閑話 忠臣は思う
「……アースガルドの気配が消えた。間に合わなかったか」
天界山脈から少し離れた地で、異形の翼を生やした一人の女魔族が顔を歪めた。
魔王より連れ戻すように言われていた二人の四天王。
それが両者ともに敗死してしまったのだ。
頭が痛いでは済まされない。
「全く、なんとも運のない。せめて、こんな奴と遭遇しなければ間に合っていたかもしれないというのに」
「ごはっ!?」
女は腹いせのように、自らの前で手足を斬り飛ばされて倒れ伏す男に蹴りを放った。
こいつは天界山脈に向かおうと全速力で飛行していた彼女に襲撃をかけてきた輩だ。
音速を超える速度で飛行していた彼女を捕捉できるくらいには強く、しつこく纏わりついてくるせいで先を急ぐこともできない。
結局、振り払うより倒した方が早いと判断して戦闘になってしまい、苦戦こそまるでしなかったものの、それで多少の時間を無駄にしてしまった。
その多少の時間でアースガルドが倒されてしまったのだから、やり切れないとしか言いようがない。
腹いせに蹴りの一発でも入れたくなるというものだ。
「アースガルド……」
女は散っていった同胞を想う。
土の四天王アースガルドは魔族においても珍しい、感情というものが殆ど欠落した少年だった。
その原因は彼の体質と境遇にある。
荒廃に荒廃を重ね、他者を殺して食わねば生きられぬほどに食料のない魔界において、アースガルドは食べなくとも大地のエネルギーを吸収していれば生きていられる特異体質だった。
おまけに、彼は土塊の魔物であるゴーレムやガーゴイルの亜種であるため、痛覚というものすらない。
痛みがなければ、傷つくことにも、その先に待つ死にすらも恐怖を感じなくなる。
生きることに必死になることも、死に怯えることすらない。
そして、魔界という世界で生きる者から、生への渇望と死への恐怖を取り除いてしまえば何が残るか?
答えは『何も残らない』だ。
魔界は生存競争に明け暮れる世界。
否、生存競争しかない世界。
自分がその日をどう生き抜くかしか考えられない、それ以外のことを考える余裕のある者などほぼ存在し得ない、そんなこの世の地獄こそが魔界なのだ。
他者を殺して食らうという営みしかない世界で、その唯一の営みからすら除外され、何もすることがなく、何をしていいのかもわからず、結果何もすることができなかった。
誰も彼の心を育んでくれなかった。
唯一できたことと言えば、自分を生かしている大地のエネルギーを発する物体を本能的に求める程度。
それも大地そのものがあれば必要のない無要の長物でしかなく、であればそれほど強く執着することもできない。
自分の生に意義も意味も執着も見出せなかったのに、長年大地から吸い上げて蓄えてきたエネルギーのせいで無駄に力だけは有り余っている。
そんな虚無の怪物こそがアースガルドだった。
なんとも悲しい存在だ。
いや、アースガルドだけではない。
戦いにしか生き甲斐を感じられなかったドラグバーンも、吸血鬼という種族に対する誇りから他者を見下すことしかできなかったヴァンプニールも、生きることに必死になり過ぎるあまり歪んだ心しか育めない他の魔族達も、等しく悲しい。
皆が皆、そんな生き方しか選べないことが悲しい。
だからこそ、魔王は……
「……いや、やめよう。今は感傷に浸っている場合ではない」
今考えるべきは今後のことだ。
四天王のうち三人が倒されるという危機的状況。
ここから逆転する術を模索しなくてはならない。
「今からでも勇者達に奇襲をかけるべきか? ……いや、勇者達の気配は全員が健在。しかも、そこまで疲弊している様子もない。私が単騎で突っ込んだとして、一人二人は殺せるだろうが、最終的には討ち取られる可能性の方が高いか。……私は魔王様以外で勇者を倒し得る最後の駒だ。不用意に賭けていい命ではない」
結論として、今から勇者達を襲撃する作戦は却下だ。
せめて、アースガルドとヴァンプニールがもう少し勇者達を消耗させられていればと、苦々しい現実に臍を噛む。
ドラグバーンの時といい、まさか四天王がこうも戦果を出せずに散っていくとは思いもしなかった。
決して彼らは弱くなかったはずだ。
動かし方によっては、四天王だけで勇者を討ち取ることも充分にできたはず。
なのに、どうしてこうなってしまったのか。
「……わかりきったことだな。奴らが魔王様の命に従わなかったから。そして、私が奴らの手綱を握り切れなかったからだ」
自嘲するような笑みを女は浮かべる。
魔王から下された命令は、勇者が現れた後、四天王全員が一丸となって勇者と戦うこと。
それまで万が一にも四天王が欠けぬように、また敵に四天王の情報を渡さぬように、戦場に出ることすら禁じた。
最初の国を迅速に落として拠点を確保するべく暴れたことや、ドラグバーンなどが大声で名乗るせいで完全な情報遮断はできなかったが、それでもその判断は決して間違っていなかったはずだ。
実際、代々の魔王に仕えていたローバなどから仕入れた情報によると、先代の魔王軍は幹部以上の戦力を惜しみなく戦場に投入した結果、対策を立てられ罠にハメられ、人類に多大な被害こそ齎したものの、数年と保たずに壊滅したという。
逃げて隠れたローバ達以外で生き残ったのは、魔族屈指の生命力を持つ吸血鬼であった先代魔王のみ。
後の時代は先代魔王が単騎で逃げ回りながら暴れ回り、守りの薄そうな場所を狙って、そこの人間達を吸血鬼の力で使い捨ての手駒に変え、それでどうにか戦力を補充して戦い続けていたというのが実情。
