87 告白

「は、入るわよ!」

「あ、ああ」


 妙に緊張した様子で部屋に入ってくるステラ。

 そのままステラは机の前にある椅子に座り、持っていた酒を早速二つのコップに注ぎ始めた。


「とりあえず、飲むわ! あんたも飲みなさい!」

「いや、お前俺が酒に強くないこと知ってるだろうが……。というか、なんでそんなもん持ってきた?」

「エルネスタさんが持たせてくれたのよ。

 なんかよくわかんないけど、私は多少お酒に酔ってた方が成功率が上がるからって」


 なんの成功率だよ!?

 ……とか言えたらよかったんだが、残念なことに今ので大体察してしまった。

 エル婆、酒とくれば、もう一つしか頭に浮かばない。

 ドワーフの里で宴会した時のあれだ。

 確かに、あの時のステラは攻撃力も破壊力も凄まじかったからな……。

 それこそ、酔い潰して記憶を飛ばさなければあのまま終わってた。

 おのれ、エル婆!

 とんでもない破壊兵器を送りつけやがって!


「んぐ、んぐ、ぷはぁ!」


 ああ、そんなこと考えてるうちに、ステラが早くも最初の一杯を飲み干してしまった。

 一気だぞ、一気。

 これは急速に酔いが回るな。

 厳しい戦いになりそうだ。


「ほら! あんたも!」

「……わかった」


 飲めば更に不利なるとわかっていても、雰囲気的にこの酒は断れない。

 俺も椅子に座り、せめてもの抵抗としてちびちびと口をつける。

 うわ、濃いな……。


「……ねぇ、さっきも言ったけど、ちゃんと覚えてる? 私の勝率があんたを越えたって話」

「受け入れがたい話だが、ちゃんと覚えてるよ。なんだ? 煽りにきたのか?」

「違うわよ! 人の話は最後まで聞きなさい!」


 「もう!」と怒りながら、ステラは続きを言葉にする。


「私ね、思ったのよ。あんたが出立式に乱入してくれた時。ルベルトさんに勝って私の隣に来てくれた時。

 ああ、アランは凄いなぁ。敵わないなぁって」


 その時のことを思い出してるのか、ステラはどこか遠くを見るようにしながら目を細めて、少しだけ切ない表情でそう言った。


「私は勇者の加護っていう与えられた力以外で、あんたと対等だって胸を張って言える自信がなかった」

「いや、そんなことはな……」

「ストップ! 別に慰めなくていいわ。悲観してるわけじゃないもの。というか、今は私に話させなさい」

「……了解」


 慰めじゃなくて、ただ事実を言うつもりだったんだがな。

 勇者の加護を抜きにしたって、お前は充分凄い奴だよ。

 誰かを守るために、勝てないかもしれない強敵に立ち向かっていける。

 辛くても怖くても、ちゃんと前を向いて歩いていける。

 俺じゃ、復讐心に飲まれて恐怖が麻痺してる時期に慣れてなきゃ、多分できなかったことだ。

 俺にできないことをしてるお前が、俺に劣ってるわけないだろうに。

 

「で、私は同時にこうも思った。勇者の加護で不当に開いた差なんていらない。

 負け越したままの勝率も、その凄すぎる心の強さにも、いつか絶対追いついてみせるって。

 本当の意味であんたの隣に立ってみせるって。そして……」

「お、おい!?」


 ステラが突然立ち上がり、俺を椅子ごと吹っ飛ばしてベッドに押し倒した。

 酒のせいか別の原因のせいか、上気した頬と熱を持った瞳が妙に色っぽい。

 心臓が弾け飛びそうなほど大きく脈打った。


「その時こそ、私の素直な気持ちをぶつけるって。

 勝率は追いついたわ。

 心の強さはまだちょっと自信ないけど、それでも一緒に戦ってきて、あんたの隣にちゃんと立てたっていう自信はある。

 だから、言うわね」


 マズい!

 その先の言葉を聞いてしまったら、俺は、俺は……!


「━━好きよ、アラン。子供の頃からあんたのことが好き。再会してからはもっと好きになった。

 一緒にいて安心する気安さも、大事な時にいつも見せてくれた優しさも、私のことを守るって言ってくれたカッコ良さも、煽ってきた時のぶっ飛ばしたくなるあの憎たらしい顔だって、全部全部、大好き」

「うぐっ!?」


 心が籠もってると、本気で言ってるとなんの疑いもなく信じられるその告白は、その愛の言葉は。

 あまりにも破壊力が凄すぎて、幸せすぎて、それを言ってくれたステラが尋常じゃなく可愛すぎて。

 心臓はドキドキを通り越して停止しそうになり、頭は熱を持ったように何も考えられなくなり、返事をしなくてはと考えることすらできなかった。


「アラン……」

「ステラ……」


 ステラが顔を近づけてくる。

 子供の頃から見慣れた顔が、成長して女としての美しさを伴うようになった顔が、その綺麗な唇が近づいてくる。

 互いの吐息がかかるほどの距離まで近づき、幸福感で何も考えられなくなり、ステラから漂ってくる良い臭いが思考を更に痺れさせ、それに混じってさっき飲んでた酒の臭いが……


