閑話 策謀と渇望

「ふっ、ドラグバーンが死にましたか。あれだけ粋がっていたくせに、大した被害も与えられずに死ぬとは、実に情けないですねぇ」


 魔王城の一室で、一人の男が嘲笑を浮かべた。

 使い魔を通して勇者達とドラグバーンの戦いの一部始終を見ていた『水』の四天王は、死した同僚を嘲笑う。

 ドラグバーンの力の限りを尽くした奮闘も、闘争に生きた生涯に満足して逝ったその見事な死に様も、そんなものに意味などないと、彼は同僚の全てを否定して嘲る。


「しかし、勇者が現れたという情報を私に遺して死んだ事だけは褒めてあげましょう。脳筋蜥蜴にしては上出来な置き土産です」


 目障りだった奴が大した戦果も上げられずに死んだ事といい、彼にとって今回の戦いは朗報の山であった。

 上機嫌に鼻唄を歌いながら彼は思う。

 この情報を基に自分が、この『水』の四天王こそが勇者を殺すという輝かしい未来を。

 勇者の打倒のみを考えるならば、今すぐ魔王や残りの四天王二人と情報を共有し、一大戦力を以て勇者を奇襲するのが得策だろう。

 だが、それでは意味がない。

 何故なら、それでは大した手柄にならないからだ。

 彼には野望がある。

 勇者との戦いで多大な功績を上げ、己こそが四天王の頂点に立ち、魔王軍のナンバー2に上り詰めるという野望が。


 彼は、四天王の中では一番の新入りだ。

 それ故に、四天王の中では一番軽んじられている。

 だからこそ、家出したドラグバーンの捜索などという雑務を振られたのだ。


 許せなかった。

 魔族の中で最も高貴な血統を持つ自分が軽んじられるなど。

 一番の新入りというのも、裏を返せば最後まで魔王の支配に抗ったという事だ。

 そんな名誉の奮闘を考慮されず、今の立場に甘んじるしかない現状には不満しかない。


 必ずや勇者殺しの功績を手に入れ、それを使って残りの四天王を追い抜いてやると彼は誓う。

 百歩譲って、あの何も考えていないバカはどうでもいいとして、現在四天王の頂点に立っている最古参の魔王の忠臣。

 奴だけは何がなんでも追い越し、可能であればその地位から引き摺り落としてやると、『水』の四天王は野望と欲望に満ちた暗い笑みを浮かべた。


「幸いな事に勇者の一行にはを打ち込めた。忌々しい神の加護に邪魔されて大した干渉はできないとはいえ、今はそれで充分です」


 あの上位竜どものように落とすのなら、時間をかけてじっくりとやればいい。

 そうでなくとも、楔を打ち込んだ以上、それだけで得られる情報もある。

 情報は武器だ。

 頭を使う事こそが魔族最大の武器だ。

 何故なら、それこそがあの荒廃した魔界という世界で、魔物ではなく魔族こそが世界の覇者となれた理由なのだから。


「さてと、奴らの位置は……チッ、やはり加護による妨害が酷いですね。今は辛うじて追えますが、常時居場所を把握しておく事はさすがに無理ですか」


 まあ、そこまでの高望みはするまい。

 こうして一時的にでも勇者達の居場所を把握し、移動先に目星がつけられるだけでも値千金の情報なのだから。


「おや? おやおや、この方向は」


 勇者達の次の目標地に大体の目星をつけた『水』の四天王は、そこに待ち受けているだろう展開を予想して、ニヤァと嫌らしく笑う。

 彼が思い描いた展開が訪れるという保証はない。

 むしろ、確率としてはそう高くもないだろう。

 だが、全てが上手くいった場合、もしかするともしかするかもしれない。


「もしも、そうなったら……には褒美の一つでもくれてやりましょうかねぇ」


 『水』の四天王は更に口角を吊り上げていく。

 運が己に向いてきている事を感じながら、上機嫌で策を練り始めた。

 勇者を殺す為の策略を。

 そして、その先に待つ輝かしい未来を夢見て。

 野望に囚われる魔族は嗤った。






 ◆◆◆






 時は少し遡り。

 勇者と無才の英雄が仲間達と共に死力を尽くして、蒼い炎の竜と化した四天王と戦っていた頃。

 一人の男が、激痛の中で暗い感情に囚われていた。


 彼は判断を誤った。

 敵は死にかけだと油断して不用意に飛び掛かり、結果、敵が隠していた凄まじい力で反撃を受けて、このザマだ。

 咄嗟に盾に使った大剣は砕け、鎧も粉砕され、攻撃を受けた部分の骨もまた粉々に砕け散っている。

 内臓にも、かなりのダメージを負っているだろう。

 即死こそギリギリ避けられたが、放置すれば聖戦士である自分の生命力でも、一時間も持たずに死ぬだろう重傷。

 すぐに治癒術師が駆けつけてくれたとしても、戦線復帰は絶望的だ。

 それ以前に、痛い。

 とてつもなく痛い。

 今までの人生で経験した事のないレベルの激痛が、凄まじい勢いで彼の精神を蝕んでいく。


 彼はこれまでの人生で、一度としてこんな窮地に陥った事がない。

 彼の人生は順風満帆だった。

 かつて先代魔王を討伐した勇者パーティーの一員であり、当時は最強の聖戦士の一人とまで呼ばれた偉大な人物を祖父に持ち。

 その血を最も濃く受け継いで、祖父と同じ『剣聖の加護』を持って生まれた。

 周囲からは期待され、その期待に応えるように剣の天才として成長してきた。

 同世代では当然のように敵なし。

 常に大人の英雄達との訓練に交ざり、彼らを踏み台にして、恐ろしい速度で成長してきた自覚がある。


 勝てない相手はいなかった。

