98 最後の戦い
「う、うぅ……」
お腹が空いていた。
戦って、勝って、相手の亡骸を食らわなければ何も食べられないこの地獄で、その子は貧弱な力しか持たずに生まれたからだ。
成長すればそれなり以上に戦えるようになるだろうが、
今戦えなければ飢えて死ぬのだ。
いや、飢え死にする前に、他の何かに食われて死ぬ。
親に守ってもらうこともできない。
その子の親は、異端の子供を追い立てて群れから追放するタイプだった。
「ハァ……ハァ……あうっ」
足下の窪みに躓いて転んだ。
もう起き上がる力すらない。
空腹によって、体力が完全に底をついたのだ。
自分はここで死ぬと確信した。
死にたくないと本能が叫んだ。
植え付けられた知識のせいで、生まれて数日で既に自我を確立した心は泣き叫んだ。
だが、泣こうが喚こうが助けは来ない。
ここはそういう場所だ。
ここはそういう地獄だ。
……その、はずだった。
「おい、大丈夫か?」
しかし、そんな地獄の常識を覆して。
その『人』は、救いの手を差し伸べてくれた。
◆◆◆
「ハァアアアアア!!」
「ッ!?」
魔王が連続で振るう闇の剣をステラは聖剣で受け流そうとし、受け流し切れずに吹き飛ばされる。
アランの衝撃を移動速度に変換する技『激流加速』の動きを思い出して即座に体勢を立て直すが、
次の瞬間には、魔王の振るう飛翔する闇の斬撃がステラの目の前にあった。
「『地獄剣・
「『
闇の斬撃を光の魔法剣で迎撃するも、力負けして再び吹き飛ぶ。
だが、元々相殺できるとは思っていない。
今の一撃も正面からではなく、横からぶつけて闇の斬撃の軌道を逸らすのが狙いだ。
逸してなお余波だけで吹き飛ばされたが、目的は果たしている。
しかし……
「どうした勇者! 守るばかりか!」
「うぐぐ……!」
魔王の言う通りだった。
ここまでの戦いで、終始ステラは防戦一方。
せっかく回復阻害の聖剣があるのに、魔王にかすり傷すら付けられていない。
逆に、ステラの方にはかなりのダメージがある。
戦いの直前に武神より送られた最強金属の鎧は殆ど砕け、体中の至るところが傷だらけだ。
負傷が積み重なるごとに治癒魔法で治してはいるが、すぐに新しい傷が刻まれる。
その治癒魔法すら使うタイミングを間違えれば、魔法の発動に意識を持っていかれた隙を突かれてやられるだろう。
「うっ!?」
またしてもステラが吹き飛ばされ、それを見た魔王は今度は速攻を選ばず、体を捻って闇の剣を大きく振りかぶった。
限界まで引き絞られた弓を思わせる魔王の構え。
そこから繰り出されるのは、当然構えに見合った大技。
「『地獄剣・螺旋』!」
螺旋状に渦を巻く闇の本流がステラに迫る。
かつてアランが挑んだ強敵、『剣聖』シズカの成れの果てであるスケルトンが使った技と似た一撃ではあるが、魔王のそれは次元が違う。
進行方向上にあるもの全てを破壊する、極大の死の嵐。
他の魔族を巻き込まぬよう、長年をかけて特別頑丈に闇の魔法でコーティングされたこの部屋以外で放てば、キロメートル単位の地形を変え、たった一撃で万の軍勢を消し飛ばすだろう。
これだけでも、ステラが今まで見てきたどんな魔族の一撃よりも凄い。
蒼炎竜状態のドラグバーンや、迷宮一つを身に纏ったアースガルドですら比較にもならない。
これが魔族の頂点。
最強の魔族、『魔王』の力。
だが、勇者とは、そんな魔王と唯一対等に渡り合える人類の希望だ。
勇者のみがノーリスクで振るえる聖剣の真なる力もまた、魔王との戦い以外での使用が神の制約に引っかかるほどに常軌を逸している。
「『
体勢を立て直し、闇の螺旋を迎撃しようと放たれた一撃。
聖剣の放つ光を一点集中した、三日月状の光の刃。
無詠唱で咄嗟に放った一撃だというのに、長い詠唱の末に放ち、ドラグバーンの首を斬り飛ばした一撃よりも遥かに強い。
光と闇がぶつかる。
広域破壊の闇と、一点集中の光。
それでも、押し勝ったのは闇だった。
「ッ!?」
光の刃が闇の螺旋をある程度斬り裂いたが、最終的には押し負けて、ステラは闇に飲み込まれた。
威力は軽減できているし、体を包んで守っている聖剣の光のおかげで致命傷こそ負っていないが、決して軽傷とは言えないダメージだ。
最強金属の鎧も、今ので完全に砕けてしまった。
もっとも、鎧は砕けることと引き換えに更に威力を軽減してくれたのだから、立派に役目を果たしたと言うべきだろう。
鎧が無ければ、今頃ステラは戦闘不能になっていたかもしれないのだから。
「『
「させん!」
「くぅ!?」
治癒魔法で傷を治そうとしたステラに魔王が躍りかかり、ステラは治癒魔法の発動を中断して全力で迎撃せざるを得なくなる。
魔王の剣撃と魔法を、同じく剣撃と魔法で迎え撃つ。
(痛い……!)
