第三十一話 鳴動


 

 世界の北の果て、九層にも及ぶ広大な地下のその最下層。死した魂が過ごす長い旅の終着点ーー冥府ミクトラン


 そこの主たる冥府の王ミクトランテクートリは己が伴侶の冥府の女王ミクトランシアトルの私室の前に立ち、何度目か分からない説得を行っていた。


「……シア。君の意思は確かに伝わった。

 僕もいきなりあんなことをしたのは悪かったよ、反省してる。

 だからさ、そろそろその愛しい顔を僕に見せておくれよ」 


 返事はない。

 単に聞こえていないのか、あるいはーー傀儡が見せる人形劇に夢中になっているのか。


 最悪な光景を想像して、王は自らの頭をガリガリと掻いた。


 ああ、本当に何でこんなことになってしまったんだろう。

 ただシアの心を人間が作った下らないガラクタから取り戻したかった、それだけなのにっ。そのために胡散臭いあいつの企てに乗って、世界を混沌に陥れるのを手伝ってやったのだ。シアを牢獄に閉じ込め、人類の窮地を懇切丁寧に教えてあげたのだ。


 なのに、一瞬の隙を突かれて私室に逃げ込まれてしまった。僕では解除できない強固な結界が張られたその場所に。

 ついでに下級眷属への憑依という形で人間界への干渉も許してしまった。

 いや、そこまではまだ良かったのだ。

 冥府ミクトランの中では僕の方が力が上。数多の眷属を使ってすぐさま居場所を特定し、此方は中級眷属に憑依して簡単に追い詰めていった。途中愚かな人間が現れようと優勢は変わらなかった。

 このままいけばシアの眷属を消失させ、その隙にもう一度監禁できるとそう思った瞬間、あろうことかシアは瀕死の男を使徒ーー神が人間に与えられる最高位の役職にしてしまったのだ。

 それからは最悪だった。

 おかしな見た目の使徒に眷属を殺され、その反動で半月近く寝込むことになってしまった。起きた時にはもう奴らは管轄領域外、つまりは別の神が支配するダンジョンへと移っていた。

 こうなってしまった以上王の領域に戻ってくることがない限り、追う術はない。

 だからあれからずっとシアに呼びかけているのだがーー


「駄目、みたいだね。

 分かった。君がその気なら僕にも考えがある」


 王は一つの決意を胸に、部屋を後にする。

 例えその結果人類が滅びることになろうと、王には関係なかった。世界、そして人類・・の創造と破壊はこれまで何度も繰り返されてきたのだ。それがたった一つの時空で増えるだけで、どうして良心など痛もうか。


 だからこれは二人のゲームだ。一つの人間界を盤にした、互いの意地と意地がぶつかり合う頭脳戦だ。

 君の使徒が僕の策を食い破るのか、はたまた呆気なく飲み込まれるのか。

 精々楽しもうじゃないか、愛するシアよ。






「以上、これで今回の報告会を終わるわ。解散よ。

 あ、それとマコ、あなたは例の手筈が整ったから残って頂戴」


「よし、やっと終わったか。全く座学は頭が痛くなるったらありゃしねえな」


「そういって天志さんが一番真面目に聞いていたじゃないですか」


「そうだったかー?」


「マコ、また」


「ええ、また明日です」


 酒徳玲子の言葉に、背中越しに俺に声をかけたりしながらぞろぞろと部屋を出ていく007小隊の皆。


 彼らの仲間になってから二回目の日曜日の朝。

 牢屋の一室に集められた俺らは、防衛省より正式に出された防衛白書の説明を酒徳玲子から受けていたのだった。


『しかし、我もまさか人間がここまで正確に状況を把握しているとは思わなんだ』


 シル様の言葉に、確かにと頷く。

 現状の防衛状況などは元より、次のオリジナルスタンビードを耐えるために必要な軍備の程度などが(多少のぼかしはあれ)かなり正確に書かれていた。

 彼らの予想によれば発生確率が最も高いのは10~20年後、それに対抗できるだけの戦力が整うのは8~13年後。

 その根拠として挙げられていたのが旧東京付近の魔素濃度だ。

 オリジナルダンジョン発生時が最大ですぐ後にスタンビードにより半分近くに下がり(ここら辺は推測値ゆえ幅があるとのこと)、それからゆっくりと上がってきている。それが発生時と同じ水準になるのが上記の年らしいというわけだ。

