これは誰の物語?
初恋は突然やって来た。
高校の入学式、新入生代表の挨拶をしていた女の子。
神宮寺カノン。
彼女をひと目みた瞬間に僕は恋に落ちていたのだと思う。
神宮寺カノンは、有名な地主の孫娘ということもあり、いわゆるお嬢様だった。美しい黒髪、大きな瞳、そして整った顔立ち。凛とした佇まいから、気品が溢れていた。挨拶の言葉も理知的で、その言葉を読み上げる声は透き通っていて、一挙手一投足に魅力を感じずにはいられなかった。
お嬢様が、なぜ僕の通うなんの特徴もない市立高校に入学してきたのかは謎だったが、同じ空間にいられることの喜びを噛み締めていた。
入学から一ヶ月ほどたった頃のことだ。
神宮寺カノンに呼び出されて向かった放課後の音楽室で、思いもよらない事態になった。
「ねぇあなた、私の恋人になってくださらない?」
僕は耳を疑った。
「ねぇ聞いてるのかしら?」
「ぼ、ぼ、僕のことですか?」
「この場に他に誰かいるかしら?」
「何かのご冗談では?」
「冗談なんかでこんなことは言いませんわ」
そう言って彼女は頬を赤くした。
「私のこと、嫌いなの?」彼女の透き通る声は細かく震えていて、肩も小刻みに揺れていた。
「き、嫌いだなんて、そんな滅相もないです」
「でも、好きでもないのかしら?」
「す、す、す、す、好きです、大好きですっ」
その言葉を聞いた彼女は、僕の両手を握って言った。
「では私の恋人になってくださる?」
「は、はい、もちろん…」
彼女は満面の笑みを浮かべて、握っていた僕の手にぎゅっと
力を込めた。
「早速だけど、今度の日曜日、デートいたしましょう」
「デ、デートですか?」
「なによ?嫌なの?」
彼女はどうやら自身を否定される言動に神経質なようで、自己肯定感の低い僕の返答にヤキモキしているように見えた。
「嬉しいです」僕は続ける。
「こういうの、初めてなんで、緊張しちゃって」
「私だって初めてですわ。初恋なんですもの…」
「そ、そうなんですね、せ、積極的なんですね」
「好きな人に好きと言って何が悪いのかしら?」
彼女の美しい黒髪が風に吹かれてなびいた。
繋いでいた僕の手を離し、彼女は髪をかきあげる。
「あなたのことが大好きなの」
そう言って、僕の顔に近づいてくる。
思わず目を閉じてしまった僕の頬に柔らかな感触がして、恐る恐る目を開いた。彼女の唇が、僕の頬に触れていた。
「ファーストキッス…よ」
そう言って笑った彼女は、とても美しく夕焼けに映えていた。
こんな夢のような展開、マンガの主人公みたいじゃないか。だって、今日まで一度も神宮寺カノンとは話したこともなかったのに。存在すら知られていないと思っていたのに。
初恋は実らないものだとよく言うけど、珍しいパターンもあるようだ。お互い初恋同士、これから仲良くしていけたらいいな。日曜日のデートって何をすればいいんだろう?
「日曜日のデートプラン、私が決めておくわ」
僕の考えを見透かすように彼女が言った。
「楽しみに待っていてちょうだい」
最後にもう一度、彼女は僕の頬にキスをして、音楽室を出ていった。
ヤバい…蕩けそうだ。
なんて、なんて可愛いんだろう…
くちびる、柔らかかったなぁ。
いい匂いしたなぁ。
僕は浮かれていた。マンガの主人公にでもなった気分で、今なら空だって飛べそうだし魔法だって使えそうだ。困っている人がいたら手を差し伸べよう。
ふと気づくと、一匹の猫が目の前を歩いていた。
その猫が突然、僕に気づいて驚いた声を上げ走り出した。
そんなに逃げなくても襲ったりはしないよ。
しかし猫は必死に走って、横断歩道のところで車道へと飛び出していった。
危ないっ、そう思った時には体が勝手に動いていた。
トラックが近づいて来ているのは分かったが、猫を助けないといけないと思った。
マンガの主人公はこんなんじゃ死なないハズだ。
大きなクラクションが鳴り響いた。
僕が車道へ飛び出すのと同時に猫は踵を返して歩道に戻っていった。
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