第41話
どこまでも続く砂漠が目の前に広がっている。
祖国では見たことがないほど大きな夕陽が、地平線に沈んでいく。
世界が赤く染まっている。
「……綺麗」
ラネはテントから顔を出して、その光景を見つめていた。
雄大な景色を眺めながら、ラネは今までのことをゆっくりと思い出していた。
(色んなことがあったなぁ……)
田舎に住むただの村娘だった自分が聖女と呼ばれるようになったのは、アレクと出会ったからだ。アレクと一番親しく、そして彼を助けたいと強く願ったからこそ、ラネはここでこうしている。
(あなたを助ける力があって、本当によかった)
昼間の事件を思い出して、ほっと息を吐く。
砂漠に大型の蜥蜴が住み着き、人々の生活を脅かしている。警備団を差し向けたが、全滅してしまったようだ。その蜥蜴の討伐を依頼されて、ラネはアレクと砂漠の国を訪れていた。
大型の蜥蜴は体長が十メートルもある、恐ろしい魔物だった。猛毒を持ち、その血に触れるだけで毒に冒されてしまう。
死者のほとんどが、その毒によるものだった。
魔物はアレクによってあっさりと倒されたが、彼がその返り血を浴びてしまったのだ。
ラネは真っ青になって、魔力切れになって倒れてしまうほど、浄化魔法を使い続けていた。結果として、毒で汚染された砂漠は浄化され、綺麗な水まで湧き出して、オアシスになってしまった。
ラネが倒れている間に、聖女の泉と名付けられてしまったらしい。
(やり過ぎたことは自覚している。でも……)
猛毒の血をアレクが浴びたと思った瞬間、 ただ彼を助けることしか考えられなかった。
「ラネ」
ふと声を掛けられて顔を上げると、そのアレクがこちらに歩いてきた。
「目が覚めたか?」
「わたしは大丈夫。アレクは?」
浄化したから大丈夫だと思っていても、確認せずにはいられない。
「俺なら大丈夫だ。確かめてみるか?」
「うん」
ラネは手を伸ばして、アレクの腕に触れる。肩から頬に移動し、その澄んだ瞳を覗き込んで、ようやく安堵の息を吐いた。
「……よかった」
けれど体調を確かめていたのはアレクも同じだったらしい。
「魔力は戻ったようだな」
「あ……」
そういえば、使い果たしたはずの魔力が戻っている。アレクが自分の魔力を渡してくれたのだろう。
もともと魔力のなかったラネは、まだその使い方を完全に掴んでいない。今回のように感情が高ぶると、魔力が尽きるまで魔法を使い続けてしまう。
「ありがとう」
「あまり無理はしないように」
「ごめんなさい」
素直に謝ると、髪を撫でられた。
優しい手つきに心地良くなって、思わず目を閉じる。
各地を巡る旅は過酷だったが、こうしてふたりきりで過ごせる時間は、とてもしあわせなものだった。
アレクはラネを気遣い、けっして危険に晒さないように守ってくれる。
体調にも常に気を使ってくれて、魔力切れ以外で倒れたことはない。
でも彼の負担になっていないか、気になってしまう。ひとりの方が、彼にとっては楽ではないのだろうか。
そんなことを考えて俯いたラネの肩を、アレクは不意に抱き寄せる。
「アレク?」
いつしか名前で呼ぶようになった婚約者の突然の行動に驚いて、そっと覗き込む。
「どうしたの? やっぱり具合が……」
「いや、大丈夫だ。ラネのお蔭で何ともない」
そう言いながらも、ますます抱擁が強くなる。
「……」
どこか遠くを見つめているような瞳に、ラネはもう何も言わずに寄り添う。
沈みゆく夕陽を眺めながら、アレクがぼつりと語り出した。
「両親を亡くしてから、ずっと妹を守るために生きてきた」
独り言のような言葉に、ラネは頷く。
聞かなければならないと、強くそう思った。
「勇者として選ばれてからは、この世界を守るために。こうして俺は、何かを守りながらずっとひとりで生きていくのだと思っていた」
