101 『魔王』

『魔族を従えよ。別の世界を攻めよ。その世界を支配せよ』


 魔王の魂には、生まれた瞬間から、そんな思念が刷り込まれていた。

 親が子に施す教育のように、あるいは洗脳のように、自我が確立する以前から送り込まれ続ける思念。

 与えられた加護という名の知恵と力、それによって生まれて数日で自我を確立し、心を得た頃。

 魔王は己の中で強く叫ぶその思念に対して、こう思った。


(絶対に嫌だ)


 歴代魔王の大半が何の疑問もなく己の行動原理とする、の意思。

 当代の魔王は、それを嫌なこととしか認識しなかった。


 原因はいくつか考えられる。

 まず、彼は人と獣の血を引く魔族の中でも、特に『人』の血が強く表に出ていたこと。

 姿形は完全に人のそれで、吸血鬼のような牙や爪や翼すらない。

 だからこそ、彼は獣の本能よりも、人の感情を優先して動くタイプだった。


 次に、自我を確立するまでの数日間で、既に何体もの魔族と相まみえたこと。

 その全てと戦いになった。

 さすがに生後すぐの考える頭もない状態では思念の意味すら理解できず、魔王は従えろと言われた魔族を全て殺した。

 襲ってきたから、防衛本能のまま返り討ちにして食った。


 そして、屍の上で自我を確立し、魔族を食いながら思念の意味を理解して、彼はこう思ったのだ。


(こんなのを従えて何になる)


