであれば……」


 必要のない確認をすることに、眉間にしわを寄せた顔でカインツは口を開けた。そこに偽者が近寄る。


「もっと大きく開けろ。よく見えない」


 唾でも吐きかけたい気持ちを抑え、カインツは言われるままに口をさらに開く。偽者がのぞく後ろではエレミアスも同じようにのぞいていた。舌を持ち上げ、その裏を見せる。と、二人の目は同時に一箇所で留まり、そしてわずかに見開いた。


「これは……」


「……模様……模様がある……!」


 偽者の発した言葉にカインツは口を閉じると、きっと睨み付けた。


「でたらめを言うな。この期に及んでまだ――」


「嘘など言うものか。団長も見ているんだぞ」


 カインツはその団長に目を移す。


「本当に、模様はあったのですか? いや、あるわけがない。こいつの見間違いで――」


「模様は、あった。私にも見えた」


「え……?」


 呆気に取られるカインツは、エレミアスを見つめながら聞いた。


「そ、そんなわけがありません。偽者がすでに判明しているのに……では、本物は誰だと言うのですか。私以外にはいないはずでしょう。きっと見間違ったのです。もう一度確認すれば……鏡……鏡はありませんか? 顔が映るものなら何でも……」


 椅子から立ち上がり、落ち着きなく部屋の中を見回すカインツを見兼ねて、エレミアスは腰の剣を引き抜くと、それを手渡した。


「刀身に映してみろ。わかるはずだ」


 ずっしりと重い剣を受け取ったカインツは、それを両手で持ち、磨かれた銀色の刀身に自身の口の中を映した。少々歪みはあるが、色形は十分にわかる。舌を持ち上げ、裏側を確認してみる。透き通った血管が何本もある中、その上に浮かぶ青白い線が、小さな円の模様を描いてそこにあった。見間違えようもなく、確実に……。


 机に放り出した剣がガタンと音を鳴らした。カインツはその場に立ち尽くし、自分の口を無意識に手で覆っていた。その目は答えを求めてエレミアスを見つめる。


「あり得ない……私は、本物ではないというのですか……?」


 動揺するカインツを、エレミアスは真っすぐに見据えて言った。


「実は、あり得ないことではないのだ。偽者の偽者が現れるということは、例は少ないがあるにはあるのだ。昔からな」


 偽者の偽者――その初めて聞く言葉に、カインツの心も頭も混乱しそうだった。


「では……では、本物の〝私〟は一体どこにいるのですか。私は自分を殺した覚えなど一切ないというのに……」


 本物がいない状況にカインツは目を泳がせながらも、懸命に思考していた。エレミアスは机の上で組んだ両手に顎を乗せると、そんなカインツを見つめて静かに言った。


「おそらく、物心が付く前の幼少期、あるいは赤子の頃、君達のどちらかが現れたのだろう。そして、ご両親か司祭によって判断され、その時に誤って本物である君が排除されたのだと思う」


「誤って……排除……」


 呟いたカインツは椅子にへたり込んだ。すでに本物はこの世にいない。いるのは、本物だと思い込んでいた、人ではない偽者二人だけ……。


「私は知らずに、今日まで生きてきて……それが、偽者の人生だったなんて……人ではなかっただなんて……」


 うなだれたカインツは自分の正体を知った衝撃に打ちのめされる思いだった。揺れる目を伏せた先には力の抜けた両手があった。この手で、これまで何人の偽者を排除しただろうか。己こそがその対象だとも知らずに。その中には、もしかしたら誤った判断を下された者もいたかもしれない。もうどこにもいない、会うこともできない、ユリウス・ディエトリック・カインツのように……。


