十二話
「団長、一体どういうことなのでしょうか。なぜあなたがここへ……」
カインツは馬を歩かせながら、同じく並んで馬に乗るエレミアスに聞いた。
「先ほど言ったように、君達の処遇を任されたのだ」
「ですが、聖堂へ連れて行かれた偽者の判断や排除は、そこの聖職者に一任されるものと聞いていましたが」
手綱を操りながらエレミアスに近付いたフード姿の偽者が聞く。
「表向きはその通りだ」
「……その、表向きというのはどういう意味ですか? 司祭も言っていましたが」
カインツの質問に、エレミアスはわずかに口角を上げた。
「まあ、今向かっている場所へ着けば、そこでわかるだろう。少々遠いのでな、離れず付いて来るのだぞ」
そう言って手綱を振ったエレミアスは馬を走らせ、街道を駆けていく。カインツと偽者も引き離されないようその後を追っていった。
聖堂で過ごしていた二人は、自分達に判断を下すのは司祭だとばかり思っていたのだが、その身はなぜか突然現れたエレミアスに預けられ、こうして現在、どこかへ向かわされる状況となっていた。行き先は教えられず、ただ付いて来いとしか言わないエレミアスに、二人は訳もわからず従うしかなかった。
バロッサの町を出た三人は、しばらく街道に沿って北上していたが、隣町に着く前にエレミアスはその道を外れ、人気のない山林のほうへと入り込んだ。この辺りに町や集落があった記憶はなく、道なき道を進む様子に二人はいぶかりながらも、大人しくエレミアスに付いていった。そんな緑しかない場所で一晩野宿し、丸一日かけて抜け出た山林の奥には、意外な光景が広がっていた。
「これは……」
驚き、目をしばたたかせる二人に、エレミアスは言う。
「目的地に到着だ。ここは、誰にも知られていない、名もなき村だ」
馬を歩かせ、ゆっくりと入っていくエレミアスの後に二人も続いた。
こんな山林の奥地に村があることを知らなかったカインツは、物珍しげに村の中を眺めた。大小の木々が立つ間を縫うように、多くの民家は建てられていた。それはまるで森に溶け込んだような外観で、木造の屋根や壁には苔が生え、柱にはつたが絡み付いている。そのせいかどの家も傷み、黒ずんでしまっていて、周りの景色と同化して見えた。生えている木々も、通り道の真ん中だったり、入り口の真横だったり、明らかに邪魔な場所に生えているのだが、それらは切らずに残されている。そんなところを行き交う住人を見れば、誰も気にした様子はなく、いちいち避けて歩いている。家を建てられるのだから、木の伐採くらいはできるだろうに、それとも、理由があって切っていないのか……。どちらにせよ、カインツの目には住みやすいようには見えず、どこか違和感のある景色として映っていた。
「エレミアス様、こんにちは」
若い女に声をかけられ、エレミアスは馬から降りた。
「ここの暮らしには慣れたか」
「はい。おかげ様で平和に暮らせています。……あ、先ほどパイを焼いたんですけど、よかったら食べにいらっしゃいませんか?」
「そうだな。こちらの用が済んだらうかがわせてもらおう」
「では、お茶も用意して待っています」
笑顔で会釈すると、女は嬉しそうな足取りで去っていった。それを見ながら馬を降りたカインツは聞く。
「お知り合いですか?」
「ここに暮らす者達は皆知り合いだ」
「……この村は、ただの村なのですか?」
「なぜそう思うんだ」
「何となくですが、違和感を覚えたもので……」
「そうか。君にはわかるか……」
するとエレミアスは周囲を見回すと、ある民家の脇にいた女を指差した。
「あの女性に、見覚えはないか」
そこには、しゃがんで水桶の中で皿を洗う三十代くらいの女がいて、カインツはまじまじと彼女を見つめた。
「見たことがあるような気はしますが……どこだったか」
横にいる偽者に目で聞くが、同じように憶えていないようだった。
「では、聖地と言えば思い出すか?」
その一言で二人の脳裏には聖地でのある記憶がよみがえる。
「……私が捕まえ、団長にお手伝いしていただいた、あの時の女ですか?」
巡礼者として偽者と共に歩いていたあの女に違いなかったが、なぜこの村にいるのか、その疑問を視線で投げかけると、エレミアスは言った。
「あの時の、二人の内の一人だ」
そんなことは当たり前で、妙な言い方にカインツ達は首をかしげそうになるが、ふとそんな言い方をした意味に気付き、はっと目を見開いた。
「まさか……あの女は……」
エレミアスは薄く笑んだ。
「他にも、見覚えのある顔がいるかもしれないぞ。……付いてこい」