 彼は覚えていた。

 自我を確立する前の自分を襲った魔族の形相を。

 知性があるはずなのに、醜悪な獣のように食欲と悪意を全開にして襲ってきた、魔族の醜い姿を。


 彼はそれに嫌悪感しか覚えなかった。

 あれは人ではない。

 多少賢くなっただけの獣だ。

 神は彼にそんな魔族を率いることを望んでいるが、彼にしてみれは魔族など関わりたくもない。

 突っぱねたくなるのは当然だった。


 しかし、思念はそんな彼を許さず、四六時中頭の中で大声で主張してせっついてくる。

 彼は断固とした意志で無視した。

 魔王という重大な役割を遂行するために、他の魔族よりも遥かに知識によって彼は知っていた。

 神はこうして思想を刷り込むことはできても、魔族を完全に操ることはできないということを。


 正確に言えばできなくはないのだが、やってしまえば魔族という生物を更に歪めてしまう。

 過去に神がやらかした過剰な干渉によって歪みに歪みまくった生物である魔物を、加護によって知恵と力を与えることで更に歪めたのが魔族だ。

 そんな魔族をこれ以上歪めたら、魂か肉体が耐え切れずに壊れる。

 そうなったら手駒として機能しないので、神は無理矢理に彼を操ることができないのだ。


 ……とはいえ、こんな思念にずっと苛まれ続けていたら、そのうち精神が限界に達して、楽になるために言うことを聞いてしまうだろう。

 それでも、耐え切れなくなる寸前まで、彼は抗うつもりだった。

 子供の反抗期みたいなものである。



 そんな状態で、彼は魔界中を旅した。

 旅というか、飢えて死ぬのも嫌だったから、食料を求めて移動を繰り返していただけだが。


 その途中で何度も魔族に出会った。

 そして、彼の見た魔族は、誰も彼もが醜かった。


 加護の大きさによる実力差を感じ取って素直に逃げる輩はまだいい。

 だが、有象無象よりは遥かに強い力をもって生まれてくる魔族は、小さな縄張りの中では敵無しの生活を何年も続け、増長することが多い。

 生まれてから一度も負けるどころか苦戦したこともない奴は、いつしか自分が負ける姿を想像できなくなる。

 自分が負けるはずがないと思い込む。

 己こそが最強だと思い上がり、プライドばかりが高くなる。


 そんな輩が絶大な加護の力を身に纏う魔王を、己よりも明らかに強そうな存在を見つけると、

 そんなはずがない、最強は自分のはずだと、安いプライドが現実を直視することを拒み、プライドを傷付けた魔王を殺して己の最強を証明しようと無謀にも襲いかかってくる。

 理性では力関係を理解しているからか、大抵は正面から挑まず、思いつく限りの悪辣な手段を使って。


 彼は一層魔族のことが嫌いになった。

 魔族を従えろと言うのなら、せめて自分に従うように魔族に刷り込みをかけておけと神に悪態をついた。

 まあ、魔王の加護に耐えうる強靭な肉体と魂を持って生まれた彼と違って、他の魔族には『別の世界を攻めろ』という刷り込みをするだけで容量いっぱいなのだということは理解していたが。



 旅は続く。

 その中で更に多くの魔族を見た。


 プライドの高い奴ら同士がぶつかり合い、共食いをしていた。

 頭の回る奴が脳筋をたぶらかし、油断したところを後ろから食い殺していた。

 味をしめた頭の回る奴は、魔王にまですり寄ってきて寝込みを襲おうとした。

 たぶらかされた経験があるらしい脳筋は、何を言っても聞く耳を持たずに襲ってきた。


 醜かった。

 もう見るに耐えなかった。

 なのに、どこへ行ってもそんな奴らしかいない。

 誰もいない場所で静かに暮らしたかったが、魔界において誰もいない場所とは食料のない場所と同義であり、飢えて苦しむのが嫌なら魔物食料のいる場所にいるしかない。

 その魔物の中から魔族が生まれてくる以上、どこに行っても魔族はいる。

 食べなくても生きていけるタイプの魔物が心の底から羨ましかった。



 旅は続く。

 知性のない魔物か、半端に知性があるせいで魔物よりも悪辣で醜くなっている魔族にしか出会えない旅が。

 どこもかしこも荒廃して似たような景色になっている魔界では景色を楽しむこともできやしない。


(虚しい)


 数年の旅を経て、魔王の心を埋め尽くしたのは、そんな感情だった。

 たった独り、ただただ醜いものを見続けるだけの人生に価値を見出だせない。

 思念への反発心に突き動かされて旅を続けてきたが、段々と疲れてきた。

 同じ価値の見出だせない人生ならば、煩わしい思念による頭痛から解放される分、思念の言う通りにして生きた方がまだマシなのではないかと思い始めていた。


 そんな時だ。

 ある一人の魔族と出会ったのは。


「う、うぅ……」


 それは、行き倒れた魔族の子供だった。

 子供の魔族が一人でいるのは初めて見た。

 魔族は魔物の子として生を受けるので、まだ弱い子供時代は親の庇護を受けて共にいることが多い。

 獣の血が入っている魔族は成長も早く、成長するとすぐに親より強くなり、しかも自分だけ知性があるものだから親を自分と同じ存在とは見なさなくなって、食うなり従えるなりしてしまうのだが。

