第42話 嘆く依頼人

「おお、エルディにティアちゃんか。いらっしゃい。珍しいね」


 夕方にリントリムの酒場を訪れると、顔色の悪いマスターがエルディとティアを迎えた。

 この酒場は昼間は食堂、夜はバーとして営業している。一応従業員としてウェイトレスはいるのだが、基本的にマスターひとりで切り盛りしているので、もともと彼の負担が大きい営業スタイルだ。

 それに加えて、夜にするピアノの音対策として店に寝泊りしていては、疲れなど取れるはずがない。変な噂まで立っているとなると、気苦労もあるだろう。彼が顔色を悪くするのも、無理はなかった。


「よお、マスター。景気はどうだい?」


 カウンターテーブルに銀貨を一枚置いてエルディが席に座ると、ティアも続いて「失礼します」と隣に腰掛けた。

 エルディから銀貨を受け取ると、マスターはエルディには麦酒を、ティアにはミルクを出した。

 常連という程ではないが、何度か夕飯をこのバーで食べた事があるので、マスターとも顔なじみなのだ。


「最悪だよ。いや、まあ売り上げ自体は変わってないんだが」

「例の深夜のピアノの音のせいか?」


 エルディが切り出すと、マスターは「もちろんだよ!」と身を乗り出した。


「全く……変な噂のせいで、僕の睡眠時間がどれだけ減ってると思ってるんだ。なあ、何とかしてくれないかエルディ? 冒険者ギルドに依頼も出したんだけど、まだ連絡が来なくて……このままだと僕の方が先に参ってしまうよ」

「そんなマスターに朗報だ。ここに、その依頼を受けた冒険者がいるぜ」


 エルディはにやりと笑みを浮かべてから、自らを親指で差した。

 そこで、マスターの疲れた表情にも光が宿る。


「おお、エルディが引き受けてくれたのかい⁉ これは心強い……!」

「ま、俺達に任せておけば安心さ。で、あれが例のピアノか?」


 エルディはステージの上にあるピアノへと視線を向けた。

 今は店が雇っているピアニストが心地よいメロディを奏でている。夜のバー営業の時はいつも演者がピアノを弾いている。たまにピアノ以外の奏者もステージに上がっているらしいが、まだエルディは見た事がなかった。


「ああ。あのピアノが夜中に独りでに鳴ってるらしい」


 僕は聴いた事がないんだけどな、とマスターは不服そうに付け加えた。

 ちらりとティアに視線を送ると、彼女は無言で首を横に振っただけだった。特にピアノから何か魔力や霊的なものを感じるわけではなさそうだ。


「実際のところどんな感じなんだ? 依頼内容に書いてあった事くらいしか俺達も知らないんだけど」

「どうもこうも、あそこに書いた事が全部だよ。言った通り、僕も直に聴いてないからな」

「何かこの建物に逸話とかはありますか? 誰かが亡くなった、とか……」


 ティアが重ねて訊いた。

 この前の幽霊屋敷の一件と似たような事例ではないかの確認だろう。実際にエルディもそこが気掛かりだった。

 だが、マスターは首を横に振った。


「そんなものはないよ。もともとここは僕の祖父が建てた建物だし、親父も僕もそれを引き継いだだけだ。少なくとも、そんな話は親父から聞いてないよ」

「なるほど」

「霊的なものだったら、僕が寝泊りしてる時も鳴るだろ? 実際に無人のピアノが音を鳴らしたら、腰が抜けちまうだろうしね」


 それもそうか、とエルディも納得する。

 いくらピアノが鳴るかもしれないと覚悟していても、いざ本当に鳴ったら跳び上がるか腰を抜かして教会の悪魔祓い師にでも相談に行くだろう。


「ピアノの音がするのはマスターが必ずいない時、か」

「ああ。多分僕が退店してからのタイミングを狙われているんだと思う」

「時間帯については何か聞いたか?」

「それが……あんまり遅い時間ではないんだ。遅い時でも日付が変わるかどうかの時間帯で、そのピアノは鳴り止むって近所の人は言っていたよ。大体ピアノが鳴っているのは一時間くらいらしい」


 店の鍵を持っているのはマスターだけなので、彼がいつも戸締りをしているそうだ。

 ピアノの音がするのはマスターが退店してからで、更に夜は遅くなくて、ピアノが鳴っている時間は一時間程度。

 マスターが店で寝泊りをした時でピアノの音がした事はない──今までの話をまとめると、ざっとこんな感じだろう。ティアの反応を見ている限り、霊的なものでもなさそうだ。


「多分人為的なものだろうな。誰かがピアノを弾いてるんだろ」

「ですね……そうだと思います。どうしましょう?」

「そうだな……マスターにはいつも通り退店してもらって、それから俺達が鍵を預かって、近くで隠れてよう。で、ピアノの音がしたら中に入ってお縄に掛ける……ってのでどうだ? 店の中に隠れてててもいいけど、万が一気配に気付かれたら犯人が現れないかもしれないしな」


 エルディは話をまとめた上で、作戦を立てていく。

 その策に、ティアとマスターも満足げに頷いた。


「じゃあ、それで決まりだ。あと、マスター。まだ夕飯を食ってないんだ。それとは別に、何か晩飯を注文していいか?」

「あいよ。安くしとくよ!」


 マスターは表情を明るくしてから、早速調理に入ってくれた。

 ギルドの食堂で食べるよりも若干割高なのだが、ここの料理はかなり美味い。ティアも自分のレパートリーにない料理が多いそうなので、案外外食が楽しみらしい。


「食べ過ぎて、眠くならないように注意しないといけないですね」

「確かに。酒もこれ一杯で控えておくか」


 一応ピアノが鳴る時間は深夜帯に差し掛かるかどうかといったぐらいだそうだが、あくまでも伝聞による情報だ。もしかしたら今日が朝方になる可能性もなくはない。

 なるべく早くピアノが鳴りますようにと祈りながら、エルディは麦酒をちびりと口に含んだのだった。

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