52 剣を交えて

「え……?」

「お前が何をどれだけ思い悩んでるのかは知らないが、体を動かせば少しは気分転換になるだろ」


 言うが早いか、俺は走って間合いを詰め、レストに向けて木刀による突きを叩き込んだ。

 暴風の足鎧の力は使わない。

 これは、あくまでも鍛練の一環だからな。

 あと、俺はよく知らない相手と手っ取り早くわかり合う方法なんて、肉体言語以外に思いつかない。


「!」


 俺が容赦なく顔面に向けて放った突きを、レストは困惑しながらも簡単に首を傾けて避けた。

 いい反応だ。

 やはり、加護持ち相手に何の捻りもない通常攻撃は通じないか。


 そのまま、レストは俺の胴を薙ぐように反撃の剣を振るってきた。

 それに対して、俺はレストの動きを先読みする事で、反撃よりも先に、元々大して力を入れていなかった突きを中断。

 滑るように木刀を体の前に移動させ、柄の部分でレストの反撃を防ぐ。

 しかし、体格では年上の俺の方が勝るが、実際の膂力では加護を持つレストの方が遥かに上。

 当然、ガードしただけで受け止められる筈もなく、俺の体は後ろへと吹っ飛ばされそうになる。


 だが、力で勝る奴を相手にするのは俺の十八番おはこだ。

 俺は敵の力を利用する技『流刃』の足捌きによって、吹き飛ばされる時の勢いを自分の力に変換。

 左に回転して胴打ちの威力を受け流し、そのままの勢いで回転斬りをレストの首筋に叩き込む。


「ッ!」

「やるな」


 レストは、振り抜いた木剣を素早く引き戻し、それを斜めに構えて俺の攻撃をしっかりと防いでみせた。

 木刀と木剣が交差する。

 俺はつばぜり合いに持ち込む事なく、攻撃を受け止められた反動を使って後ろに跳んで距離を取った。

 追撃はない。

 その代わりに、レストは木剣を構えたまま口を開く。


「……いきなり斬りかかってきて、どういうつもりですか?」


 猜疑的な声。

 まあ、当然の反応か。

 しかし、どういうつもりと聞かれても、俺の考えてる事なんて単純極まりないぞ。


「別にどうもこうもない。最初に言った通り気分転換になればと思っただけだ。それに、剣を交えれば相手の事が少しはわかる」


 俺達は昨日会ったばかりの関係。

 俺はまだ、レストの事を殆ど何も知らない。

 だが、こいつはブレイドやルベルトさんの身内であり、ステラ達からも可愛がられている弟分だ。

 俺にとっても赤の他人って訳じゃない。

 そんな奴があんな苦しそうな顔をしてたら、例え恋敵とはいえ、何かしらしてやりたくなるのが人情だろう。

 だったら、まず何をするにしても、レストの事を知らなくては始まらない。

 その知る為の手段が剣を交える事だ。

 脳筋と言いたければ言うがいい。

 どうせ俺は、人生の殆どを修行に費やしてきた脳筋勢だ。

 そして、そんな脳筋勢として言わせてもらえば、


「いい動きだった。俺なんぞより、余程才能に溢れてる」


 基本に忠実で綺麗な動き。

 それでいて、予想外の攻撃にもしっかりと対応できる柔軟さも持ち合わせている。

 膂力や剣速は言わずもがな。

 加護持ちの名に恥じない力強さだった。

 総評してレスト・バルキリアスという剣士は、生まれ持った才能を努力によって正しく伸ばしてきた、正道の剣士と言えるだろう。

 未熟な印象も受けるが、それは年と共に実戦経験を積んでいけば、自ずと解消される。

 レストは、正しく未来の英雄だ。


「だが、剣技の所々に基本から微妙に外れて力の入りすぎている部分や、勇み足になりすぎている部分があった。

 未熟さ故に無駄な力が入ってるのかと思ったが、違う」


 突きを避けて、反撃の胴打ちを繰り出してきた時。

 それを俺に利用されて、そこから立て直そうとした時。

 レストの剣には、少しでも速く剣を動かそうとした結果の無駄な力が入っていた。

 それは、ほんの僅かな剣の揺らぎ。

 だが、繊細さを何よりの売りとした剣を使う俺にはわかった。

