第42話
「ドレスのデザインもまだ決めていないって、どういうことなの?」
砂漠の国から帰還した翌日のこと。
リィネに会いたいと言われて王城に出向いたラネは、挨拶もそこそこに詰め寄られて、困ったように笑った。
「どうと言われても。魔物退治の合間に一応、打ち合わせなどはしていたのよ? でも時間が足りなくて」
「……浄化魔法が必要な場合以外は、兄様に同行する必要はないじゃない」
呼び名が、兄さんが兄様に変わったのはいつからだったか。
そんなことを思いながら、ラネはもうすぐ義妹になるリィネを見つめる。
もともとの美貌にさらに磨きが掛かって、もう生粋の貴族の令嬢にしか見えない。でもこの美しさは、彼女がクラレンスに相応しい人間になりたいと努力した結果だ。
「それは」
砂漠の町でアレクが語った話を言おうか少し迷って、ラネは自分の胸に秘めておくことを選んだ。
きっとアレクは、ラネだから話してくれたのだ。
(あれは、ふたりだけの秘密にしよう)
あの日のことを、きっと忘れないけれど、おそらく今後、誰かに話すことはない。
「同行しないのは、無理ね。アレクは結構無茶をするの。この間も、猛毒の魔物の血を浴びてしまって」
「えっ」
「もちろん、すぐに浄化したから大丈夫」
「……ラネがいてくれてよかったわ」
一瞬不安そうな顔になったリィネだったが、聖女のラネが一緒だから問題ないと、気を取り直したようだ。
「でも、結婚式はもう一か月後なのに」
聖女アキの喪が明けてから、半年が経過した。
禍々しい気は消え去り、清浄な気に満ちている。
一か月後には、王太子と勇者の結婚式が行われる予定だった。
兄と一緒に結婚式を挙げる日を、リィネはずっと楽しみにしているのだ。
「またどこかに行ったりしない?」
「大丈夫よ。この一年で、各国を悩ませていた魔物はすべて倒したわ。これからは準備に集中できるはず」
そう言うと、リィネは安堵したようだ。
「よかった。じゃあ早速、明日から結婚式の準備を始めましょう」
「そうね」
ラネだって、一か月後の結婚式をとても楽しみにしている。正式に婚約者となってから一年。ようやく愛する人と結ばれるのだ。
「あ、そうだ」
リィネは何かを思いついたようで、きらきらとした瞳でラネを見る。
「もしラネが嫌じゃなかったら、ドレスをお揃いにしない? そうすれば今からデザインを決めなくてもいいし、同じものをもうひとつ作ればいいから、間に合うと思うの」
リィネはそんな提案をしてきた。
「ドレスを?」
「そう。駄目かな?」
可愛い義妹と同じドレスを着るのは、なかなか素敵な提案だ。
もともと村娘だったラネにとって、ウェディングドレスは貸衣装店から借りるものであり、特に希望やこだわりはなかった。
「でも王太子妃になるリィネと同じドレスは、わたしには贅沢すぎるわ」
この一年、クラレンスは隣国との和解や他国からの援助要請など積極的に外交をこなし、王太子としての地位を確立させていた。
側近のノアを始めとして、騎士団に入団した第三王子も兄を支持しており、もはや彼が次期国王になるのは間違いない。
そうすれば、リィネは未来の王妃である。
同じドレスを着るなんて、おこがましいと思ってしまう。
「何を言っているの。ラネだって聖女で、相手の兄様は勇者なのよ? それこそ唯一無二の存在なのに。むしろ世間では、世界を救った勇者と聖女の結婚の方が話題になっているくらいよ」
この国だけではない。
各国を回って魔物退治をしてくれたふたりに、感謝している人はたくさんいるとリィネは言う。
「だから、ラネさえ嫌じゃなかったらそうしましょう?」
「ええ、もちろん嫌ではないわ」
「じゃあ、決まりね。サリー、すぐにメアリーを呼んでほしいの」
「かしこまりました」
リィネ専用の侍女となったサリーは、笑顔で承諾した。
メアリーの店は、今は王太子妃御用達となってますます繁盛しているようだ。
「私も刺繍したハンカチを販売してもらっているの。売上金は、孤児院に寄付してもらっているわ。孤児院で暮らしたことがある王太子妃なんて、世界中を探してもきっと私だけ。だからこそ、私にしかできないことはあると思う」