村の奥へ馬を引きながらエレミアスは歩いていく。その背中を、カインツと偽者は自分の鼓動を聞きながら追っていった。
辺りでは住人達が思い思いに過ごしている。洗濯をしていたり、工作をしていたり、立ち話をしていたり……。その表情はどれも明るい。ここでの暮らしに誰もが満足している様子に見えた。こんな、町から離れた自然しかないところだというのに……。
「おい、あれ……」
偽者に腕をつつかれ、カインツは示された民家に顔を向けた。その窓の奥には、今もしっかりと憶えている男の姿があり、カインツは驚きに口を開ける。
「ニーマイヤー……なのか?」
かつてカインツが捕まえに行き、聖堂へ送った宗教学者ニーマイヤーが目の前にいた。本を片手に誰かと楽しげに談笑している。報告では、聖堂で判断を受けたニーマイヤーはその後、本物とされた当人が家へ戻り、元の生活を送っているはずだった。それをカインツは確かめたわけではないが、こんな場所に彼がいることは考えづらく、先ほどの聖地で捕まえた女がいることを思えば、理由は一つしか思い浮かばなかった。
「馬はここにつなげ」
エレミアスは馬留代わりの細い木に手綱を巻き付けながら言う。その横には他の家よりやや大きい建物があった。
「団長、この村は……」
カインツは困惑する表情と声で聞くが、エレミアスは答えず、建物の入り口へ向かう。
「ここは教会だ……見てみろ」
手招きされ、二人は馬を置いて教会だという建物に近付いた。開け放たれている扉から中をのぞくと、長椅子が綺麗に並べられた奥に、木彫りの双神像が置かれた祭壇が見えた。その手前では数人の男女が司祭と思われる男と話し込んでいる。が、その司祭の顔を見て、カインツと偽者は驚愕し、絶句した。
「……気付いたようだな。あの司祭に……いや、君達の認識では総長か」
一度見ただけではあるが、髪もひげも白く、深いしわの刻まれたその顔は、神殿内で見たホイベルス修道会総長そのものだった。高齢で腰をやや曲げた姿勢までそっくりな姿に、カインツ達はしばらく声を発せなかった。
「ここでは総長ではなく、司祭として暮らしている。……これで、よくわかっただろう」
衝撃の余韻を引きずりながら、カインツは恐る恐る聞いた。
「この村は、総長も関わる、偽者の村なのですか……?」
「そういうことだ。私は、総長と共に偽者を助ける活動をしている」
堂々と打ち明けたエレミアスを、二人は呆然と見つめる。
「噂は、本当だったのか……」
隣で偽者がぼそりと呟いたのを聞いて、カインツは思い出した。以前、ヘルベルトが偽者だけが住む村があると言っていたが、その時は単なる噂だと自分も含めて皆信じなかった。だがしかし、その村がこうして目の前に実在している現実に、カインツはまだ理解が追い付かず、信じられない心境だった。
「一体、なぜ総長は偽者を助けているのですか? 修道会の排除方針は総長のご意向ではないのですか?」
偽者は自分の疑問をぶつける。が、エレミアスはそれを制する。
「君達には多くのことを話すつもりだが、それは立ち話で済む内容ではない。場所を変えよう」
そう言うとエレミアスは来た道を戻り、通りかかった住人と何やら話すと、一緒にある民家へと向かっていった。
「ご自由にお使いください。僕は畑にいますので」
「悪いな。しばらく借りさせてもらう」
どうやら住人から部屋を借りたようだった。扉を開け、エレミアスに続いてカインツ達も中に入った。傷んだ外観とは違い、家の中は小奇麗で、壁や天井、床板もしっかりした木材が使われている。もしかしたら苔だらけの外観は、自然に紛れ込ませるため、わざと放置しているのかもしれない。偽者が住むこの村を発見されないよう、できるだけ偽装しているなら、邪魔な木を切らずにいるのも納得ができた。
この家は寝室と居間の二部屋しかないようで、エレミアスは居間の窓際に置かれていた椅子に腰を下ろした。カインツと偽者は机を挟んだその向かいに並んで座る。狭い部屋に男三人がいると窮屈な感じではあったが、外での立ち話よりは落ち着いて話が聞けそうだった。
「……では、先ほどの質問から答えようか」
机の上で手を組み、エレミアスは正面の二人を見据えて話し始めた。
「総長がなぜ偽者を助けるのか……それは、総長の真のご意向だからだ」
「真の……ということは、偽者の排除方針は総長のご意志ではないということですか?」
偽者の言葉に、エレミアスはゆっくりとうなずく。