「ふんっ!!」

「あ痛ッ!?」

「ぐおお……!」


 酒臭さのおかげで僅かに正気を取り戻せた俺は、前の世界を夢に見た時(いや、前の世界の俺と混ざった時か?)と同じように、ステラにヘッドバッドを食らわせて逆に奴の石頭のせいで大ダメージを受け、二人揃ってベッドの上で悶絶した。

 だが、この痛みのおかげで完全に正気に戻ったぞ!


「何すんのよ!?」

「こっちのセリフだ! 決戦前にとんでもない誘惑してきやがって! 妊娠して戦線離脱したいのか!?」

「に、にん……!?」


 ステラがまた一気に顔を真っ赤にした。

 危なかった。

 今のは本気で危なかった。

 陥落寸前どころじゃねぇ。

 完全に陥落してた。

 そこから持ち直せたのは、ひとえに酒の力だ。

 ステラの背中を押したのも酒かもしれないが、酒の恩恵を受けたのはお前だけじゃなかったようだな!


「そ、それよりも! 勇気出して告白した女の子に対して、何よその対応は!?」

「うっさい! そもそも冷静に思い返してみれば、なんだ今の言葉は!

 俺の勝率を越えたから告白するだと! 最近の勝ち星は他の奴らの力を借りた結果だろうが!

 こんな大事なことで妥協してんじゃねぇ!」

「うっ!? だ、だって、エルネスタさんに決戦前に悔いを残すなって言われたから……」

「それだよそれ! 一番気に食わないのはそれだ!」


 俺もまた酒でヒートアップしたテンションのまま、ステラに向かってビシッと指を指した。


「悔いを残すなだと? アホか! いくらでも残しとけ! その方が何がなんでも生き残ってやるって気になる!」


 そうだ。

 俺はステラに悔いを残さずに死ぬよりも、悔いを残さないために生きてほしい。

 なんとしてでも生き残ってほしい。

 俺のエゴと言われればその通りなんだろうが、これだけは譲れない想いだ。


「言っておくがな! 悔いを残さないようにして、死んでも悔いはないなんて気持ちで挑んだところで、魔王には絶対勝てないぞ!

 命と引き換えにしたって勝てはしない!

 今のお前は間違いなく前の世界のお前より弱いしな!」

「なぁ!?」


 別に今のステラが弱いと言ってるわけじゃない。

 だが、仲間を失い続ける煉獄の中で、それでもなお前に進み続けた前の世界のステラより今のステラが強いとは思わない。


「今のお前より強い前の世界のお前が、命と引き換えにしても倒せなかったのが魔王だ!

 だから悔いを残して、命にしがみついて、俺達と一緒に生きてどうにか勝つことだけを考えろ!

 死ぬ覚悟じゃなくて、生きる覚悟を固めろ!

 魔王に挑むってのはそういうことだ!」


 そこまで一息に言い切って、ぜぇぜぇと息を乱しながら、俺は酒の勢いのせいで、最後にすがるように弱音を口にした。口にしてしまった。


「頼むよ、ステラ……! 死んだ時のことなんて考えないでくれ……!

