もうひとりの聖女・6

 身分で侮られているのならば、その身分を上げてしまえばいい。

 それは、とてもわかりやすい解決方法かもしれない。

「でも私は……」

 リィネは戸惑って、傍にいる両親に視線を向けた。

 父も母も健在である。

 しかも今まで苦労をかけてしまった分、これから親孝行をしなければと考えていたところだ。

 それに、立派に王太子妃としての役目を果たしているリィネと違い、自分が貴族社会に上手く溶け込めるとは思えない。

「私には、無理です……」

 そう言って俯いたラネに、クラレンスは優しく語りかける。

「養女と言ってもラネを守るためのものだから、もちろん形だけで構わないよ。しばらくはここで過ごしてもらうことになるけれど、落ちついたら、元の生活に戻れる」

 そして、自分の側近であるノアの家の養女になることを提案してくれた。

 ノアはファウルズ公爵家の嫡男である。

 クラレンスの側近ということで、今回の事情もよく知っているし、ラネも顔見知りの彼ならば、それほど緊張しない。

 そしてルーカット王国の新しい聖女の生家と同じく、公爵家である。

「ノアなら大丈夫。それに、窮屈かもしれないけれど、ラネを守るためにも、必要なことだと思う」

 リィネもそう言ってくれた。

 ラネは両親、そしてアレクとよく話し合い、その申し出を受けることにした。

 両親はラネの安全が一番だと言ってくれたし、アレクもリィネと同じく、ノアの家ならば大丈夫だと言ってくれた。

 ふたりの言うように、形だけとはいえ、娘になるのだからと対面したファウルズ公爵夫妻は、とても優しく穏やかな人柄で、緊張していたラネを優しく気遣ってくれた。

 もちろんギリータ国王の許可もすぐに出て、ラネは正式に、ファウルズ公爵家の養女となった。

 これでラネは、聖女を自称する公爵令嬢と対等の立場となる。

 それを伝えたところ、向こうでも無理に引き渡しを求めることはなくなったという。

 ルーカット王国では、身分の差がかなり激しいと聞く。

 ラネが平民だったからこそ、力を盗んだから引き渡せ、などと言ってきたのだろう。

 それを思うと、周囲の勧めてくれたように、貴族の養女になってよかったかもしれない。

 でも少しだけ、困ったこともあった。

 貴族令嬢になったので、客人としての立場ではなく、リィネの話し相手として、彼女の傍に居られるようになった。それは嬉しいことだったが、当然貴族令嬢として過ごすことになるので、ドレスを着用しなければならない。

 夜会などに参加するときのドレスと比べると動きやすいものだが、それでも平民として暮らしてきたラネから見ると、豪奢なドレスである。

(夜会のドレスだけでも、私なんかには勿体ないと思っていたのに……)

 アレクが贈ってくれたドレスを思い浮かべる。

 でもいつの間にか、借りている客間のクローゼットには、たくさんのドレスが入っていた。

 半分は、夫のアレクから。

 そして半分は、ファウルズ公爵家からである。

 名前だけとはいえ、ファウルズ公爵家の養女となったのだ。そんなラネの身の回りを整えるのは、当然のことだと言う。さらに専用のメイドをふたりも派遣してくれた。

 彼女たちは王城に仕えるメイドたちと違って、ラネのためだけに王城に滞在している。

 平民のラネに仕えるなんて、申し訳ないと思うのだが、少し年上のメイドたちはふたりとも優しく、何も知らないラネに、色々と教えてくれた。

「ラネ、綺麗。すごく似合っているわ」

 ドレスを着せてもらい、着飾った自分の姿を恥ずかしく思いながらもリィネの部屋に行くと、彼女はドレス姿のラネを見て、とても喜んでくれた。

「兄様も喜んでいたでしょう?」

「そうね。綺麗だと褒めてくれたわ」

 何度もそう言ってくれた言葉を思い出して、ラネは頬を押さえた。

 アレクのその言葉で、ラネも少しだけ自信を持つことができた。

 ラネの身を守るために貴族の養女にしたいと、クラレンスは事前にアレクに相談していたらしい。

 ふたりで色々と相談した結果、ルーカット王国は身分差が激しい国であることも考えて、アレクもその方が良いと思ったようだ。

 だからあのときのアレクは、驚いた様子も見せず、静かに話を聞いていたのだろう。

 その際に、念のためにと言って大量のドレスを発注していたと、リィネがこっそりと教えてくれた。

「だからそれは、既製品じゃないの。ラネのためのドレスなのよ」

 ラネは驚いて、着用しているドレスを見つめた。

 手触りの良い、美しい布で作られたドレスは、動きやすさを重視しているようで、余計な装飾は何もない。

 それが清楚で美しいと、リィネは何度も褒めてくれる。

「私もまだ、色んなことを勉強中なの。よかったらラネも、一緒に授業を受けない?」

 そう誘われて、ラネは承諾した。

 ラネが公爵家の養女になったことで、危険は減ったと思われるが、それでもしばらくは、この王城で暮らした方が良いと言われている。

 だからこれから先、使うことはなかったとしても、一応貴族令嬢としての知識は、身に付けた方が良いと思ったのだ。

 この国の歴史から、貴族令嬢としての礼儀作法。そして、挨拶の仕方まで、リィネと一緒に学ぶことになった。

 ドレスにはなかなか慣れなかったが、知識として色々なことを学ぶのは、とても楽しかった。

 アレクは何度か王城の外に出ている様子だったが、それでも頻繁に様子を見に来てくれて、ダンスの授業ではパートナーを務めてくれた。

 リィネを尋ねてきた貴族令嬢とも対面し、彼女たちとも仲良くなれた。

 思いのほか、充実した楽しい日々を過ごしていたラネだったが、ある日、またクラレンスに呼び出される。

 前回と同じ部屋に、同じメンバーだ。

 そこでクラレンスは、ルーカット王国から、聖女訪問の依頼があると告げられた。

「訪問? 聖女とは、私のことでしょうか?」

 ラネは戸惑って、そう質問する。

 ルーカット王国の公爵令嬢を本物の聖女だとして、ラネやアキは仮の聖女でしかないと言っていたのに、どうして急に、そんなことを言い出したのだろう。

「それが今度は、聖女はひとりではないと言い出してね」

 呆れたような口調で、クラレンスは事情を説明してくれた。

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