剣を交える度に腕が軋む。
魔法を撃ち合う度に押し負けて体に突き刺さる。
身体能力でも、魔法火力でも、そして技術でもステラは魔王に劣っていた。
聖剣の真なる力で大幅に強化されてなお届かない。
本来、聖剣を開放した勇者の力と魔王の力はほぼ互角だ。
そこに何人もの聖戦士達によるサポートを受けることで、歴代勇者達は一度も世界を明け渡すことなく魔王を退けてきた。
歴代で最も人類に被害を与え、先代勇者と相打った先代魔王でさえも、勇者との真っ向勝負を避けて逃げ回ったほどだ。
それほどまでに、魔王にとって勇者とは脅威であるはずなのだ。
なのに、ステラは魔王に勝てるイメージがまるでわかなかった。
それどころか、前の世界の自分のように、後の戦いに支障が出るほどの傷を付けられる気もしない。
(これが、歴代最悪の魔王……!)
ステラは心の中で、魔王のあまりの強さに舌を巻く。
これが本来の歴史において人類の七割を殺戮し、世界を支配する寸前まで行った大魔王の力。
何が一番違うかといえば、練度の差だろう。
ステラは幼少期よりアランと共に剣の腕を磨いてきたとはいえ、まだ15歳の小娘。
勇者として充分な水準に達してはいるが、眠る才能の全てを引き出せているとは言い難い。
対して、魔王は何十年もの研鑽の果てに、己の力を磨き抜いている。
なるほど、命と引き換えにしたところで絶対に勝てないとまでアランが言うわけだ。
その通り過ぎて反論の余地もない。
ステラ一人では決して魔王に勝てない。
弱体化させるほどのダメージを与えることもできない。
それは嫌というほどわかった。
わからされた。
だが、だからこそ……
「やぁあああああああ!!」
ステラは気迫を込めて剣を振るった。
受け流し、逸し、防ぐ、守りの剣を。
「臆したか、勇者!」
魔王がそう思うのも無理はない。
この戦い方では魔王にかすり傷すら付けられない。
守るばかりで攻めに転じないのでは、ガードの上から削り切られて終わりだ。
みっともなく生にしがみつき、死ぬまでの時間を少しでも引き伸ばすための延命行為。
今ステラがやっているのは、そういう戦い方だ。
(でも、これでいい!)
ステラは守る。
剣撃を受け流し、魔法を逸し、大技を防ぎ、ただただ生き残ることだけを考える。
このまま行けば、ステラの戦いは魔王に欠片の痛痒すら与えることなく、無駄死に終わるだろう。
勇者がなんの戦果も上げられずに死ねば、今度こそ人類は終わりだ。
勇者としての使命を考えれば、ここで少しでも魔王を削るべきなのだろう。
そうすれば、ステラの死後にルベルトやブレイドが命と引き換えに聖剣を振るうことで、魔王を討伐できるかもしれない。
(だけど、私はアランと約束した! 命にしがみついて、アラン達と一緒に生きて勝つって!)
