もうひとりの聖女・8
ラネとしては、準備を整えたらすぐにでもルーカット王国に向かうつもりだった。
聖女としての力が必要だと言われたら、もちろんそれを拒むつもりはない。アキが亡くなってしまった今、その力を持つのはラネだけである。
たとえラネが公爵家の養女になったとしても、聖女の力は一国で独占して良いものではない。
だから、要請があれば即座に行動しなければならない。
けれどギリータ王国では、思っていたよりも慎重に対応してくれた。
まずルーカット王国に、聖女の力が必要な理由を明確に求めた。
たしかにアレクと各国を回って魔物退治をしていたので、勇者と聖女の力が必要なほどの魔物はもういないはずである。
それにリィース公爵家の令嬢が本物の聖女だというのなら、ラネを派遣しなくとも、そちらで解決できるはず。
ギリータ王国では、向こうの聖女が力を持っていないとわかった上で、そう返答したのだ。
「どんなに高位の女性だろうと、聖女の力を持たない者を、聖女として扱うことは許されない。そんなことをすれば、この世界には聖女が溢れてしまうからね」
事情を説明してくれたクラレンスは、そう言った。
ここは王太子妃リィネの部屋で、彼女も同席してくれている。
アレクは昨日から、王都の屋敷に行っていた。
魔王が倒され、これからの平和が約束されているからこそ、聖女という存在が、権力に利用されることを防がなくてはならない。
だからルーカット王国から、リィース公爵令嬢は聖女ではない、という回答を引き出そうとして、そうしたのだろう。
そして、力を持たない令嬢を聖女だと主張するのはどうなのか、という声が他国からも上がっていたようだ。
「それなのにルーカット王国では、そのリィース公爵令嬢のことにはまったく触れずに、あんな返答してきたのよ」
リィネが呆れたようにそう言った。
最終的にルーカット王国側の回答は、魔物による瘴気がまだ残っている箇所があり、病人も出ている。そのため、聖女に瘴気の浄化を依頼したいということだった。
あれほど聖女の存在を主張していたのに、そのことには一切触れず、ただ聖女の力が必要なので、ラネを派遣してほしいと言うだけ。
だが、聖女を有するギリータ王国としては、そう言われたら断ることはできない。
こうしてギリータ王国は、ルーカット王国の要請によって、聖女ラネを派遣することを大々的に発表した。
「少し待たせてしまったけれど、正式な日程が決まったよ」
クラレンスはそう言って、詳細を伝えてくれた。
夫である勇者アレクが同行するのはもちろん、護衛騎士と身の回りの世話をするメイドも、何人か同行することになっていた。
身を案じてくれるのは有り難いことだが、想像以上に大事になってしまい、ラネは少しだけ、ルーカット王国に行くと言ってしまったことを後悔する。
(まさか、こんなに大人数になるなんて……)
護衛もメイドも、普通の貴族令嬢だったら少ないらしいが、ラネには多すぎるくらいだ。
でも、仕方がないと思い直す。
前回、魔物退治でアレクと訪問したときは、ふたりだけの気楽な旅だったが、今のラネは公爵家の養女である。たとえこの養子縁組身はラネを守るための形式的なものであっても、それでも表向きは公爵令嬢として動かなくてはならない。
「窮屈かもしれないけれど、今回は国から国への要請だから、転移魔法が使えるの。だから、移動は一瞬よ」
リィネはそう言って、慰めてくれた。
たしかにこれほどの人数で長時間の移動となると、かなり大変そうである。だから魔法で移動できるのは、有り難いことだ。
国家間を移動する魔法は、原則的に禁止されている。
でも今回は、一刻も早い聖女の訪問を希望するルーカット王国側が、魔法による移動を希望してきたようだ。
だからギリータ王国の魔導師が数人がかりで、ラネたちをルーカット王国に移動させてくれる。
もういつでも迎えるように準備を整えていたから、出発は翌日に決まった。
アレクにはクラレンスが先に事情を説明していて、もう了承も得ているという。
こうしてラネは、聖女としてルーカット王国に行くことになった。
「ラネ、気を付けてね。兄様も」
見送ってくれたリィネは心配そうだったが、ラネは彼女を安心させるように優しく告げた。
「心配しないで。たくさんの方が同行してくれるし、アレクも一緒だから」
「もし何か理不尽な要求をされたら、すぐに帰ってきてくれ」
クラレンスにもそう言われ、頷いた。
「では、出発しようか」
アレクの言葉で、魔導師たちがいっせいに転移魔法を使う。
移動は本当に一瞬で、気が付けば見知らぬ場所にいた。
ギリータ王国とは違う、冷たい空気が身を包む。
リィネが厚手のドレスを用意してくれたので、寒さを感じることはなかったが、それでも遠い国に来たということを実感させた。
(ここは……)
どうやらルーカット王国の王城らしい。
出迎えの者らしき複数の人たちが、こちらを見つめている。
隣を見上げるとアレクの姿があり、周囲に護衛騎士やメイドたちもいる。
そのことに思わず安堵すると、アレクが手を握ってくれた。
「大丈夫だ。さあ、行こうか」
リィネは頷き、顔を上げた。
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