97 『魔獣王』
「らぁああああああ!!」
「うぉおおおおおお!!」
アランがルベルトと共に、最強の四天王フェザードと信念を賭けた戦いをしていた頃。
こちらでも人類と魔族の最高峰同士による戦いが激化していた。
ただし、アラン達の戦いと違って、こちらの敵は信念も何も無い、ただ欲望のままに生きる獣であったが。
「死ねやぁああ! 『
だが、信念は無くとも、この男は強い。
魔族に堕ちた元聖戦士『魔獣王』ヴォルフは、魔族の血によって強化された膂力を存分に振るい、獣族特有の鋭い爪による攻撃を繰り出す。
それは加護持ちの剣士達が当たり前のように飛ばす斬撃と同じく飛翔して、敵対者へと襲いかかった。
「舐めんな! 『岩流剣』!!」
それを敵対者、ブレイドは真っ向から受け流す。
巨岩のごとき不動の踏ん張りで耐え、耐え切れない威力を剣捌きによって受け流す。
ステラに習った強者の受けを、更に自分に合う形へとカスタマイズし、完全に己のものとしたブレイドの剣技。
それによって、ブレイドは力で勝る魔獣王と真っ向から張り合っていた。
かつてレストに言われた、格上相手に何もできない剣士はもういない。
勇者と剣鬼にシゴかれ、四天王戦の修羅場を抜けて成長した今のブレイドは、間違いなく聖戦士の中でも有数の強者であった。
「うぜぇな! この筋肉ダルマがぁあああ!!」
「畜生よりはマシじゃコラァアアアアアア!!」
罵声を浴びせ合いながらぶつかり合う二人の戦いは拮抗していた。
単純な力量であれば、元々最強の聖戦士の一人と呼ばれていたところに魔族の力まで追加した魔獣王の方が上だ。
事実、ブレイドは防戦一方で、魔獣王に一撃も入れられていない。
だが、魔獣王もまた、防御に全振りしたブレイドの守りを突破できずにいた。
このまま続ければ、攻め手の無いブレイドの方が先に崩れて魔獣王の勝ちだっただろう。
しかし、それは一対一で戦った場合の話だ。
ブレイドは一人ではない。
彼に攻め手が無くとも、仲間達がそれを補ってくれる!
「『
「『
「チッ!」
リンの使った魔族を縛りつけるための鎖の魔法が魔獣王の足に絡みつこうとし、
思いのほか速いそれを避けるために少し体勢が崩れ、そこにエルネスタの雷魔法が飛来する。
魔獣王は身体能力と敏捷性に優れた獣族の動きでそれすらも躱したが、
ブレイドへの攻撃が途切れたことによって、彼が攻勢に出ることを許してしまった。
「『破壊剣』!!」
鎖を避けさせて体勢を崩し、そこに速度に優れた雷の魔法を撃ち込んで更に体勢を崩し。
僅かではあるが、無視はできないくらいに魔獣王の動きに隙ができた瞬間を狙って叩き込まれた斬撃。
ほぼ完璧にタイミングの合った連携攻撃。
アースガルド戦を経てパーティーとして完成した彼らの動きは、主要メンバー二人を欠いてもなお健在だった。
三人と戦っているというより、三人分の力を融合させた一人の超戦士と戦っているような感覚を魔獣王は覚える。
一対一であれば、魔獣王はこの場の誰にでも勝てただろう。
それほどまでに聖戦士の力と魔族の力を合わせ持った今の彼は強い。
だが連携が、魔獣王の切り捨てた仲間の力がその差を埋めた。
ブレイドの体重の乗った一撃によって、それをガードした魔獣王の両腕が切断される。
目の前の奴らは己よりも弱い。
しかし、三人がかりであれば、その牙は最強の己に届くと魔獣王は素直に認めた。
「だが、無駄ぁ!」
それでも魔獣王は己が負けるとは微塵も思わず獰猛に笑った。
切断された両腕が即座に再生する。
魔族の、その中でも特に生命力の強い吸血鬼の血を受け入れた今の魔獣王にとって、この程度のダメージは無いも同然。
例え牙が届こうが、その牙で付けられた傷がまるで致命傷足り得ないのなら恐れるに足らず。
反撃のため、魔獣王は脚に力を込め。
加護の力と魔族の力によってはち切れそうなほどに膨張した脚の筋肉の力を存分に引き出して、超強化された脚力によって跳躍。
狙いはエルネスタとリンの後衛二人だ。
女好きの魔獣王故に殺そうとは考えていないが、遠距離攻撃が鬱陶しいのも事実なので、手足と意識を刈り取って戦闘不能にするつもりである。
だが、後衛への攻撃を簡単に許す前衛はいない。
防御に徹し、隙あらば攻撃という戦い方をしていたブレイドだ。
