93 最初の壁と最後の壁

「剣聖……バルキリアス……覚えているぞ。私のこの右眼を奪った者達の名だ」


 フェザードの外れた眼帯の下。

 そこには……巨大な傷に覆われた右眼があった。

 傷痕じゃない。

 まるで、たった今付けられたかのような、全く癒えていない傷。

 その現象には心当たりがある。


「……聖剣の傷か」

「そうだ。かつて、魔王様と共にお前達の国に攻め入った時、命と引き換えに聖剣を振るった二人の剣聖に付けられた」


 そうだ。

 確か、勇者不在の時やどうにもならない時、剣聖は命と引き換えに聖剣を振るえるって話を聞いたことがあった。

 そして、真なる聖剣の力には回復阻害の効果がある。

 前の世界において、何十年も治らぬ傷を魔王に刻みつけた力だ。

 フェザードの口ぶりからするに、その聖剣の力でフェザードから右眼を奪ったのは……


「なるほど。お前がシーベルトとアスカの……我が息子夫婦の仇か」


 ギリッと、ルベルトさんの剣が強く握りしめられた。

 あったのだ。

 この二人の間には因縁が。


「強い奴らだった。私の言えた義理ではないが、敬意を表する」

「……まさか魔族にそんなことを言われるとはな。ならば、そんな強い我が子達の戦いを私は引き継ごう」


 ルベルトさんから気迫が迸る。

 命と引き換えにしてでも目の前の敵を討つ。

 そんな想いが伝わってくるほどの凄まじい気迫を。


「魔王軍四天王筆頭、『風』の四天王フェザード」

「シリウス王国最精鋭騎士団団長、『剣聖』ルベルト・バルキリアス」

「「参る!!」」


 フェザードとルベルトさんがぶつかった。


「『七星剣』!」


 先手を取ったのは速度で勝るフェザード。

 触手に握られた六本の魔剣と、両手で握った神速の風刃。

 合わせて七つの斬撃が一斉にルベルトさんを襲う。


 魔導の基本八属性のうち、闇を除いた全ての属性の攻撃が一度に繰り出されるさまは、まるでエル婆の『全属性の裁きジャッジ・ザ・エレメント』の剣術版。

 威力ならエル婆の方が遥かに上だが、速度ならフェザードの方が遥かに上。

 唯一の救いは、両手の風刃に比べれば触手魔剣の速度が遅いことだが、それでもそこらの聖戦士の一撃より速い。


 絶望的だ。

 受け流しに特化した俺の剣でも、二刀の型を使った歪曲連鎖でギリギリだろう。

 ステラなら身体能力と魔法で強引に突破できるかもしれないが、ブレイドやイミナさんなら一瞬でバラ肉にされる。

 そんな絶望的な剣撃の嵐に対して、ルベルトさんは……


「『刹那流し』!」


 真っ向から突撃して、全て受け流した。

 刹那斬りの速度で防御の剣を振るい、フェザードの斬撃を捌いていく。

 完全に防ぎ切れてるわけじゃない。

 魔剣によるいくつも斬撃がルベルトさんの体を掠め、火傷、凍傷、裂傷などの様々な傷がルベルトさんに刻まれていく。

 だが、歴戦の戦闘経験が成せる技なのか、致命傷だけは決して受けない。


 そして、傷を負いながらも不動。

 俺には無い剣聖の身体能力で、避けることなく全ての攻撃を受け流す。

 避けたら俺に当たってしまうからだ。

 くそっ!

 足手まといなのが辛い!


「『隙間風』!」


 斬撃の嵐だけで即座に突破するのは難しいと見たのか、フェザードは俺の時と同じく、自分から距離を詰めて斬撃を放った。

 六本の触手を一瞬にして束ねて翼に戻し、その羽ばたきによる推進力を得た超高速の一閃。

 どうやら、翼モードと触手モードを瞬時に切り替えられるらしい。

 だから、どんな技術だ!?