 何かしらの事情があって成長前に親と逸れることもあるが、この過酷な魔界でまだ幼く弱い魔族が一人になれば、すぐに死ぬ。


 そんな事情もあって、彼は子供の魔族を見るのは初めてだった。

 見た目が子供っぽいだけの成体なら何体か見たが、目の前の魔族は加護の力も弱々しく、まだ加護の力を十全に使えないほど肉体が未熟である証拠だ。


 そして、その子供は今にも死にかけていた。

 腹が減っているのだろう。

 ガリガリに痩せていたので、すぐにわかる。

 しかも、そんな子供を餌と見なして、一体の魔物が大口を開けて襲いかかっていた。

 放置すれば数秒後には死ぬ。


 その時の彼の行動は、反射的なものだった。

 子供の姿が自分と同じく人型に近くて、親近感でも湧いたのかもしれない。

 同じ人型でも今まで見てきた連中は醜い奴らばっかりだったが、その子供からは奴らのような腐り切った感じがしなかったのも理由の一つか。

 とにかく、彼は襲いかかろうとしていた魔物を倒して、子供を助けた。


「おい、大丈夫か?」


 倒れ伏す子供に手を差し出し、その手を取る体力も残っていないようだったから抱き上げ、倒した魔物の肉を千切って食べさせた。

 子供は初め何が起こったかわからない様子で硬直していたが、肉を差し出せば夢中で食べた。

 食べて、食べて、涙を流しながら食べて。

 元々限界だったのだろう体力が尽きて意識を失う寸前、最後に掠れた声でこう言った。


「あり、がとう……」


 それは、感謝の言葉だった。

 何の含みもない純粋な言葉だった。

 こちらを騙そうとする意図も何もない、彼が生まれて初めて聞く『悪意のない言葉』だった。


「ありがとう、か……」


 その時、彼は生まれて初めて、心の中に嫌悪感でも虚無感でもない不思議な感情が。

 嫌ではない感情が生まれているのに気づいた。






 旅は続いた。

 独りではなく、二人の旅が。

 助けた魔族の少女、フェザードが彼の旅路に加わったのだ。


 二人での旅は、独りの頃とはまるで違った。

 遭遇する出来事自体が変わったわけではない。

 相変わらず出会う魔族は醜い連中ばっかりだし、景色は代わり映えのしない荒野ばかりだ。

 だが、彼はいつしか虚しいとは思わなくなっていた。


 歩幅の違いによって小走りで付いてこなければならないフェザードのために歩調を合わせた。

 魔物や魔族と出会う度に、露払いのように戦おうとするフェザードが危なっかしくて肝を冷やした。

 恩返しのために強くなりたいと言うフェザードが眩しく見えた。

 決して強いとは言えない種であるフェザードを、本人の望み通り強くするために、与えられた知恵の中から方法を探し出して剣術を教えた。

 剣術に必要な武器を取りにいくために、古代の遺跡を目指した。


 いつしか旅には目的が生まれ、その目的を果たすためにフェザードと共に歩むのは楽しかった。

 彼女は他の魔族とまるで違った。

 旅の至るところで魔王を支えようとする姿はいじらしく、寂しいのか眠る時にくっついてくる姿は可愛く、恩返しのためにと頑張って強くなろうとする姿は美しかった。

 フェザードと共にいる日々は、独りでいた頃とは比べものにならないほど色づいていて、本当に楽しかったのだ。


 思えば、彼の人生を最も虚しく感じさせていたのは、孤独だったのだろう。

 魔王といえども、獣の本能に飲まれることもできず、まともな理性を保ったまま、こんな地獄で独りぼっちでいるのは辛かったのだ。

 寂しかったのだ。


 だからこそ、彼は反射的に死にかけていたフェザードを救けたのだろう。

 無垢な子供で、腐り切った感じのしなかった彼女なら、悪意ある策略を巡らせることもなく、ただ普通に自分の傍にいてくれるのではないかと心のどこかで期待して。


 フェザードは彼に救われたと言うが、救われたのは魔王も同じだった。

 二人の魔族は互いに助け合って、支え合って『人』になったのだ。

 故に……


『魔族を従えよ。別の世界を攻めよ。その世界を支配せよ』


 この日々を邪魔する思念が煩わしくて堪らなかった。

 いよいよ抑えるのが限界に達してきた思念は、常時酷い頭痛を彼に与えてくる。

 それで体調を崩し、しばらくはどうにか誤摩化していたのだが。

 最終的には取り繕うこともできないほど頭痛は酷くなり、心の底から心配して、泣きそうな顔で「本当に原因に心当たりはないんですか……!?」と聞いてくるフェザードに負け、魔王は思念のことを洗いざらい吐かされた。

