もうひとりの聖女・5
ラネは、アレクと一緒に魔物退治に行ったときのことを思い出す。
雪と氷に閉ざされた、北方の国だった。
対面した老齢の国王は、野心家には見えなかったと思う。
けれど彼の後を継ぐ予定の王太子には、会ったことはない。
その王太子がリィース公爵と結託して、公爵令嬢を聖女に仕立て上げたのだろうか。
考え込むラネに、リィネが優しく声を掛けてくれる。
「ラネ、あまり悩まないでね。ルーカット王国への対応は、クラレンスや兄様に任せておけば、きっと大丈夫だから」
「……うん、そうね」
ここで自分が悩んでいても、できることは何もない。
むしろリィネが心配するだけだと、ラネは笑顔で頷いた。
「……ごめんなさい、ラネ。あなたを巻き込んでしまって」
自分たちと出会わなければ、ラネがこんな国家間の面倒ごとに巻き込まれることはなかった。
エイダーとの婚約がなくなっても、ラネならば勇者や勇者の妹に関わることも、聖女の力を得ることもない、穏やかな生活を手に入れることができたのではないか。
本当は妹である自分が、聖女となって兄を助けるべきだった。それなのに覚悟が足りなかったせいで、ラネにそれを押しつけてしまった。
リィネはそう考えているようで、過去にも何度か謝罪されたことがある。
気にしないでと言った。
今の方が幸せであることも。
それでも繰り返してしまうのは、それだけリィネにとって、聖女アキの最期が衝撃的だったのだろう。
聖女の力がもたらすのは、栄誉だけではない。
資格を失えば、聖女の力は失われる。
横暴だった前聖女のアキは、よりによってドラゴンとの戦闘中に聖女の力を失い、無残な最期を遂げてしまった。
さすがにラネも、それを思い出すと恐ろしい。
でも、ふたりに出会ったこと。
アレクを助けるために、聖女の力を得たことを後悔していない。
(リィネと、アレクと出会わなかった未来なんて……)
想像してみても、リィネの言うような、平穏な幸せを手に入れたとは思えない。
きっと慣れない都会暮らしに精一杯で、せいぜい王都で刺繍や縫い物の仕事について、少しだけ認められるようになるくらいではないか。
でもここで言葉を尽くすよりも、ラネが幸せであることを、ふたりに出会えてよかったと心から思っていることを、これから少しずつわかってもらうのが一番だ。
「巻き込むなんて言われると、部外者みたいで少し寂しい」
だから今は、少し拗ねたようにそう言う。
「え、そんなことないよ。だってラネは私の義姉様で、親友だもの。部外者だなんて、あり得ないから」
慌ててそう言うリィネに、優しい笑みを向ける。
「そうね。私たちは家族だから」
顔を見合わせて、微笑み合う。
それからしばらくは何事もなく、静かな日々が続いた。
「ラネ、すまないが少し話がある」
リィネの部屋でまったり話をしていると、クラレンスが尋ねてきて、ラネに向かってそう言った。
「はい、承知いたしました」
そう言って立ち上がると、リィネも同じように立ち上がり、夫のクラレンスを見つめる。
「兄様は?」
「戻ってきている。向こうで待っているはずだ」
どうやらアレクが、王都の屋敷からこちらに戻ってきたらしい。
いつもなら真っ先にリィネに会いにきてくれるが、今回はクラレンスのところに行ったようだ。
それだけ深刻な事態になっているのかもしれない。
無意識に両手を組み合わせて固く握りしめていると、リィネがそっと、そんなラネの手を握ってくれた。
「私も同行しても良い?」
「ああ。ラネの傍にいてやってほしい」
クラレンスに案内されたのは、ラネの部屋から近い客間だ。
部屋の中にはアレクだけではなく、ラネの両親。そして王太子であるクラレンスの側近、ノアもいた。
ラネはリィネに付き添われて椅子に座り、全員の顔を見渡す。
やや表情が固い。
両親は緊張しているだけだろうが、アレクは憤っているように。そしてノアには気掛かりがあるように見えた。
「急に呼び出してしまって、すまない」
クラレンスはそう言うと、視線をラネの両親に向けた。
王太子に声を掛けられた両親は、慌てた様子で頭を下げる。
「実は、ルーカット王国がまたとんでもないことを言い出してね……」
聖女の称号を譲れと言うルーカット王国の申し出を、ギリータ国王は拒否した。
魔王を打ち倒したのは、聖女アキ。
その力を受け継いだのは、聖女ラネである。
「だがルーカット王国では、聖女アキが亡くなったあと、その力を受け継ぐのは、聖女エマであるはずだった。それなのに、こちらでその力を盗み取った、などと言いがかりをつけてきた」
「何よ、それ」
最初に怒りの声を上げたのは、リィネだった。
ラネの手を握りながら、声を荒げる。
「盗み取ったなんて、よくそんなことが言えたわね。魔物が出没したときは、兄様とラネの力を必要としたくせに」
リィネの怒りに反して、ラネの気持ちは不思議と落ち着いていた。
アレクが憤っていたのも、先にこの言葉を聞いていたからだろう。
淡々と説明しているように見えるクラレンスも、黙って話を聞いているノアも、険しい顔をしている。
自分のために、これだけの人たちが怒ってくれている。
「盗み取ったというからには、向こうの『聖女』には、どうやら聖女としての力がまったくないらしい。そんな状態で、よく聖女を名乗ったものだ」
呆れたようにそう言ったクラレンスの言葉に、リィネも大きく頷く。
「ラネは私の義姉なのよ。それを、向こうではわかっていないのかしら」
リィネは、このギリータ王国の王太子妃である。
ラネはその王太子妃の義姉であり、勇者アレクの妻なのだ。
そして、間違いなく聖女の力を持っている。
それなのに、聖女の力を持たない高貴な血筋の幼い令嬢に聖女を名乗らせ、その力を盗み取った、などと言いがかりを付けてきたのは、やはりラネが平民だからか。
少なくとも、ギリータ国王はそう考えたようだ。
「父は、我が国の聖女が他国から侮られないため、そしてラネの身を守るためにも、君を貴族の養女にしようと考えている」
クラレンスの説明に、ラネは驚いて顔を上げる。
「……私が、養女に?」
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