第三章

46 新たなる出会い

 その剣士は、自分の事が嫌いだった。

 誰もが認める剣の名家に生まれ、彼自身にも『剣の加護』という類い稀な才能があった事は間違いない。

 しかし、彼よりももっと才能に恵まれ、真に神に選ばれた本物の天才からすれば、その程度の才能は霞んでしまう。


 そんな特別な存在が、彼の近くにはいつも居た。

 彼は、いつもいつも真の天才と比較されて育ってきた。

 心無い者達に、劣っている出来損ないと影口を叩かれながら。

 反論したかったが、事実、彼はどうやっても真の天才には勝てない。

 どれだけガムシャラに努力しても届かない。

 足掻いても、頑張っても、どれだけ必死に手を伸ばしても、足下にすら及ばない。

 悔しかった。

 悲しかった。

 真の天才が妬ましかった。

 そして何よりも、己の無力が憎かった。


 そんな彼はある時、一人の女性に恋をする。

 しかし、その人は自分とはとても釣り合わない高嶺の花。

 彼女は誰よりも神に愛されている。

 そんな彼女と釣り合うのは、それこそ彼がずっと嫉妬してきた真の天才くらいだろう。


 なのに、彼女は彼よりもずっと劣る無才の幼馴染が好きだと知って。

 しかも、そいつは加護すら持っていない凡人なのに、出立の式典に乱入してきて、迎撃に当たった彼を完膚なきまでに叩きのめした。

 それどころか、そいつは彼が嫉妬の果てに届く事を諦めて、ただ歯を食い縛りながら見上げる事しかできなかった真の天才すらも超えて、彼女の隣に並んでみせたのだ。

 彼がどんなに頑張っても、頑張っても、頑張っても越えられなかった才能の壁を、そいつは彼よりも下の領域から一気に全てぶち抜いて行った。


 その時の彼の心境は筆舌に尽くしがたい。

 ただ、一つだけ確実に言える事があるとすれば、彼はそいつに嫉妬したのだ。

 自分にできなかった事を成し遂げたそいつに。

 自分の好きな女性の隣を勝ち取ってみせたそいつに。

 今まで真の天才を相手に抱いていたのと同じ感情を、自分より劣っていた筈の奴に対して抱いた。


 自分でももうどうにもならない燃え盛る嫉妬の炎に身を焼かれ、彼の心は醜く歪んでいく。

 心がぐちゃぐちゃになって、苦しくて、悲しくて、なのに誰にも助けを求められなくて。


 そんな哀れな剣士の心の隙を……薄汚い蝙蝠が容赦なく狙い撃ったのだ。






 ◆◆◆






 エルフの里にて、魔王軍四天王の一角であった『火』の四天王ドラグバーンを討ち取り、次の目的地に向けて旅立ってから約二ヶ月。

 ドラグバーン襲来という緊急事態のせいで、できうる限り急がなければならなかった王都からエルフの里への旅の時と違い。

 俺の刀の修復という差し迫った問題こそあるものの、一刻の猶予もないような状況からは解放された為、馬達を労りながら通常のペースで進んだ俺達は、ようやく次の目的地である『ドワーフの里』への中継地として利用する予定の街『ジャムール』が見える場所までやって来た。


