102 終結

「終わった……?」


 魔王が砕け散るのを見て、ステラはまだ信じられないような少し呆けた様子で、確かめるようにそう呟いた。

 

 魔王が、死んだ。

 最強最後の敵は、己の敗北を認め、どこか納得したような顔で逝った。

 気のせいじゃなければ、その死に顔は前の世界の時に比べれば、いくらか穏やかだったように思う。


『ええ。これで終わりです。本当によくやってくれました』

「わ!?」

「ッ!?」


 気配もなく、いきなりこの場にいる誰のものでもない声が聞こえてきて驚いた。

 だが、知っている声ではあった。


 声の主が俺の予想通りの人物だと裏付けるように、ステラの手に握られていた聖剣が勝手に動いて宙に浮き、眩く光り始める。

 そして、光は徐々に形を成していき、見覚えのある人物の姿を作り出した。

 白い肌、白い髪、白い衣服、瞳の色まで僅かに色づいただけの白。

 白という概念を具現化したような純白の少女。

 それはまさしく……


「神様……」


 かつて、エルフの里で出会った超常の存在。

 この世界の神を名乗る少女だった。


「そういう登場の仕方もできたんですね」

「かなり無理をしていますがね。なので、手早く済ませましょう。

 これより世界を上書きします」


 そうして神様は祈るように手を組み、


「愛する世界よ、私の声をお聞きなさい。彼らの頑張りをご覧なさい。成した偉業を讃えなさい」


 歌うように言葉を紡ぎ始めた。

 それは恐らく、魔法の詠唱。

 エルフの里で語っていた世界救済の手段。

 魔王によって滅亡寸前にまで追い詰められた前の世界を今の世界で上書きするという、人知の及ばぬ神の所業を成すための手段。

 多分、この魔法がその手段なんだろう。


「侵略者の王は倒れました。多くの命が失われずに残りました。世界の多くが侵略の魔の手を逃れました。

 それを成してくれた英雄達に祝福を。

 彼らの未来に幸福あれ。世界の未来に光あれ」


 神様の掌の中に、一際眩しく輝く光の球が現れた。

 それは神様の頭上へと浮かんでいき、そして……


「『救世の光アマテラス』」


 光が弾けた。

 凄い勢いでドーム状に広がっていく光に包まれて一瞬視界が白く染まり、次の瞬間には世界が変わっていた。


 目に見えて大きな変化が起きたわけじゃない。

 視覚的に変わったのは、せいぜい今の魔法の残滓と思われる光の粒子が周囲に舞ってることくらいだ。

 それでも目に見えないどこかが、もっと深い部分にある根本的な何かが確かに変わったのだと感覚が訴えてくる。


「これで世界の書き換えは完了です。

 魔王による被害は最低限にまで抑えられ、その状態でこの世界は再び百年の安寧を得ました」


 徐々に薄くなっていく体で神様は語る。

 涙の浮かんだ慈愛に満ちた顔で、万感の思いが込められていそうな震える声で語る。


「アラン、ステラ、そして、この場にいる全ての英雄達、魔王軍と戦った全ての戦士達に言います。

 本当に、本当にありがとうございました」


 そうして、神様は深く深く頭を下げた。


「あなた達のおかげで世界は救われたのです。

 私はあなた達のことが誇らしい。

 本当に、心の底から誇らしくてたまりません」

「あ、えっと、その、ありがとうございます……?」

「いや、なんで疑問形なんだよ」


 激闘の後で気が抜けたのか、大真面目な様子で頭を下げる神様に対して、ステラは実に間の抜けた返答をした。

 そこは堂々と胸を張っとけ。


「あの、神様」

「なんでしょうか」

「……いつまで、こんな戦いが続くんでしょうか?」


 だが、続くステラの言葉は真剣だった。

 ……魔王との戦いで何かを感じたんだろうな。

 正直、俺も思うところはある。


 前の世界の時は、魔王のことをただただ憎くて強い敵としか認識できないくらい俺の目が憎悪で曇っていたが。

 フェザードと想いをぶつけ合い、そのフェザードが死んだと知った時の魔王の悲しみの咆哮を聞き、何よりステラが死なずに決着した今なら別のことを思う余地がある。


 魔王とフェザードは……きっと、そんなに悪い奴ではなかったんだと思う。

 少なくとも、お互いのことを心の底から大切に想い合えるような奴らだった。

 斬らなければならない敵だったが、斬りたくはない奴らだった。

 本当に、敵であってほしくない敵だった。


 だからだろう。

 ようやく悲願を果たしたというのに、こんなにスッキリしないのは。


 普通の魔王を相手にするだけでも辛すぎるのに、今回みたいなパターンはそこに苦々しさが加わる。

 俺達の世代は決着したが、俺達の子供や孫の世代にはまた次の魔王が襲来するのだ。

 いったい、人類はいつまでこの戦いを続けなければならないのか。

 気になって当然と言える。


「確かなことは言えませんが、これまでに魔族に侵略された回数は十回を超えています。

 つまり、向こうは千年以上もの間、同格の神を休みなく攻撃し続けているということです」

 