淡々と紡がれた言葉からは、まだ子どもの頃から誰にも頼れずに、ひとりで生きてきた彼の孤独を感じた。
「魔王を倒して、世界は平和になった。だが戦いがなくなったら、俺はどうすればいい。平和になった世界でどう生きるのか、わからずにいた」
生きるための手段として十二歳から剣を取ったアレクは、戦い続ける日々の中で、両親に庇護されて穏やかに過ごしていた時間を忘れてしまったのだろう。
戦いの中でしか、生きられない。
平和を目指して戦っていたはずなのに、その中で生きる術を見いだせない。
世界に千年の平和をもたらしたのは間違いなくアレクなのに、そんな彼が平和に苦悩していたなんて知らなかった。
ラネは自分の肩に回されていたアレクの手に、手のひらを重ねる。
その温もりに励まされたかのように、彼は言葉を続けた。
「だかラネと出会って、こうしてふたりで旅をするようになって。少しずつ、本来の自分を取り戻しているような気がする。ラネとふたりで過ごす静かな時間が好きだ。ラネの母親が作る、辛みの強いスープが好きだ。世界が赤く染まる夕陽が好きだ」
大切な宝物を並べるように、好きなものをひとつずつ上げるアレクの言葉に、とうとう堪え切れずに涙が溢れる。
アレクはその涙を、指先でそっと拭ってくれた。
「この一年で、各国を脅かす魔物はほとんど倒せた。もう俺が必要なほどの魔物は、滅多に出没しないだろう」
倒した魔物の数々を思い、ラネも頷く。
あとは各国の騎士団、警備団で何とかできる範囲だ。
「一年前はまだ、この日が訪れることが怖かった。でも今は平和になった世界で、ラネと一緒に穏やかに生きていきたい。そう願っている」
涙を零したまま、ラネは何度も頷いた。
この一年。
彼に付き添って一緒に戦った日々は、無駄ではなかったのだ。
「わたしも、アレクと一緒に生きたい。あなたの傍で、あなたと一緒に、しあわせになりたい」
平和になった世界には、聖女もあまり必要ないだろう。
神殿の奥で飾り立てられることを、ラネは望んでいない。この旅が終わったら両親と一緒にアレクの屋敷に住んで、刺繍の仕事も再開させるつもりだ。
クラレンスにはそう話したし、彼も承知してくれている。
国王は難色を示したようだが、アレクもラネも背負うものを持たない平民だ。そんな国王にクラレンスは、あまり縛り付けると他国に移住してしまう可能性があると言って説得してくれた。
もちろんアレクもラネも、自分の力が必要となったら快く協力するつもりだ。
ふたりが平穏に生きるには、この世界の平和が必要となる。
それに、アレクの大切な妹のリィネはいずれ王太子妃になるのだから、この国を見捨てることは絶対にない。
そうしていつかふたりの子どもが生まれたら、大切に育てよう。家族が増えるのは、とてもしあわせなことだ。
あれほど愛情深いアレクのことだ。きっとかわいがってくれるに違いない。
「これからは、今までの分もしあわせにならなきゃ。あなたとやりたいことがたくさんあるの」
例えば、とアレクに尋ねられて、ラネは思いつくまま答える。
「バレンタインデーには、あなたにチョコを贈るの。クリスマスには、ふたりでディナーに行きたいわ。あの海鮮料理の店がいい。それと、あなたの故郷にも行ってみたい。海を見てみたいの。あとは……」
アレクはひとつひとつに頷き、楽しみだと言ってくれた。
いつしか夕陽が沈み、周囲が暗くなって月が輝く夜になっても、ふたりはずっと未来への希望を語り合っていた。
明日になれば、祖国に帰還する。
そうすれば、もう一か月後に迫った結婚式の準備をしなくてはならない。
忙しくなるだろう。
だから今のうちに、しあわせな未来を語り尽くしておこう。
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