第3話…ジャクリン

 そこに現れたのは小さい身体で真っ直ぐな艶めく栗色の髪を自慢気に揺らす、瞳の綺麗な人物。


「初めまして。フロタリア様……で、よろしいですか?」

「ジャクリン……」

「あら、私の名前をご存知だなんて光栄ですわ」


 思わずこちらの口角が上がってしまうほどに、可愛らしいその顔が赤らんだ。


「ジャクリン・ターナーと申します」


 私は彼女の名前を知っている。

 それがどうしてなのか、わからない。前に会った事があっただろうか?

 いや、思い返しても記憶にない。

 初めて会うはず。知り合いではない。

 なのに彼女の、目の無くなるほどに屈託のない笑顔には覚えがある。

 どこかで会って、忘れているだけなのか。


「ごめんなさい、失礼ですが貴方のご出身はどちら?」

「生まれはここから遠く離れた田舎です。 父が数年前に勲爵士の称号を得たのをきっかけに、私と母も街中へと越してまいりました」

「まぁ、ご立派なのね」

「おかげで私もこんな素晴らしい学校に入学する事ができ、しかもフロタリア様と同室にまで」

「努力なさったのね」


 こうして話していても知っている事は何もない。初めて会うのはおそらく確か。

 きっと私の勘違いだ。

 世の中にはそんな風に親しみを感じる相手がいると言うし。


「よろしくね、ジャクリン」

「えぇ、お世話になります。フロタリア様」



☆ ☆ ☆



 コゼットと入れ替わりでジャクリンが来てからというもの、入学以来あんなにも見ていた悪夢を不思議と一切見なくなった。

 毎日とても穏やかに過ごせている。

 これはどういうわけなのだろうか。

 ジャクリンはとても親切で、学舎や食堂、図書室等でもいつも率先して私と行動を共にしてくれる。

 明るい笑顔と屈託のない表情、それでいて甘く、吸い込まれそうな輝く瞳のアンバランスな雰囲気が周囲を惹くようだ。

 一方のコゼットはジャクリンとは反対に、何を考えているのかわからない無表情さが冷艶な雰囲気を漂わせている気がする。

 見た目は勲爵士の娘らしく、華美ではないのに内に秘めた情と色がさらに魅惑的だ。

 もしも彼女が貴族だったなら婚約の申し込みはひっきりなしだろうに、そういう相手はまだいないのだと言う。

 そしてジャクリンも同様に、婚約者にはまだ恵まれないらしい。これだけ素敵な明るさと時折見せる甘さは殿方には喜ばれるだろうに。



☆ ☆ ☆



「フロタリア様、図書室に行きませんか?」

「あら、私はラウンジに行こうと思っているのよ?」


 その日の学びを終えた私達は、他の令嬢達と共に歓談したくて移動している最中。

 ところがジャクリンが私の腕を引っ張り、図書室へと誘う。

 いつもラウンジに行くのは決まり事のようなものなのに。


「ですが、ラウンジには人がたくさんいてフロタリア様が疲れてしまわれます」

「人がたくさんいるのはいつもの事でしょ?」

「あ、フロタリア様……!」


 私はとにかくラウンジに行きたかった。

 いつもはネヴィル様のご学友が一緒で、あまり話す事ができない。食堂でも必ず誰かが側にいて、私が近づこうとすると遮られるのだ。

 私は婚約者なのに、ネヴィル様と親しくする機会がない。何か二人の間に高くて透明な壁があるような気がする。

 入学してからの唯一の悩みがあるとしたら、それだろう。だからもう我慢も限界だったのだ。

 ネヴィル様に会いたい、話がしたい、側にいたい。ラウンジに人がいてもいい、私は彼の婚約者なのよ。


 ところがラウンジ内をいくら探してもネヴィル様がいない。

 男女の比率から考えて、その中を歩き回って探すのは難しい。

 どれだけ探してもみつからないのだ。


「フロタリア様、もう行きましょう?」

「ネヴィル様がいらっしゃらないわ……」

「またいつでも会えますわ、フロタリア様」


 いつもはここにいるはずなのに。共に学ぶ事はなくても同じ学校の敷地内にいるのに、こんなにも会う機会に恵まれないなんて。

 まるで誰かが邪魔して阻もうとしているようだ。

 ジャクリンに促され、図書室へと向かう事にした。

 こんな気分の時は彼女の明るさが助けになる。些細な会話が上げてくれるのだ。


 ところが図書室まで近づいた時、その扉付近の片隅に人影らしき姿が見えた。

 そこはちょうど人が隠れるサイズの奥まった場所で、何度か男女のそういうシーンを目にした事がある。

 前にネヴィル様から聞いた。婚約者のいる男女が人目を憚って密会するらしい。

 自分はそんなチャンスには恵まれないが、此処彼処で目撃するから目のやり場に困るのだ、と。

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