61 送る

 鮮血が舞う。

 魔族に汚されたレストの青黒い血が、獣王とレストを中心にして周囲へと飛び散る。

 一瞬、その光景の意味を考える事を脳が拒否し、思考停止に陥りかけた。


「お、前……」

「あん? ああ、てめぇよく見りゃ、この前の雑魚じゃねぇか。

 雑魚らしく、こんな雑魚魔族に苦戦してやがったのか?

 ハッ! 口程にもねぇな!」


 まだ我に返りきれていない混乱の中で溢れた声に、獣王は的外れ極まりない言葉を返した。

 何を言っているんだこいつは。

 何をしているんだこいつは。


 確かに、世間一般の常識から考えれば、獣王の行動は一概に間違ってるとも言い切れない。

 聖戦士として、いやこの世界に生きる一人の人間として、世界の敵である魔族を狩るのは当然の事だ。

 魔族に操られた人を殺すというのも、正しいとまでは言えないが、間違っているとも言い難い。

 もう救う手段がなかったり、殺さなければどうしようもない状況なら、仕方のない事として許容されるだろう。


 だが、レストの場合はそうじゃなかった。

 あと少しで救えた。

 殺さなければどうしようもない訳でもなかった。

 レストは必死に魔族の支配に抗っていたし、取り押さえる方法も、救う方法もちゃんとあったのだ。

 そんなこっちの事情を一切合切無視して、一人の若き英雄の命を無為に奪ってドヤ顔を決めているこいつには、殺意しか湧かない。


 しかし、殺意で目が曇る前に俺は見た。

 頭を潰された筈のレストの体が、ピクリと動く瞬間を。


「ん?」


 唐突に、獣王がそんな声を上げる。

 奴が気づいた時には既に、頭を失ったレストの体が、その腕で奴の足首を掴んでいた。


「ぬぉおおおおおお!?」


 確実に死んでると思って油断したのか、それ程のダメージを与えたのに動いてる事に驚く暇もなく、獣王は不意を突かれて足首を掴んだ腕に投げ飛ばされ、兵舎の方に投げ飛ばされた。

 獣王という砲弾を食らった兵舎が、一瞬で破壊されて瓦礫の山へと変貌する。

 獣王は生き埋めになったが、残念ながら聖戦士があの程度で死ぬ事はないだろう。


 そんな事より今は……


「レストくん!」

「■■■■■■■■■■■!!!」


 ようやくこの場に辿り着いたステラの前で、惚れた女の前で、レストは異形の怪物へと成り果てようとしていた。

 壊れた喉で絶叫し、凄まじい魔力を迸らせながら、徐々に頭を再生させていく。


 だが、人間であれば即死のダメージを回復させる為には更なる魔族の力が必要なのか、再生の過程でレストの爪や牙は獣のように鋭く尖り、背からは蝙蝠のような大翼が生え、その姿は人間からどんどん遠ざかっていく。

 魔族の力に抗っていた理性も、頭という考える為の器官を一時喪失した事で消え失せ、歯止めが効いていない。


 もはや、あれはレストではない。

 目の前にいるのは、ただの魔族だ。

 思わずそんな考えが脳裏を過ってしまう程に、今のレストは化け物じみていた。


「あ、あ……」

「しっかりしろ、ステラ! 呆けてたらいい的だぞ!」

「だ、だって、あんなに魔族の力が強く……。あ、あれじゃ治せるかわかんない……。私とリンとエルネスタさんの三人がかりでも……」

「それでも戦意を失っていい理由にはならないんだよ!

 一度戦場に立ったんだったら、勝つにせよ負けるにせよ逃げるにせよ最後までちゃんとやれ!

