89 『勇者』と『魔王』

 転移トラップに飲み込まれた直後、ステラはシリウス王国の城にもある謁見の間のような場所にいた。

 広い空間、高い天井、豪華な造りをした建造物。

 そして何より、部屋の奥に設置された階段の上の玉座に座る『王』の存在が、ここが謁見の間なのだとステラに強く意識させる。


 その王は、臣下も引き連れず、たった一人でそこにいた。


 その王は、人族の若い男ような見た目をしていた。

 外見年齢は17〜18歳ほどの、アランと同じ黒髪黒目の少年。

 だが、見た目以上に、この少年は何かがアランに似ているとステラは感じた。


「はじめましてだな、勇者。我が城にようこそ」


 そして、その王は……凄まじい威圧感を放つ『魔王』は。

 驚いたことに勇者であるステラとの対話を始めた。


「……まさか、いきなり魔王の眼前に飛ばされるとは思わなかったわ。いいの? 部下を使って私を消耗させなくて?」

「そこらの魔族をお前にぶつけたところで、消耗などしてくれぬだろう?

 この場に参戦させても足手まといだ。

 我の一の臣下であれば可能性はあったが、あいつには城内に侵入してきた他の者達の殲滅を頼んだ。

 ……もっとも、そやつには大反対されたがな」


 魔王は困ったような顔で肩をすくめた。

 ステラは仲間が駆けつけてくれるまでの時間稼ぎの意味もあって、剣を構えながらも魔王と言葉を交わすことにしたのだが……魔王が予想外に人間臭い。

 放たれる威圧感さえなければ、人間の街に紛れ込んでも違和感がないくらいだ。


「もっと自分の身を大切にしろ。配下の全てを犠牲にしてでも勇者を削り、我はそれから戦うべきだ。

 あいつはそう言ったが、我は受け入れなかった。

 割に合わな過ぎるし、何より犠牲になる配下の中にはあいつ自身も含まれていたからな。

 我が一人でお前を倒す。それが最も効率的で、最も犠牲の出ない勝ち方だ」

「……随分と部下想いじゃない。悪辣な手段で私達を苦しめてきた諸悪の根源とは思えないわ」


 ステラはどうにもやりにくいと感じた。

 目の前の存在は魔王だ。

 人類を苦しめる、倒さなくてはならない敵だ。

 魔族はレストを殺した。

 前の世界のステラも殺して、アランが復讐に走るキッカケを作った。

 他にも数え切れないほどの人達が魔族に殺されている。


 目の前の魔王は、そんな魔族の王なのだ。

 人類にとっての絶対悪なのだ。

 なのに、どうしても……目の前の魔王が悪い奴には見えなかった。


「なあ、勇者よ。魔族とはなんだと思う?」


 魔王は唐突にそんなことを語り出した。

 いや、唐突にではない。

 魔王にとって、これが先程のステラの言葉に対する答えなのだ。


「魔族とは、魔界に生まれた加護持ちだ。

 かつて、魔界の神は世界への過度な干渉により世界を歪ませ、狂わせ、そこに生きる人々は異形の存在へと成り果てて知性を失った。

 長い時をかけて、異形となった人々は同じく異形と化した獣達と交わり子孫を残した。それが魔物だ。

 その中で、神は壊れてしまった世界の代わりを手に入れるべく、素質を持って生まれた魔物に、かつて人であった頃の知恵と力の加護を与えて手駒とした。それが魔族だ。

 つまり、我らは元々お前達と同じ『人』なのだよ」

「…………は?」


 ステラは愕然とした。

 知らなかったことを知った驚きより、信じられないという思いの方が強い。

 だって、魔族はどいつもこいつも、人とは思えないような外道畜生ばっかりだったから。

 戦闘狂のドラグバーンと、人形みたいだったアースガルドが一番マシに思えるレベルだ。

 平均レベルは推して知るべし。


「言いたいことはわかる。魔族は人には見えないだろう?