 「そして」と神様は続ける。


「これだけの無理攻めを続ければ、いくら神でも消耗は避けられません。

 恐らく、侵略は多くてもあと一度か二度。

 そこまで耐えれば、あとは無茶な攻めで消耗し切った魔界の神を私が倒すだけです」

「あと、一度か二度……」


 つまり、百年後か、二百年後。

 それで、遂に長かった魔族と人類の戦いが本当の意味で終わるのか。

 なら、繋がないとな。

 俺達若い世代に希望を繋いでくれたルベルトさんのように。


「その時、人類が勝った時、魔族はどうなりますか?」

「……神が死んだ星は、他の神が自分の星を捨てて管理でもしない限り崩壊します。

 星の崩壊に巻き込まれれば、どんな生物でも生き残ることはできないでしょう」

「そう、ですか……」


 ステラの顔が曇った。

 ……甘いとは思うが、わからなくはない。

 魔王は魔族の世界を作ることをフェザードへの手向けにすると言っていた。


 きっと、あいつらはそのために戦い続けてきたのだろう。

 それが少しも報われないというのは少し哀しい。

 もちろん、報われてしまったら最悪に困る目標だし、それを潰したことに後悔なんて微塵もないんだが。


 戦いとはそういうものだ。

 絶対に相容れない目的の者同士が正面からぶつかったら、どちらかがどちらかの目的を踏み潰していくしかない。

 そんなことは、ステラだってきっと理解している。

 だからこそ、それ以上は何も言わない。

 ただ、理屈の上ではわかっていても、感情はまた別の問題。

 複雑な気持ちにならないわけじゃない。

 それだけの話だ。


 だが、そんなステラを見て何を思ったのか、神様は信じられないことを言い出した。


「…………もしも、本当にもしもですが。

 魔界の神を倒した時、この世界に余裕があって、魔界に当代魔王の思想を継いだ戦いを望まない魔族がいた場合。

 そいつらだけは助けて…………あげないこともなくもなくもないです」

「「え!?」」


 俺とステラは揃って驚愕の声を上げた。

 神様が、前に会った時あれだけ魔族を憎悪してた神様が変なことを言い出した。

 苦虫を億単位で噛み潰したような、心の底から嫌そうな顔をしながら。


「魔界の神が死ねば、魔族は加護を失ってちょっと強い魔物程度にまで弱体化するでしょうからね。

 あなた達が望むのなら、極少数の弱った連中がこの世界の未開の地でひっそりと生きることくらいは許します」

「それは……ありがとうございます」

「あくまでも、救世主であるあなた達が望むからこその特例中の特例です。

 そうじゃなければ、誰があんな連中……!」


 神様が神聖さとは程遠い、今にも「ケッ!」と吐き捨てそうなチンピラのような顔で慈悲深いことを言ってくれた。


「もちろん、こちらに余裕があって、戦いを望まない魔族限定という条件に少しでも当てはまらなければ見殺しにしますからね。

 人類に仲間を殺されて、仇討ちをしたいとか言い出す当代魔王のような奴でも同様です」

「わかってます。それでも充分です」


 ステラはもう一度「ありがとうございます」と言って頭を下げた。

 さすがに、これ以上は望めないし望まないか。

 フェザードの仇を討とうとした魔王との戦いはどうあっても避けられなかった。

 前の世界でステラの仇討ちをしようとした俺だって、きっとどうやっても止まらなかったはずだ。


 だから、そこで発生する苦々しさは乗り越えなければならない試練なのだろう。

 神様の慈悲で、その後ろにあるものまでは踏み潰さなくて済むというだけでも望外の幸運。

 そう思うしかない。


「そろそろ時間ですね」


 そう言う神様の体は、もう随分と薄れていた。

 消える寸前って感じだ。


「最後に、祝福をさせてください。

 世界が救われたことに対する祝福ではなく、あなた達が無事に添い遂げられる未来が訪れたことに対する祝福です」

「そ、添い遂げ……!?」

「アラン、ステラ。本当におめでとうございます。末永くお幸せに」


 それだけ言い残して神様は消えた。

 核となった聖剣が光を失い、浮力も失って床に突き刺さる。

 そして、一瞬の沈黙の後。


「ステラ」

「ひゃい!?」


 今の神様の発言を意識してるのか、名前を呼んだだけでステラが過剰反応した。

 いつもの俺なら釣られて赤くなってたかもしれないが、今の俺は一味違う。

 何せ、前々から魔王を倒したらって覚悟を決めてたからな。