 しかもこの推測はシル様的にも間違っていないそうなのだ。魔素の発生要因など、シル様から知りえない情報がある中で(ついでに俺もシル様経由で分かった情報は話せなかった)こうまで正確に割り出すとは流石人類。滅亡がかかっているだけのことはある。

 俺もテレビで概要を聞くくらいしかしてなかったら、正直驚いていた。


 と、それはともかく今は次の予定だな。

 せっかく酒徳玲子が俺のために手間暇かけてくれたんだから。


「私のためにわざわざありがとうございます。

 まあ仲間になったんですから、この程度の奉仕は当たり前ですよね」


「……ええそうね。

 私があなたを勧誘したんだもの、そのケツくらいは拭いてあげるわよ」


 俺の煽りに、中々かっこいい言葉を返してくる酒徳玲子。

 口調は厳しいけど、確かにいい人っぽいんだよなあ。


「何よ、私の頭に何かついてる?」


「いえ別に。悪鬼さんって意外と優しいんですねって思っただけですよ」


 ああああ。ほんとこの口はブレーキ踏めないなっ。


 酒徳玲子がはあとため息をついた。


「全くあなたは私のことを本当に鬼だと思ってるわけ?

 私だって、鬼になる前は普通の人間だったのよ?」


「……へえ、是非聞かせてくださいよ」


 思わぬ展開に、出来るだけ声が震えないようにせっつく。

 酒徳玲子の過去、そしてスノーとの関係。そこらへんはまだ何も聞けていなかったのだ。


『時が来た、というかの』


 シル様が意味深な言葉をこぼすと同時、酒徳玲子が話し始める。


「私はね、これでも一児の母だった。

 娘がーーそう丁度あなたくらいの年の娘がいたのよ。

 もう13年前の話だけど、ね」


「13年前、ですか。もしかしてその娘っ子は」


「ええそう、オリジナルダンジョンから生まれたモンスターに殺された。いえ正確には行方不明ね。ただきっと生きてはいないわ。

 だってあの娘はここ、藤江ダンジョンが生まれたその震源地にいたんだもの」


 藤枝ダンジョンの震源地か。確かーー


「娘っ子の写真とかを見せてもらっても?」


「ええ構わないわ。これが私の娘、玲奈よ。

 私に似てかわいいでしょう?」


「っ」


 酒徳玲子がコンカで見せくれた一枚の写真を見て、息を呑む。

 

 そこは白い壁やカーテンに囲まれた病室だった。

 ベッドの上で儚い笑みを向けているのは、白い病着を着て、頭に包帯を巻いた少女。


「驚いたでしょう? 

 玲奈はね、重い病気だった。それでここにあった総合病院に長いこと入院していたのよ。色々と手を尽くしたんだけど、結局駄目、で。

 だからっ、ダンジョンが無かったとしても、生きていなかったと、思うわ」


 昔のことを思い出したんだろう、涙ぐむ酒徳玲子。

 ただ俺は、玲奈と呼ばれた少女の顔に魂を吸い込まれていた。


 髪も見えないし瞳も普通な色をしているから随分と印象が違う。

 それでも見間違えるはずがない。あの部屋で何度も見たのだ。その顔に色んな表情が浮かぶのをこの目で見たのだ。似ているとか面影があるとかそういうレベルじゃない。これはそうーー生き写しというべきだ。



 なあ、スノー・・・。どうしてこんなところにいるんだ? 君は一体誰なんだ?


 そのとき頭の中で何かが引っかかった気がしてーー



「こんの、泥棒猫っ。

 よく私の前に堂々と姿を現せましたねっ」


 懐かしい声が聞こえた。

 それもめちゃくちゃ怒った声音で……何故?


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