当然、常に後衛二人の盾になれるような位置をキープしており、即座に割って入れる。
「おらぁ!」
目の前のブレイドを無視するように横を抜けようとした魔獣王に、ブレイドの迎撃の一撃が振るわれた。
避ければ後衛二人への攻撃を阻止できる。
防げば衝撃で足が止まる。
跳ね除けるために攻撃すれば、攻撃直後の隙を後衛二人が狙い撃つ。
どう転んでもブレイド達の不利にはならない。
そのはずだった。
しかし、魔獣王はニヤリと笑って、予想外の行動に出た。
「なっ!?」
魔獣王は僅かに体を逸らし、ほぼノーガードでブレイドの斬撃をその身に受けたのだ。
ブレイドが狙ったのは頭部。
世界最高の職人が幻の最強金属より作り上げし大剣は容易く魔獣王の頭部を破壊し、そのまま右胸のあたりを大きく斬り裂いて右半身を破壊する。
だが、それでも魔獣王の体は止まらない。
無抵抗で斬られたが故に、衝撃の殆どをすり抜けるように無効化した魔獣王は、瞬時に肉体を再生させながら後衛の二人に爪を振るった。
リンは予想外の動きにギョッとして対応が間に合わない。
しかし、もう一人の後衛は別だ。
数百年の戦闘経験を持つ最強の魔法使いは、冷静に自らの経験の中から最良の応手を選択する。
「『
使ったのは簡単で発動の早い初級の光魔法。
細い光線が魔獣王に向けて飛ぶ。
狙いは左胸。
魔獣王がなった魔族である吸血鬼の弱点、心臓のある場所。
さすがにそれを食らえばマズイと思ったのか、魔獣王は攻撃のために振り上げた左腕を盾にしてエルネスタの魔法を防ぐ。
ヴァンプニールのように、心臓を移動させられる技術があれば無視しただろう。
だが、魔獣王はそれをしなかった。
否、真祖でもなく、しかも成り立ての吸血鬼でしかない魔獣王にはできなかった。
それによって魔獣王の攻撃が一手遅れる。
しかし、所詮は一手分の遅れだ。
突撃の勢いが衰えたわけではなく、魔獣王は既に二人を射程距離に捉えている。
珍しくミスりやがったなと内心で嘲笑いながら、魔獣王は再生途中の右腕を振り上げた。
「うぉおおおおお!!」
「あぁ!? ごぶっ!?」
その時、二人の足下で倒れていた男が突如起き上がり、治り切っていない魔獣王の顔面に渾身の拳を叩き込んだ。
またしても頭部を爆散させながら、魔獣王の体が吹き飛ぶ。
斬撃ではなく打撃を食らったことで、さっきのように衝撃をすり抜けられなかったのだ。
エルネスタはミスなどしていない。
一手攻撃を遅らせれば、最低限の治療を終えたこの男が迎撃のために動けるとわかっていたからこそ、あの応手を選んだのだ。
魔獣王が魔王城の壁にめり込む。
「『飛翔剣』!」
「『
「『
ブレイド、エルネスタ、立ち上がった男の三人が、壁にめり込んだ魔獣王に容赦なく遠距離から追撃を加える。
何度も何度も連続で、すり潰すように。
同時にリンが治癒魔法を使って男の傷を治していく。
もっとも、激しく動く相手の治療だったが故に、そこまで劇的な回復はさせられなかったが。
この連撃で仕留められれば理想。
だが、さすがにそこまで簡単には決まらない。
遠距離攻撃の嵐を突き破って、ボロボロの体の魔獣王が飛び出してきた。
「だぁああああ!! やってくれやがったな、ガルムゥーーー!!」
そして、全力で魔獣王に向けて爪を振るっていた満身創痍の男に向けて憤怒しながら吠えた。
そんな魔獣王に一切怯むことなく、男は言い返す。
「トドメを刺し切れていないにも関わらず、倒したと思って油断した兄上の落ち度であろう!」
魔獣王を兄と呼ぶ男。
ボロボロの体に鞭を打ち、本来ならば自身でケリをつけなければならない身内の不始末との戦いに、せめて微力でも協力するべく立ち上がった男。
『狼聖』ガルム・ウルフルスが、肉体を不気味に蠢かせながら再生させるような人外に堕ちた兄を強い視線で見据えていた。
「それだけの傷であっても再生するか。しかも、再生前提の戦い方まで……。
本当に、墜ちるところまで堕ちたのう、獣王の小僧」
腕が千切れ、足が折れ、頭が削げるようなダメージがどんどん消えてなくなっていく魔獣王に対して、
エルネスタは怒りや嘆きを通り越して、哀れみの目を向けた。
その目が気に食わなかったのか、魔獣王の顔が不愉快そうに歪む。
「堕ちただとぉ? ハッ! 劣った奴の戯言ほど惨めなもんはねぇなぁ!