「修道会は過去に偽者への見解を出し、それによって排除することを指示したが、そもそもその見解は修道会ではなく、全聖堂、教会の長である教皇が出したものなのだ。修道会はそれを踏襲せざるを得ない立場だ。代々の総長はおそらく教皇の見解に何の疑問もなかっただろう。だがホイベルス総長の思いは違ったのだ。見つけた端から偽者を排除することに疑問を抱かれていた。しかしそんなことを表立って主張すれば、異端とみなされ捕まってしまう。だから仕方なく従い続けるふりをしているのだ。たった今もな」
神殿で見た時は一言しか発せず、その拍子抜けする態度に仕事への熱心さは微塵も感じられなかったが、その裏では偽者の命を密かに守ろうと自分の意志を貫いていたとは――カインツはホイベルスのもう一つの顔に驚き、感心するも、その胸にはある疑問が湧いていた。
「では、総長は偽者の正体は悪魔ではないとお思いなのでしょうか。だったら偽者とは一体何なのですか? そのお答えをお持ちなのですか?」
「偽者という存在が何なのかは、まだ誰もわかっていない」
「わかっていないのに助けるというのは、私は危険なように思います。人間として振る舞ってはいますが、いつ、どんな時に豹変するか……。悪魔だと言われている者を助けるのは、いささか安易ではありませんか?」
「ふむ、そうか……ならば――」
エレミアスは上目遣いにカインツを見つめた。
「君は、なぜ〝自分〟を殺さなかったのだ?」
「え……それは……」
思わずカインツは隣に座る偽者を見た。自分と同じ色の目もこちらを見ていた。
「……殺そうとしましたが、できなかったのです」
「なぜだ?」
聞かれてカインツは考える。脳裏には首を絞めて苦しむ表情の偽者が浮かび、手にはその時の感覚がよみがえる。忘れられない、不快な感覚……。それが最大の理由だが、ではなぜそんな不快感を覚えたのかと問われたら、カインツには上手く説明ができなかった。
黙るカインツに、エレミアスは言った。
「もう一人の自分が悪魔だと思っているのなら、君は躊躇なく殺せるはずだろう。だがそうできなかった。その理由は簡単だ。君は、心から悪魔だと思っていなかったからだ」
「私は、偽者は悪魔だと、今も……」
「自分で考えての、それは答えなのか?」
エレミアスの鋭い視線がカインツを言い淀ませる。そこには「そうだ」と言い切れるほどの自信はなかった。確かに、偽者が悪魔だという認識は修道会の見解に沿った考えであり、自分がそう感じ、思ったわけではない。騎士として当然のように信じ、従ってきただけに過ぎない。では、いつからその考えに疑いを持ったのか――カインツは記憶をたどり、聖地でのある出来事を思い出す。細い路地、そこで見逃した少年とその偽者……。あの時、カインツは初めて疑いを抱いたのだ。孤独な少年に寄り添い、必要とされている偽者は、本当に悪魔なのかと。あの出来事は知らぬ間にカインツの認識を変えていた。偽者を殺せなかったのは〝自分〟だったからではなく、殺す理由を信じ切れていなかったからではないのか……。
「偽者が、もし悪魔でないのなら……そんな無意識が、君の手をためらわせた。違うか?」
カインツはそうなのかもしれないと思った。しかし、エレミアスの言うように本当に無意識だったのだろうかと自問自答する。騎士として、自分の中に生まれた疑いに気付かないふりをしていただけではないのか。見解を疑う自分を認めたくなかっただけではないのか……。どちらにせよ、カインツの中に疑心が生まれていることは、もはや明白な事実だった。
押し黙ってしまったカインツを見て、エレミアスはわずかに表情を緩めた。
「それでいいんだ。君は。……私がなぜ総長とこういう活動をするようになったのか、話そう」
エレミアスは机に乗せた両手を組み直し、窓の外へ視線をやった。その奥には先ほど行った教会が見えた。
「数年前……私がマイツェルト騎士団団長に任命された直後のことだった。仕事を終え、自室へ戻った私は、そこでばったりと出会ったのだ。自分と同じ姿の男とな」
これに二人は目を丸くした。
「団長にも、偽者が現れていたのですか?」
「ああ。君達と同じだ。だが私の場合は、その男を……殺した」
一瞬の静寂が流れると、エレミアスは視線を二人に戻して言った。
「誰も信じないだろうが、私は殺すつもりはなかったのだ。目が合った瞬間、あちらが剣を抜き、襲いかかってきた。身を守るために、私も剣を抜くしかなかった。自分の技量は誰よりも知っているから、殺気立つ相手に手加減などできなかった……」
「その後、どうされたのですか……?」
「故意ではないとは言え、誰の判断もなく、一方が偽者と決め付けて排除することは禁じられている行為だ。私は、騎士団長である責任も感じ、更迭も覚悟して、このことを総長に報告しに向かった。だが私の話を聞き終えた総長は、失望するどころか、よく正直に話してくれたと不問に付してくださった。そして、その場であることを教えていただいたのだ」
