54 悲劇の始まり

「「「!」」」


 部屋を出た時点で、外から微かに聞こえてくる不穏な音に全員が気づいた。

 さすが聖戦士と言うべきか、それだけで即座に全員の意識が戦闘モードに切り替わる。

 そして、俺達は屋敷の窓から飛び降り、即行で敷地の外を目指した。


「なんだこりゃ……!?」


 屋敷から出た時、外に広がっていた光景は、一言で言えば混沌だった。

 魔物が出た訳でも、魔族が出た訳でもない。

 なのに、街の中では争いが起きている。

 曇天の空の下、争っているのは、人同士だ。

 いや、これを人同士の争いと言っていいのかは激しく疑問なんだが。

 何せ、二派に別れて戦っている人々の内、片方は目を血走らせ、口からヨダレをダラダラと垂らし、悲鳴のような叫びを上げながら、どう見ても正気を失った様子で他の人々に襲いかかっているのだから。


 暴れる人達の攻撃手段は組み付きと噛みつき。

 相手に掴みかかって動きを封じ、噛みついて攻撃するという、原始人以下の知性の欠片もない戦法。

 だが、そうやって噛みつかれた人はどんどん正気を失い、最終的に人を襲う側の存在と化してしまっている。

 そういう事ができる魔族の存在は聞いた事があった。

 直接戦った事はないが、かなり有名で凶悪な種族として、英雄譚などで度々語られる存在。

 この街は今、その魔族による攻撃を受けていると考えるのが妥当か。

 よく見れば、暴れる人達の中には、デートの時に気さくに接してくれた八百屋のおっさんもいた。

 それどころか、俺達が到着する直前に、正気だった人達は全員噛まれて狂気に染まってしまう。

 くそっ!

 老婆魔族並みに人を弄ぶような真似しやがって!


「エルネスタ様! リンくん!」

「わかっとる! 『電磁網エレキネット』!」


 俺が考察している間にルベルトさんの指示が飛び、エル婆が地面に杖を突き立てて無詠唱の魔法を放つ。

 放たれたのは、地面を這うような雷の網。

 寸分の狂いもなく狙った範囲内にだけ電撃を起こし、暴れる人達の動きだけを止めた。


「『状態異常回復アンチドーテ』!」


 続いて、リンが周辺一帯に状態異常回復の魔法を使う。

 癒しの魔力が周囲を包み込み、それを浴びた人々が次々に意識を失って倒れていく。


「どうだね?」

「……一応は沈静化できたと思います。完全に治しきれてはいないでしょうけど、もう暴れる事はない筈です」


 ルベルトさんの問いにリンが答えた。

 確かに、倒れた人達の寝顔からは、さっきまでの狂気が消えている。

 苦しそうに呻いてはいるが、それもせいぜい嫌な夢でも見てるのかと思える程度の苦しみ方だ。

 一安心と言いたいところだが、これで終わりではない。

 人々の悲鳴は、未だに街のあちこちから聞こえてきている。


「……こんな状態になるまで気づかんとは一生の不覚じゃな。密談の為に隔離された部屋に入り『遮音結界』まで張ってしまったのが運の尽きか。暴れておるのが非力な一般人故に、派手な破壊音がしなかったのも原因の一つ。まさか、こんな狙い撃ちのような事をされるとはのう」

「冷静に言ってる場合じゃねぇだろ!? 早くなんとかしねぇと!」

「ブレイドの言う通りよ!」

「脳筋の言う事が一番正しいなんて世も末だな」

「この状況で喧嘩売ってんのか!?」


 ちっ、どうやら俺も結構混乱してるらしい。

 うっかり、思った事がそのまま口から出てしまった。

 感情の制御が不完全な証拠だ。

 落ち着け。

 経験上、こういう時こそ落ち着かないと死ぬ。

 心が怒りで燃えても、頭は冷やせ。


「兵達は何をやっている!? ……いや、むしろ兵達から先に狙われたという可能性が高いか。兵達が的確に対処できていれば、この短時間でここまで被害が広がるような事はあり得ない筈。情報が欲しいが、そうも言っていられんな」


 ルベルトさんが独りごちた直後、前方の通路からまた狂気に染まった集団が現れる。

 いったい、どれだけ被害が拡大してるというのか。

 とりあえず、今は目の前の脅威を退ける事だけに集中するしかない。


 そう思って戦闘態勢に入ろうとしたが、俺達が何かをする前に、狂気に染まった人々は鎮圧された。

 かなり強引に、飛翔する打撃で足を粉砕される事によって。

 荒っぽいが、殺さず効率的に無力化させようとするなら有効な手段だ。

 そして、それを成した人物が俺達の前に現れる。


「ルベルト様ッ!」

「ドッグか!?」


 その人は、この街を守る加護持ちの英雄、ドッグさんだった。

 しかし、その姿は無事とは言い難い。

 なんだかんだで、この人は強い筈だ。

 前に剣を合わせた感触からして、そんじょそこらの魔族に遅れを取るとは思えない。

 なのに、そんなドッグさんが今や、割とボロボロの状態になっていた。

 加護持ちの英雄をこんなにできる奴が攻めてきている。

 しかも、いくら密室に閉じ籠ってたとはいえ、俺達に気づかせない程に静かで迅速に。

 嫌でも事態の深刻さを理解させられる。

 最悪四天王レベルの敵であると判断し、俺はいつものように、感覚を極限まで研ぎ澄ました。


「『治癒ヒーリング』!」

「ドッグ、何があった!?」

「そ、それが……」


 リンが咄嗟に回復魔法をかけ、ルベルトさんが問い詰めたが、ドッグさんの言葉はそこで中断された。

 ドッグさんに向けて、強烈な飛翔する斬撃が飛んできた事によって。


「ッ!」


 それに一番早く対応できたのは、徹底的に先読みの技術を鍛えてきた俺。

 飛んできた斬撃を、木刀による歪曲で受け流す。

 しかし、俺はその斬撃に木刀を合わせた瞬間、絶句した。

 その斬撃から、覚えのある感覚がしたからだ。

 それはあり得ない事に、つい昨日、心行くまで剣を交えた相手の攻撃と酷似していた。

 あの時とは威力が違う。

 伝わってくる感情も違う。

 だが、確かに、この攻撃は……


「完璧に受け流された……。何度見ても凄い技ですね」


 俺の直感を確信に変えるかのように、今の斬撃を放った下手人が姿を現す。

 建物の上からこちらを睥睨するのは、知っている顔。

 俺にとっては、数日前に知り合った未来の英雄にして、恋敵。

 仲間達にとっては、もっと前から見知った弟分。

 それが、変わり果てた姿で俺達の前に現れた。


「レスト、くん……?」


 ステラがポツリと、信じられないとばかりの驚愕と絶望の声を漏らす。

 俺も内心は似たようなもんだ。

 その反応も仕方がないと思える程に、レストの雰囲気は一変していた。

 髪は色素が抜けたように真っ白に染まり、瞳は血のような赤に染まっている。

 だが、そんな外見の変化がオマケに思える程に変わっているのが、その気配だ。

 禍々しい、一目見ただけで、こいつは敵なんだと本能が全力で訴えてくるような、おぞましい気配。

 人類の敵である、魔族の気配。

 今のレストからは、そんなあり得ない気配が放たれていた。


「どうして……!?」


 そんなステラの悲壮な声にもレストは答えず、ただ無言で剣を指揮棒のように振り上げた。

 それに従うように、四方から狂気に染まった人々が現れる。

 その光景は、レストこそがこの襲撃の犯人なのだと、雄弁に物語っていた。

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