第22話…番外編そこにいない世界(前)
どこの家庭でも躾には厳しいもの。 特に長男は父親の爵位を継ぐ立場。
自覚させる為にも甘えは許されず、自我が目覚める前にそこを意識させる必要がある。
大人の手を借りながらも小さな身体でしっかりと馬車から降り立つ姿が感慨深い。
「マシュー、おじい様とおばあ様にご挨拶なさい」
「はい」
彼は父親の言葉を受け、握っていた母親の手を離した。
そして玄関ポーチで出迎えに立つ伯爵夫妻、仕える執事以下使用人を前に二、三歩歩み出る。
「おじいさま、おばあさま。このたびはおでむかえ、ありがとうございます」
伯爵夫妻は嬉しそうに孫の挨拶を聞いている。
「マシュー、大きくなりましたね。もう立派なお兄様です」
「はい、ぼくはエルとおかあさまをまもれるようになります」
希望ではなく、断言だ。
「まぁ、頼もしいわ」
マシューが父親と母親のどちらに似ているかと問われれば、こう答えるだろう。
どちらにも似ているし、間違いなく私達の可愛い息子だ、と。
「ネヴィル、元気そうだね」
「えぇ、おかげ様で順調です」
「まぁ、仕事はもちろんだが家族が幸せに暮らしているのが何よりだ」
「お二人もお元気そうで何よりです」
「お前達に会うのが楽しみでな」
「というより、孫にでしょう? それに……」
ネヴィルは言いながら後ろを振り返った。
そこには一歳になったばかりの娘の手を握る私がいる。
「フロタリア、おいで」
一年一年、男らしさが増すネヴィルは伯爵夫妻の自慢の息子であり、私の自慢の旦那様だ。
「お義父様、お義母様。お久しぶりでございます。長らく顔をお見せできずに申し訳ございませんでした」
「フロタリア、お身体はもう大丈夫なの?」
お義母様が心配そうに言う。
「えぇ、空気の良い土地で静養させて下さったおかげです」
「ネヴィルがしっかり務めを果たしてくれているようで安心したわ」
寄宿学校を卒業したネヴィルと、一足先に彼の家である伯爵家へ戻って花嫁修業を始めた私はその一年後に婚姻の儀を執り行った。
それから四年の月日が経つ。
私とネヴィル、そして子供達は現在、このスチュアート家の邸より離れた土地で静養を兼ねて暮らしている。というのも私の身体の為には仕方ない事情があるのだ。
私は結局、男爵位を継ぐ決断はしなかった。おそらくは最初の予定通り、父の弟が継ぐ事になるだろう。
迷いはした、それでも今はこれで良かったと思っている。
もう一つ決断した事と言えば、以前のような狭い世界に身を置くのではなく、書物を読み、人と関わり合い、視野を広げて生きて行く事はできるはずだという事。
だからこそネヴィルの妻になったのだ。
伴侶として彼の支えになる。そして未来へと繋げるのだ。
「美味しいお茶と、マシューの大好きなケーキを用意しているのよ。今日はお天気だからテラスにしたわ」
☆ ☆ ☆
思い出は誰もが持っている。
そこには嬉しさや悲しさ、喜びも悔しさも混ざっているだろう。
私にもある。……はずだ。いや、あったはずなのだ。
なのに寄宿学校を出てからというもの、記憶が曖昧になっていった。学舎で学んだ事も学友達と知り合いになった事も覚えている。
だが、それだけなのだ。
何かが抜けている気がするのに、大事な人がそこにいた気がするのに、まるで太陽の光が照らして見えなくしているようでわからない。
それは私だけではなかった。
ネヴィルも記憶が曖昧だとぼやくようになった。
『ふとすると、エマの事を忘れているのだよ』
『俺とフロタリアにとって、大事な何かが起きたような気がするのだが……』
『何だっけ……。何を思い出そうとしたのかな』
ネヴィルが何度もそう呟く度に、私も同じ呟きを繰り返していた。
そして五年経った今では、思い出そうとした事実すら忘れてしまっている。
☆ ☆ ☆
「どうした、フロタリア?」
ネヴィルが私の顔を心配そうに覗き込む。
「ネヴィル、今……誰かが」
誰かの声が聞こえた気がした。
『お母様、大丈夫ですよ』
とても大切な、心の温かくなる声で、私の背中を擦る手が感じられた気がしたのだ。
『いいのですよ、それで』
忘れる事を怖がらないで、そう言われているようだ。
「何でもないわ」
「エルはマシューが連れて行ってしまったよ。さぁ、俺達も中に入ろう」
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