75 『水』の四天王
「させるか!」
翼を出し、空へ逃げようとしているヴァンプニールに対して、俺は飛ばれる前に対処するべく、間合いを詰めて再接近した。
当然、向こうがタダで近寄らせてくれるわけもなく、迎撃の一手が放たれる。
「『
ヴァンプニールの体から青黒い霧が噴き出し、それが奴を守るように周囲に展開した。
あの霧の中には踏み込めない。
あれは間違いなく吸血鬼の血液を霧化させたものだ。
うっかり吸い込めば奴の血が体内に侵入してしまう。
その程度の侵入量、加護持ちの英雄や聖戦士なら容易くレジストできるだろうが、俺だと微妙だろう。
脆弱なこの体では、最悪一滴分の血液だけで奴に支配されかねない。
だが、近づけないのなら、近づかないまま攻撃すればいい。
俺は刀から片手を離して腰のマジックバッグに突っ込み、そこからあるものを取り出して投げつけた。
「む!?」
予想外とばかりにヴァンプニールが硬直する。
レストとの戦いを見て、俺には遠距離攻撃がないとでも思っていたのかもしれない。
確かに、俺の持つ安定した遠距離攻撃手段は、黒天丸頼りの黒月だけだ。
その黒天丸が修復中な以上、それも使えない。
しかし、俺はこういう小技も持っている。
素直に刀を振ってる方が強い上に、片手を刀から離さなければならないから滅多に使わないけどな。
だが、そのおかげでヴァンプニールの虚を突けたようだ。
突撃をフェイントに使ったことも相まって、奴は応手が間に合っていない。
そうして、霧の壁を突破して奴の目前に投擲物が飛来する。
俺が投げつけたのは、修行時代に迷宮で拾い、売り払わずに残しておいた使えるマジックアイテム。
一定以上の速度で投げると爆発する『炸裂球』だ。
発動条件を満たしたことによって、炸裂球は冒険者ギルドで鑑定してもらった効果の通りに、ヴァンプニールの目の前で大爆発を起こした。
ドォオオオオーーーン!!! という凄まじい轟音が鳴り響き、爆炎がヴァンプニールを包み込む。
多分、ドラグバーン辺りに使ってもかすり傷しか付けられないだろうが、それでも下手な
売れば俺の治療費100回分くらいになると言われたのに、わざわざ取っておいた隠し球。
これがどこまで通じるかだが……。
その時、爆煙を中から突き破って、何かが高速で上空へと飛翔していった。
翼を羽ばたかせて上空に陣取ったその何か。
それは、変わり果てた姿のヴァンプニールだった。
上半身の服は消し飛び、皮膚は焼け焦げ、顔面も醜く爛れて、骨や筋肉が剥き出しになっている。
だが、逆に言えばその程度だ。
ダメージが届いたのは肉体の表面までで、芯には届いていない。
その程度の傷であれば、吸血鬼の力で即座に再生してしまう。
考えなしに霧化するようなら爆炎で蒸発させられたかもしれないが、さすがにそこまで上手くいくわけもないか。
そして、俺の見ている前で奴の肉体は
「やってくれましたね。今のは中々痛かったですよ。しかし……」
空の上から見下ろすように、見下すように、ヴァンプニールは嗤う。
「あれで仕留められなかった時点であなたの負けです。この上空にあなたの攻撃は届かない。地の利ならぬ空の利を私は得た。この有利な場所から一方的に攻められて、あなたは果たしていつまで抗えますかねぇ!」
そうして、ヴァンプニールは上空から悠々と地上の俺に向かって手を翳し、そこから青黒い閃光を放った。
「『
上空から角度をつけて俺に襲いくる閃光、というよりこれは血液を高速で射出してるだけの水砲だ。
だが、閃光と見まごうくらいには速い!