生きて勝つ。
そのためには、玉砕覚悟で突っ込むことなんてできない。
仲間を信じて待つしかない。
一人では絶対に勝てないのだから、仲間達が魔王城の守りを突破して駆けつけてくれることを信じるしかない。
そんなステラの想いは。
仲間を信じて耐える戦いを選択した勇気は。
━━報われた。
「『神盾結界』!」
突如として決戦の間の扉がこじ開けられ、ステラと魔王の間に光り輝く結界魔法の大盾が出現した。
それは魔王の力をもってしても一撃では砕けず、魔王の攻勢が一旦途切れる。
「『
結界に続いて、飛来した七色の魔力を纏う極大斬撃が魔王を飲み込んだ。
その隙に灰色の髪をした誰かが獣のような俊敏な動きでステラを回収し、戦いながらでは不充分にしか使えなかった治癒魔法をかけられて、積み重なったダメージが回復していく。
ステラは援護射撃をしてくれた仲間達を見て、顔を綻ばせる。
「リン、エルネスタさん、ブレイド! あと、ガルムさん!」
「お待たせしました、ステラさん!」
「ようやった! たった一人でよう耐えたのう!」
「こっからは俺らも参戦させてもらうぜ!」
「……私だけパーティーメンバーでもなく完全に浮いているが、それでも全力を尽くさせていただこう!」
参戦した四人の聖戦士達が、頼れるセリフと共に各々の武器を構えた。
ガルムは違うが、勇者パーティーの仲間達が来てくれたのは大きい。
ステラとの高度な連携が取れる彼らなら、そこらの聖戦士が応援に来るより遥かに頼もしい。
「『地獄剣━━」
だが、
「『斬牙』!」
感動の再会に浸る間もなく、ブレイドとエルネスタの合体奥義を受けても無傷で戻ってきた魔王が、剣を振るって闇の巨大斬撃を放った。
ステラはすぐに治り切っていない体に鞭を打ち、前に出て迎撃しようとする。
勇者と魔王の戦いにおける聖戦士の役割とは、勇者のサポートだ。
さすがに、聖戦士レベルの力で魔王と正面戦闘はできない。
だからこそ、ステラが一番前に立って戦う必要があるのだが……
「最強殺しの剣」
ステラの前に飛び出してきた、この世で最も愛しくて、最も頼りになる背中を見て、前へ出ようとしていた足を止めた。
「五の太刀━━『禍津返し』!」
「ぬっ!?」
闇の斬撃が魔王に向けて跳ね返される。
魔王は強い。
強すぎるほどに強い。
だからこそ、強い己自身の力を跳ね返された時の被害は誰よりも大きい。
跳ね返された闇の斬撃を咄嗟には相殺し切れず、魔王が初めて血を流した。
血を流しながら吹っ飛んでいく。
この戦いが始まって以来、魔王に入った初めてのダメージ。
それを成したのは勇者ではなく、聖戦士でもなく、それどころか加護すら持っていない無才の剣士。
「アラン!」
「待たせてすまん。もう、大丈夫だ」
その一言で、ステラは酷く心が落ち着くのを感じた。
とてつもなく安心する声だった。
吊り橋効果というやつなのか、いつもの倍はその背中が頼もしく見える。
「アタシらもいるっすよー!」
「ママ、じゃなくて母上、そして勇者様方。助太刀に参りました」
「分不相応な舞台だな。裏方に回ったとしても、どこまで役に立てるか……」
「イミナさん、エルトライトさん、ドッグさん!」
「おお! よう来た!」
アランに続いて更なる援軍達が現れた。
『鎚聖』イミナ、『賢者』エルトライト、『剣の英雄』ドッグ。
これで、この場には聖戦士が六人に、聖戦士と同等以上の剣鬼が一人。
ついでに英雄が一人。
半数の者達とは連携の訓練をしていないとはいえ、それでも人数だけなら歴代の平均的な勇者パーティーに匹敵する戦力だ。
続々と駆けつけてくれた仲間達に、ステラの心に喜びと安堵が広がっていく。
だが、ステラは安心して弛緩しそうになる心に喝を入れ、ある程度治療の終わった体でアランの隣に進み出た。
「大丈夫だったか?」
