第43話 音の正体は……?

 酒場で夕食を取ってから、エルディ達は一旦家に帰って時間を潰した。閉店まで酒場で過ごすわけにもいかないし、ピアノ弾きに警戒されてしまう可能性もあるからだ。

 往復一時間を歩くのは面倒と言えば面倒だったが、家にはブラウニーもいるし、餌も用意しなければならない。

 それから夜更けになってから家を出て、店の外で閉店作業を終えたマスターと落ち合い、店の鍵を受け取った。


「噂では、閉店してから数時間後にピアノの音が鳴りだすらしい。暫く時間を潰してくるといいよ」


 マスターはそう言ってから、「じゃあ後は宜しく。鍵は朝に返してくれ。僕は家で寝る」と欠伸をして帰っていった。


「え? 俺達、朝まで店に居なきゃいけないのか?」

「そういうことになるのでしょうか……?」


 とっとと原因を見つけて家に帰る気満々だったエルディは、ティアと苦い笑みを交わしてから溜め息を吐く。

 それからふたりはまた夜更けの街で時間を潰すことになる。酒場が閉店する時間帯なので、開いている店などあるはずがない。

 誰もいない街の公園を小一時間ほどティアと散歩し──そのうちの大半はベンチでぼんやり過ごしていただけなのだが──また酒場に戻った。

 すると、驚いた事に……何と、本当にピアノの音が聞こえた。


「確かにピアノの音が聞こえるな」

「驚きました。素敵な音色ですね」


 ピアノの演奏それ自体はそこそこ上手かった。

 ただ、あくまでもそこそこで、プロ級の腕前というにはまだ甘い。それに、仮に腕前がプロ級であったとしても夜中にピアノの音が聞こえてくれば、近隣住民からすれば迷惑だろう。


「心霊現象じゃないよな?」

「はい。今のところそういった気配は感じません」


 ティアは小さく頷いた。

 彼女は天使であるが故に、霊的なものや魔力に敏感だ。以前の幽霊屋敷事件でも彼女のこの能力には大きく助けられた。

 そのティアがそう言うのだから、きっと今回の現象は霊的なものではないのだろう。

 エルディはティアと頷き合って、勝手口から店内に入り、フロアに向かう。この間もピアノの音は鳴り続けていた。

 こっそりと台所からフロアのステージを覗き見ると……ピアノの前には人影があった。


「誰だ!」


 エルディはフロアに飛び出て、鞘の剣に手を伸ばす。

 ピアノの前にいた者の正体とは──


「ご、ごめんなさいッ!」


 そこにいたのは、声援だった。

 年齢は十六~七歳といったところだろうか。青年はすぐさまピアノ椅子から立ち上がって、両手を上げた。


(何だ……?)


 エルディは隣のティアにちらりと目線を送った。

 彼女は首を横に振って「人間です」と小声で応えた。どうやら、今回のは霊的なものではないらしい。

 以前の幽霊屋敷の例があるので、万が一霊的なものだったならば予め教えてくれと彼女には伝えてあったのだ。


「こんな夜中に何してんだ、お前」


 エルディは溜め息を吐いて剣の柄から手を離すと、子供に訊いた。


「僕、どうしてもピアノの練習がしたくて。だから夜中にこっそりと……」

「って言ってもなぁ。お前のやってる事、不法侵入だからな」

「ごめんなさい。もうしません」


 青年は謝って、頭を下げた。

 いつも家では家族が寝入っているのを確認してからこっそりと抜け出し、酒場に人がいないのを確認してから侵入してピアノを引いていたらしい。

 本当に悪気はなかったのか、或いは見つかるまでの間だと思っていたのか、とても素直な態度だった。


「つーか、一体どこから入ったんだ? 入口と勝手口は施錠されてるはずなんだけど」

「このお店のマスターさん、勝手口の横にある窓の鍵をずっと開けっ放しで。そこからいつも入ってたんです」

「え? そんな窓あったか?」

「はい、こっちです」


 青年に案内されるがままに勝手口の方に行くと、勝手口の横の足元に小さな窓があった。

 換気用の窓だろうか。確かに、細みなら大人でもぎりぎり通れるくらいのサイズの窓だ。


(やれやれ……戸締りできてないのも原因だったんじゃないか。この窓の存在、忘れてたんだろうな)


 エルディは足元の窓を閉めてから、小さな溜め息を吐いた。

 マスターもまさかここから人が侵入するとも考えていなかっただろうし、疲れが溜まっていて注意力が散漫になっているのもわからないでもないが、彼にも責任はありそうだ。


「窓が空いてたからって勝手に入っちゃダメだぞ。不法侵入は犯罪だからな」

「す、すみません!」


 青年は素直に謝った。

 すぐに謝って反省したところを見るところ、彼も悪い事だとは自覚していたのだろう。その上で侵入し、ピアノを練習していたのだ。


「どうしてピアノを弾きたいんですか?」


 ティアは質問をした。


「僕、将来ピアニストになりたいんです。他の奏者とセッションしたり、一人でずっと弾いてたり。でも、練習できる環境が他にないから……」

「なるほどな」


 ピアノは高級品だ。貴族の館や城、或いは金持ちなんかは所有しているが、なかなか一般人が届くところにあるものではない。

 この酒場も今のマスターの祖父の代から続いていたというし、誰かから寄贈されたのか、或いは祖父か父が購入したのだろう。


「私達の方からマスターさんにお願いしてみませんか? せっかく夢を持っているわけですし……力になってあげたいです」

「だな。事情がわかっていれば、空いてる時間とか休みの日に練習させてもらえるかもしれないし、頼んでみるか」


 いずれにせよ、こんな若者がしっかりと将来を見据えて努力しようとしているのだ。

 それに、ピアノも上手い方だった。これまでは独学で練習していたのだろうが、ちゃんとした人に教わってしっかりと練習すれば、もっと上手くなるだろう。将来彼にこの店のステージに立ってもらえば、この店にとってもマイナスにはならない。


「本当ですか⁉」

「その代わり、もう夜中に侵入しちゃいけませんよ?」

「全くだ。問答無用で処罰されるケースもあるんだからな」

「はい! ありがとうございます!」


 こうして、酒場の夜中ピアノ事件は無事犯人が見つかり、依頼は完了したのだった。

 余談ではあるが、この翌日エルディ達と共に彼はマスターのもとまで行ってしっかりと謝罪した。

 エルディ達の方からピアノを弾かせてやってくれないかと頼んだところ、マスターも快く了承してくれた。ランチ営業からバー営業に切り替わる休憩時間や、休日などに練習させてもらえるとの事だ。

 翌日の午前中、店を仕込んでいる間に早速青年はピアノを練習させてもらっていて、エルディはティアと共にその光景を眺めていた。


(彼が一流のピアニストになった時、果たして俺はどうなってるんだろう? 隣には、まだティアはいるんだろうか……?)


 青年がピアノの練習をしている様子を笑顔で眺めているティアを見て、そんなどうでも良い事をふと考えてしまった。

 そして、そんな事を考えてしまっている自分に、エルディは思わず苦い笑みを漏らす。

 そう考えてしまう時点で、心のどこかでそんな未来を望んでいるに違いなかったからだ。

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