2-3
「そんで、どうだったのよ? 嬉し恥ずかしの同棲初夜は!」
リントリムのギルド受付嬢・アリア=ガーネットは、エルディを見掛けるや否や開口一番にそう訊いてきた。これでもかというくらいに瞳をキラキラ輝かせて。
仕事の依頼を受けに来たはずなのに、業務なぞそっちのけである。呆れてものも言えなかった。アリアは重ねて訊いた。
「一線越えた? 天使と人間ってやっぱ違う? ねえねえ、どうだったのよ!? こんな経験できる人間なんてあなた以外いないんだからね!? 感想を聞かせなさいよ!」
「越えてねーわ! つーか、余計なことばっか吹き込みやがって……俺がどれだけ苦労したと思ってんだよ」
エルディは憎々しげに言った。
そうなのだ。純粋無垢そのものなティアに中途半端な知識を植え付けてエルディを困惑させた原因は他でもない、このアリア=ガーネットである。彼女は男女の恋愛関係や生殖に関する知識がほとんどないティアに対して、お風呂に一緒に入ればエルディが喜ぶだの、特別な関係にある男女は同衾すべきだの、肝心な部分を伏せて助言した。その結果、ティアはエルディを喜ばせるために恥ずかしさを我慢してその提案に沿って頑張るし、エルディはエルディでそんな彼女に何度も理性を吹き飛ばされそうになったのだ。何も起こらず朝を迎えられたのはもはや奇跡に近い。我ながら自分の理性を褒めてやりたかった。
しかし、エルディの反応に、ギルド受付嬢の表情はどんどん曇っていく。
「え……? 嘘でしょ? まさか、本当にシてないの?」
「するか! つーか、一緒に暮らすのに知識も何もない相手にンなことできるわけないだろ!」
アリアはアリアなりに手助けのつもりでやったのだろうが――九割くらいはからかい目的だろう――当の本人からすれば迷惑極まりない。知識のないティアに対してそんなことをやらかせば、今後ふたりの関係がどうなってしまうのかわかったものではなかった。
アリアはこれ以上ないというほどに大袈裟おおげさな溜め息を吐いていた。
「はぁ……まさか、そこまでだったとはね。これだからヘタレは」
やれやれ、と言わんばかりに首を竦すくめている。一発殴ってやろうかこの女。
「誰がヘタレだ! つーか吹き込むなら吹き込むでちゃんとした知識も教えろよ。仲のいい男女は一緒に風呂に入るだの寝るだの抽象的な言い方ばっかりしやがって」
「あら。別に間違ってないでしょ?」
「間違ってないけど!」
確かに、アリアは間違ったことを言ったわけではない。だが、情報の伏せ方に悪意しかなかった。
肝心なところは言わず、何もわかっていないティアを扇動し、エルディが困るのを見越して楽しんでいるだけなのだ。一番質たちが悪い。天使に嘘を教え込むこいつこそが一番の悪だと思う。どうか天罰が下って彼氏ができないような呪いを掛けてやってくれ。
「ティアもティアで、アリアさんが余計なこと言うもんだから、恥ずかしいのに無理して一緒に風呂に入るだの寝るだの言っててさ。あんなの可哀想だろ」
恥に関する認識は、人間にも天使にも差はなかった。裸になるのは彼女にとっても恥ずかしいことだったのだが、それでもそれがエルディの喜ぶことだと言い聞かされていた彼女は、恥ずかしさを我慢してそのアドバイス通りに事を運ぼうとしていた。意味がわかった上でやるのならともかく、意味もわからないままやらされるのはさすがに可哀想だ。
一方、風呂というワードに「ほう……?」と眉を動かしたのはアリアである。
「それで、一緒にお風呂入ったの?」
「いや、まあ……入ったけど」
「あらあらあらあらー! 文句ばっか言ってたくせに、ちゃっかり楽しんでるじゃないのー!」
視線を逸らしてそう言うと、アリアの瞳は先程よりも更に強く輝いた。口元にもにやにやといやらしい笑みが浮かび上がっている。
完全に娯楽にされている。これだから独女どくじょは嫌なんだ。自分に男女のいざこざがないからといって、すぐに他の男女で娯楽欲を満たそうとする。
「あのなぁッ……楽しむとかどうとかって状態じゃなかったわ! むしろ困りまくってたし、ただただ断れなかっただけだ!」
「やーねぇ、強がっちゃって! で、洗いっことかしたの? 手取り足取り身体の隅々まで洗ってあげたりとか、それともティアちゃんに隅々まで洗わせたりとか? ココは上下に擦るようにして洗うんだぜ、とか教えたの? このスケベ! 鬼畜!」
「アホか! どっちがスケベだ! そんなことするわけねーだろ! 向こうが洗ってる最中俺はずっと目ぇ瞑つむってたわ!」
昨日のことを思い出すと恥ずかしくなってきた。ゆっくりと風呂に入る予定だったのに全然目的が変わってしまったのだ。
そこまで言うと、アリアは再び大袈裟に溜め息を吐いて、額に手を当てた。
「はあ……これだからヘタレ剣士は。冒険者なんだから冒険しなさいよ」
「いちいちうるせーよ! 冒険の意味ちげーから!」
こんな口論が、しばらく続いた。
エルディが依頼を紹介してもらうのは、これからもう少し先のことであった。
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