エレミアスの真剣な目が二人を見据えた。
「従来、本物と偽者を見分ける術はないとされてきたが、総長はそれを誤りだとおっしゃったのだ。実は当初からあったものを誰も気付かず、今日まで過ごしてきたのだという。それが最近になり、やっと判明したということだった」
「そんな、まさか……」
カインツも偽者も、いぶかしむ表情を浮かべた。エレミアスの言う通り、本物、偽者を見分けることは不可能と言われてきた。だから証人を捜したり、聖堂へ連れて行き判断してもらうのだが、もし見分けが可能だとしたら、聖職者や騎士が間に入らず、当人達だけで解決できることになる。だが現在のところ、そんな通達や話は届いていない。
「それが本当なら、なぜ私達には知らされていないのですか?」
「想像してみろ。見分ける術を誰もが知れば、その瞬間から至る場所で殺戮が始まる。悪魔狩りと称して、偽者は一人残らず焼かれるのだ。老若男女問わずな」
そんな光景を頭に描いてみて、カインツは寒気を覚えた。住人達は偽者を捜し回り、片っ端から排除していく。神と平和の名の元に、殺伐とした空気がそこには広がるのだろう……。
「総長はそんな事態を恐れ、見分ける術は公表しておられない。それを知っている者は限られた数人だけだ。……総長は、正直に話した私を信じてくださり、その見分け方を明かしてくださった。そして、ご自身の偽者へのお気持ちを聞いた私は、ご協力することを決めたのだ」
「団長は、当時から偽者排除という方針には反対だったのですか?」
「いや。その時は大半の者と同じように当たり前のこととして受け入れていた。騎士団長という立場ならなおさらだったよ」
「では、なぜ心変わりを? 相手が総長で、御恩を感じたからですか?」
「そういう面も少しはある。だが最大の理由ではない」
そう言うとエレミアスは口を閉じてしまった。その最大の理由を聞きたいカインツは恐る恐る聞いてみる。
「それを、話してはもらえないでしょうか。無理にとは言いませんが、とても気になります。これまで持っていた考えが、なぜ変わったのか……」
総長という後ろ盾があるものの、騎士団長という身で自分達の任務や常識を否定する活動をすることには少なからず危険も伴う。それなのにそこへ至った心境の変化というものに、カインツの興味は大いに引かれた。一体、何が心を突き動かしたのか……。
エレミアスは険しい表情で、黙って正面の二人を見ていた。その紫の目は鋭く、何かを見極めるかのように長く、静かに見つめていた。しかし、その目がふと外れると、軽く息を吐き出し、どこか決心したような顔付きでエレミアスは言った。
「これから私が言うことを、誰にも話さないと約束できるのなら教えよう。……守れるか?」
力のこもった真剣な眼差しが二人に問う。そこには緊張感が漂い、ただならぬ雰囲気を感じる。カインツは隣の偽者と目を合わせ、互いの意思を確認する。そしてエレミアスを見ると、覚悟をして小さくうなずいて見せた。
「……わかった。では、教えよう」
するとエレミアスは自分の口を示して言った。
「まずは見てもらいたいものがある。私の舌の裏だ」
言って口を開けたエレミアスは、白い歯に囲まれた舌を上に持ち上げて見せる。唾液や粘膜で光る口内には特に異常はなさそうだったが、よく見ると、舌の付け根に青白いあざのようなものをカインツは見つけた。一見すると血管が透き通っているだけにも見えるが、そのあざはうっすらと円を描いており、蛇行して走る血管とは明らかに違うように見えた。
「……見えたか」
エレミアスに聞かれ、カインツは言った。
「何か、模様のような円が薄く……」
これにエレミアスは目を細めた。
「ほお、一度見ただけでわかったか。多くの者は気付かないのだがな」
「それは、一体何なのですか?」
聞いたカインツを見据えると、エレミアスははっきりと言った。
「これが、見分ける術だ」
「え……?」
重大なことをさらりと教えられ、二人は呆然とエレミアスを見返した。
「総長の長年の研究で、舌の裏にこういった模様がある者が偽者だと判明した。本物と見比べればすぐにわかるだろう」
「ま、待ってください。それでは団長は……」
事実に表情をこわばらせる二人をエレミアスは見つめて言った。
「ああ。私は、偽者だ」
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