 草葉の陰のレストにだって、今の俺をヘタレとは呼ばせない。


「お前、決戦の前に言ってたよな。

 魔王を倒したら今度は俺からして、答えを聞かせろって。

 だから今、その約束を果たす」

「んっ!?」


 俺は動く左手をステラの頬に添えて、━━前回強引にしてきたステラと同じように、その唇を奪った。

 初めての、俺からのキスだ。

 そして、唇が離れたところで言う。

 ずっと言いたかった言葉を言う。


「好きだ、ステラ。ずっと傍にいてくれたお前のことが好きだ。

 お前と一緒にいると安心する。お前が一緒にいないと不安で堪らなくなる」

「ちょ、待っ……!?」

「気安く煽り合えるお前が好きだ。

 隣で支え合える頼れるお前が好きだ。

 逃げてもいいって言ったのに、結局勇者の責任から逃げなかった強いお前が好きだ」

「ッ〜〜〜〜〜!!」

「時にはちゃんと弱音を吐いて、弱い部分を見せてくれたお前が好きだ。

 加護が無くても必死で追いかけて、ずっと隣にいたいと思うくらい好きだ」

「も、もう、勘弁してぇ……!」


 言葉を重ねるごとに顔が真っ赤になり、頭から湯気を噴き出すステラになおも告げる。

 最後に、一番大事なことを。


「この先もずっと隣にいてほしい。

 同じ時を一緒に生きてほしい。

 だから、━━結婚してくれ、ステラ」

「ふ、ふぇぇ……!」


 ステラはプシュ~っと限界を越えたような勢いで蒸気を噴き出し、一瞬機能停止に陥りかけた。

 だが、ギリギリで再起動して、答えを言ってくれた。


「ふ、不束者だけど、こ、これからよろしくお願いします……!」

「ああ。ああ! よろしく頼む!」


 俺はステラを思いっきり抱きしめる。

 誰にはばかることなく、堂々と、こいつは俺のものだと証明するように。

 誇張抜きに死ぬほど幸せだった。


 しかし、その幸福感は次のステラの言葉で一瞬吹き飛んだ。


「あ、あんたねぇ! 嬉しかったけど、確かに嬉しかったけど!

 何も皆が見てる前でやることないでしょーーー!!」

「…………皆?」


 ふと冷静になった俺は、ギリギリと錆びついた人形のように鈍い動きで首を動かして後ろを見た。

 背中は嫌な汗でびっしょりと濡れ、顔色は真っ青になっていく。

 どうかこの嫌な予感が外れていてくれと願ったが、現実は無情だ。


「ヒューヒュー! 見せつけてくれるじゃねぇか!」

「ステラさん、おめでとうございます! 遂に! 遂にやりましたね!」

「いやー、お主らの子供の顔が早く見たいもんじゃのう!」

「定期的に遊びに行くっすよ! 新婚生活のアレコレを根掘り葉掘り聞き出してやるから覚悟するっす!」

「おめでとうございます、勇者様、アランくん。やはり、こういうことはいつの時代でも実にめでたい」

「ふん! せいぜい末永く爆発しろ小僧!」

「付き合いの短い私はおめでとうしか言えないな! だから言おう! おめでとう!」


 見れば、ブレイド、リン、エル婆の勇者パーティー全員。

 イミナさん、エルトライトさん、ドッグさん、ガルムの外部組全員が目をガン開きにして俺達を見ていた。

 そして、はやし立てるように祝福の言葉を送ってくる。


「お、起きてたのか……!?」


 神様が出てきても無反応だったから、てっきり魔王戦の疲労で気絶してそのまま寝てると思ったのに……!

 じゃあ何か?

 俺の一世一代のこっ恥ずかしい告白シーンを、こいつらは全員息を殺して眺めてたってことか?


「ッ〜〜〜〜〜!!」


 途端に羞恥心が湧いてきた。

 同時に怒りも湧いてきた。

 目がニヤニヤを通り越してニマニマしてる出歯亀野郎どもに対する怒りが!


「おいこら! 見せもんじゃねぇぞ!」


 俺の新たな人生の門出にケチをつけやがって!

 許さん! 全員しばき倒してやる!

 そう思ったのに痛くて体が動かん!

 おのれ!


 そんなお世話にもロマンチックとは言えない雰囲気の中でだが、俺はもう一つの悲願をようやく果たし、ステラと結ばれた。

 最後の最後に後々までイジられる黒歴史ができてしまったのは誠に遺憾だが。

 それでも魔王を倒した後に、仲間達と笑えるようなバカなやり取りができたのは何よりの幸運だったのだろう。

 後からこの時のことを思い出した時、俺は小さく笑いながらそう思った。

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