 最強の魔王も、女の涙には勝てなかった。

 そして、事情を聞いたフェザードは……


「やりましょう。それで魔王様が苦しみから解放されるなら、私は……!」


 何でもやる。

 フェザードの眼は雄弁にそう語っていた。

 それを見て、魔王は酷く悲しい気持ちになった。

 こんなに自分のことを想ってくれる相手が、自分のせいで神の尻ぬぐいなどという、下らない戦いに足を踏み入れようとしている。

 負ければ死に、勝っても喜ぶのは神だけという不毛極まりない戦いに。


 いや、例え自分のこの思念が無くとも、フェザードにも別の世界を攻めろという神の意思は刷り込まれている。

 数十年後、門が開く直前の時期になれば、同様の苦しみがフェザードを襲うだろう。

 魔王ですら耐え切れなかった苦しみだ。

 これに抗えるとすれば、まだ加護が肉体と魂に馴染み切っていない子供くらいのもの。

 フェザードはもう子供ではない。

 つまり、どのみち戦いは避けられない。


 魔王は自分達の運命を呪った。

 そして、それと同時に思った。

 どうしても避けられない絶望の戦い。

 その先に待つかもしれない未来に、一つの望みを抱いた。


(この子が、フェザードが安心して暮らせる世界が欲しい)


 それが、当代魔王が己の意思で人類との戦いを決意した最初の理由だった。






 旅は目的を変えた。

 フェザードと共に各地の魔族や魔物を叩きのめし、嫌悪感を堪えながら配下にする作業が始まった。


 この頃、最も魔王を激怒させ、同時に恐怖させたのは、配下の魔族達がフェザードを積極的に害そうとしたことだ。

 魔王には勝てないから、その分のイラ立ちをフェザードにぶつけてやろうという浅ましい考え。

 当然、そんな連中は残らず処刑し、他の連中への見せしめにしてやったが、配下が増える度に同じことが起きる。


 だが、この件を解決したのは魔王ではなく、フェザードだった。

 決して上位魔族などではなく、それどころか弱小の魔物から生まれてきた非才の身でありながら、

 フェザードは絶大な努力で魔王軍ナンバー2の強さを手に入れ、名実共に魔王の右腕の地位を得たのだ。


 フェザードは己を襲撃してくる輩を自力で叩きのめし、上下関係を叩き込んだ。

 当時、魔王を除けば魔界最強と謳われていたドラグバーンや、強大な力を代々継承してきた吸血鬼のヴァンプニールすら屈服させた。

 魔王としては、あまり危ないことをしてほしくない気持ちもあったが、

 フェザードの努力と献身を誰よりも知る身として、彼女を信頼し任せた。


 そうして配下が増えていき、当代の魔王軍が大きくなっていくと、色んなタイプの魔族と出会うことになる。

 以前の旅ではできるだけ魔族を避けていたため、目に入らなかった魔族にもだ。


 その中の何人かの魔族の存在が、魔王の価値観を変えた。


 最初のキッカケになったのは、アースガルドだ。

 無生物系の魔物、魔法を使うゴーレムことガーゴイルの亜種として誕生した魔族。

 食べなくても生きていける魔族。

 体が岩でできているため、他の魔族は彼を食らおうともしない。

 つまり、この戦わなければ生きていけない魔界において、アースガルドは戦わなくても生きていける。


 そんな彼は虚無だった。

 何もせず、何も感じず、魔王が発見するまでずっと、まるで置物のように山の中腹に座っていた。

 きっと、魔王が見つけなければ、門が開いて思念に突き動かされるようになるまで本当に何もしなかっただろう。


 アースガルドはそんな虚無の塊だったが……しかし、他の魔族のように醜くはなかった。

 少なくとも、常に悪辣な策略を巡らせてフェザードを狙うことはない。


 そして、もう一つのキッカケは、出会った頃のフェザードと同じような子供の魔族達。

 彼らは全員とは言わないが、魔王の目が届く場所で育った何人かの子供達は、半分以上がフェザードと同じくまともな『人』に育った。

 別にフェザードのように心からの忠誠を誓ってくれているわけではないが、過度に他者を貶めず、傷付けず、協力して物事に取り組むことができる。


 それだけで充分だ。

 彼らは多少賢いだけの獣ではない。

 ちゃんとした人だった。


 それを見て、魔王は確信を抱く。

 フェザードと二人旅を始めた頃から、薄々そうじゃないかと思っていたことに。


(魔族の醜さは、環境が生み出したものだったのか……?)


