62 不快なる獣の王

 レストを見送り、俺達が悲しみに暮れる中。

 そいつは瓦礫の山を吹き飛ばし、ほぼ無傷の状態で、その中から這い出してきた。


「だぁあああ! ちくしょう! よくもやりやがったな、クソ魔族コラァ!

 許さねぇ! ズタズタのバラバラに引き裂いて獣の餌にしてやらぁ! ……って、あ? 魔族どこ行った?」

「もう終わったよ」


 今更出てきて、そんな不快ですっとんきょうな事を言い出した獣王に、俺は幽鬼のようにふらりとした歩調で近づいた。

 そして、暴風の足鎧の力も使って加速。

 獣王との距離を詰める。

 明確な殺意を持って、木刀を振るった。


「よせ、少年! 気持ちはわかるが抑えろ!」


 そんな俺を止めたのは、あろう事かルベルトさんだった。

 ステラはまだ、残されたレストの装備を抱いて泣いている。

 ブレイドは戦闘不能。

 ドッグさんもダメージが深い。

 だが、幸いにして操られていた兵士達も全員戦闘不能になってるし、再び動き出そうとする気配もない。

 恐らく、レストを介した間接的な支配が途切れたんだろう。


 だからこそ、今が奴に落とし前をつけさせるべき時だってのに。


「どいてください、ルベルトさん。

 そいつは、あと少しで救えそうだったレストを襲撃して致命傷を負わせた。落とし前はつけないといけない」

「ッ!? ヴォルフ、貴様ッ! そんな事までしていたのか!?」


 俺の言葉を聞いて、ルベルトさんが絶大な怒気を獣王に叩きつける。

 しかし、それを受けても獣王は飄々としていた。

 今すぐにぶち殺してやりたい。

 ぶち殺してやりたいが……復讐する権利を有しているのは、レストと付き合いの浅い俺ではなく、実の祖父であるルベルトさんの方だ。

 ここはルベルトさんに任せるのが筋だろう。


「操られただけの無辜の民を殺戮するだけでは飽き足らず、我が孫まで……! 加護持ちの英雄候補まで殺しただと!?

 貴様も加護持ちなら、加護の有無で人か魔族かの識別くらいできただろうに……それでも聖戦士か!?」


 ちょっと待て。

 無辜の民を、殺した?

 そういえば、開戦の時、ルベルトさんが担当した方向で、盛大な破壊音がしていた事を思い出す。

 その対処の為にルベルトさんが向かわざるを得ず、戦力を分断される一因になったやつだ。

 レストの行動と連動して他の魔族でも現れたのかと思ってたが、まさか……


「ハッ! 魔族に操られるようなカスどもを殺して何が悪い?

 俺様は聖戦士として間違った事したとは思ってないぜぇ!」


 殺す。

 獣王の言葉を聞いて、俺はこいつへの殺意を確固たるものとした。

 こいつは、この野郎は、レストの命を奪っただけじゃ飽き足らず、あいつが必死の抵抗で守った人々の命まで奪ったのだ。

 あいつの健闘を踏みにじり、唾を吐きかけるが如き鬼畜の所業。

 最も憎むべきはレストを操った魔族だが、こいつはその次に憎むべき、レストの仇だ。


「……先程、街中で邂逅した時、私は言った筈だ。

 操られた人々の治療は充分に可能。それ故に、できるだけ殺すなと。

 それが守れないのなら、この場は私達に任せて去れと」

「確かに言われたが、聞く義理がねぇなぁ!

 あんたも昔は最強の聖戦士の一人だったらしいが、今じゃただの老い衰えた老兵だ!