 まだ未熟だった頃に、訓練で英雄達に負かされた事こそあれど、少し成長すれば簡単にリベンジができた。

 戦場に出れば、どれだけ強い魔物でも、どんなに凶悪な魔族でも容易く打倒し、殆ど無傷で帰って来る。

 しまいには、子供の頃に一番負けた相手である偉大な祖父すらも超えた。

 祖父は老いて衰えていたが、それでも、かつて最強の聖戦士と呼ばれた相手を超えたのだ。

 彼は調子に乗った。


 その後、当代の勇者である少女と出会い、共に訓練した時に行った試合で勝ってしまったのも、彼の慢心を助長してしまったのだろう。

 当時の勇者はまだ10歳であり、むしろ、勝てない方が大問題なのだが、それでも『勇者に勝った事がある』という事実は消えず、その優越感が彼の目を曇らせてしまった。

 後に勇者は成長期を迎え、好きな男の子との幸せな未来を勝ち取る為にという、明確な目標と絶大な意欲によって修行を積む事で急速成長し、才能に溺れた愚かな剣聖など歯牙にもかけない程の強さへと至ったのだが。

 彼の中からはどうしても弱かった頃の彼女のイメージが消えず、年下という事もあり、無意識の内に彼女を下に見てしまっていた。


 祖父を倒した無才の英雄が目の前に現れても、彼の意識は変わらない。

 自分だって祖父を倒した。

 確かに、加護を持たない身でそれだけの強さを得た事は驚愕に値するが、本気で戦えば自分の方が強いと思っていた。

 エルフの里への道中で、一度でも彼と本気の勝負をしていれば、その慢心も打ち砕かれたかもしれないが……今更語っても詮無き事だ。


 結局、彼はその慢心を正せないままに四天王と戦い、ものの見事に無様を晒した。

 激痛のせいもあり、彼は生まれて初めて命の危険を感じ、本物の恐怖を知った。

 恐怖に侵された心は、この痛みを彼に与えた四天王を、撃破不能の怪物として認識し始める。

 勝てない相手はいないと思っていた慢心は恐怖によって塗り潰され、あの怪物に勝つ為のイメージの一切を彼から奪った。


 なのに、勇者と無才の英雄は、彼が無意識の内に下に見ていた二人は、そんな化け物相手に一歩も引かず、互角の戦いを繰り広げている。

 自分が絶対に勝てないと思った化け物を相手にだ。

 今まで彼の自信の拠り所となっていたものの悉くが木っ端微塵になっていく。

 彼は今、生まれて初めての挫折を経験したのだ。

 多くの人々が当たり前に経験し、そのまま折れるか、立ち上がって再び挑むかを選ばされる、人生の命題の一つ。

 恐怖を振り払って立ち上がり、再び挑んで乗り越える事でしか前に進めない、厳しい試練。

 しかし、折れるにせよ、挑むにせよ、大きく心が揺らいでしまうのが挫折というものである。


 痛みが限界に達し、彼は気を失う。

 目覚めた時には、この大いなる試練と向き合わなくてはならない。

 その筈だった。


 だが、人はいつも万全の態勢で己の心と向き合える訳ではない。

 悩む時間がない時もある。

 状況が、選択の余地すら与えてくれない事もある。

 そして……悪意ある何者かが、その心の隙につけ込んでくる事もある。


「おやおや。これは面白いですねぇ」


 気絶した彼の前に現れたのは、一匹の蝙蝠。

 悪辣なる『水』の四天王の使い魔。


「ふむ。誰かが近づいてくる気配がしますね。大方、治癒術師か何かでしょう。であれば時間はない。手早く済ませるとしましょう」


 そうして、蝙蝠は彼の首筋に噛みつき、その体の中に何かを注入した。

 つい先刻、愛に生きた竜達を狂わせた物と同じ何かを。


「くっくっく、なんとも思わぬ収穫でした。中々に運が向いてきましたねぇ」


 そんな嗤い声を残し、蝙蝠は去って行った。

 直後、エルフの回復部隊が彼の元に到着し、彼はなんとか一命を取り留める。

 その後、戦いが終わった後で仲間の聖女による治療も施され、体の方は数日で全快したのだった。

 そう。

 体の方だけは。



 目が覚めた時には全てが終わっていた。

 あの化け物は勇者と無才の英雄の活躍によって討伐され、彼の心は折れたまま。

 そんな彼は頭の中に、声が響く。


『力を求めろ。強さを求めろ』


「ああ、そうだ。もっと強くならねぇと」


 それを己の心の声と勘違いし、彼はその日から真面目に訓練に励むようになった。

 予備の大剣で素振りをし、それを見たエルフ達から神樹の大剣を贈られ、それを使って次の目的地への道すがら、仲間達との試合稽古を繰り返す。

 案の定、彼は勇者にも無才の英雄にも勝てず、己の未熟さを痛感させられた。

 だが、剣を振るう度に確実に強くなっているのを感じる。

 今まで怠けていた分の成長を取り戻すかのように、彼の技術は日に日に進歩していった。

 元々、彼は才能の塊だ。

 努力さえすれば、その力は確実に増していくのである。


 しかし、どれだけ真面目に訓練に励んでも、頭の中の声は消えない。


『力を求めろ。強さを求めろ』


 それはまるで強迫観念のように、彼に吐き気を催す程の焦燥と、強さへのどうしようもない渇望を抱かせる。

 気を抜けば、強くなる事以外何も考えられなくなりそうな程の渇望。

 その感覚を必死で堪えながら彼は……『剣聖』ブレイド・バルキリアスは、今日も剣を振るう。

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