 それはある意味、当然の考え。

 冷静に考えて、こんな地獄のような環境でまともな情緒を育めるはずがない。

 自分にはフェザードがいた。

 だから、人でいられた。


 しかし、彼らはどうだ?

 地獄で独り、生きるために他者を食らい続け、同じ魔族ですら餌としか認識できなくなる。

 強い敵を殺して食うために悪辣さばかりが磨かれ、他者の悪辣さを恐れて信頼など築けたものではない。


 大半の魔族は、そんな哀しい生き方しか知らない。

 ドラグバーンのように、比較的マシな方向に開き直れる奴もいるが、そんなのは極少数だ。

 そう考えれば、途端に今まで醜いと感じていた魔族達が哀れに思えてきた。


 環境さえ変われば、魔族は変われるのだろうか?

 それこそ、神が奪えと催促してくる世界を手に入れられたなら、いつかは全ての魔族がまともな人に戻れるのだろうか?

 

 この時、魔王が戦う理由が一つ増えた。






 そうして配下を増やし続けること数十年。

 遂に別世界への門が開く。

 魔王は理念を継いでくれた子供達を魔界に残し、フェザードを筆頭とした配下達と共にこの世界へとやって来た。 


「おお……」


 この世界を初めて見た時、深く感動したのを覚えている。

 降り注ぐ日差し、澄んだ空気、豊かな緑、豊富な水源。

 どれもこれも魔界にはないものばかりだ。

 刷り込まれた知識によって存在は知っていたが、実際に見てみれば、その素晴らしさに涙すら出そうだった。


 ここなら、恩恵に満ち溢れたこの世界ならば、本当に魔族は変われるかもしれない。

 森の恵みを、海の恵みを食べていれば、互いの肉体など食い合う必要はない。

 争う理由が無くなれば、いずれは闘争心を薄め、真っ当な暮らしができるかもしれない。

 自分もフェザードと二人で、穏やかに過ごせるかもしれない。


 そんな素晴らしい世界を、━━魔王は自らの力で踏み荒らした。


 仕方のないことだと言えなくはない。

 魔王に、魔族に刷り込まれた命令は、この世界の奪取だ。

 手に入れるためには、元々の持ち主から奪い取らなくてはならない。

 この素晴らしい世界で平穏に暮らしていた、それこそ魔王の理想とした暮らしを送っていた人類を攻撃し、彼らの幸福を踏みにじりながら、魔王軍はこの地に君臨した。


 吐き気がした。

 自分達の所業に心底吐き気がした。

 そうありたいと願った理想を体現している人々を自らの手で握り潰す。

 自分で自分の大切なものをグチャグチャに壊しているような感覚がした。


 本当に、何故こんなことをしなければならないのかわからない。 

 奪うのではなく、頭を下げて頼み込み、少しでいいから恵んでもらえばいいだけの話ではないか。

 見たところ、人類はこの世界の広大な土地の全てを使い切っているわけではない。

 まだ魔族に対する人類の憎悪が生まれる前、一番最初の魔王が侵略ではなく交渉を選択していれば、未開の地に住まうことくらいは許されたかもしれないのに。


 なのに、刷り込まれた思念は奪うことを強制してくる。

 ああ、知っている。わかっている。

 土地を恵まれての移住ではダメなのだ。

 それで救われるのは魔族であって、魔界の神ではない。

 魔界の神はこのままなら、遠くない未来に魔界の崩壊と共に消滅する。

 だからこそ、魔界の神は魔族を使って人類を滅ぼし、この世界を己の力で染め上げて、この世界の神の座を奪おうとしているのだから。


 結局、どこまで行っても神の都合。

 そんな理屈などわかりたくもない。

 それなのに逆らえない。

 獲物を目の前にした神の思念はより強烈になり、魔王に止まることを許さない。


 そうして、魔王は止まれずに戦い続けてきた。