 泣いていいのも絶望していいのも、最後までやるだけやった奴だけだ!」

「わ、わかってるわよ、それくらい!」


 言葉で尻を叩いてやれば、ステラはなんとか弱音を振り払って神樹の木剣を握り締めた。

 とはいえ、偉そうな事言った割に、俺にできる事なんて捕縛の手伝いくらいなんだがな。

 しかし、とにかく取り押さえなければ何も始まらないのも事実。

 やれる事をやるしかない。


「お前、魔力どれくらい残ってる?」

「まだまだ余裕よ。戦闘に比べれば、街の人達の沈静化の魔法くらい、大した消耗じゃないわ」

「そうか。なら捕縛と沈静化は任せた。足止めと隙を作るのは俺がやる。……来るぞ!」

「■■■■■■■■■■!!!」


 絶叫を上げながら、剣も理性も失い、ただの怪物へと成り果てたレストが襲い来る。

 俺はステラの壁となってレストを迎撃。

 その間に、ステラは魔法の詠唱を開始した。


「神の御力の一端たる戒めの力よ。暴虐に狂う彼の者を鎮める楔となりて現出せよ」


 その詠唱が終わる瞬間に合わせるように、俺はレストをぶっ叩いて隙を作った。

 さっきと同じ爪による攻撃を流刃で受け流し、まずは右手の木刀で右の肩に一閃。

 ドッグさんと連携して斧使いの女を相手にした時と同じように、外傷を与えるのではなく肩の関節を外す事で、少しでも再生を遅らせる。

 更に、肩にぶつかった木刀を支点として、一の太刀変型『流車』の要領で回転を継続。

 レストの背後を取りつつ、左手の木刀で左肩を殴打して関節を外す。

 それでもまだ止まらず、今度は左手の木刀を支点にして回転。

 最後にレストの側面から、両手の木刀で思いっきりレストの頭をぶっ叩く。

 六の太刀変型『震天』。

 それにより、レストは両肩を外された上に脳を揺らされて、一瞬たたらを踏んだ。


「今だ!」

「『聖なる鎖ホーリーチェーン』!」


 そこにステラの放った魔法が炸裂。

 エルフ達がドラグバーンを縛ったのと同じ聖なる鎖によって、レストの動きを封じ込める。


「■■■■■■■■■■!!!」


 しかし、レストは拘束を引き千切ろうと盛大に暴れた。

 恐ろしい事に、完全詠唱したステラの魔法の鎖がギシギシ言ってる。

 徐々にヒビも入ってきてるし、長くは持たないだろう。

 両肩の脱臼など、当然のように回復済みである。


 なんとか大人しくさせようと、簀巻きになったレストの頭を叩きまくって震天を叩き込み続けたが、やはり流刃と併用できないただの震天では、絵面最悪な割に大して効果がない。

 だが、俺がそんな事をしてる間にも、ステラが次の魔法の詠唱を進めていた。


「神の御力の一端たる癒しの力よ。その聖なる力で不浄を洗い流し、清め、拭い去り、病魔に冒されし子羊に救済の手を伸ばしたまえ。━━『上位状態異常回復ハイ・アンチドーテ』!」


 リンが使っていた状態異常回復の魔法。

 それよりも必要魔力量も発動難易度も高い上位魔法が発動し、癒しの魔力が暴れるレストを包み込んだ。


「どうだ!?」

「ダメ! 全然効いてない!」


 しかし、効果はなし。

 それどころか、


「■■■■■■■■■■■!!!」


 レストは絶叫と共に腕に凄まじい力を込め、更に体内から衝撃波が発生させる勢いで魔力を噴出し、その合わせ技によって聖なる鎖を引き千切ってしまった。

 衝撃波によって、周辺一帯が吹き飛ぶ。

 俺達へ降り注ぐ余波は斬払いで防いだが、そこら中に倒れている兵士達までは手が回らない。

 兵士達が衝撃波に吹き飛ばされて宙を舞う。


 くそっ!

 さすがに、この状態のレストに対応しながら、兵士達の救出までするのはキツいぞ!

 レストの理性もなくなってる以上、無意識下の抵抗で殺人を避けてくれるって事も期待できないだろう。

 レストを救える可能性に賭けて、兵士達が犠牲になる可能性を容認するか。

 それとも……一人でも多くを救う為に、何よりレストの必死の抵抗を無駄にしない為に、ここでレストを殺してでも止めるか。

 俺達は今、究極の選択を迫られている。


 だが、━━俺達がその選択に答えを出す事はなかった。


 いや、できなかった。

 それよりも前に、この場における運命は決定づけられてしまったのだから。


「………………は?」


 その時、俺達の目に飛び込んできた光景は、獣王による蛮行と同じか、それ以上に衝撃的で驚愕に値するものだった。

 突如、レストの胸を、心臓を、手刀が貫通した。

 それを成したのは、獣王ではない。

 俺でも、ステラでも、ドッグさんでも、ブレイドでもない。

 この場でレストと対峙していた誰でもない。

 レストの胸を貫いたのは、他の誰でもない、


「コホッ……」


 レストの口から血が溢れる。

 それ以上の勢いで、腕を引き抜かれた胸の穴から、青黒い血が溢れ出す。

 まるで、魔族に汚された血の全てを、体の中から追い出すかのように。


「「レスト(くん)ッ!」」


 そのあまりの光景を前に、なんとか我に返った俺達は、即座にレストの元へと駆け出した。

 身体能力で勝るステラが一瞬でレストの側に移動し、崩れ落ちそうなその体を抱き止める。

 