「私達という存在は、一体、何なのでしょうか……。本物でない者が、こうして生きていることに、意味などあるのか……私には答えがわかりません」


 そう言った偽者の声は低く暗く、先がまったく見えないようだった。自分が本物でなく、その本物もすでにいないという衝撃は、カインツと同様、偽者の心も打ちのめしていた。


「答えか……それはきっと、個々人で変わるものだ。だから、絶対的な答えを出すことは私にはできない。しかし、その内の一つを示すことはできる」


 エレミアスの言葉に二人は顔を上げた。


「……つまりそれは、団長の答え、ということですか?」


「正しいかは別だが、私が信じている答えだ」


 向けられたエレミアスの視線を、二人は受け止める。


「ぜひ、お聞かせください」


 椅子に座り直したカインツは正面のエレミアスを見つめた。偽者も同じように真剣な目を向ける。


「これは異説だ。世間では異端視されるものだが……」


 二人をいちべつしてから、エレミアスは話し始めた。


「かつて、我々が双神を崇め、宗教として創り上げる過程の中で、その双神に対して現在とは違う認識を持つ者がいたのだ。知っているか?」


 聞いたこともない話に、二人は首を横に振る。


「まあ当然だ。これは聖職者でも教皇やそれに近い者だけが知り、隠している話だ。それについて書かれた文書はガーベンミュッツ神殿の奥深くで禁書として扱われ、厳重に保管されているらしい。だが、総長は一度だけ、その文書をお読みになったことがあってな。それを私や、この村の者達に話してくださったのだ」


 短い間を置き、エレミアスは続けた。


「内容だが……我々の信じる双神は、文字通り双子の神だが、文書では違う見解が書かれている。一人は神に違いないが、もう一人は、その姿を真似た悪魔だというのだ。つまり、教会や聖堂にある神像は、神と悪魔が並び立ったものということだ」


 カインツはこれまで見てきた双神像を思い浮かべた。像によって装飾には違いがあるものの、瓜二つの容姿の二人は手を取り合い、並んで同じ方向を向いているのがお決まりだった。もしその一方が悪魔なのだとしたら、人々は神を崇めると同時に悪魔も崇めていたことになる。こんな説が知れ渡ってしまったら、各地では少なからず混乱が巻き起こるに違いないだろう。


「悪魔崇拝としないために、だから禁書にし、隠したということですか?」


「そうだろうな。これは宗教として着々と創り上げたものを一気に崩しかねない説だった。異説は黙殺され、それを唱える者は異端者とされた。それに関する文書はすべて禁書になり、人々の目から隠されたのだ。……文書にはこんなことも書かれていたそうだ。悪魔は神に従順なふりをし、世界の半分を与えられ、創った。そこは悪魔の意思を持つ者で溢れ、やがてその者達は神の創った世界をも蹂躙し、支配していくであろう、と」


「まるで、本物と偽者の関係のようですね。悪魔は神の姿を真似て、神のように振る舞う。しかし、いずれ本性を現し、世界に害をなす存在へと変わる……私達の偽者への考え方と同じだ」


 興味深そうに偽者は言った。


「もしかして、この説を元に、偽者への見解が出されたということはないのでしょうか」


 聞いたカインツにエレミアスは軽くうなずく。


「これほど似ていれば、そう考えるのが自然だろう。だが、本当にそうだったのかは確かめようがない」


「異説が真実だとするなら、私達はやはり、悪魔の意思を持つ存在、なのでしょうか……」


「いや、そうとは言い切れない」


 エレミアスはすぐに否定し、言う。


「文書には、悪魔の容姿について書かれていなければ、舌のあざについても書かれていなかったらしい。つまり、偽者が悪魔だということは断定されていないのだ」


「しかし、本物より後に現れるということは、神が創った人間を悪魔が真似たことにはなりませんか?」


 偽者が言った疑問に、エレミアスは首を横に振る。


「それは先入観だ。では、本物が悪魔の作り出した存在だとしたら、どうだ」


「偽者が、神の創り出した真の人間だと……?」


「文書では、悪魔の行いを神は黙さず、看過しないとされている。悪魔が創り上げようとしている世界を、神は正しい方向へ修正しようとするはずだ。その一手が我々、偽者と呼ばれる者だと、私を含め、ここに住む者達は考えている」


「それが、偽者という存在の意味で、団長が出された答え、ということですか?」


「その通りだ」


 エレミアスは力強く言った。そして二人を交互に見つめる。


「偽者排除は、悪魔の意思によるものだ。神の息がかかった我々を悪に仕立て、妨害、抹殺するための行為だ。多くの者はそれが正しいと思い込んでいるが、こちらこそが正しいのだと、私は主張したい。いつになるかはわからないが、同じあざを持つ仲間を助け、集めたら、この異説を人々に明かし、この世界を悪魔から神の元へ戻したいと思っている。君達にもその協力を願いたい。本当の人間の世界を取り戻すために……!」


 熱心な口調と眼差しに、二人は整理し切れていない頭で、ただエレミアスを見つめ返すだけだった。自分達がどうすべきか、それを決めるには時間が必要に思えていた。

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