兄の帰りを待って泣いてばかりいた少女は、兄によく似た強い瞳でそう言った。
きっと彼女は良い王妃になるだろう。
この国の未来は安泰だと、ラネは思う。
「わたしもまた、仕事を再開させるつもりよ」
「そういえば、キキト村の刺繍がすごく売れているみたい。聖女効果だってメアリーが言っていたわ」
「そうだったの」
村には良い思い出と、苦い思い出が半々くらいある。でもあの村の刺繍は誇りに思っているから、有名になったことは素直に嬉しかった。
それからは、本当に忙しかった。
毎日のように王城に通い、結婚式の準備に追われた。
もう結婚式が三日後に迫ったときになって、ようやく少し時間に余裕が持てるようになった。今日は王城に行かなくても良い日だったので、少しだけ早起きをして、母親と朝市に向かうことにした。
「ほら、ラネ。向こうには行っては駄目よ」
王都に来たばかりの母の方が道に詳しくて、何度もそう注意された。
「母さん、詳しいね」
「実は昔、少しだけ王都で暮らしたことがあったのよ」
母はそう言って、懐かしそうに王都の街並みを見つめる。
「ずっとここで暮らしたかったけれど、経済的に難しくて。まさかこの年になって夢が叶うとは思わなかったわ」
そう言いながら、昔からある店を見て、懐かしいとはしゃいでいる。
「本当に人生って何が起こるかわからないわね」
「……そうね」
母の言う通りだと、ラネは頷いた。
ラネが王都に来たのは、エイダ―の結婚式に参列するためだった。それがアレクと出会い、彼を愛したことで、ラネの人生は大きく変わった。
「ねえ母さん。ミードのスープの作り方を教えてほしいの」
アレクは、母が作るミードという香辛料をたっぷりと使った辛いスープが好きだと言っていた。それを思い出してそう頼むと、母は嬉しそうに頷く。
「もちろんよ。材料を買っていきましょう」
結婚後も両親と同居する予定だから、あまり実感はない。
けれどもうすぐ結婚して、ラネはアレクの妻になる。結婚式の準備ばかりに奔走していたけれど、料理なども、もっと頑張りたい。
「でも、そんなに張り切らなくてもいいのよ。料理は私に任せたらいいし、何ならお手伝いさんを雇ってもいいと言ってくれたから」
特別な日に、彼の好物を作れば充分だと言う。
「だったら、やっぱりミードのスープは覚えなきゃ。アレクが好きだと言っていたの」
「あら、まぁ」
そう言うと母は嬉しそうに、材料から作り方までじっくりと教えてくれた。
「このスープ、父さんも好きなのよ。でも喧嘩のあとに毎回作っていたら、少し飽きちゃったみたいで……」
「そんなに喧嘩していたの?」
両親が喧嘩しているところなど、見たことがなかった。驚いて尋ねると、母は昔を思い出すように遠い目をして、くすりと笑う。
「ええ。特に、結婚したばかりの頃はひどかったわ。でも、いくら喧嘩をしたって仲直りをすればいいのよ。あなたたちだって、そのうち喧嘩するようになるかもしれないわ」
「……スープの作り方を覚えておくわ」
今のところ、アレクと喧嘩をするなんて考えられないが、ないとは言い切れない。そのときのために、しっかりと覚えておこう。
「明日から三日間、お城に泊まるのよね」
「うん。結婚式までの準備のために」
母の言葉に頷く。
ドレスの最終調整や、儀式のリハーサルなど、やらなくてはならないことがたくさんある。
「最初はちょっと塞いでいたみたいだけど、もう大丈夫そうね」
「……うん」
母が気付いていたことに驚きながらも、ラネは小さく頷いた。
結婚式の準備をしていると、どうしてもエイダ―に婚約破棄されたことを思い出してしまう。
あのときの胸の痛み。
これからどうなるかわからない不安。
でも、これはアレクとの結婚式だと思うにつれ、少しずつ気持ちが前向きになってきた。
「わたしはもう大丈夫」
つらかった過去は、これからのしあわせな記憶に上書きされていくに違いない。
そして、いよいよ結婚式の当日になった。
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