「『禍津返し』!」
「無駄無駄無駄ぁ!」
さっきイミナさんに向けられた血の刃と同じように禍津返しで跳ね返してみたが、やはり跳ね返した攻撃は意思を持っているかのようにヴァンプニールの前で霧散してしまう。
「この攻撃に使われている血は私の一部なんですよ? 融通の効かない魔法と違って、手足のごとく自由自在に扱えるに決まっているではないですか!」
奴の目の前で霧散した青黒い血液は、不気味に蠢いて形を変え、今度は無数の杭となって俺に降り注いできた。
「『歪曲』!」
俺は横に走りながら、進行方向の杭だけを受け流して避ける。
しかし、避けた杭は向きを変え、更にはヴァンプニールがもう一度手を翳して水砲を放ち、二方向からの攻撃が俺を襲ってきた。
「二の太刀変型━━『歪曲連鎖』!」
ヴァンプニールの放った水砲を受け流して軌道を変え、追尾してきた杭にぶつけて相殺。
それで一度は動きが止まった。
だが、水と水をぶつけても消滅はしない。
少しすればまた蠢いて形を変え、どこまでも俺を狙ってくる。
「ハハハハハハッ! 踊れ踊れ! 死力を尽くして! 身命を賭して!
そして、その果てに絶望するがいい!
掠ることすら許されない致命の攻撃を避け続け、捌き続ける中、ヴァンプニールのその言葉が嫌に耳に残った。
「確か、名前はレストと言いましたか? 彼は無様なものでしたよ!
心も体も弱くて弱くて、戦場に放った私の手駒を相手に、何もできずボロボロにされるしかなかった役立たず!」
多分、挑発のつもりで言ってるんだろう。
確かに、それは有効だ。
俺の剣術は繊細さが命。
激情で動きが荒くなれば一気に破綻する。
だからこそ、そうならないための修行は積んできた。
「最後には恐怖で泣いて漏らして、惨めに震え上がっていましたよ!
あまりにも哀れで情けないから、慈悲の心をもって血を分け与え、混血の
人の役にも魔族の役にも立たない真性の出来損ないでしたねぇ!」
だが、動きには現れずとも、怒りを抱かないわけじゃない。
頭は努めて冷静に勝利への道筋を探っているが、心は怒りで爆発寸前だ。
脳裏にレストの姿が蘇る。
目の前のクソ野郎に操られながらも、必死に足掻いて抗って、最期は人間として死んだ我がライバル。
死の間際に、自分ではなく想い人の幸せを優先した勇敢な英雄。
接した時間こそ短かったが、あいつは大した奴だったと断言できる。
そんなあいつを悲劇に叩き落とした張本人が、言うに事欠いてあいつのことを悪しざまに貶すのだ。
嫌がらせとしては最高だろうよ。
「それに間抜けは彼だけじゃない! もう一人の方もすぐさま……」
「もう黙れ」
「ッ!?」
お喋りに夢中で、迂闊にも凝固した血液を一箇所に纏めた大質量の攻撃を仕掛けてきたので、激流加速の推進力で凝固した血液の足場を蹴り、暴風の足鎧の力と合わせて、一気に上空に陣取るヴァンプニールのもとへ大ジャンプする。
血液を一箇所に纏めたせいで、奴への道筋を邪魔する障害物もない。
そのまま、激流加速の勢いが残った斬撃をヴァンプニールの胴に叩き込む。
霧化も間に合わず、刃はヴァンプニールの体に沈んでいった。
「ふ、ふん! この程度!」
だが、その斬撃は胴を半ばほどまで切断したところで、腹の中の何か硬いものにぶつかって停止する。
当然、すぐに
俺はこれ以上斬れないと判断した時点で刀を奴の胴から引き抜き、僅かに残った勢いで空中で体を捻る。
傷口から出た血を躱しつつ、踏みつけるようなキックをヴァンプニールの顔面に食らわせた。
「ごぶっ!?」
そして、ヴァンプニールの顔面を踏み台にして跳躍し、身動き取りづらい空中で奴の反撃を受けるという状況から離脱。
更に追撃を潰すべく、
「この……ッ!?」
もう一つの炸裂球を投げつけておいた。
本当は顔の前に投げつけたかったんだが、さすがにこの体勢から使い慣れていない投擲を無理矢理使ったせいで僅かに狙いが逸れ、炸裂球は奴の胴体に向かって飛来する。
にも関わらず、何故かヴァンプニールはこれまでにないほど焦った顔をしていた。
そして、起爆。
再びの轟音が響き渡り、爆煙が晴れた頃には俺は地上へ帰還し、奴の腹には風穴が空いていた。
どうやら、今回の炸裂球は一点集中爆破型だったらしい。
マジックアイテムが人工物ではなく、迷宮の魔力を浴びて出来上がる自然物である以上、その性能が均一ということはない。
しかし、それで奴を倒せるというわけでもない。
またしても腹の風穴は一瞬で
「ふざ、けるなぁ……!」
しかし、回復したのは肉体の傷だけで、精神の方にはそこそこダメージが入ったようだ。
「至高の
人間などという下等生物の、しかも加護も持っていない劣等種がここまでコケにしやがって!