「何っ!?」


 だが、ルベルトさんはこれに対応した。

 フェザードの振るった刀を自分の剣で巻き取り、下段に抑えつける。

 そのまま肩から体当たりをかまして、フェザードを吹き飛ばした。

 更に踏み込んで斬りかかるが、それは吹き飛ばされたことで抑えの外れた刀で受けられ、つばぜり合いになる。


「私がどれだけ多くの剣士達を見てきたと思っている? 少年のような奇っ怪な太刀筋ならともかく、ただ速いだけの剣に早々遅れは取らぬわ!」

「……これは強敵だな」


 そうして、また二人の斬り合いが始まった。

 老いた体のルベルトさんが、最強の四天王を相手に一対一で張り合っている。

 凄まじいとしか言いようがない。


 だが、決して互角の戦いではない。

 ルベルトさんは全ての剣撃を防御と牽制に使って、ギリギリ食らいついているだけだ。

 その証拠に、ルベルトさんがフェザードに与えたダメージは皆無。

 逆に防ぎ切れないフェザードの攻撃が、確実にルベルトさんを削っている。


 傷が増えるだけじゃなく、体力気力も凄まじい勢いで削られているはずだ。

 刹那斬りレベルの斬撃の連続使用。

 一瞬でも気を抜けば死ぬ極限状態。

 老体に堪えないはずがない。

 その証拠に、まだ数分程度の攻防であるにも関わらず、ルベルトさんの息が上がり始めた。

 長くは保たない。


 だからこそ、俺は自分の治療に専念した。

 二人の戦いが始まった直後に斬られた右腕のところまで走り、マジックバッグから小さな杖の形をした火起こし用の魔道具を取り出して起動。

 凍りついた右腕の切断面の解凍を試みる。


 ルベルトさんが必死に稼いでくれている時間を無駄にはしない。

 俺達にまともな勝ち目があるとすれば、俺が治療を終えて二対一でフェザードに立ち向かうことだ。

 右腕が完治するとは思わないが、少しでも動くようになれば片腕で戦うよりも遥かにマシ。

 そこにルベルトさんの助力があればフェザードを打倒できる……かもしれない。

 とにかく、下がりに下がってしまった勝率を少しでも上げるために、早く治療を終えなければ!


「くそっ……! まだか!?」


 中々溶けてくれない氷に焦燥が募る。

 くっつくなら焼き肉になってもいいって覚悟で魔道具の最高火力を使ってるんだが、それでも所詮は火起こし用の魔道具。

 魔剣の氷を溶かすには時間がかかる。


 そして、そんな俺をフェザードが放置してくれるはずもない。


「お前のことも忘れてなどいないぞ! 『風魔の太刀』!」

「くっ!?」


 疲労してきたルベルトさんを、翼による高速移動で振り切って放ってきたフェザードの攻撃を、左腕の怨霊丸による歪曲でどうにか受け流す。

 右腕を固定してるのは掴んだまま斬り飛ばされた黒天丸。火の魔道具を固定してるのは口だ。

 左腕で怨霊丸を振るうことはできる。


 だが、まともに動けない状態で防げるのは数発が限度。

 それ以上は、右腕と黒天丸を捨てて動かなければ対処できない。

 そうしてしまえば勝率が大きく下がってしまう。

 片腕でも戦い続ける覚悟はあるが、最低限の勝率はやはり欲しい。


「どこを見ている!」

「チッ!」


 追撃をかけようとしたフェザードにルベルトさんが斬りかかって阻止してくれた。

 それ以降、俺に攻撃が飛んでくることは一度もなかった。

 ルベルトさんが気力を振り絞り、血を吐くような奮闘で一撃も俺に通さなかったのだ。

 申し訳ない!

 そして、ありがたい!

 

 そんなルベルトさんの奮闘の甲斐あって、ようやく傷口の氷が溶けた。


「神の御力の一端たる癒しの力よ、傷付きし子羊を救いたまえ! ━━『治癒ヒーリング』! 神の御力の一端たる癒しの力よ、傷付きし子羊を救いたまえ! ━━『治癒ヒーリング』!」


 そこへ俺の使える治癒魔法を何重にもかける。

 当然、こんな初級の魔法で大した回復は見込めない。

 だが、初級でも魔法は魔法。

 傷を塞ぐだけの回復薬じゃどうにもならない腕の切断面を僅かに癒着させることはできた。


 こうすれば、千切れていたはずの部位にも回復薬の効果が及ぶ。

 マジックバッグから勇者パーティーへの支給品である最高級の回復薬をいくつも取り出し、湯水のごとく右腕にぶっかけた。

 傷がどんどん塞がっていく。

 少し引っ張れば千切れそうだった右腕は、骨が繋がり、神経が繋がり、筋肉が繋がり、どんどん修復されていく。

 全ての回復薬を使い切った頃には、完治には程遠いものの、どうにか戦闘に耐え得るくらいには右腕を治療することができた。


 それを確認した直後、俺は暴風の足鎧を起動して戦う二人の間に割って入り、戦線に復帰した。


「待たせました!」

「うむ! さあ、ここからが本番だ!」

「くっ……!」


 俺の復活を許したフェザードは苦々しい顔になり、そこへルベルトさんと二人で斬り込んでいく。

 ようやく実現した二人がかりでの攻め。

 これでどうにか突破する!

