第23話…番外編そこにいない世界(後)

「おかあさま、エルをつれてワンちゃんとあそんできてもいいですか?」


 テラスで揃ってお茶とケーキを味わっていると、マシューはだんだん退屈してきたらしい。もちろん、美味しいお茶とケーキはお腹いっぱいに膨らませた後で。

 私が頷くと嬉しそうに笑って一目散に駆け出す。

 ケーキを頬張っている最中からテラスの近くでお座りして待ち続ける犬が気になって仕方なかったのだろう。

 侍女がエルを抱き、従者と共にマシューの後を追って歩いて行く。


 スチュアート家の庭は広く、子供が駆け回って遊ぶには絶好。足下は芝に覆われているから石に躓いて怪我する事も少ないはず。とても丁寧に手入れをされているからこそ、安心して遊ばせられる。

 おそらくはネヴィルの両親であり、マシューの祖父母である伯爵夫妻の配慮あってこそだ。

 というのも、私達家族が住んでいる邸は空気と穏やかな環境を第一に考えている為、庭はここのようには広くない。遊べるとしても、駆け回るほどではない。

 だからマシューは久しぶりにここに来るのを楽しみにしていた。

 私の身体は元々、丈夫ではない。

 マシューが産まれた時にも寝込む事はあったが、エルの時はさらに酷かった。医師からも二人目は考え直した方がいいとの助言を予め受けていた。

 それでもどうしても産みたかったのだ。


 今の邸に住むようになったのはエルが産まれる前。最初から静養を兼ねて覚悟の上でエルを産んだ。

 邸を探してくれたのはネヴィルと義両親。

 おかげでマシューもエルも穏やかな環境の影響から、元気に暮らせている。もちろん私も。


「おかあさま! エルがマシューって、ぼくのことをよびました!」


 マシューとエルが庭の真ん中で遊んでいた時、いきなり大声でそう言う。それは本当に嬉しそうに。


「おや。俺でもフロタリアでもなく、マシューの名前を一番に呼ぶとは」


 ネヴィルが隣で言いながら笑う。


「マシューに負けてしまったらしいわ」


 私も応じてしまう。それでもいいのだ、これは何よりも得難い幸せなのだから。



☆ ☆ ☆



 あれから十五年。

 ネヴィルは伯爵位を賜った。

 そして薔薇の花が咲き誇る季節の、この善き日。私達の愛する子を祝福できる喜びで胸がいっぱいだ。


「エル、綺麗よ」

「お母様、ありがとうございます」

「いつまでも俺の可愛い天使だ、エル」

「お父様ったら……」

「何かあったらいつでも俺に連絡するんだぞ」

「マシューお兄様、もう小さいエルではないのですよ」


 エルはベールに包まれた衣装を身に纏っている。

 私達やマシューにだけ向けられていた笑みがこれからは隣に立つ紳士に向かう事に、寂しさと喜びが身体中を震わせる。


『お父様、お母様。私、この方の妻になりたいの。彼は貴族でなくても騎士として立派な仕事をなさっているわ』

『エル。わかっていると思うが、お前は伯爵令嬢なのだぞ。その誇りを忘れてはならない』

『もちろんですわ。それでも私は彼をお慕いしているのです』


 エルが恋人との結婚の許可を申し出た時から一年。

 ネヴィルは娘のエルに貴族との婚約をさせようと拘っていた。だから許可を得るまでに時間が掛かったのだ。

 こんなやり取りをネヴィルとエルの間で交わしたのがつい最近のように思える。

 ネヴィルは娘の一世一代の晴れ姿を見ながら感慨無量な顔で、それでも相手がただの一騎士である事に釈然としないようだ。


「ネヴィル、私達のエルは聡明な子よ。大丈夫、あの子が選んだ伴侶に間違いがあるわけないわ」

「確かにそうだが……」


 エルの兄マシューも同様に婚約者を伴って妹の美しさに感動しながら、それでもやはり呟く。


「エルは俺の後をいつも追い掛けて可愛かった。初めて言葉を喋った時も俺の名前だったのだ」


 婚約者はマシューの背中に手を当てて宥めながら、この喜びをすでに家族の一員として祝っている。


 そしてネヴィルはネヴィルで昔を思い出すのに、懐かしい楽しさばかりではないと私もわかっている。


「フロタリア、覚えているかい? マシューとエルが庭で犬とじゃれ合っていた時。こんなにも幸せな時間、俺はこの先決して失う事はないと思っていた。ところが、マシューが十二歳、エルが十歳の時だ、君は床に伏せて命を失い掛けた。あの時、もしも君を失ったら全てが無になるとさえ覚悟したものだ」

「あの時は貴方にも、マシューやエルにも本当に辛い思いをさせてしまったわ」

「それが今ではエルの、そして来年にはマシューの結婚だ。俺達は幸せ者だね」

「えぇ、そうね。これからはネヴィルと私の二人。仲良く生きて行きましょうね」

「もちろんさ」

「父上、母上。エルがあちらで見ていますよ。夫婦となって初めてのこのパーティーで挨拶をしたいのでしょう」

「あら、そのようね。それにしてもマシュー、見てご覧なさいな。エルの美しさは他の誰にも劣る事はないわ」

「当然ですよ。俺の妹なんですから」



☆ ☆ ☆



「エル、おめでとう。これから妻の役目をしっかり果たすのよ。誇りも忘れずに」

「私、お母様のような妻になりたいと思っていますわ」


 エルの隣に立つ騎士服に身を包んだ立派な紳士は私達、義両親に最初の挨拶。それは誓いの言葉でもある。


「エマヌエルは僕が生涯を通して愛し、守り抜きます」

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