「『上位治癒ハイ・ヒーリング』! 『上位治癒ハイ・ヒーリング』! 『上位治癒ハイ・ヒーリング』!」


 そして、泣きそうな声で治癒魔法をかけ続けた。

 詠唱する間も惜しいとばかりに、無詠唱の上位治癒魔法を連続で。

 俺も本当に微力ながら、初級の治癒魔法をレストにかける。

 詠唱も省けない我が身の未熟さが憎くて堪らない。

 それでも何度も治癒魔法を使った。

 俺もステラも、何度も何度も。


 なのに、レストの体は回復するどころか、徐々に灰のように崩れて消えていく。

 心臓は、恐らくレストを同種へと変じさせたであろう魔族の急所だ。

 人間にとっても当然、即死級の欠損。

 そんな致命傷のせいで、まずは蝙蝠のような大翼が灰になり、伸びた牙が砕け、鋭くなった爪ごと腕が消えていく様は、皮肉な事に、レストの体が人間に戻っていっているように見えなくもなかった。


「ステラさん……アランさん……」

「!?」

「お前、意識が!」


 ステラの腕の中で弱々しく言葉を発するレストからは、さっきまで完全消失していた理性を感じた。

 しかも、操られていた時の激情に駆られた様子でもなく、死の間際にあるというのに、酷く落ち着いた様子を見せている。

 魔族の血が抜けて、支配から脱却しかけてるのかもしれない。


「ごめん、なさい……。僕のせいで、凄い、迷惑を……」

「ホントよバカ! ちゃんと皆にごめんなさいするまで許さないんだから!」

「ステラの言う通りだ。お前には迷惑かけた全員に土下座して詫びる義務がある。それが終わるまで絶対死ぬんじゃねぇ」


 怒りに見せかけた「死ぬな」というメッセージに対して、レストは酷く儚い顔で笑った。

 申し訳なさそうな、それでいて自分の運命を受け入れているかのような、儚い笑み。

 それが何を意味しているのかわからない程、俺もステラも鈍くはない。


「ごめんなさい……。多分、それは無理です……。皆さんと、特に兄上には……本当にごめんなさいって言ってたって……伝えてもらえると助かります……」

「ダメ! 絶対ダメッ!」

「そうだ! 何勝手に諦めてやがる!」


 死にかけた時、最後の最後に生死を分けるのは精神力だ。

 諦めずにしぶとく生にしがみつけば助かる事もあるが、逆に諦めれば人は簡単に死の奈落に飲み込まれる。

 何度も何度も死にかけて、一回本当に死んだ俺が言うんだから間違いない。


「気をしっかり持て! 絶対に許さないぞ! ステラの心を盛大に抉って死ぬなんて絶対に許さん! そんな事になったら末代まで祟ってやる!」

「アハハ……。こんな時まで、ステラさん最優先ですか……。それでこそ、アランさんです……」


 こんな時に冗談言ってる場合か!?


「末代まで祟られるのは、嫌だなぁ……。

 でも、今回ばかりは本当にダメっぽいんです……。

 できれば、穏やかに送ってほしいんですけど……」

「何言ってるのよ!? 死なせない! 絶対死なせないんだから!」


 ステラがより多くの魔力を使って治癒魔法を使う。

 少しでも助けになるように、俺も拙い治癒魔法に全力を尽くした。

 それでも、レストの体の崩壊は止まらず、どんどん体が灰になっていく。


「なんで!? なんで治らないのよ!?」


 涙声でステラが叫ぶ。

 そんなステラの涙を、レストはヒビ割れた手で拭った。


「ステラさん、泣かないでください……。

 大丈夫ですよ……。実は今、死ぬっていうのに、そんなに怖くないんです……。そんなに悲しくないんです……。

 だって、僕は、魔族の操り人形としてじゃなくて……『レスト・バルキリアス』として死ねるから……」

「ッ!?」


 穏やかに目を細めて、レストは語った。

 遺言のように、その胸中を。


「嫉妬にまみれた人生でした……。

 お祖父様と比較されて、兄上と比較されて、二人に及ばない自分が嫌いで嫌いで……。

 でも、昨日、アランさんと剣を交えて……僕なんかより、よっぽど分厚い才能の壁をぶち抜いたアランさんの剣に触れて……僕も頑張ろうって、そう思えたんです……。

 前を、向けたんです……」


 そう語るレストの顔は、本当に穏やかだった。

 まさか、少しでも気分転換になればと思って交えた剣が、レストにそこまでの影響を与えてたとは。

 だが、そのせいで未練がなくなったみたいな感じで言われると、素直に喜ぶ気になんてなれない。

 

「結局、魔族に操られちゃいましたけど……でも、利用された僕の心の闇にも……アランさんは徹底的にぶっ叩いて喝を入れてくれた……。

 おかげで、最後の最後に抗えました……。あなたが、僕のライバルで良かった……」


 やめろ!?

