もうひとりの聖女・3

 建国記念日の式典も無事に終わり、ラネとアレクは、その翌日には海辺の町に帰るつもりだった。

 王都にある屋敷は両親がしっかりと管理してくれるし、王太子妃であるリィネも何かと忙しい。身内とはいえ、そう頻繁に会えるわけでもない。

 彼女はもう、自分の新しい人生を歩き始めている。

 だから自分達も、今の生活に戻ろう。

 そう話し合って、帰る準備をしていたのだ。

 近所に配るお土産をたくさん買い、荷物整理に奮闘していたところで、来客があった。

 どうやら王城からの使者らしい。

 母が慌ててそう知らせてくれたので、アレクとともに応接間に向かう。

 王太子のクラレンスから緊急の呼び出しだと言われて、思わずアレクと顔を見合わせた。

「何があったのかしら……」

 昨日の記念式典では、何事もなかったはず。

 しかも使者の緊迫した様子から察するに、あまり良いことではなさそうだ。

 とにかく急いで支度を整えて、王城に向かう。

 王都に出ると、町は建国記念日の祭典の余韻で、華やいだ雰囲気だった。お祝いはまだ続くらしく、屋台などがたくさん出ている。人々の顔も明るい。

 けれど王城は静まりかえっていて、ほんの数日前までは美しく飾り立てられていた場所とは思えないほど、ひっそりとしていた。

 何かあったのは間違いない。

 不安になってアレクを見上げると、彼は静かな眼差しで、ラネの手を握ってくれた。

「大丈夫だ」

「アレク……」

 彼の落ち着いた様子に、ラネも少し冷静になった。

 町はあんなに賑やかだったのだから、人々が危険に晒されるようなことではないのだろう。

 案内された部屋には、クラレンスだけではなく、彼の側近であるファウルズ公爵家のノア、そしてリィネの姿もあった。

「リィネ」

 その姿を見て、ラネはほっとする。

 急な呼び出しに、彼女の身に何かあったのではないかと不安に思っていたのだ。

「ラネ、兄様。急に呼び出してしまって、ごめんなさい」

 リィネはそう言って、隣にいるクラレンスを見上げた。

「出発する前に、呼び止めることができてよかった。少し、面倒なことになってね」

 その視線を受けて頷き、クラレンスはそう言うと、ラネを見た。

「ルーカット王国を知っているだろうか」

「……はい。北方にある王国ですね。一度、アレクと一緒に魔物討伐に行ったことがあります」

 雪と氷に閉ざされた、寒い国だった。

「ああ、そうだったね」

 それを思い出したのか、クラレンスは頷いた。

 建国記念日の式典で、当日は各国から祝いの使者も来ていた。

 そのルーカット王国から来た使者は、信書を携えていたようだ。

「その内容が、少し厄介でね。ルーカット王国で、新たな聖女が誕生したというのだ」

「え?」

 ラネは驚いて、思わずアレクを見上げた。

 魔王は勇者に選ばれたアレクにとって討伐され、千年の平和が約束されていたはずだ。

 勇者も聖女も同じく、あと千年は誕生しないと言われていた。

 現在、強い魔物はほとんど討伐され、世界は平和を取り戻している。

 アレクとラネも、前日の建国記念日の式典で、もう勇者も聖女もその役目を終えている。これからは、普通の人間として暮らしていこうと思ったばかりだ。

 それなのに、なぜ今になって聖女が現れたのか。

「それは、本物なのか?」

「……わからない」

 アレクの問いに、クラレンスは困ったようにそう言った。

「こちらでは、確かめる術はないからね。ただ、アキは『召喚』された聖女だった。そしてその力を継いだラネは、不慮の事故で亡くなった聖女の『代理』だった。本物の聖女が誕生しても、おかしくはない。それが向こうの主張だ」

 勇者として選ばれたアレクが優秀だったので、本当の聖女が覚醒する前に、魔王を討伐してしまったのではないか。そう言っているらしい。

「しかし、今や魔王は討伐され、魔物もほとんど出現しない。今さら聖女を出してきて、どうするつもりだ?」

 彼女が本物の聖女だったとしても、作り上げられたニセモノだったとしても、世界はもう聖女を必要としていない。

 そう言ったアレク同様、ラネもそう思っていたが、クラレンスの考えは違うようだ。

「この世界を救った『勇者』そして『聖女』は、どちらも我が国の出身だった。その栄誉はきっと、後世まで語り継がれる」

 少なくとも千年は、この世界に平和をもたらした勇者のことは語り継がれるだろう。

 クラレンスのその言葉に、アレクは少し複雑そうだった。

 でも、彼の偉業が語り継がれるのは、本当だろうとラネも思う。

「その栄誉を他国が欲しがったとしても、不思議ではないよ。現にルーカット王国では、こちらが本物の聖女なのだから、『召喚聖女』と『聖女代理』は、今後聖女と名乗らないでほしい、と言ってきたからね」

「後から口を出してきて、名声だけ奪おうとしているのよ」

 今まで黙っていたリィネが、憤った声でそう言った。

「向こうが何を言ってきても、聖女はラネよ。その力で、兄様を助けてくれた。その後だって、強い魔物を討伐するために世界中を回っていたのに」

 リィネは、ラネのために怒ってくれている。

「ありがとう、リィネ」

 けれどラネは、それほど聖女という称号に執着はなかった。

 自分がアキの力を受け継いだだけの、『聖女代理』だということも、理解している。

 そしてもう魔王もおらず、魔物も減少している今、聖女の役目は終わっている。

「私は、アレクを助ける力が欲しかっただけ。だから『聖女』ではなくなっても、かまいません」

 むしろ魔王討伐にも参加していない自分には、過ぎた称号だ。

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