「あそこがジャムールの街か。なんというか、随分とゴツイ街だな」

「そりゃそうよ。だって、ここは最前線に一番近い街の一つだもの」


 馬車の御者台で隣に座っているステラとそんな会話を交わす。

 ジャムールの街は、どこの要塞都市だと言いたくなるような、分厚い城壁に囲まれていた。

 それも当たり前と言えば当たり前なのだろう。

 ステラの言う通り、ここは魔王軍本隊と人類の最精鋭達が睨み合う最前線に最も近い街の一つなのだから。


 ここを真っ直ぐ進んで行けば、数多の英雄達が集ういくつもの砦がそびえ立ち、その先には魔族に完全支配された領域が広がっている。

 その更に奥にあるのが、俺達の旅の最終目的地にして諸悪の根元『魔王城』だ。

 あまりの巨大さ故に、ここからでも僅かにシルエットが見える。

 忌々しい事この上ないな。


 さすがの俺も、正史の世界で魔王をぶっ殺しに行った時以外では、この先に足を踏み入れた事はない。

 俺が修行時代に踏み行った魔族の支配領域は、あくまでもカマキリ魔族や老婆魔族のような、各地に散った魔族どもによって支配されてしまった場所。

 最前線の危険度は、そんな場所とは比べ物にならない筈だ。

 何せ、あそこは約15年前に魔界の門が開いた場所であり、当代魔王軍が最初に降り立った場所なのだから。

 いったい、どれだけの戦力がひしめいているのか想像もできない。


 それでも、いつかは越えて行かなければならない場所だ。

 俺は静かに闘志を燃え上がらせながら、遥か遠くに見える魔王城を睨み付けた。


 とはいえ、魔王城へ攻め込むのは、まだまだ先の話。

 先を見すぎて足下を疎かにするべきじゃない。

 まずは目の前の目的地に集中し、一歩ずつ確実に進んで行くとしよう。

 そう考えてジャムールの街に視線を戻した時、


「ガーハッハッハ! 脆弱な人間どもよ! この次期四天王候補の大魔族! 『土竜どりゅう』モグリュール様の前にひれ伏すがいい!」


 ……視線の先から、なんか出た。

 街の近くの地面からひょっこりと顔を出したのは、体長10メートルくらいの巨大な竜だ。

 全身が鱗に覆われてるし、牙も爪もあるし、本人の自称するように、ドラグバーンと同じ竜の系列に属する魔族なんだろう。

 だが、あれはどう見ても……


土竜どりゅうっていうより、土竜もぐらよね?」

「そうだな」


 ステラの言う通り、この自称竜のシルエットは、完全にモグラだった。

 突き出た鼻に、やけに短い手足。

 鱗は遠目だと茶色の体毛にしか見えず、立派な爪の生えた手はまるで土かきのよう。

 モグラだ。

 どこからどう見てもモグラだ。

 生態系の下位に存在する生き物だ。

 竜を騙るモグラ……どうにも間抜けな感じがするな。


 しかし、間抜けでも感じる力は本物。

 ドラグバーンに比べればへっぽこで、次期四天王を名乗るなんておこがましいにも程があるが、それでも老婆魔族と一緒に居たツギハギ魔族に近いくらいの力は感じる。

 まあ、奴らが使役してたゾンビの戦力まで計算に入れたら、余裕で奴らの方が強いだろうが。

 なんにせよ、あのモグラ、比較的上位の魔族ではあるのだろう。


 こんな奴がポンと出てくるとは、さすが最前線近くの街。

 慌てず騒がず、迅速に街を守る城壁の上から魔法の連打が飛んできてるところを見るに、こういう事態は日常茶飯事なのかもれない。


「どうする? 加勢するか?」


 別に助力がなくても問題なさそうではあるが。


「当然、行くわよ! 楽に倒せそうな敵を放置して被害が出たらバカらしいもの!」

「まあ、確かにな。了解」


 俺は手綱を操り、馬車を引く二頭の駿馬に、久しぶりの全力疾走を命じた。

 待ってましたとばかりに、馬達がテンションマックスで加速を開始する。

 ……こいつら、調教を施した奴がよっぽどの凄腕だったのか、走る事が生き甲斐みたいなところがあるんだよな。

 エルフの里に向けて急いでた時、リンの治癒魔法で疲労を誤魔化しながら限界まで走らせ続けるというデスマーチをやらせたんだが、その時ですら、壊れるどころか滅茶苦茶機嫌が良くてビビった記憶がある。

