83 予兆

 ドワーフの里を旅立ってから一週間と少し。

 山脈を下りてからの馬車は、勇者パーティーが誇る二頭の駿馬に凄まじい速度で運ばれ、俺達は遂に人類と魔王軍の戦いの最前線に位置する砦の一つに到着した。


「お待ちしておりました、勇者様」

「はい。お久しぶり……でもないですね、ルベルトさん」


 そこで俺達を待っていたのは、砦を守る多くの戦士と英雄達。

 そして、歴戦の剣聖ことルベルトさんだった。

 ルベルトさんはステラに挨拶した後、気遣わしげな視線をブレイドに向け、


「む?」


 ブレイドの様子が前と比べて劇的に明るくなってることに気づいたのか、軽く目を見開いた。


「なんだよ爺? 俺の顔になんか付いてるか?」

「ブレイド、お前……まさか、この短期間で立ち直ったのか?」


 ルベルトさんが信じがたいと言わんばかりの顔で、確認を求めるように俺達の方を見る。

 ステラは力強く頷き、エル婆は微笑みながら肩をすくめ、リンは涙ぐみながら何度も首肯し、そして俺は……


「ルベルトさん、実はこいつ好きな女に励まされて立ち直……」

「わー! わー! わー!」


 つい真実を報告したくなった俺の口を、ブレイドが凄い勢いで止めにきた。

 危険を感じたので避けたが、奴の意思は充分に伝わったので大人しく口を閉じる。


「お前……!? 爺に何言おうとしてんだ……!?」

「すまん。つい口が滑った」


 小声で怒ってくるブレイドに軽く謝る。

 悪い悪い。

 確かに、実の家族に色々言われることの気恥ずかしさは俺も知るところだ。

 今のはさすがにやり過ぎだった。反省した。


「そうか……。本当にもう大丈夫なのだな」


 しかし、俺達の様子を見て色々と察したのか、ルベルトさんは安堵に満ちた優しい目でブレイドを見る。


「ブレイド、よくぞ立ち直った。正直、今回ばかりはもうダメかと思う気持ちもあったが……どうやら私はお前を見くびっていたらしい。許せ」

「ハ、ハンッ! よせや、爺らしくもねぇ! それに俺一人の力で立ち直ったわけでもねぇし……」


 言いながら、赤い顔でリンをチラリと横目で見るブレイド。

 乙女か。


「ふっ。そうか。良い仲間に恵まれたな」

「おう!」


 迷いのない返事と、屈託のない笑顔。

 そんなブレイドの様子を見て、ルベルトさんは肩の荷が下りたような穏やかな顔になる。

 しかし、次の瞬間にはキリリと顔を引き締め、祖父ではなく歴戦の騎士の顔で話し始めた。


「さて、ブレイドの無事も確認できたことですし、現在の戦況の説明をいたしましょう。

 ここではなんですから、応接室へご案内いたします」

「わかりました」

「うむ。ちょうどいいのう。実はこっちでも無視できぬことが色々とあった。そのすり合わせも済ませてしまおう」

「無視できぬこと、ですか?」

「そうじゃ。お主もきっと腰を抜かすぞ」


 そうして、俺達はルベルトさんに案内されて砦の中へ。

 地味に前の世界でも立ち入ったことのない場所だ。

 魔王討伐に騎士団の力を借りるべく、ここと同じような砦に交渉に行ったことはあるが、当時は勇者どころか聖戦士の大多数すら魔王にやられてしまった混沌の時代。

 最前線の砦も全てが落ち、後方の砦も押し寄せる魔王軍の猛攻を耐えるので精一杯。