 ついでに、似たような失敗をした事があるからこそ、気づいた事がある。


「これは、格上を倒そうとして試行錯誤した跡だな?」

「ッ!?」


 図星だったのか、レストは息を飲み、目を見開いて驚愕していた。

 やっぱりか。

 そう思うと同時に、前の世界での失敗の記憶が脳裏に蘇る。


 あれは、俺がまだ最強殺しの剣に出会う前。

 ステラの仇を討つと誓って村を飛び出し、本格的な地獄の修行を始めたばかりの頃の事だ。

 当時、俺は鍛えて鍛えて鍛えて、誰よりも強い存在になろうとしていた。

 少しでも強く剣を振り。

 少しでも速く剣を振る。

 その果てに最強の剣士となって仇を討つんだと、本気で思っていた。


 だが、それはあまりにも無謀すぎる挑戦。

 俺の体は弱すぎた。

 力も速さも何もかも。

 魔族や英雄達とは、才能どころか生物としての格からして違っていたのだ。

 憎悪に染まった頭では、そんな当たり前の事実を飲み下すのにも結構時間がかかったんだが、それは置いておこう。


 とにかく、そんな経験があるからこそ、俺はレストの剣が何を目指して研鑽されたものなのかがわかる。

 レストは、自分よりも強くて速い奴を倒そうと努力したのだ。

 それも剣の馴染み具合からして、昨日今日始めた事じゃない。

 加えて、魔族に挑んだという無謀な行動に、複雑な家庭環境。

 そこまでくれば、レストが何を思って苦しんでいたのか、その一端が見えてくるような気がした。


「お前が誰を目指していたのかは聞かない。

 だが、才能の差を覆した先人としてアドバイスしておこう。

 必要なのは、どうすれば自分の力で相手に勝てるのか、どうすればその為の力を手にする事ができるのか、その方法を考え、探し続ける事だ。

 自分に必要なものを学び、喰らい、編み出し、力に変えろ。

 そうやって諦めずに死ぬ気で努力していれば、必ず強くなれる」

「……本当ですか?」

「当たり前だ。そうやって才能の差を覆してきた前例が目の前にいるんだからな。

 最終的に、強くなる為に一番必要になってくるのは、たった一つ……」


 そこで言葉を区切り、次の一言に伝えるべき強い意志を込めて、口に出した。


「『折れるな』」

「!」

「諦めるな。歩みを止めるな。

 自分が何の為に強くなりたいのかを明確に思い描いて、そこに向かって突き進め。

 それが強くなるという事だ」


 俺から言えるのはこれだけだ。

 このアドバイスがレストの役に立つのかはわからないし、そもそもレストの悩みは全く別の事で、俺の言った事は完全的外れかもしれない。

 それでも、言うべき事は言った。

 それを聞いてどうするかはレスト次第だ。


 聞き終えた後、レストは少しだけ憑き物が落ちたような顔をしていた。


「少しは役に立ったか?」

「……はい。ありがとうございます」

「そうか」


 レストは、ほんの少しだけ微笑んでいた。

 その顔を見て思う。

 こいつは将来、立派な英雄になるだろうと。


「まあ、頑張れ。お前なら俺とは別の強くなる道を見つけられそうだ」

「ええ。そしていつか、ステラさんを振り向かせられる立派な男になります」

「それは困るな。なら、俺はあいつが首ったけになるような最高にカッコ良い男になって、お前なんぞが追いつけないようにしてやる」

「あんなに好かれてるくせに告白もできないヘタレが何言ってるんですか」

「ぐっ! 言うじゃねぇか……! その喧嘩買った! かかって来い!」

「望むところです!」


 そうして、俺達は再び剣を交えた。

 レストの剣から迷いが消え、まずは俺を倒す為の試行錯誤を始めたらしい。

 やれるもんならやってみろ。

 一朝一夕で抜かれるような、柔な鍛え方はしてないんだよ!


「お待たせ~。って、二人とも随分仲良くなったわね」


 その後すぐに戻ってきたステラが、そんな事を宣った。

 仲良くなった訳じゃない。

 これは男と男の勝負だ。

 好きな女に相応しいのは俺だという想いをぶつけ合う、熱い戦いなのだ!


