第二十六話 問い
「……ねえ、あなたーー」
誰かの声が聞こえた。何処かで聞き覚えがあるそれ。
俺はゆっくりと目を開けてーー殺意に支配される。
『やめーー』
「ちょっと、暴れないで話をーー」
頭に響く羽音と目の前の得物が発する悲鳴。
ーー嗚呼煩いなあ、早く消えてくれよ。
その命を刈り取ってーーっ。何だ? 何で届かない?
『正気にーー』
「……はあ、これは見込み違いだったかしら」
ガシャガシャガシャガシャ
煩いなっさっきから。
ああああ。何で近づけないんだっ。
「何? あんな子供なのに可哀そう?
んーそうねえ、だったらしばらく様子を見てみましょうか。この様子じゃ、拘束なんて外せないでしょうし」
それが視界から消える。複数の足音が遠ざかる。
嗚呼、得物が逃げていったと後悔が胸の内に広がってーー
ゆっくりと体から何かが抜けていく。
楔が外され、思考が正常に戻っていく。
「はあっ、はあっ」
……何だ、俺は何をしていた?
異常なほど早い動悸。両手両足の首がじんじんと痛む。
『大丈夫か? お主、人を見て正気を失っておったんじゃよ』
シル様の言葉に慌てて周囲を見渡す。
俺がいる場所は、謎の黒い素材で出来た壁に囲まれた部屋だった。
正面には堅牢な鉄格子が、その向こうには誰もいない通路が見える。
そして両手両足には枷が嵌められ、そこから伸びた鎖が後ろの壁の四つの突起にきつく繋がれている。所謂、
まずいなっ。捕まったのかっ、俺は?
『そのようじゃな。
ただ向こうに対話の意思はありそうじゃぞ。暫くしたら戻ってくるはずじゃ』
少しだけ希望が持てる言葉をくれるシル様。
だとしても、だ。
非常にやばい状況に変わりはない。俺は人類の敵たるモンスターで、そして明確に敵対の意思を見せてしまった。用心深い人間なら、それだけでアウトだ。
一応許されたということは何かしらの道は残されている、のか?
分からない。そもそも俺は向こうの素性も知らないのだから。
くそっ、どうする。
逃げるか? ……マントを使えば確かに何とかなるかもしれない。
ただ果たしてそれをしたところで先があるだろうか。
俺の最終目標は夕菜と、それとスノーと普通に暮らすこと。そう普通にだ。俺が望むは間違っても逃亡生活なんかじゃない。
そのためには権力やらコネが必要不可欠だ。一応思い描いたゴールはあるものの、ここで相手を味方につけられるならそれに越したことはない。
後は本当に逃げられるか、という問題もある。
視界に移るのは天井に設置された監視カメラ。当然それをモニターしている人間がいるはずだ。試行錯誤の過程を見られて拘束が厳重に、あるいは敵対行動の疑いありと処分される可能性もある。壁に繋がれている以上、転移も不可能だ。
交渉前提で逃亡は最終手段。多分これがベスト。
あとはどうやって交渉するか、だ。
手札もあるにはある。相手の出方次第だが、何とかやってみせる自信はあった。
あるいはこれは降ってわいたチャンスかもしれない。俺が逃げてきたのは、捕まった後にどうなるか不安だったから。ただここに、対話の意思があり尚且つおれを簡単に倒せるほど強い人間がいる。
ここで味方を作れないでどうして夕菜たちを守れようか。
ただ厄介なのは、人を見ると殺意に支配されるこの性質だ。
視界に入れただけでほぼアウト。目を瞑ったり、鉄格子やマントを挟んだところで焼け石に水なことは、雪乃たちとの
体の自由は利かないし、さっきのように起き抜けに声をかけられたらまともに話もできない。
幸いなのは首の向きは変えられることだ。
覚醒状態であれば、何とか彼らを視界に入れずに対話できる。性質のことも教えることはできる。
だとしたらーー先手は此方から。
大きく息を吸って、向こうへと呼びかける。
「誰かいないんですか? 話したいことがあるんですけど?」
……。
返事はない。誰も、いないのか?