 だが、それは環境のせいが大きい。

 我らの生きる魔界は過酷だ。

 かつての神の暴挙によって草木は生えず、陽の光は差さず、食料と言えるものが互いの肉体しかない。

 食い殺し合わなければ魔族は生きていけないのだ」

「それは……」

「哀れな存在だろう? 魔族にとって隣人とは敵であり餌だ。

 いつ裏切られて文字通りの意味で食いものにされるかわからない。

 そんな状況では他者を信じることなどできず、他者を欺くための悪辣さばかりが磨かれてしまう。

 これなら本能で同族と協力できる魔物の方がまだマシだ。下手に知恵がある分、余計に救われない」


 確かに、そう言われると魔族が哀れな存在に思えないこともない。

 だからといって、あの外道畜生どもに同情はできなかったが。

 むき出しの悪意をもって殺しにきた相手に同情してやれるほど、自分は優しくないとステラは思う。


「……だが」


 しかし、次の瞬間。

 その短い言葉を発した直後。

 魔王の、目が、変わった。


「それでも救いたい。哀れで、愚かで、どうしようもない存在である魔族を、それでも我は救いたい。そう思ってしまった。

 我は魔族の王、『魔王』だからな」


 憂いに満ち、悲しみに満ち、それでも力強い信念の光を宿す魔王の目。

 その目を見て、ステラは悟った。


(ああ、なるほど。アランの感じた魔王の『強さ』って、このことだったのね)


 魔王は今まで戦ってきた魔族達とは違う。

 自らの欲望のために戦っていた魔族達と違って、魔王は自分ではない誰か・・のために戦っている。

 知恵を得ても残虐な本能のままに動いた他の魔族達と魔王は違う。

 魔王は、大切なもののためにという信念をもって戦う『人』であった。

 どこまでも強い『人』であった。


(アランとおんなじね)


「魔族を救いたいんなら、私達との共存は選べなかったの?」

「無理だな。我らの加護には、お前達からこの世界を奪い取れという神の強い命令がすり込まれている。

 例えそうでなかったとしても、魔族は殺して食らうという本能をそう簡単には捨てられない。

 殺さずとも生きて行ける世界で、何百年とかけて殺戮本能を薄めていくしかないだろう」

「その何百年の間に、私達は皆殺されちゃうわね」

「そういうことだ」


 人類と魔族の共存は不可能。

 この短いやり取りだけでも、充分すぎるほどにそれがわかってしまう。

 勇者と魔王はその変えられない事実を思って深いため息を吐き、━━次の瞬間には、互いに対する戦意を瞳に宿した。


「あんた達にどんな事情があったとしても、私達を殺しにくるなら、はいそうですかって、大人しく殺されてあげるわけにはいかないのよ。

 こっちにだって守りたいものがあるし、愛する人と一緒に掴み取りたい未来があるんだから」


 『勇者』ステラは、そう言って聖剣を構える。

 魔王殺しの刃が。世界にとっての最大の異物を排除するためだけに絶大な力を発揮することを許された最強の武器が。

 遂に本来の力を発揮し、膨大な聖なる光のオーラで、持ち主であるステラと聖剣自体を包み込んだ。


「知っている。お前達が正しくて、我らが悪であることなどわかっている。

 だが、例え鬼になろうと悪魔になろうと、叶えたい願いが我らにもあるのだ」


 そう言って、『魔王』は己の肉体に、勇者と対を成すような闇のオーラを纏った。

 同時に、膨大な闇のオーラの一部が魔王の右手の先に集まり、揺らめく炎のような黒色の剣と化す。


 勇者と魔王。

 光と闇。

 人類と魔族。

 どこまでも対極的で、しかし、心に宿した信念だけはとてもよく似た両者の戦いが、今ここに始まろうとしていた。


「仲間は来ないぞ、勇者。そのために最も信頼する部下をそちらへ回したのだ。

 お前一人であれば、我一人でどうにかなる」

「侮らないでよね。私のことも、私の仲間達のことも。勝つのは私達・・よ!」


 そうして、人類最強と最強の魔族は、互いの信念をぶつけ合うように激突した。

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