それはもはや戦いではなく悪あがきだ。
魔王軍としての勝利条件を満たすことはできず、いつか来る負けをひたすらに引き伸ばすためだけの戦い。
人類にとって最悪の時代とまで言われた先代魔王の時代も、蓋を開けてみればその程度の話でしかない。
まあ、話を聞く限り、先代魔王はドラグバーンとヴァンプニールを足して二で割ったような性格をしていたらしいので、本人的には自分が生きて戦えて、支配した人間達を見下していられればそれで良かったのかもしれないが。
ついでに、その奮闘のおかげで当代の魔王軍が助かっているのも事実なので文句を言うつもりはない。
だが、安易に四天王を動かして、先代魔王軍と同じ轍を踏むつもりもなかった。
先代魔王は優れた魔族ではあったが、優れた指導者ではなかったのだろう。
いや、そもそも魔族を纏め上げて組織的に運用するということ自体が無理難題なのだ。
魔族は誰も彼もが自分勝手。
地獄の魔界を生き抜くためには、他者を気遣っている余裕などないのだから当然と言えば当然なのだが。
魔王の圧倒的な力を見せつけて無理矢理従わせることはできる。
だが、それで出来上がるのは少しつつけば崩壊する、結束とも呼べない脆い繋がり。
その脆い繋がりを維持するために、魔王も彼女も尽力してきた。
それでもやはりと言うべきか、何かのキッカケで一箇所がほつれれば、あとは連鎖的に繋がりが切れていってこのザマだ。
「最初のキッカケはドラグバーンの暴走……いや、その原因になった各地の魔族が相次いで討たれた一件か」
四天王を温存し、最前線の砦にはそこそこ頭の回る魔族に率いさせた上位竜や
数年前から、その任務に就いていた者達が相次いで討伐されたという報告が寄せられていた。
恐らく、ドラグバーンはふて寝から起きたところでその情報を聞いてしまい、我慢できなくなって飛び出したのだろうというのが彼女の予想だ。
ドラグバーンがあともう少しだけ堪えてくれていればと強く思うが、それを誘発させてしまった魔族達の相次ぐ敗死も大問題である。
あの作戦の肝は敵が守り切れない場所を徹底的に狙い、こちらの消耗をできる限り抑えたまま、敵にだけ損害を与え続けること。
防衛の優先順位が低い場所ばかり狙うため大きな戦果は得られないが、逆に言えば強敵のいない場所ばかり狙っているので、加護持ちの英雄に匹敵する魔族がやられる危険は少ない。
ローリスクローリターンの作戦だった。
あの作戦に求められていたのは強敵を撃破できる実力ではなく、強敵を見たら即座に逃げて無駄死にを避けられる臆病さだ。
故に、強者を見たら逃げ、弱者を見たら嬉々としていたぶるヴァンプニールみたいな性格の奴らを選んで派遣したのだが、何故か彼らは皆、逃げることなく殺されてしまった。
この謎の答えは未だにわからない。
逃げることすら許されない超強敵とぶつかったにしても、人類の罠にハマったにしても、率いている魔物を先にぶつけるなりなんなりすれば、直接戦闘が始まる前にヤバいと判断して何人かは逃げられたはずだ。
あまりに謎すぎたので、これを成した下手人のことは個人的に『謎の英雄』と呼んでいる。
そうして謎の英雄によって齎されたキッカケでドラグバーンが暴走し、暴走した先で勇者達に討ち取られ。
更に今度はそれを報告したヴァンプニールがアースガルドを巻き込んで先走り、これまた勇者達に討ち取られ。
四天王は各個撃破という最悪の展開で壊滅した。
あの辺りから、
それまでは確実にこちらが有利だったはずだ。
慎重に慎重を重ね、少しずつだが確実に有利を広げられていたはずだ。
なのに、その流れを覆すほどのことが起きてしまった。
謎の英雄はキッカケに過ぎなかったのだろうが、そのキッカケによって広がった波紋はとてつもなく大きく、盤上の流れを完全に変えてしまった。
━━ならば、もう一度流れを覆すしかない。
ここまで一気に趨勢の決まってしまった状況をひっくり返すのは容易ではないだろう。
だが、やるしかない。
全ては敬愛する魔王のために。
魔王の目指す新しい世界のために。
「この命に代えても、魔王様に勝利を」
女は改めて決意を固め、まずは手始めにできることを考える。
やれることはなんでもしなければならない。
ヴァンプニールのごとき卑劣な手段でも迷わず使わなければ、とても人類には勝てないのだから。
「ぐっ……! うぐぅ……! ふざけやがって……! 最強の俺様をコケにしやがって……! このクソ女が……! 許さねぇ……! 絶対ぶっ殺して犯し尽くしてやる……!!」
その時、何やらブツブツと恨み言を漏らしながら激痛に悶えている男の姿が再度目に入った。
このセリフだけで、とても人類の守護者である聖戦士の一人とは思えない醜悪な性根が垣間見える。
人のためでもなく世界のためでもなく、自分のちっぽけなプライドと欲望のためだけに激怒する様は、どことなく魔族に近いものまで感じた。
ならば、上手くすれば利用できるかもしれない。
使い捨て前提とはいえ、こいつの強さであれば、一時的な四天王の穴埋めくらいはできるだろう。
「おい貴様。強さが欲しくはないか?」
「あぁ!?」
そうして、魔王軍に残った最後の忠臣は準備を整えていく。
来る決戦の時に向けて。
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