 走る事に快楽を覚えるような調教がされてるんじゃないかと疑ったもんだ。

 さすが、勇者一行の足に選ばれたエリート馬と言うべきなのかもしれない。


 そんなエリート馬達の活躍により、すぐにでもモグラ魔族はステラの射程圏内に入る。

 そんなステラは、馬達が走り出したタイミングで馬車の中の仲間達に戦闘準備を呼び掛けてたが、多分、出番はないだろうな。

 街からの攻撃ですらそこそこダメージを受けてる様子のモグラ魔族じゃ、ステラの初撃にすら耐えられるか怪しい。


 そう思ってたんだが、決着は予想外の形で訪れた。

 俺達が何かする前に、━━モグラ魔族の頭が爆散するという形で。


「へ?」


 ステラが、何が起きたかわからないと言わんばかりの間の抜けた声を上げた。

 俺も、この距離じゃさすがに何もわからない。

 だが、馬達のおかげで距離が近づくにつれて、モグラ魔族を仕留めてくれた奴の姿が見えてきた。


 そいつは、灰色の髪をボサボサに伸ばした、身長2メートル程の大男だった。

 筋骨隆々といった感じではなく、引き締まった無駄のない筋肉を持つ男だ。

 しかし、その男には、それ以上に目を引く身体的な特徴があった。

 頭部から伸びた狼のような耳。

 腰から生えた同色の尻尾。

 手足は、肘から先と膝から先が獣の体毛に覆われ、爪は鋭く尖っている。


 獣人族。

 人類の中で最も好戦的で血の気が多く、他種族と足並み揃えるのを嫌い、魔王軍との戦いですら自分達だけで好き勝手に動いてしまう、扱いにくい味方。

 モグラ魔族を仕留めたのは、そんな獣人族の男だった。

 しかも、上位の魔族を一撃で仕留める獣人族となると、心当たりは一つしかない。


「お?」


 そんな男と、遠目に目が合った。

 ……正直、あまり関わり合いになりたい人種ではないが、互いを認識した以上、無視して通るのも角が立つか。

 そんな事を思った瞬間、男は凄まじい勢いで大地を蹴った。

 たった一度の跳躍で俺達との距離を埋め、馬車の御者台に着地する。

 その衝撃で、勇者一行の為に用意された、特別製の頑丈な馬車が僅かに破損した。

 後で弁償させよう。


「こいつは驚いたな。遠目だから見間違いかと思ったが、この距離でここまでビンビンに感じるなら間違いねぇ。このとてつもなくデケェ加護の気配……小娘、お前勇者だな?」

「あ、はい」

「ほーう」


 無遠慮な目で、ジロジロと舐め回すようにステラを観察する獣人族の男。

 ……なんだ、こいつは。

 滅茶苦茶腹立つんだが。


「まだまだ乳臭ぇ餓鬼だが、中々にいい女じゃねぇか。よし気に入った! お前を俺様の嫁の一人にしてやる!」

「は?」


 いきなり頭が沸いているとしか思えないトチ狂った事を宣った男は、そのまま流れるような動作でステラの胸を揉もうとし……俺は脊髄反射でこいつを抹殺対象と認識した。

 馬車の御者台からジャンプし、男の眼球目掛けて、容赦なく本気の貫手を放つ。

 四の太刀変型━━


「『爪月』!」

「おっと!」


 俺の攻撃を上半身をのけ反る事でかわした男は、そのまま後ろにバク転して地面に着地した。

 対する俺も地面に降り立ち、男と真っ向から対峙する。


「ほほう。加護無しのボンクラのくせして、いい殺気出すじゃねぇか。だが、誰に向かって牙剥いてんのかわかってんのか? ━━ボンクラ風情が、身の程わきまえろ」


 男が俺に向けて殺気を叩きつける。

 だが、ドラグバーンの闘志に比べれば、随分と安い殺気だ。

 舐めんなと思いながら、俺もまた男に殺気を叩きつけた。


「ふざけんな。痴漢風情が何を偉そうに。お前こそ身の程をわきまえろ獣畜生」

「……は?」


 まさかそんな事言われると思わなかったのか、男は少し間ポカンとした後、


「ハハハ! アハハハハハ! おもしれぇ! この俺様を痴漢呼ばわりの上に獣畜生呼ばわりか! ボンクラにしては根性ありやがる! 気に入ったぜ! 冥土の土産に特別に名乗ってやる!」


