もうひとりの聖女・4
「ラネなら、そう言うと思っていたよ」
その言葉を受けて、クラレンスは優しい笑みを浮かべる。
だが、申し訳なさそうにこう言葉を続けた。
「それでもギリータ王国としては、そう簡単に聖女の称号を手放すわけにはいかなくてね」
魔王との戦いは、勇者と聖女を擁したこの国にも、大きな被害をもたらした。
むしろ勇者と聖女がいるのだからと、率先して他国に出没した魔物退治も引き受けている。
たしかにアレクは強く、アキも、最初は普通に聖女の力を使いこなしていた。
それでも、犠牲がまったく出なかったわけではない。
戦いに同行して亡くなった、騎士や魔導師がいる。
だからこそ、後から名誉だけ奪おうとするルーカット王国を許すわけにはいかないのだと、クラレンスは語った。
「そう、ですね」
そんな彼の説明に、聖女の称号は、自分ひとりのものではないと悟る。
ラネは今でこそ王都で暮らし、王太子であるクラレンスとも気軽に会話することが許されているが、もともと山間の小さな村の出身だ。
だから、国同士の関係や政治的なことまで考えが及ばなかった。
(それに聖女の力は、アレクを助けたくて、私が求めたもの。簡単に手放そうとしていたのも、無責任だったのかもしれない)
必要なときだけその力を借りて、責任や重圧からは逃れようとしていた。
それに、ルーカット王国に誕生したという『聖女』が、ニセモノだという可能性もある。
クラレンスの話では、新しい聖女は、ルーカット王国の公爵令嬢らしいのだ。
それに比べて、アキは異世界人。そしてラネは、身分的には平民である。
だから簡単に、聖女の称号を奪えるのではないかと画策したのではないか。
ギリータ国王はそう考えているようだ。
「もちろんこちらは、ラネは聖女の力を有した正式な聖女である、と回答するつもりだ」
「そうよ。ラネが兄様と一緒に各国を回っていたのは、他の国でもよく知られていることだわ。ラネが聖女ではないなんて、誰にも言わせないから」
リィネも強い口調でそう言ってくれた。
「ありがとう。私も、代理だからと軽く考えてしまっていたけれど、代理でも、聖女の称号をいただいたことには変わらない。きちんと責任と義務は果たさないと」
「……そこで、責任と義務と言ってしまうのが、ラネらしいわね。向こうは、聖女の名誉だけを求めているのに」
そう言ったリィネは強ばっていた表情を和らげて、ラネの手を握る。
「兄様もラネも、すぐに港町に帰りたいだろうけれど、こういう事情だから、しばらくは王城にいてもらう方が安全だと思う」
向こうがラネを平民だと侮っているのなら、何か仕掛けてくる可能性もある。リィネはそれを心配しているようだ。
「そうだな。ラネの安全が一番だ」
アレクはすぐに頷き、ラネの両親も王城で保護してもらうことになった。
「俺はしばらく屋敷で、向こうの動向を探ろうと思う。リィネ、ラネのことを頼む」
「ええ、任せて」
兄に頼むと言われたリィネは、大きく頷いた。
アレクが両親を迎えに行ってくれるので、ラネはこのまま王城に残ることになった。
リィネはそう言って、王太子妃自ら、ラネの部屋を用意してくれる。
両親の部屋も、ラネのすぐ隣の客間にしてくれた。
「またラネと一緒に過ごせるなんて、嬉しいわ」
「ありがとう。しばらくお世話になります」
まさか両親ともども王城で保護してもらうほどのことだとは、思わなかった。
ラネは戸惑ったが、警備の手間をかけるよりも、おとなしく王城で過ごしたほうが良いのだろう。
アレクと離れてしまうのは寂しいが、リィネとまた一緒にいられるのは、ラネも嬉しい。
大変なのは、突然王城で暮らせと言われた両親かもしれない。
エイダーに婚約をなかったことにされたときは、両親に迷惑を掛けたくなくて村を出た。
その後アレクと結婚して、両親も王都に呼び寄せ、これでようやく平穏に暮らせると思っていたのに、また迷惑をかけてしまっている。
「急にこんなことになって、ごめんなさい」
アレクが連れてきてくれた両親にそれを謝罪すると、母は呆れたような顔をして笑った。
「そんなこと、気にしなくても良いのよ。あなたは悪くないのだから」
若い頃は王都に憧れていたという母は、王城に泊まれるので、むしろ嬉しそうだった。
ラネが気に病まないように、そうしてくれているのかもしれない。
ひとりで屋敷に戻ったアレクのことが少し心配だったが、彼は強い。
それにいくらルーカット王国でも、救世の英雄であるアレクに手を出すようなことはしないだろう。
向こうが求めているのは、『聖女』の名誉である。
クラレンスも、色々と情報を集めてくれているようだ。
リィナの部屋で話をしていたとき、尋ねてきた彼に、ルーカット王国の新しい聖女について聞くことができた。
ルーカット王国にあらたに誕生したと言われている聖女は、エマという名前で、リィース公爵家のひとり娘だという。
「リィース公爵は、現国王の弟で、母親はペキイタ王家の血筋のようだ」
「ペキイタ王国の……」
聖女アキがドラゴン討伐に赴いて、亡くなった国だ。
その新しい聖女は、ふたつの国の王家の血を引く、かなり高貴な女性のようだ。
「自分が聖女だと思い込んでいる、高慢な女性かもしれないわね」
リィナはそう言ったが、クラレンスは複雑そうな顔をして、首を横に振る。
「それが、彼女はまだ7歳の少女のようだ」
「7歳……」
ラネは思わず、リィネと顔を見合わせる。
まだそんなに幼い少女ならば、自分の意思で聖女を名乗ったわけではなさそうだ。
「それは、かえって面倒ね」
リィネが深い溜息をついてそう言うと、クラレンスは同意するように頷いた。
「そうだね。我が儘な令嬢が聖女の名誉を欲したのなら、まだ良かった」
ラネは、その言葉の意味を考える。
聖女の名誉を欲したのが、そのリィース公爵令嬢ではないのだとしたら。
まだ7歳の幼い子どもを利用して、聖女の名誉を欲しているのは誰なのか。
エマはふたつの王家の血を引く、高貴な令嬢だ。
そんな彼女を利用しようとしているのは、きっと国の上層部。王家の人間だろう。
ペキイタ王国は代替わりしたばかりで、新しい王がそんなことを企むとは思えない。
ならばやはり、ルーカット王国の王家なのか。
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