 ……だが、苦々しい表情の割に、二人で攻めても、フェザードは全く崩れなかった。


「ハァ!!」

「ぐっ!?」

「ぬぅ!?」


 フェザードが攻勢を強める。

 七つの剣から放たれる七種類の斬撃。

 属性どころか、形も、速さも、振るい方も違う。

 それらが違えば、最適の受け流し方も変わってくる。

 まるで、全くタイプの違う七人の達人剣士と同時に戦ってる気分だ。

 しかも、連携は完璧ときた。


「くそっ……!」


 強い……!

 二人がかりでも押し込まれる。

 右腕が思うように動いてくれないのも辛い。

 それでも、一人の時に比べれば確実に被弾は減っていた。


 だったら進める!

 前へ出ろ!

 ここはフェザードの間合いだ。

 結論はさっきと変わらない。

 距離を詰めなければ勝ち目はない!


「フッ!」


 だが、こっちがそう思った時、奴には必ずと言っていいほど先手を取られる。

 フェザードの触手が翼モードに切り替わった。

 その状態で高速移動し、右へ左へ、上へ下へ。

 動きながら翼モードと触手モードを超速で切り替え続け、あらゆる方向から斬撃の嵐を放ってくる。


「ぐ、お……!?」


 防ぎ切れない。

 こうも動かれると接近も容易じゃない。

 右腕が万全ならもう少し何とかなったかもしれないが、そこはフェザードの作戦勝ちだ。


 突破口が見えない。

 嵐の夜のように光が見えない。

 光が見えないまま、どんどん傷が増えていく。


 削られてゆく。

 壊れてゆく。

 砕けてゆく。

 追い詰められてゆく。

 だが、だからこそ、━━俺の動きは洗練されていった。


 フェザードの動きを読む。

 右、右、左、上、下、左。

 ここだ!


「『流刃・黒月』!」


 風刃を受け流し、フェザードの潰れた右眼の死角に俺が入った瞬間に、カウンターの黒い炎の斬撃を放った。

 だが、フェザードはまるで見えているようにヒラリと躱す。


「無駄だ! 失った右眼は私の誇り! 死角などでは断じてないと知れ!」


 今のを見る限り、本人の言う通りだろう。

 右眼の死角は隙にはならない。

 いや、それどころか、こいつは後ろに目があるかのごとく動く。

 右眼どころか、死角が完全にないのかもしれない。


 だが、避けられたとはいえ、斬撃の嵐をかき分けてカウンターを放つことはできた。

 そんな余裕がなかったさっきまでとは確実に違う!


「む!?」


 フェザードの放った何度目かの直接攻撃。

 それを今度は左腕一本で返した。返せた。

 今まで以上にタイミングの合った歪曲で攻撃を逸し、逸らすために動かした刀がフェザードの体に一筋の傷を付ける。

 かすり傷だ。

 だが、右腕をやられてから初めて、フェザードにダメージを与えられた。


「『風魔の太刀』!」


 今度はすれ違いざまの攻撃で俺を追い越したフェザードが、背後から神速の風刃を飛ばしてくる。


「『歪曲』」


 俺は振り向かないまま、万全ではない右腕で握った黒天丸を背中に回して受け流した。

 見なくてもわかった。

 フェザードがどんな攻撃を繰り出してくるのか。どうすればそれを防げるのかが。

 前々から流刃の回転する視界の中でも剣を振るえるように、視覚に頼らない剣の修行はしてきたが、今使ったのはそれ以上の精度の技だった。

 技が、進化している。


 人を最も成長させてくれるのは困難であり、逆境であり、強敵だ。

 困難を乗り越えるために試行錯誤し、逆境を切り開くために力を磨き、強敵を倒すために強くなる。

 人は強く強く必要に駆られることによって、死にものぐるいで進化を掴み取るのだ。

 俺はずっと、ずっと昔からそうして強くなってきた。

 