いや、そんなことはないはず。きっと看守なんかはいるだろう。
俺を倒した、多分偉い人がいない時の接触は禁じられるとか?
ありそうな話だ。だとしたら……まずいな。
なあ、シル様? 次はいつ来るとか言っていたか?
『いや、具体的な時期は言っておらんかったの』
最悪、いつ来るかも分からない人のためにずっと起きている必要があるのか。
どうする? 俺の性質について今伝えるか?
ただ当然危険だと判断される可能性も高い。出来れば対面して話したいものだ。
「ちょ、ちょっと風佳。駄目だよ、怒られちゃうよー」
「大丈夫、問題ない。千絵、早くいく」
「うぅ、ごめんなさい玲子さん……」
と、にわかに騒がしくなる通路側。
声の感じからして、中学生くらいの女の子二人か? 状況は分からないが、これはチャンスだ。同年代の子なら同情も誘いやすい。
声の方向とは反対を向いて、声を張り上げる。
「そこに誰かいますよね。ほら来るなら早く来てくださいよ。
私は逃げも隠れもしませんから」
「むっ、未確認モンスター娘の声っ」
「ひ、引っ張らないでよっ」
気配が動き、鉄格子の前までくる。ーーさあ、正念場だ。
「あなたたちは何者ですか? 何が目的で私を閉じ込めたか知っています?
あ、失礼。お子様なあなたたちには分かりませんよね」
「私たちは鬼人隊。捕まえたのはお前が敵だから。
それとお前より年上」
俺の相変わらずな質問をバッサリと切り捨ててくる風佳と呼ばれた少女。
鬼人隊? なんかどこかで聞いたような……。
「あ、ごめんね。私たちは酒徳玲子さんっていうすごく偉い人のもとで動く007小隊のメンバーなんだー。
それでね玲子さんがあなたとお話がしたいからって捕まえたんだよー。
こ、こんな荒っぽいことになっちゃってごめんね」
「鬼人、酒徳玲子ですか……」
千絵と呼ばれた少女の言葉でその名を思い出す。
多分俺を倒したのがその人ーー酒徳玲子。「鬼人」と謳われた戦線の英雄さんだ。道理で強いわけだよ。
いつの間にか名前すら聞かなくなっていたが、まさかこんなところにいたとは。
「っ、単刀直入に聞く。お前、迷宮人?」
「……ええ、そうですよ。
私はモンスターと人が合わさって生まれました」
風佳の質問に、大きく肯定する。
完全種になる前に人と接触したらそう騙ろうと決めていた。言葉を選べば嘘をつかなくても済むし、何より理解を乞うのに一番都合がいいだろうから。
声が震えないようにしながら、身動ぎした様子の二人に続ける。
「だから私は人と顔を合わせたくないんですよ。
殺意に支配されて殺したくなってしまうので」
「そんなのっ……」
「酷い制約。ずっと一人で生きてきた?」
「まあはい。
あ、でも頭の中に愉快なお友達がいるので寂しくはなかったですよ」
『ふっ、我はお主のイマジナリーフレンドじゃからな』
俺の言葉に笑みをこぼすシル様。
うむ、嘘は言ってない。さてさて、と二人の様子を窺ってーー
「そういうことだったのね」
「むっ」「あっ玲子さんっ」
突如現れるあの時の人の声と、驚嘆を漏らす二人。
マジか、全然気配を感じなかった。
「話は聞かせてもらったわ、あなたの境遇も理解した。
さっきはごめんなさいね、辛い思いをさせたわ」
「いえ大丈夫です。
私は寛容ですからね、馬鹿な人間一人の行動に腹を立てたりしませんよ」
「それはありがとう。
じゃあ一つ、あなたに提案をするわ。これは私があなたを助けた理由で、人類にとっての悲願でもある。私としては受け入れてほしい。
ただどうしても嫌だというなら強制はしないわ。断ってもあなたの首を斬り落としたりはしない」
それ以外の保証はしないけどってか?
酒徳玲子。雰囲気に似合わずなかなかに残酷な御人らしい。
そうして彼女は確かに優しい声音で、その提案は口にした。
「あなたーー世界を救ってみる気はない?」
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