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朝食を終えると、今度は犬の散歩だ。家の近所を少し歩く程度。近くは森に覆われているし、ご近所もいないのでひとけもない。それに、城壁内は魔物が出ることもないので、これといって警戒すべき事柄もなかった。
ブラウニーはくんくんと草木の匂いを嗅かぎつつ、用を足していた。雌犬なので、脚を上げずに用を足している。短足なので腹が地面にくっついて自身の尿で濡れないのか不安になるが、そこは大丈夫らしい。あそこまで短足だと生活も大変そうだ。
エルディは自由に散歩を楽しむブラウニーを視界の隅に捉えつつ、腕を頭の後ろで組んで欠伸をする。話し相手がいないと、特にやることがないので退屈だ。ティアも連れてくれば良かった。
彼女は朝食の食器を洗ってくれていたので、その間に散歩を済ませてしまおうと思って、ブラウニーを連れて出たのである。だが、よくよく考えれば彼女にとって食器洗いなど一瞬で終わってしまうので、待っていれば良かったのかもしれない。
のんびりし過ぎていて逆に不安になってくるほど穏やかな朝。こんなに穏やかに過ごしていて大丈夫なのだろうか。ふやけてしまいそうだ。
懐ふところに余裕があるわけではないし、働かないといけないことには変わりないのだけれど。それでも、衣食住が安定しているというだけで、随分と心に余裕が持てている気がした。
森を抜けると小さな原っぱに出て、ブラウニーが駆け出していく。ブラウニーは小さな身体を存分に使って原っぱを駆けて、蝶々を追い掛け回していた。
「あんまり遠くまで行くなよー」
エルディはブラウニーにそう言ってから、原っぱの中心にごろりと寝転がった。少しだけ顔を傾けると、リントリムの街を囲む城壁がある。その上にはうっすらとだけ魔力の壁が視えた。魔法の結界である。リントリムの城壁内に魔物がいない理由が、これだった。
街の創設者は余程用心深い性格だったのだろう。あるいは、魔物に対する警戒心が異様に強かったのかもしれない。その初代領主は小国ほどはある領土を囲むようにして城壁を作らせ、更には魔法で破魔はまの結界を張るようにと跡継ぎに命じたのだ。その結果、空からも魔物が侵入できない城塞じょうさい都市へと発展した。魔物の危険から解放されたこの街は平和そのもので、広い敷地の中だけで経済が回るように設計されている。そのため、飯も美味く物資も豊か。更にはそこに商人が外から物資を運んでくるので、街は否応いやおうなしに発展していく。
ここリントリムの街は、危険が他よりも少ない。穏やかな日常を送るのにはこれほど適した街はないが、冒険者にとっては些いささか退屈な街でもある。危険な依頼――そしてそれは高ランクでないと請け負えない――はあまり多くなく、危険な依頼ともなれば、大体は城壁外での依頼となる。
(にしても、すっげー結界だなぁ。あの魔力の流れは俺でも斬れないな)
エルディは改めて城壁の結界を見て感心した。この結界を突破できる魔物は、おそらくいないだろう。それこそ堕天使が本気を出さない限りは、リントリムの平和は安泰あんたいだ。
ちなみに、城壁を覆う結界は、常人ならば視えない。しかし、エルディにはぼんやりと結界を覆う魔力の流れが視えていた。ティア曰く、これは〝浄眼じょうがん〟と呼ばれる特殊な目らしく、魔力の流れやコンマ何秒か先の未来予知ができるものだという。エルディは魔法こそ使えないが、魔力の流れや僅わずかな未来予知が可能なのである。もっとも、これを内緒にしていたがために無能の烙印らくいんを押されてパーティーを追放されてしまったのだが、今となってはそれで良かったと思っている。あのままヒュドラを退治しに行っていれば、きっと堕天使の彼女と出会うこともなかったのだろうから。
そんなことを考えていると、遊び飽きたのか、ブラウニーが顔を覗き込んできて、エルディの顔をぺろりと舐めた。
「お、もういいのか? んじゃ、帰るか」
訊きいてみると、犬っころは言語を理解しているかのように「ワン!」と吠えて、家の方角へと向かって行った。
散歩コースの距離感としても、ここの原っぱはちょうどいいのかもしれない。小型犬であるし、数十分も歩けば運動量としても問題なさそうだ。
「あ、ちょっと俺、ギルドまで行ってくるよ」
ブラウニーの散歩から帰ってくるや否や、エルディはティアに言った。
「お仕事ですか? それでしたら、私も仕度を」
「いや、今日はいいよ。受けられる仕事があるかどうか探しに行くだけだし。それに、武器も新調しないとな」
エルディは腰の剣をぽんと叩いて苦い笑みを漏らした。
いい加減、元パーティーメンバーのヨハンから渡された安物の剣だけでは不安だ。狼人ワーウルフ程度の魔物ならばまだ戦えるが、この剣では太刀打ちできない敵と遭遇する可能性もある。鎧はまだ先でもいいとして、剣だけでも新調しておいたほうがいいだろう。
武器屋なんて付いてきてもティアにとっては退屈だろうし、生活用品の買い足しもしないといけない。それならティアは家でゆっくりとしていたほうがいいだろう。
というより、備品や武具の調達は〝マッドレンダース〟時代にひとりで行っていたというのもあって、単独で動いたほうがやりやすいというのがエルディの本音でもあった。いつ隣で羽をばっさばっさされるかわからないと思うと、武器を精査できそうにない。財布に余裕があるわけでもないし、予算の範囲内で買える武器を慎重に選びたかった。
「ティアも引っ越しやら諸々で疲れてるだろうと思ってさ。なんだかんだ知り合ってから完全な休みってなかった気もするし」
「でも……一緒にいないと、エルディ様を幸せにできません」
ティアがどこか不服そうな、寂しそうな表情でそう言った。
そういえば、昨夜彼女はこんなことを言っていた。
『天使としては全然ダメダメでしたけど……私、エルディ様を幸せにします。ずっと一緒に、いたいですから』
半分寝ぼけているのかと思ったが、どうも本気だったらしい。ただ、プロポーズみたいなことを言っている自覚は相変わらずなさそうだ。
「美味いものを作ってもらえるだけでも十分幸せだよ。なんだかんだ疲れてると思うし、今日は家でゆっくりしながらブラウニーと遊んでてくれよ」
エルディは少し考えてから答えた。
ティアは自分でも無自覚に頑張り過ぎてしまう傾向がある。途中で倒れられたり、天使特有の病気――そんなものがあるのかはわからないが――に罹患りかんされたりしても困る。それならば、休める時はゆっくりと休んでほしかった。
ティアにそう伝えると、納得はしていないながらも理解はしてくれたようで、ようやく承諾してくれた。
「……わかりました。お留守番してますね」
「誰か来ても、居留守使うなりしてくれ。こんな辺鄙へんぴなところなんて誰も来ないと思うけど、一応な」
「はい。いってらっしゃいませ」
彼女は律儀にも玄関までエルディを見送ってくれた。ただ、その表情はどこか寂しそうで、残念そうでもあった。
(うーん……一応気を遣ったつもりだったんだけど、逆効果だったかな)
エルディは若干申し訳ない気持ちに苛さいなまれながらも、リントリムのギルドを目指した。
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※こちらは2巻試し読みに含まれる内容です。
詳しくは書籍にて。
https://kakuyomu.jp/users/kujyo_writer/news/16818093083267933478
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