 しかし、そんな事は知らない罪な女ステラが普通に乱入したせいで、男と男の勝負はいつも通りの修行へと姿を変え。

 結局、俺達は日が沈むまで剣を振り続けた。






 ◆◆◆






「凄い人だったな……」


 二人と別れ、現在寝泊まりしている兵舎への道を歩きながら、レストは今日初めてまともに話したアランの事を思い出す。

 なんというか、もう、ただただひたすらに凄い人だった。

 交えた剣から伝わってきたのは、尋常ならざる努力の跡だ。

 前にあっさりと叩きのめされた時には気づかなかったが、攻略法を探りながらじっくりと相手をすれば、アランの剣の本質が見えてくる。

 彼の剣は弱くて遅い。

 それこそ、身体能力だけで真っ向勝負すれば、百万回やってもレストの全勝だろう。


 だが、そんな力の無さを補うように、アランの剣はどこまでも繊細なのだ。

 決して抗えない筈の力の差を技術で埋めている。

 こちらの攻撃は、まるでつるつるに磨いた床の上を滑るかのように受け流され、かと思えばこっちの力を跳ね返すようにして強力な攻撃を繰り出してくる。

 力の入れ方、刀を構える位置、仕掛けるタイミング、その他あらゆる要素を少しでも間違えれば、あの奇跡のような剣術は実現しえない。

 そんな加護持ちどころか聖戦士や勇者ですら霞む完成度の高すぎる剣技は、ただひたすらの努力の上に成り立っていた。


 剣を交えていればわかる。

 アランの剣技にあった、おびただしい程の修正と工夫の跡。

 彼の積み上げてきたものの大きさを肌で感じ取り、その大きさに圧倒された。

 加護持ち、聖戦士、勇者、魔族。

 それら初めから高みに居る者達に追いつく為に、遥か下から一歩一歩階段を登ってきた。

 否、そんな生易しいものではない。

 登っていけば確実に強くなれる階段など、アランの前には無かったのだ。

 あれは、無い階段を一段一段自分の手で造り上げ、それを積み上げて奈落の底から天に昇るかのような偉業だ。


 そんな常軌を逸した努力の跡を見せつけられれば、嫉妬の感情なんて萎んでいく。

 納得してしまったからだ。

 認めてしまったからだ。


 この人が自分より上に居る事は、至極当然の事であると。


 真の天才である聖戦士。

 初めから自分では到達できないと思わされた高みに生まれ落ちた者達。

 彼らに対する妬みと同じ感情をアランに向ける事など、もうできない。

 聖戦士が自分の上に居る事は納得できなかった。

 理不尽な生まれついての格差など、納得できる筈がなかった。

 彼らと比べられて育ったレストなら尚の事だ。

 聖戦士の加護さえあれば自分だってと思わずにはいられなかった。


 しかし、アランは違う。

 上に居るのに相応しいと納得させるだけのものを積み上げている。

 最低でも、彼が積み上げたのと同じだけの努力を積み重ねなければ、彼を妬む資格すらないだろう。


「頑張ろう」


 人を妬むだけで何も前に進めなかった日々は、もう終わりにしよう。

 才能の差を努力で覆した先人はアドバイスをくれた。


『折れるな』


 諦めるな。

 歩みを止めるな。

 自分が何の為に強くなりたいのかを明確に思い描いて、そこに向かって突き進め。

 アランはそう言った。


 レストが強さを求めた動機は、嫉妬からだった。

 聖戦士と比べられ、出来損ないと言われるのが悔しい。

 その事実を覆せない事が悲しい。

 真の天才が妬ましい。

 己の無力が憎い。


 だから、強くなりたい。

 無力な自分を変えたい。

 自分で自分を誇れるような、強い男になりたい。

 一度は諦めてしまったけれど、そんな理想の自分になる事を、もう一度だけ目指してみよう。

 その方法は教えてもらった。

 どうすれば自分の力で相手に勝てるのか、どうすればその為の力を手にする事ができるのか、その方法を考え、探し続け、自分に必要なものを学び、喰らい、編み出し、力に変える。