 そんな状況で、どこの馬の骨とも知れない旅の剣士一人に協力する余裕なんてあるはずもなく、普通に門前払いだった。

 それが今や勇者の仲間として堂々と招かれてるんだから、状況の好転っぷりに感慨の一つも覚えるってもんだ。


 そんなことを考えてるうちに、レストと出会ったジャムールの街で使った、街長の屋敷の一室に似た部屋に到着した。

 ただ、それなりに豪華な調度品が使われてたあの屋敷と違い、この部屋は最低限体裁だけ整えたような、質実剛健という言葉が似合う趣だ。

 砦の中の一室と考えれば相応しいんだろう。


 そして、その部屋の椅子に全員が腰掛け、話し合いが始まった。

 口火を切るのは、俺達の中で一番この手の経験を積んでいるエル婆だ。


「まずはこちらのことから話してよいかの? これは真っ先に伝えねばならぬ情報じゃとワシは判断しておる」

「それほどですか……。では、お願いいたします」

「うむ。わかった。まず第一に、ワシらが向かったドワーフの里なんじゃが、そこに四天王二人が襲撃をかけてきおってのう。まあ色々あって、激闘の末に討ち取った」

「…………は?」


 ルベルトさんがフリーズした。

 如何に経験豊富な歴戦の騎士とはいえ、この超特大情報を簡単に受け止めることはできなかったらしい。

 しかし、そこはさすがのルベルトさんと言うべきか、少し頭を押さえて考え込んだ後、すぐに冷静になった。


「失礼。続けてください」

「よかろう」


 エル婆は話を進める。

 襲撃してきた四天王二人の特徴、特に恐らくは俺達の居場所を捉えていた上に、レストを操り、ブレイドをも操ろうとしたと思われるヴァンプニールの能力に関する推察。

 これについては、直接対峙した俺や能力を食らったブレイドも口を出して補足し、リンとステラもレストを通して暴れさせられた人達の治療をした経験から、対処法とそれに必要な能力値などの説明をしていく。

 それにルベルトさんも質問を返し、話が一段落するまで結構な時間がかかってしまった。


「━━纏めると、その吸血鬼の能力は心の隙を突くことで、通常の加護持ちはおろか聖戦士すら操れる可能性があった。

 加えて気づかぬうちに血を体内に注入され、内側からじわじわと心の闇を増幅させてくる上に、居場所まで把握される恐れがある。

 レストの時の状況を思えば、一見してわからぬほどに血の影響を隠蔽し、本人にそれを口外させないように部分的に操り潜伏戦力にすることも恐らくは可能。

 ……種が割れていなければ恐ろしい能力ですね」

「そうじゃのう。しかし、種が割れてしまえば対処のしようはある」

「ええ。その通りです。

 勇者様、リンくん、改めて問うが、このタイプの吸血鬼の血に侵された者の治療は可能なのだね?」

「はい。レストくんみたいに、完全に血の支配下に置かれちゃうと無理だと思いますけど……」

「でも、そのレストくんから二次感染させられた人達は治せました!

 注入された血の量が少なければ、加護を持ってない一般の治癒術師の方でも治せると思います。

 それに何よりブレイド様は自力で血の支配に抗ってましたから、完全に血の支配下に置かれる前に、治癒術師が吸血鬼の血を排除すると強く意識して治療すれば治せるはずです!」