 何がおかしいのか大笑いして、迸る殺気をそのままに、高らかと名乗りを上げた。


「俺様は獣人族の王にして最強の聖戦士! 『獣王』ヴォルフ・ウルフルス様だ! 俺様の名を魂に刻んで死ねや雑魚!」

「上等だ。ボッコボコにして上下関係を叩き込んでやる。二度と痴漢なんかできないように調教してやるよ」


 俺達は互いに殺意を以て木刀を抜き、拳を構えた。

 絡まれた本人のステラが急展開について行けずにオロオロする中、獣王が突撃を開始して殺し合いの幕が……


「そこまでじゃ」


 ……開こうとした瞬間、俺達の間に雷が落ちてきて、それを見て獣王が突撃をやめた。

 そして、馬車の中から今の魔法を放った人物が出てくる。


「おお! エルネスタじゃねぇか! お前も俺様の女になれよ!」

「……相変わらずじゃな、獣王の小僧。そのノリで勇者にまで絡むとは、ある意味尊敬するわ」

「当たり前だろ! 加護はある程度遺伝するんだ!

 最強の俺様と強ぇ女の子供なら、強ぇ餓鬼が生まれてくる可能性が高ぇ!

 つまり、最強の男である俺様が強ぇ女を孕ませまくってハーレム作るのは、世界の真理なんだよ!」

「ハァ……」


 エル婆が、呆れて物も言えないとばかりの深いため息を吐いた。

 俺もどうしようもない奴を見る目で獣王を見る。

 確かに、獣王の言う事も効率だけを考えればいいのかもしれない。

 ハーレム作りたいなら勝手にやってろとも思う。

 だが、それにステラを巻き込むな。

 俺の大切な幼馴染を巻き込むな。


「お主が言っても聞かぬ奴である事は知っておる。

 じゃから考えを改めろとは言わぬが、とりあえず、この場はワシの顔を立てて引き下がるがよい。

 それがお互いの為じゃ」

「ああん? ……ちっ、まあ、お前の好感度を上げる為だと思って今回は見逃してやるか。命拾いしたな雑魚」


 話は終わったとばかりに、獣王は俺を完全に無視して、街の方に向かって歩いていった。

 奴が消えた後も、俺の心は静まらない。

 ……イライラする。

 あいつは嫌いだ。


「アー坊もステラも悪かったのう。

 じゃが、ここは堪えてくれ。

 あれでも奴は世界を守る為の貴重な戦力なのじゃ」

「い、いえ、未遂でしたし、私はそんなに気にしてないんですけど……」


 ステラは心配そうな顔で俺を見た。

 ……まあ、今回はステラを痴漢の魔の手から守れただけでよしとしておくか。

 そうやって、俺は強引に溜飲を下げた。


「ハァ……別にエル婆が謝る事じゃない。英雄がいい人ばかりじゃない事くらいはわかってる」

「そうか。ありがとう、アー坊」

「礼を言われるような事でもない」


 エル婆は不満を飲み込んだ俺を優しい目で見た後、馬車の中に戻った。

 多分、他の二人が出てくるのはエル婆が止めたんだろうな。

 特にリンが出てきたら、また話が拗れそうだし、エル婆の対応は間違っていない。

 あんな見た目してるが、さすが大人だ。


「そうそう。一つだけ付け加えておくが、アー坊の行動は何も間違っとらんから安心せい。

 惚れた女を理不尽に奪おうとする奴には抗って当然じゃからのう」

「茶化すな!」

「ホッホッホ」


 最後に、エル婆は窓からひょっこり顔を出しながら余計な一言を付け加え、言い終わったらさっさと引っ込んだ。

 茶化して俺の悪感情をごまかしてやろうってつもりだろうが、余計なお世話だ。

 俺は再び馬車の御者台に戻り、手綱を操って馬車を再発進させた。


「アラン、その、助けてくれてありがとう。嬉しかったわ」

「……別に、当然の事をしただけだ」

「そっか。当然……当然かぁ。ふふ」

「何笑ってんだ」

「別に、なんでもないわ!」


 ……嬉しそうで何よりだよ。

 ステラの笑顔に免じて、今回だけは野郎を許してやらん事もなくもなくもないと思った。

 だが、一度芽生えた獣王への嫌悪感と不信感。

 結局、これが消える事はなかった。

 最後の最後まで。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る