 言うは易し、行うは難しだ。

 そう簡単に格差がひっくり返ったら苦労はない。

 だが、それで実際に強くなった奴がいる。

 なら、自分にできない道理はない。


「まずは、あの受け流しの技を貰いますよ。あれは格上相手に確実に通用してる技だ」


 そうして、未来の英雄レストは前を向いた。

 自分にできる事を試行錯誤し、強くなる為の道を一歩踏み出した。

 その道の果てに、あわよくば、あの尊敬すべき恋愛面ヘタレ野郎から、好きな人を奪ってしまおうとか考えながら。

 今はまだ、剣士としても恋敵としても足下にも及ばない。

 でも、きっといつか追いついてみせる。

 その時はせいぜい、敵に塩を送った事を後悔して「ぐぬぬ」と歯ぎしりするといい。

 だから……


『お前には無理だ。お前には何もできない』

「出て、くるな……!」


 レストは己の内から強制的に湧き上がってくる黒い感情を、意志の力で押し込めた。

 しかし、押し込めても押し込めても、黒い感情は不快な声と共に心を蝕もうとする。


『お前は劣る者だ。奴は特別なのだ。いくら努力しても、お前では奴には届かない』

「黙れ……!」

『お前の努力に価値などない。無駄だ、無駄だ、無駄なのだ。諦めて我が血を受け入れろ。さすれば、お前は……』

「黙れぇ!」


 頭を振って、黒い感情を振り払う。

 これは呪いだ。

 勇者の出立式でアランに惨敗した後、自暴自棄になって、自分だって少しは強いんだと、今までの努力は無駄なんかじゃないんだと証明したくて、無策で魔族に挑んでしまった時、その浅慮を天に罰せられたかのように打ち込まれた、青黒い血の呪い。

 それが日々、レストの心を蝕んでいた。

 誰かに相談する事すら禁じられ、一人で抗い続けるしかなかった。


 だが今日、自分は変わった。

 もう一度前を向いたのだ。

 呪いなんて振り払ってやる。

 その気概が、精神力が、今のレストには確かにあった。


 しかし、それを嘲笑うかのように、薄汚い蝙蝠は次の一手を打ち込む。


『……そろそろ落ちるかと思っていましたが、予想外にしぶといですね。やはり神の加護が邪魔だ』


 急に声の質が変わった。

 今までの作業的に心を折ろうとしていた感じではなく、明らかな苛立っている感情的な声に。


『これ以上時間をかければ、勇者が遠くに行ってしまうかもしれません。結局、こちらの準備も間に合いませんでしたが……致し方ない。少々強引に事を進めるとしましょう』

「あがっ!?」


 声がそんな事を言った瞬間、唐突にレストの全身を激痛が襲った。

 同時に、何かに精神を乗っ取られていくような感覚がする。

 いや、何かじゃない。

 これは、覚えのある感情・・だった。


(苦しい、悲しい、妬ましい、恨めしい、なんで僕は、弱いのは嫌だ、聖戦士の加護さえあれば、お爺様より強く、ステラさんに相応しい男に、あんな兄がなんで僕より強い、ふざけるな、許せない、なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……)


 それは、今まで心の底に封じ込めていた負の感情達だった。

 言わば、泣き叫んでいたもう一人の自分だ。

 そのもう一人の自分が、何か得体の知れないものと混ざり、今の自分を塗り潰して、体の支配権を奪おうとしていた。


「何、これ……!?」

『本当なら、自分の意志で落ちてくれた方が、より従順な眷属にできたんですがね。

 まあ仕方ありません。せいぜい盛大に大暴れしてくれる事を祈っておきましょう』

「あ、あぁああああああああああああ!!?」


 レストという一人の少年が、悪意によって歪められていく。

 苦しみを乗り越えようとした意志も。

 前に踏み出そうとした覚悟も。

 泣き叫び続けた心の闇すらも利用され、踏みにじられて。

 未来の英雄は、魔族の駒へと変じていく。


『さあ、ショータイムの始まりです。本命前の余興を存分に楽しんでくださいね、勇者』


 遠く離れた魔王の城で、魔族が嗤う。

 魔王軍との戦いの最前線に最も近いこの街で、悲劇が巻き起ころうとしていた。

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