ふざけるなふざけるなふざけるな!
私は魔界で唯一、太古の時代から血脈と叡智を絶やさず継承してきた至高の一族だぞ!?
魔界で唯一の高貴なる一族なのだぞ!?」
ヴァンプニールは物事が思い通りにいかなかった時の子供のように喚き、牙を砕かんばかりに強く噛み締め、怒りと苛立ちに支配された目で俺を睨んだ。
この程度で傷がつくとは、なんとも安いプライドだな。
苦労知らずの坊っちゃんかお前は。
「もういい! 対勇者戦に向けて力を温存するつもりだったが、ここまでコケにされて黙っていられるか!
貴様は私の全力をもって葬ってやる!
象に踏まれる蟻のように、災害に呑まれる虫ケラのように、惨めに無力に何もできないまま死ね!」
ヴァンプニールが片腕を空に向ける。
その掌から大量の血液が空に向かって登っていき、やがて青黒い液体の塊が空を覆い尽くした。
ま、まさか……!?
「終わりだ! 『
空から青黒い雨が降る。
耐性を持たない者にとっては絶望的で理不尽極まりない、吸血鬼の血の雨が。
「ほぎゃー!? な、なんすかこりゃあ!?」
少し遠くでイミナさんの悲鳴が聞こえてくる。
警告する暇もなかったが大丈夫かと思ってそっちを見れば、イミナさんは仕留めた
悲鳴上げたからには多少は浴びたのかもしれないが、聖戦士であるイミナさんなら少しくらい大丈夫だろう。
そういう俺の方は、血の雨が降ってくる直前にリンの張った結界の中に駆け込むことで難を逃れた。
だが、仕方なかったとはいえ、これはあまりいい手とは言えない。
「アハハハハハハッ! 何もできないか? 何もできないだろう!?
そのまま無力に結界が砕け、死が訪れる瞬間をただ待っているがいい!」
ヴァンプニールのマークを外したせいで、奴は結界への直接攻撃を始めてしまった。
結界が壊れれば、俺はもちろんドワーフの里の住民全員が、吸血鬼の血に侵されて全滅だ。
そうなる前にどうにかしなきゃならないんだが、何も良案が浮かばねぇ!
あの血の雨は最悪だ。
俺との相性が致命的に悪い。
ただ大規模なだけの攻撃なら斬払いでどうとでもできた。
ただ攻撃力が高いだけの攻撃なら、歪曲・衣といくつかの小技でダメージを最小限に抑え、多少の傷は覚悟で突破できた。
だが、無数の水滴が相手じゃ広範囲攻撃の綻びを突いて霧散させる斬払いは通じないし、掠るだけで致命傷の吸血鬼の血液相手じゃ多少の傷を覚悟で飛び出すこともできない。
最悪。
まさに最悪だ。
こいつはもはや天敵の一種と言っていいだろう。
地力の差こそあれ、相性自体は最高に近かったドラグバーンとは完全に真逆。
それでも、なんとかしなければならない。
アースガルドを抑えてくれてるステラ達のためにも、負けることは断じて許されないんだよ!
考えろ、俺!
突破法を! 攻略法を!
「なんだぁ? 随分と苦戦してるみてぇじゃねぇか小僧」
その時、俺の背後から声が聞こえた。
齢と経験を重ねた者にしか出せない重厚な声。
俺が頼りにした男の声。
後ろに振り向けば、そこには……
「ドヴェルクさん……」
「よう小僧。依頼の品を届けに来てやったぞ。まあ、まだ半分だけだがな」
世界最高の職人『武神』ドヴェルク・ドワーフロードが立っていた。
その手に一本の黒い刀を持って。
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