「ふむ……」


 二人の説明を聞き、ルベルトさんはまた少し考え込む。

 そして、すぐに顔を上げた。


「対処法としては、吸血鬼と相対した後は必ず専門治療を施すこと。

 また少しでも精神に異常を感じた場合や、他者から見て行動に異常があった場合も同様の処置を取るといったところですか」

「その通り。まあ、これらのことは書類に纏めておいたから、後で教会にでも送ればよいじゃろう。

 あやつらであれば、もっと良い対処法も考えついてくれるはずじゃ」

「そうですな。こちらもレストの一件の報告は済ませています。

 例え今後同じ能力を持った吸血鬼が現れたとしても、決して同じ手は食いませぬ」


 そうして、ヴァンプニールの能力は人類に露見し、対策が練られることとなった。

 これが人類の強さだ。

 どんな強敵が相手でも情報を受け継ぎ、対策を立て、弱点を探り当てて、最後には必ず狩り殺す。

 先代魔王軍の幹部級すらも尽く狩り尽くしたというこの戦法。

 それが幾人もの魔王から世界を守り続けてきた人類の叡智。


 ……とはいえ、魔族の中にはドラグバーンやアースガルドのような、シンプルに強すぎるが故に攻略法が限られる敵も多く、苦戦は必至なんだがな。

 情報があっても戦力が足りなければ意味がない。


 だが、今となっては、その戦力バランスは崩壊した。


「しかし、四天王が二人も倒れたというのは朗報ですな。これで残る四天王はあと一人」


 ルベルトさんの言う通りだ。

 魔王軍と人類の間にあった戦力バランスという名の天秤は、大きく俺達の優勢へと傾くことで崩れた。

 四天王三人の死によって、今、魔王軍は間違いなく追い詰められている。

 ……だからこそだろう。

 次のルベルトさんの話に、驚くよりも先に妙に納得してしまったのは。


「これで、ここ数日の奴らの大胆な動きの理由がわかりました。そういうことだったのですね」

「む? なんじゃ? 何かあったのか?」

「ええ」


 ルベルトさんはそこで一旦言葉を切り、俺達全員の顔を見回して、全員が話を聞くのに充分な態勢を取れていることを確認してから、再び口を開いた。


「ここ数日で、魔王軍は長年に渡って攻めていた最前線の戦場を完全に放棄し、全軍での撤退を開始しました」

「「「「!?」」」」


 ルベルトさんのその言葉に、仲間達は驚愕して息を飲む。


「四天王が一人しか残っていないというのなら、魔王の狙いは恐らく本拠地である魔王城での籠城。

 残る戦力を一箇所に集めての耐久戦、あるいは自らに有利な場所での決戦に持ち込むつもりなのでしょう」


 そうだ。

 決して忘れてはならない。

 当代の魔王は、前の世界で一度人類を滅亡寸前にまで追い込んだ、歴代最悪の魔王だということを。

 追い詰めたからといって、そのまま大人しく敗北を受け入れてくれるような奴では断じてないということを。


 奴は強い。

 単純な戦闘力だけでなく、魔王らしからぬほどの慎重さと狡猾さを持った知略。

 そして、それらを支える根幹が何よりも恐ろしい。

 直接対峙することで感じたあれ・・が、何よりも。


 多分なんだが、魔王がもう少し気軽に自分で動いたり、四天王を動かしたりするような浅慮な性格をしていれば、前の世界で人類が滅ぼされる寸前まではいかなかったんじゃないかと思う。

 多大な犠牲こそ出ただろうが、その犠牲と引き換えに情報を集め、それ以上の被害を抑えつつハメ殺すことができたんじゃないか。

 ここまで戦ってきて、肌で感じた両軍の力を比較してみれば、そんな感想が頭に浮かぶ。

 実際、歴代の魔王軍はそうだった。


 しかし、そうはならなかった。

 先代魔王が残した傷跡のせいもあっただろうが、それを差し引いても当代の魔王が有能だったからだ。

 今までの四天王との戦い。

 魔王が整え続けてきた盤面での奴らとの戦い。

 それを全体的に見れば軽微な被害で乗り越えられたのは、ただの奇跡だ。

 一歩間違えば俺達がやられていた。

 それすらもヴァンプニールの無能さやら、ドラグバーンの独断専行やらに助けられたからこその戦果。

 逆に言えば、奴らはそれだけ勝手に動いたにも関わらず、魔王の整えた盤面のおかげで、俺達にロクな対策も取らせず互角に渡り合った。


 自らが動かずして、そこまでの状況を演出してみせた魔王だ。

 それが自分の本拠地での決戦を余儀なくされた今、直接動かざるを得なくなった今、手負いの獣のごとく追い詰められた今、どれだけの脅威となっているか想像もつかない。

 しかも、その力は前の世界でステラが削り、俺が倒した時とは比較にもならない全盛期。

 そんな奴を、今度は命と引き換えにせずに倒さなければならないのだ。

 決して楽な戦いにはならない。

 なるはずもない。

 恐らく、いや間違いなく、それは前の世界まで含めたこれまでの戦いの中で最も激しく、最も険しい、想像を絶する死闘になるだろう。


 遂に見えてきた最終決戦の構図。

 その戦いをハッピーエンドで終わらせるために、その先の未来を勝ち取るために、俺は静かに気合いを入れ直した。

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