 死ぬなら天寿を全うして幸せな人生だったって思いながら布団の上で死んでくれ……! 頼むから……!」

「アラン……」


 ああ、くそ。

 俺の頭にも酒が回ってる。

 感情が抑えられない。

 決意と覚悟で押し込めて、心の底の方に沈めてた不安と弱音が湧いてきて止まらない。


 そんな俺をステラは優しく抱きしめた。

 さっきみたいな誘惑する感じじゃない。

 泣いてる子供をあやすような、優しい抱擁だ。

 そうされると、酷く落ち着く。


「ごめんね。なんか、トラウマ刺激しちゃったみたいで」

「……いい。別にお前のせいじゃねぇ。言ってるうちに自分でトラウマスイッチ押しただけだ」

「ぷっ。何それ」


 ステラが笑う。

 可愛くて、綺麗で、どんなに大変な思いをしてでも守りたいと思った顔で。


「落ち着いた?」

「ああ」

「そっか。良かった」


 しばらくしてから、ステラは俺を抱きしめていた腕を離し、ベッドを椅子のようにして座った。

 珍しく俺の醜態を茶化してこない。

 俺は名残惜しいとか思ってしまった自分の心に喝を入れつつ、その隣に腰掛ける。


 そして、ステラは新しい話題を振ってきた。


「ねぇ、アラン。魔王ってどんな奴だったの?」

「……言っただろ。俺の記憶にある魔王は弱ってた。情報聞いたって参考には……」

「違うわよ。私が知りたいのは魔王の戦闘スタイルとかじゃなくて、あんたから見た魔王がどんな奴だったのかってこと。

 あんたがそこまで言うんだもん。さぞ凄い奴だったんでしょ?」


 ……魔王がどんな奴だったのか、か。

 そうだな。

 端的に、一言で纏めるなら、


「強い奴だった」


 そうとしか言い様がない。

 当時は憎しみで目が曇ってたが、それでもなお、まざまざと見せつけられた魔王の強さは深く印象に残ってる。


「弱った魔王の戦闘力自体はそこまででもなかったんだ。

 強いことは強いが、身体能力ならドラグバーンの方が上だろう。

 もちろん魔法もあったし四天王よりは強かったんだが……そうじゃない。魔王の本当に強いところはそこじゃない」


 あの時に感じた魔王の強さ。

 思い出す度に戦慄する魔王の怖さ。

 それは……


「気迫だ」

「気迫?」

「そう。あいつは他の魔族とは気迫が違った。

 絶対に生きてやる。生きて勝ってやるって、言葉にしなくても伝わってきた。

 他の魔族どもみたいに生存本能や恐怖に突き動かされた結果じゃない。

 そんな温いレベルじゃない。

 もっと別の何かのために、魔王は必死に生きようとしてた」


 奴が何を思って戦ってたのかは知らない。

 これから始まる決戦の時に本人に聞けばわかるのかもしれないが、殺しにいって仲良くお喋りなんてする気はない。

 奴の本心は一生わからないだろう。


 だが、今思い返してみると……あの気迫には見覚えがあったような気がする。

 魔王以外の誰かからも、あの時の奴と同種の気迫を感じたことがあるような気がする。

 誰だったのかは思い出せない。

 かなり身近な奴だったと思うんだが……。


「ふーん。なるほど。魔王ってそういう奴だったのね。

 それじゃ確かに、悔いのないようになんて考えてたら勝てないかもね」


 その誰かを思い出そうとしていた思考は、ステラのそんな言葉を聞いたことで中断された。


「勝敗を分けるのは生きることへの執念の差とかになるのかしら?

 悔いを残して、命にしがみついて、生きて勝つことだけを考えろか…………よし、決めた!」


 ステラは当然大声でそう言ったかと思ったら、とてつもなく自然な動きで隣に座っていた俺の頬に両手を添え、顔を自分の方に固定して唇を奪ってきた。  


「!!!???」


 酒のせいでテンションが上がったり下がったりして精神が疲弊したところに、完全なる不意討ちによる奇襲攻撃!

 俺は目を見開いて硬直することしかできない。

 ギャー!?

 こいつ舌入れてきやがった!

 く、口の中が、蹂躪されて……!?


「ぷはぁ!」

「ハァ……! ハァ……! お前! お前ぇーーー!!」


 息の仕方もわからず、息も絶え絶えになった俺は、突如こんな凶行に走ったステラに、怒りと幸せがごちゃまぜになって嵐のように荒れ狂う心のままに叫んだ。

 しかし、ステラは全く悪びれない。

 顔を真っ赤にしながらも、立ち上がって勝ち気な笑顔で俺を見下ろした。


「ふふん! あんたは悔いが残ってた方が頑張れるのかもしれないけどねぇ、私はもう一度幸せな思いしたいって思った方が頑張れるのよ!

 魔王倒したら今度はあんたからチューしてきて、その時こそ今日の答え聞かせなさいよ! 約束だから!」


 勝手に約束を結んで、ステラは言い逃げ上等とばかりに走って部屋から逃げていった。

 一方、俺は未だに心の中で荒れ狂う嵐が収まらず、ベッドから立ち上がれない。

 心臓の音がうるさい。

 死闘の後で体力が切れた時なんかとは比べものにならないくらいに大きな鼓動が聞こえてくる。


 唇と口中に感触が残っている。

 誰に教わったのか、いや犯人は一人しか思い浮かばないが、とにかく、ぎこちないながらも形になってた大人のキスの味が忘れられない。

 忘れられるわけがない。

 前の世界を含めれば数十年以上童貞を拗らせた男の、好きな女とのファーストキスだぞ?

 脳裏に焼きついて、今夜は身悶えしまくるハメになるに決まってるだろうが!


「あ、あいつ……!」


 エルフの里での頰へのキスに続いて、とんでもない爆弾を残していきやがって!


「絶対復讐してやる……!」


 これは俺も死んでなんていられねぇ。

 絶対に生き残って、あいつが勝手に結んでいった約束通り、盛大な復讐をしてやろうじゃねぇか。

 覚悟してろ、ステラ!


 俺は断固たる決意で奴への復讐を誓い、その後、ベッドで身悶えてるうちに夜は過ぎていった。






 ◆◆◆






 そして、その翌日。

 遂に人類側の準備が終わり、全軍が足並みを揃えて最終決戦の地、魔王城へ向けての進軍が開始された。

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