 そんな骨董品の言う事を、なんで現役の最強である俺様が聞かなきゃならねぇ?」

「こいつ……!」


 殺そうと思って踏み出した俺の肩を、ルベルトさんが掴んで止める。

 その手には、この人の怒りの大きさを物語るかのように、痛い程の力が込められていた。

 加護と長年付き合ってきた歴戦の聖戦士が、僅かとはいえ力加減に失敗する程、今のルベルトは怒っているという事だ。


「貴様のやった事は、人類にとって大きくマイナスに働く事だ。

 加護持ち一人殺しただけでも大問題。

 その上、貴様の必要のない殺しのせいでこの街が傾くようであれば、それは最前線への補給にも無視できない影響を及ぼす。

 ……それでも、貴様は聖戦士だ。魔王との戦いになくてはならない戦力だ。

 故に、私は貴様の罪に目を瞑ろう。大義の為に、孫を殺された恨みを飲み込もう」

「なっ!? ルベルトさん!?」

「ハッハッハ! 賢明だなぁ!」

「だが━━」


 俺が思わずルベルトさんを驚愕の目で見詰め、獣王が不快な笑い声を上げた次の瞬間、━━俺の視界から、ルベルトさんが消えた。

 そして、気づいた時には……


「ごはっ!?」

「最低限のケジメはつけさせてもらう」


 ルベルトさんの神速の拳が、獣王の顔面を殴り飛ばしていた。

 不意討ち気味に放たれた、刹那斬りと同等の速さの拳に獣王は反応できず、奴の体は拳の勢いに負けて吹き飛ばされる。

 だが、獣王はあれでも、人類の中で最も身体能力に優れる獣人族の聖戦士。

 その頑丈さも尋常ではなく、倒れるどころか膝すらつかなかった。

 足で地面を削りながら、大きく後ろへ弾かれただけだ。


「いってぇ!? 何しやがる、このクソ爺!」


 そして案の定、自分の行いを棚に上げて怒鳴り散らしてきた。

 どこまでも不快で醜い。

 吐き気がする。


「心の底から腹立たしいが、今日のところはそれで見逃してやると言っているのだ。

 私が貴様の首を切り落としたくなる前に、とっとと失せろッ!」

「あぁ!? 舐めてんじゃねぇぞ老いぼれ風情が!」


 獣王が獲物に飛び掛かる直前の四足獣のように体を丸め、本気の戦闘態勢に入る。

 それに呼応して、退かぬのなら相手になるとばかりに、ルベルトさんも腰の剣に手をかけた。

 当然、そういう流れになるなら俺も遠慮するつもりはない。

 木刀を構えてルベルトさんの味方につく。


 一触即発。

 ルベルトさんに獣王を殺す気はないみたいだが、俺と獣王は相手を殺す気満々であり、それにルベルトさんの堪忍袋だって、いつまで持つかわからない。

 次の瞬間には誰かが死んでいてもおかしくない状況。

 それを止めたのは……背筋が凍るような極大の悪寒だった。


「いい加減にしてください」


 冷たい、絶対零度の殺気が込められた言葉が、静かにこの場を支配する。

 一瞬、その言葉を放ったのが誰だかわからなかった。

 それくらい、いつものあいつとはかけ離れた気配だったから。


「戦いは終わりです。今は静かに、レストくんを弔わせてください」


 殺気の出所は、ステラだった。

 涙が枯れた泣き腫らした目で俺達を見据え、冷たい殺気を放っている。

 大切な女のそんな姿を見て、俺は冷水をかけられたように、一気に頭が冷えた。

 獣王も、単純な力ならこの場で最も強い『勇者』であるステラの威圧は堪えたのか、さっきまでの威勢が削がれている。


「…………ちっ。白けちまったぜ。

 やめだやめだ。仕方ねぇから、ここは勇者様の顔を立てて退散してやる。命拾いしたなぁ」


 そんなチンピラのような捨て台詞を残し、獣王は踵を返して去って行った。

 ……正直、追い掛けて始末したいという気持ちはある。

 いくら聖戦士とはいえ、奴とは決して相容れない。

 ここで逃したら、今度は明確な敵として現れるんじゃないかという予感すらあった。


 それでも、今は傷付いたステラに寄り添う事の方が大事だ。


「……悪かった。こんな時に騒がしくして」

「ううん。あれはあの痴漢に向けて言った事だから。

 それに、アランがレストくんの為にあんなに怒ってくれたのは嬉しかったわ」

「……そうか」


 それがどれだけの慰めになったかはわからないが、少しでもステラの心を癒せたのならよかったと、そう思う事くらいしか俺にはできない。

 だったらせめて、できる限りの慰めを。


 俺は膝をつき、未だにレストの装備を抱き締めるステラを、正面からそっと抱き寄せて背中をさすった。

 ステラは俺の胸に顔を埋めて、また泣き始める。

 俺達が騒がしくしたせいで出しきれなかった悲しみを吐き出していく。

 今度こそちゃんと涙が枯れるまで、俺はステラを抱き締め続けた。


 そうして、この街での戦いは終わった。

 未来の英雄を喪い、皆が心に傷を負い、最悪の味方のせいで多くの命まで喪い。

 苦い後味だけを残して、敗北としか言い様のない結果で終結した。

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