 昨日はヘタレだなんだと、散々生意気にディスってきたくせに、そんな澄んだ目で見るな!

 涙出てくるだろうが!


「ステラさん……あなたと一緒に居られた日々は、楽しかったです……。

 兄上に追い付こうとして、ムキになって剣を振ってた僕を、気にかけてくれたのが嬉しかった……。

 お祖父様のシゴキに……弱音一つ吐かないで……いつも疲れ果てるまで頑張り続けてた姿が……すっごくカッコ良くて……ずっと憧れてました……」

「うっ……! うぅ……!」


 涙腺が決壊したのか、遂にステラは俯いて、幼子のように泣き出してしまった。

 そんなステラを、レストは困ったような目で見る。

 涙を拭おうとした手は、直前で灰となって崩れてしまった。


 そうして、終焉のカウントダウンが着々と進む中、この場に新たな来訪者が現れる。


「これは……!?」


 それは、実直な鎧に身を包んだ歴戦の老騎士。

 ルベルトさんだった。

 奇しくも、このタイミングで、この街に居るバルキリアスの一族が全員集結した。

 ブレイドは、多分痛みで気を失ってると思うが。


 ルベルトさんは俺達を見て即座に状況を理解したのか、すぐさまレストの元に駆け寄ってきた。


「レスト……!」

「お祖父様……。ごめんなさい……。最期まで、バルキリアスの名に泥を塗る、こんなダメな孫で……」

「……馬鹿者が」


 ルベルトさんは、今際の際に謝罪を口にする孫に対して、悲しげな顔を向けた。


「バルキリアスの名など、どうでもよかったのだ……!

 お前には、お前達には、加護持ちとしての使命を乗り越えて、魔王の時代を生き抜いて、幸せになってほしかった……!

 勇敢に戦って散ったお前達の両親の分まで……!」

「お祖父様……そんな、風に……」


 ルベルトさんの想いを聞いたレストは、驚いた顔をして、


「そっかぁ……僕、ちゃんと愛されてたんだ……」


 心底嬉しそうに笑った。

 こいつ、ルベルトさんに愛されてないとでも思ってやがったのか。

 そんな訳あるか。

 愛してない奴を、気にかけてない奴を、あんな鬼気迫る顔で叱る訳がない。

 わざわざ休日を潰してまで稽古をつけてやる訳がない。


「ありがとう、ございます……。僕は、幸せ者です……」


 その愛をようやく自覚して、レストは微笑む。

 涙を流しながら、それでも本当に幸せそうに。

 やり残した事が沢山あるだろうに。

 未練ばかりだろうに。

 それでも、この死に際に、レストは確かに救われていたのだと、そう確信できる顔で。


「ああ、そうだ……。これだけは、言っておかないと……。ステラさん……」

「……何?」


 死に行くレストの言葉を聞き逃すまいと、ステラは涙を無理矢理拭って優しい声を出した。

 そんなステラに、レストは人生最後の言葉を贈る。



「どうか、アランさんとお幸せに」



 その言葉を告げると同時に、曇天の空が僅かに裂けて、雲の切れ間から照らした日差しが、優しくレストを包み込んだ。

 光によって天に召されるかのように、レストの体が急速に灰になって消えていく。

 そうして、━━レスト・バルキリアスは、優しい光の中で、愛した女の腕の中で、魔族の操り人形ではなく一人の人間として、その短い生涯を終えた。


 レストは結局、最後まで自分の想いをステラに伝えなかった。

 それどころか、最後の言葉を俺達への祝福に使った。

 昨日俺に背を向けた時に放った形だけの言葉ではなく、命全部込めた心からの言葉として。

 自分の想いよりも、想い人の幸せを優先したのだ。

 ああ、まったく……


「馬鹿野郎が……!」


 そんな事されたら、祟るに祟れねぇだろうが。

 お前に言われずとも、ステラは必ず俺が幸せにする。

 だからって訳じゃないが……せめて安らかに眠れ、我が恋敵ライバル


 俺の頬を一筋の涙が伝った。

 ステラは号泣し、ルベルトさんは強く拳を握り締めて涙を堪えている。


 こうして俺達は、一人の未来の英雄を喪った。

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