これが恋の物語

 神宮寺カノンが姿を見せなくなって二週間ほど過ぎた。

 僕はかれこれ四十五日、僕の死んだ事故現場の付近を漂っている。


 物語は何も進まない。なんの展開も起こらない。登場人物は増えないし、僕は未だに何の能力も手にしていない。それどころか、何かについて考えるのが苦痛になってきた。


 自分について、神宮寺カノンについて、これからについて、何かを考える度に深い闇に飲み込まれてしまいそうで怖くなった。だから次第に思考する頻度を減らすことにした。

 何も考えずにぷかぷかと浮かんでいる。強風にあおられて体が動いてしまっても、二十メートルいけば勝手に元の場所に戻されるのだ。この場所に留まることにも何の労力もいらなかったので、本当にただ浮かんでいるだけの時間が増えていった。


「そこにいるの?」

「何処にいるの?」

「返事しなさいよ」


 ぼんやりとした意識の中で、誰かの声を聞いていた。


「ちょっと、聞いてるの?返事しなさいよ」

「ねぇいるんでしょ?返事してよ」


 聞き馴染みのある透き通った声だ。僕の大好きな声だ。


「ねぇ、どうしちゃったの?」

「ねぇ、拓真、返事をしてよ」


 初めてだった。

 神宮寺カノンに名前を呼ばれた。


「…ここにいますよ」

「なによ、いるんじゃない、早く返事しなさいよ…いなくなっちゃったかと思ったじゃない」

「ごめんなさい」

「謝らないでよ、謝らないで…」


「もう…来ないのかと思ってました」

「なによ?私だって…そんなに暇じゃないのよ…」

「でも、来てくれて嬉しいです。会えて嬉しいです」

「…私ね…入院していたのよ」


 彼女の言葉に僕は驚きを隠せなかった。


「大丈夫なんですか?ケガ?病気?」

「別に、あなたほど酷くはないわよ」

「でも、二週間も入院なんて」

「私、もともと心臓が悪いのよ…」

「そうだったんですか…教えてくれてたら、こんな寒いところで長話なんてしなかったのに」

「やめてちょうだい、私が私の好きな人と話していたかったから、ここに来ていたのよ。あなたの為じゃないわ」


 それに…と、彼女は続けた。

「それに…私が実際にここに来たのは今日が初めてだもの」


 どういうことだろう?

 彼女の言葉の真意が分からなかった。


「え?どういうことですか?」

「その言葉の意味のままよ。私がここに来たのは今日が初めてなのよ」

「いや、確かに最近は会えてなかったけど、僕が死んだ二日後の日曜日から毎日会いに来てくれたの覚えてますよ、ちゃんと。僕は死んでるけど、ちゃんと覚えてますよ」

「そうね…確かに私たちはここで何度もお話したわね。それは間違いじゃない」

「そうですよ、僕にとっては夢のような出来事だったけど夢なんかじゃないですよ」

「夢のような…か。私も夢を見ていたのかもしれないわ」

「どういうこと?」



「あなたが死んだ日に私も死んだの」





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