 生存本能が研ぎ澄まされる。

 生きるために体が限界を超える。

 動きの無駄が削られてゆく。

 壊れてゆく。砕けてゆく。

 俺の成長を阻んでいた、分厚く硬い壁が。


「『七星剣』!」

「『歪曲連鎖』……ぐっ」


 だが、それでもまだフェザードには届かない。

 降り注ぐ七種類の斬撃を望む方向に受け流し、攻撃同時をぶつけて相殺するも、防ぎ切れなかった攻撃が俺の体を傷付ける。

 ここまで直撃こそ一度も食らっていないが、掠っただけでも貧弱な俺の体には結構なダメージだ。


 それが積み重なって、もはや限界寸前。

 最初の攻防の傷は右腕の治療と同時に治したが、血を流し過ぎた。

 目が霞む。

 頭がクラクラする。

 これ以上はかすり傷でも命に関わるだろう。


 それでも体は動いた。

 視界がボヤケる分、頭が働かない分、感覚が研ぎ澄まされていく。

 しかし、本当に限界はすぐそこだ。

 直感が言っていた。

 散々死にかけて、一度本当に死ぬ経験までして磨き上げた死への嗅覚が反応していた。

 このままでは、俺はフェザードの命に刃を届かせる前に死ぬ。


「おおおおおおおおお!!!」


 俺一人では決して避けられなかっただろう死の運命。

 そこに強引に活路を切り開いてくれたのは、ルベルトさんだった。

 俺と同じく傷だらけの体を無理矢理動かし、フェザードの動きを読み、翼モードが触手モードに切り替わる刹那。

 高速移動で避けられない唯一のタイミングを狙いすまして、多くの斬撃をその身に食らいながら突撃。

 刹那斬りを放った。


「ぬぅ……!」


 フェザードはそれを刀で受け止める。

 だが、ルベルトさんに力負けしていた。

 あらゆる工夫で速度を上げているが、奴の身体能力自体は高くない。

 当然、膂力でもルベルトさんに劣った。


 しかし、力負けするのは想定内だったんだろう。

 フェザードはまるで俺の激流加速のように、防ぎ切れずに吹き飛ばされる勢いを利用して距離を取った。

 そして、距離を取りながら六本の触手を振るう。

 攻撃を受け止めた直後で振るえない両手の刀以外の六つの斬撃が、活路を開くために無理をし過ぎたルベルトさんを襲う。


 その前に、俺はなんとか二人の間に、ルベルトさんへの攻撃を防げる位置に体を割り込ませることができた。

 ルベルトさんがフェザードに一撃食らわせて斬撃の嵐を止めてくれたおかげで、移動が間に合ったのだ。


 フェザードとの距離は近い。

 さすがに激流加速ほど攻撃を移動速度に変換できてるわけじゃないから、距離を取ったといっても、暴風の足鎧の踏み込み一回で詰められる程度の距離。

 つまり、この攻撃さえ完璧に捌き切れば、ようやくさっき互角の斬り合いを演じられた間合いに入ることができる。


 俺は集中した。

 驚くほど目の前の斬撃以外のことが頭に入らない。

 余計な情報が一切入ってこない。


 見ている景色から色が消えた。

 音が聞こえない。

 匂いも感じない。

 痛みすらも感じない。

 魔剣が放つ炎の熱も、水飛沫の音も、土の蠢きも、雷鳴も、冷気も、光の眩しさも感じない。

 いや、感じないんじゃない。

 必要な情報としてしか認識できないんだ。

 そして、必要な情報以外の全てが遮断される。

 余計なものを廃した分だけ、残されたところが研ぎ澄まされる。

 フラついていたはずの頭は澄み渡り、時間の流れが酷くゆっくりに感じる。


 静かだった。

 少なくとも俺はそう感じた。

 色もなく、音もなく、匂いもなく、痛みもなく。

 あるのは感覚が勝手に捉えている必要な情報だけ。

 体は勝手に経験の中から最適の動きを選択し、余計な情報に煩わされない頭は、ゆっくりに感じる時間の中で勝手に動く体の僅かな間違いを修正した。


 静かな世界。

 静か過ぎる世界。

 そして、とてつもなく懐かしい世界。


 そうだ。

 俺はこの感覚を知っている。覚えている。

 これは前の世界で到達した、━━かつての全盛期の感覚だ。


「五の太刀━━『禍津返し』」


 それを認識した瞬間。

 俺は六つの斬撃全てを、禍津返しで跳ね返していた。

 フェザードの六本の触手が、六種類の斬撃によって、斬り裂かれた。

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