心臓を潰されない限り死なねぇ! あのクソ女にすらねぇ最高の力だ!
これを見て堕ちたとかほざくなんざ、大賢者様も随分と耄碌したもんだぜ!」
魔獣王は思う。
この力があれば自分は最強。
あのクソ女、フェザードよりも強いと。
実際、躾と称して首を落とされても死ななかった。
体を斬り刻まれても、心臓さえ死守すれば死ななかった。
ならば、しぶとく粘って持久戦になればフェザードだって殺せる。
それどころか、この力を完全にものにすれば魔王だって超えられる。
魔獣王は本気でそう思っていた。
そんな魔獣王を見るエルネスタの目は、どんどん哀れみの色を増していく。
「哀れじゃのう。もう見ておれんほどに哀れじゃ。
獣王の小僧、お主は早いところ眠れ。
己の無様さをこれ以上晒す前に」
「……無様? 無様だと!? てめぇ、ちょっと俺様が気に入った女だからって舐めた口利いてんじゃねぇぞ!!」
激昂しながら、魔獣王が攻勢に出る。
それに大剣を盾のように構えたブレイドが相対する。
満身創痍のガルムは冷静に己の状態を顧みて、出しゃばっても足手まといになるだけだと判断し、ブレイドのサポートに徹する。
エルネスタは先程と同じく、前衛に守られたところから魔法での狙撃。
そして、リンだけは先程と動きを変えた。
「神の御力の一端たる守護の力よ。神の御力の一端たる聖光の力よ。
暴虐なる大魔の脅威に晒される我らを、その大いなる慈悲と博愛の掌で包み込み、守りたまえ。
聖なる救いの光で我らを照らしたまえ。その光で災いを退けたまえ。
聖なる光は全てを照らす。
罪無き者達に安らぎを。災いたる魔には断絶を。
光集まり壁となれ。人々に安寧を齎す聖域となれ」
長い詠唱を終え、リンが杖を振るう。
「『神王結界』!」
その瞬間、リン達四人を半透明の光のドームが覆った。
エルフ達と協力してなお、本気を出したドラグバーンに容易く破られた結界とはわけが違う。
旅を通して成長したからこそ使えるようになった、四天王クラスですら容易には壊せない絶対防御の結界魔法。
アースガルド戦で使った一点集中の『神盾結界』ほどではないが、哀れな獣を相手にするのならこれで充分。
「チィ! 聖女の結界魔法か! めんどくせぇなぁ!!」
魔獣王が結界に攻撃を叩きつける。
爪を、拳を、蹴りを、何度も何度も叩きつける。
それは確かに結界を削った。
だが、微々たる損傷だ。
リンが結界の修復を行えば、突破までにかなりの時間がかかるだろう。
しかし、リンはエルネスタの指示によって、ガルムの治療を優先した。
それを見て魔獣王が思ったことは、ただ一つ。
舐められているだ。
「クソがぁあああ!! ふざけんじゃねぇ!! このクソアマァアアアア!!」
魔獣王の攻撃が一層苛烈になる。
敵の攻撃は防ぎ、味方の攻撃は通す結界の内側からブレイドとエルネスタの攻撃が飛んできているというのに。
防御は最低限、心臓だけを守って、あとは再生能力に任せ、残りのリソースを全て攻撃に使う。
そして……
「『王獣撃』ッ!!」
最後に放った渾身の拳が、リンの結界を打ち破った。
魔族の証である青の血に染まる体で、魔獣王は悪鬼のように笑った。
これでようやく全員八つ裂きにできる。
女は生かしてやろうと思っていたが、やめだ。
自分を苛つかせたのだから、全員生かしておかない。
皆殺しだ。
次は詠唱する間も無く殺してやる。
そう意気込んで一歩足を踏み出し……
「あ?」
その足がグシャリと潰れた。
攻撃を受けたわけでもないのに、骨が砕け、肉が裂ける。
しかも、再生する気配すらない。
「な、何が……ッ!?」
片足が壊れ、咄嗟にもう片方の足に重心を乗せたが、今度はその足まで壊れた。
両足を失って膝をつけば、破壊が腰まで伝播してきて座っていることすらできない。
前に倒れる体を支えるために腕を突き出し、その腕まで壊れ、魔獣王は芋虫のように血に倒れ伏した。
「どうなってやが……がはっ!? げほっ!?」
そして更には、激しく咳き込んで吐血する。
咳き込む衝撃だけで体が悲鳴を上げ、肉体のあらゆるところが裂けて血が噴き出す。
自分の体に何が起きているのか、まるでわからなかった。
「反発じゃよ、獣王の小僧」