「へっちゃらよ! そっちこそ結構ボロボロじゃない。完全回復するまで休んでてもいいのよ?」
「ルベルトさんと一緒に最後の四天王に挑んでできた名誉の負傷だ。問題ない」
「いや、何が問題ないのよ」
名誉だろうとなんだろうと負傷は負傷でしょと、ステラは内心でツッコミを入れる。
「ブレイド」
と、そこでアランは城の壁に激突して砂埃の向こうに隠れてしまった魔王から視線を逸らさないまま、ブレイドに声をかけた。
「ルベルトさんから伝言だ。『あとは任せた』。あの人は、お前にそう言い遺した」
「「「!?」」」
「そ、それって……」
「アラン」
ステラ達が何かを言う前に、ブレイドの声がそれを遮った。
覚悟が決まっていたかのような、とても静かで、落ち着いた声だった。
「一つだけ聞かせてくれ。爺は、カッコ良かったか?」
「ああ、死ぬほどカッコ良かった。最後の四天王を倒せたのはルベルトさんのおかげだ」
「そうか」
ブレイドはそれを聞いて……快活に笑った。
「なら、ちゃんと受け継がねぇとな! じゃねぇと、爺が化けて出るぜ!」
空元気ではない。
ドラグバーンに負けて以来、空元気を続けてきたブレイドを見ていた勇者パーティーの仲間達は、そのことを即座に見抜いた。
同時に、本当に強くなったものだと思った。
ブレイドは祖父の死を知っても折れることなく、ちゃんとルベルトの意志を継承してみせた。
そう、ブレイドはアランの話を聞いても動揺しなかった。
この話によって動揺したのは、別の男だ。
「最後の四天王を、倒した?」
ポツリと、小さな声でそう呟いたのは、アランに攻撃を跳ね返されたことを警戒してか、様子見に徹していた魔王だった。
次の瞬間、魔王から絶大な殺気が放たれる。
「「「ッ!?」」」
それを浴びて、ほぼ全員の体に震えが走った。
精神力の強いアランですら冷や汗をびっしょりとかき、ドッグに至っては泡を吹いて倒れる寸前だ。
それほどに魔王の今の殺気には、強すぎる感情が乗っていた。
「フェザードが、やられた? 信じられん。だが、こうも多くの者達が我の前に辿り着いたということは、本当に……」
魔王の目から涙が溢れ出す。
誰も、その隙を突いて攻撃などできなかった。
情に流されたわけではない。
悲しみに包まれる魔王が、
内心で激情が嵐のように荒れ狂っているだろう今の魔王が、
純粋に危険すぎたからだ。
嵐の海に無策で飛び込むバカはいない。
それと同じように、今の魔王には迂闊に手を出せない。
「あ、ああああああああああああ!!」
魔王が内心の激情を吐き出すように絶叫を上げた。
だが、すぐにその激情の嵐は形を変える。
「フェザード……今まで、ご苦労だった。
あとは、任せろ。
お前の想いを、忠義を、献身を、決して無駄にはせぬ」
魔王の目の色が変わる。
世界の全てを呪うような目から、大切な者の意志を受け継ごうという使命感に満ちた目へと。
その目がステラ達を見据える。
涙に濡れ、されど強い意志を宿した目が向けられる。
押し潰されそうなほどのプレッシャーが彼らを襲った。
「勇者達よ。仇を、討たせてもらう。最愛の部下の仇を。
先に仕掛けたのは我らだ。
こんな想いを抱くことなど許されぬし、それをお前達にぶつけることの愚かしさもわかっている。
だが、それでも……それでも抑えられそうにない」
魔王が再び闇の剣を構える。
本気の戦意に、今度は本気の殺意まで乗せて、魔王の剣が振るわれる。
「お前達を、殺す。
その死を、フェザードの死を、いや、これまでに死した全ての命を礎にして、魔族の世界を作り上げる。
それをフェザードへの手向けとしよう」
そうして、最後の戦いが始まった。
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