 せめて少しでも犠牲を減らそうと、そして何よりもフェザードの未来だけは何がなんでも掴み取ってやろうと、止まれないなりに硬い信念を抱いて戦い続けてきた。


 その結末が、これだ。


「あ……」


 光と闇の斬撃が魔王の体を斬り裂く。

 間違いない。

 致命傷だ。

 あと数秒もしないうちに、魔王の命は終わる。


(負けた)


 完膚なきまでに負けた。

 最愛の部下を失い、せめて彼女が応援してくれた魔族の救済だけでもやり遂げようと、悲しみに震える心を奮い立たせて最後の戦いに臨んだが……勝てなかった。


(敗因は、何だろうな……)


 これでも神の操り人形なりに全力を尽くしたと思うのだが、届かなかった。

 決して実力で劣っていたわけではないはずだ。

 フェザードだけに頑張らせるわけにはいかないと、共に技量の研鑽に努めてきた魔王は、一対一なら聖剣を開放した勇者よりも強い。

 この場の全員を合わせても、まだ魔王が勝る。

 なのに、負けた。


(ああ、そうか)


 自分の目の前にいる、光と闇の刃を交差させた二人を見て。

 どこか自分とフェザードに似た二人を見て。

 魔王は自らの敗因を悟った。


「フェ、ザード……」


(我は、お前と共に戦うべきだったのだな……)


 目の前の二人は隣に立って戦い、自分は一人で戦った。

 それこそが魔王の敗因。


 悪手を打ったとまでは言わない。

 この魔王城での最終決戦、フェザードを勇者以外の戦力の迎撃に当てなければ、もっと多くの聖戦士が魔王との戦いに参戦していただろう。

 フェザードは強い。

 バラけた聖戦士相手であれば、まず負けないと断言できるほどに。


 だが、彼女の耐久力は並の魔族以下だ。

 勇者との戦いに参戦させれば、ガード越しの攻撃を食らっただけで致命傷になりかねない。

 しかも、聖剣で刻まれたダメージは魔王が治癒魔法をかけても治せない。

 かつて、二人の剣聖に付けられた傷も治せず、右眼を取り戻してやることができなかった。


 わざわざ危険な場所に配置するのではなく、最も活躍できる場所に配置するのは、戦略上何も間違っていない。

 それでも、理屈じゃないのだ。

 どれだけ危険でも、フェザードを信じて自分の隣を任せるべきだった。

 加護を持たない、フェザード以上に危なっかしい相棒を信じた勇者のように。


「認めよう、勇者」


 叩き込まれた聖剣の力と自らの力によって、体が内側から破壊されていく音を聞きながら、魔王は最期にこう言った。


「お前の、勝ちだ」


 魔王の肉体が壊れてゆく。

 魂が肉体から抜けてゆく。

 その、刹那、


「!」


 魔王の頬を、一陣の風が撫でた。

 春風のように温かい風が。

 フェザードが子供の頃、駆け寄ってくる度によく無意識に起こしていたものと同じ風が。


(フェザード)


 魔王は想う。

 最後くらいは魔族の王ではなく、一人の男として、最愛の女性のことを想う。


(叶うのならば。

 もしも、次の生や、あの世というものがあるのならば。

 戦いの宿命を背負うこともなく、魔王とその部下などという窮屈な肩書に縛られることもなく)


 彼は、目を閉じる。

 まぶたの裏に、彼女の姿が鮮明に浮かんだ。


(ただ一人の命として、お前の、隣に……)


 そうして、魔王は。

 最強の魔族は。

 体内に叩き込まれた絶大な力に耐え切れず、跡形も残らずに砕けて散った。

 最愛の女性と同じく、亡骸を辱められることなく逝った。


 こうして、今代の人類と魔族の戦いは終結した。

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