何もわからぬ魔獣王に答えを示すように、大賢者が語り出した。
「反発、だと……?」
「そう。加護の力と魔族の力の反発じゃ。
この二つの力は決して相入れず、無理に一人の体に押し込めれば、体内で反発して肉体に尋常ならざる負荷がかかる。
そうじゃな、リン」
「……はい。レストくんに吸血鬼の血を入れられた人達もそうでしたから」
かつて、魔獣王と同じく吸血鬼の血を入れられた加護持ちの治療をしたことのあるリンが、エルネスタの言葉を肯定する。
今の魔獣王がどんな状態になっているのか、彼の体がどれだけ歪で酷い状態になっているのかが、彼女には手に取るようにわかった。
「私が診た人達は、レストくんを通して間接的に吸血鬼の血を入れられ、手足の再生もできない程度の力を与えられただけなのに、寿命が削れてしまうほどに肉体が壊されていました。
あなたの場合は頭部を即座に再生させられるほどの血を入れられている上に、あの人達よりも加護の力の強い聖戦士。
反発はより大きく、そんな体であれだけ再生能力を使いまくれば、そうなるのは当然です」
「なん、だと……!?」
リンの言葉に、魔獣王の思考は驚愕に支配される。
それ以上の言葉は出なかった。
心理的にも肉体的にも声を出せなかった。
もはや咳き込む体力すらなく、体は勝手に壊れてゆくばかり。
「多分、私達との戦闘が無くても、この戦いが終わる頃にはどの道そうなってたと思います」
「つまり、お主は魔族どもに使い捨ての駒にされたのじゃよ。
お主が殺したレス坊と同じ末路を辿るとは……因果なものじゃ」
「兄上……」
哀れみの目が魔獣王に突き刺さる。
レストの仇が死ぬことを素直に喜べないほど、今の彼は哀れに過ぎた。
(ふざけんな! 使い捨て? この俺様が使い捨てだと!? あのクソ女騙しやがって!
許さねぇ! 絶対に許さねぇ! ズタズタのグチャグチャにしてやる!
動け! 動きやがれ、俺様の体ーーーーー!!)
心の中で魔獣王は罵詈雑言を吐き続ける。
彼にはもうそれくらいしかできない。
罵詈雑言を口にすることすらできない。
まともに息を吸うことすらできず、口からはヒューヒューというか細い呼吸が漏れるのみ。
そんな魔獣王に、一人の男が近づいていった。
「ブレイド様……」
リンが心配そうにその男の名を呼ぶ。
目の前で弟を殺され、それを見せつけられた『剣聖』ブレイド・バルキリアスは、
放っておけば死ぬだろう魔獣王に、それでも剣を突きつけた。
「ガルム、トドメは俺が刺していいか? ケジメをつけてぇ」
「……構いません。もう、
真面目で誠実。
筋の通っていないことは決してできぬほどの善人であるガルムにすら、もう兄とすら呼ばれない哀れな生き物。
それに、ブレイドは剣を叩きつけた。
「ふ、ざけ、んじゃ、ねぇ……。俺、様は、最、強、だ、ぞ……」
生まれた時から、ずっと自分が一番だった。
同年代で並ぶ者はなく、十代の頃には並み居る年長者達を押し退けて、最強の獣人族である『獣王』の称号を勝ち取った。
勝てない相手はいなかった。
自分はいつも勝利者で、奪う側だった。
子供の頃に訓練で大人に負けても、ちょっと成長すれば、すぐに力関係は逆転した。
だから、今回だって同じだと思った。
フェザードには負けたが、ちょっと成長して魔族の力を使いこなせるようになれば、すぐにまた力関係が逆転して、自分は最強に戻れると思っていた。
なのに、こんな……。
ブレイドの一撃で心臓を破壊され、魔獣王は躯となって、吸血鬼らしく灰となって崩れ去る。
かつて彼が殺したレスト・バルキリアスと同じ死に方。
だが、レストと違って誰も悲しんでくれない。
誰も惜しんでくれない。
実の弟ですら、やるせないという顔をするだけで涙の一つすら流してくれない。
最強の聖戦士と呼ばれた男は。
ブレイドと違って傲慢を正せなかった男は。
そんな哀れで孤独な最期を迎えた。
「ブレイド様……」
「行くぞ。ステラの奴が待ってんだろ」
「……そうですね」
「そうじゃな」
勇者パーティーの三人は、もう魔獣王を振り返ることもなく、ガルムを仲間に加えて最後の戦場へ向けて走り出した。
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