第40話
聖女アキは、ドラゴンとの戦闘で命を落としてしまった。
勇者アレクが何とか討伐したドラゴンはアンデットと化し、世界の平和はまた乱されるところだった。
だが、アレクを救いたい一心から、彼の婚約者が聖なる力に目覚め、その力を得た勇者アレクはアンデットドラゴンを倒した。
新しい聖女ラネの誕生である。
勇者と聖女の結婚は、平和の象徴となるだろう。
「これが、明日発表される筋書きだ」
クラレンスに説明を受け、ラネはアレクの隣で頷く。
「わかりました」
クラレンスの隣では、引き続き王太子の補佐をすることになったノアが忙しそうに働いている。
第二王子と隣国の王は、ドラゴンの討伐時の混乱を利用して、勇者アレクと王太子クラレンスを暗殺しようとした罪で裁かれることになった。
さすがに第二王子が禁断の呪術を使って聖女に呪いをかけ、ドラゴンの屍をアンデット化したとは公表できないのだろう。
そして明日は聖女アキの葬儀と、新しい聖女ラネのお披露目である。
最初はアキが堕落した聖女ということもあり、ラネのお披露目だけが行われるはずだった。けれどラネが、アキを正式に聖女として埋葬することを提案した。
彼女が魔王討伐パーティに参加していたのは事実であり、その功績も大きい。
それに、呪術によって縛られていたアキの魂には強い妄執が残っていた。鎮魂の儀式が必要だろう。
葬儀後、この国は一年間、聖女の喪に服する予定だ。
王太子とリィネ、アレクとラネの結婚も一年後になるが、準備期間を考えればそれくらい必要になる。
アキの葬儀があるため、ラネのお披露目はそれほど派手には行われない。
クラレンスはそれを詫びてくれたが、隣国とはいえ、ドラゴンによって多数の死者が出たのだから、派手なことはしないほうがいいだろう。
「ラネ、大丈夫か?」
そんなことをぼんやりと考えていたら、アレクが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「ええ、もちろん」
ラネは笑顔でそう答えた。
アレクはとても愛情深い人間で、ずっと守ってきた妹のリィネが巣立った今、その愛情はすべて婚約者のラネに注がれている。
今となっては、彼の愛情を疑うこともない。
「大丈夫だ。明日もずっと傍にいる」
不安になっていると思ったのか、そう言ってくれた。
「……うん」
ラネの明日のドレスは、もちろん以前に作ってもらった薄紫色のドレスだ。やっとアレクに見てもらうことができる。
明日は両親もお披露目に出席する。メアリーの店で礼服を仕立ててもらい、準備も万全のようで、朝からゆっくりと過ごしていた。
「すごいのはラネであって、私たちではないからね」
「そう。明日は娘の晴れ舞台を見学するだけだから」
両親は、そんなことを言って笑っているくらいだ。
エイダ―から婚約破棄されたときは、あれほど泣かせてしまった母親が笑顔で過ごしているのが嬉しい。
最初は広すぎる屋敷に戸惑っていた両親も、今ではすっかりと慣れたようだ。
まだ結婚もしていないのに同居するのは、と遠慮していた母親も、これだけ広ければ問題ないと考えを変えていた。アレクに自由にしていいと言われているのを良いことに、せっせと住みやすく改善している。何もなかった広い庭には花と野菜が植えられ、リィネ付きの侍女になって一緒に王城に行ったサリーの代わりに家事に精を出している。
父親はいつの間にか王都で仕事を探してきたようで、ある大きな商会に勤めることになったらしい。聖女の父でいずれ勇者の義父になることは伏せているらしいが、働きやすい良い職場だと楽しそうだ。
そんなことを考えていると、クラレンスの声がした。
「打ち合わせはこれで終わりだ。リィネが会いたがっているから、時間があれば寄ってやってほしい」
「はい、もちろんです」
クラレンスの申し出を快諾し、ラネはそのままリィネのもとに向かう。アレクはまだ話があるようで、あとでリィネの部屋に迎えに来てくれるらしい。
「ラネ、いらっしゃい。来てくれて嬉しいわ」
少し前までラネが部屋に入るなり抱きついてきたリィネは、上品な笑顔を浮かべてそう言った。
「頑張っているみたいね」
そう声をかけると、リィネは少しうんざりしたような顔をして頷いた。
「そうね。生まれたときからこんな生活をしている人たちの中に、溶け込まなくてはならないもの。少しだけ、クラレンスの手を取ってしまったことを後悔しているわ」
そう口にしても、彼女は後悔などしていない。それがわかっているから、ラネも笑みを浮かべる。
「あの令嬢たちは?」
「相変わらずよ。嫌味を言うだけで命を狙われるわけではないから、問題はないわ。これ以上ひどくなったら兄さんに言うから大丈夫よ」
「クラレンス様じゃなくて?」
相談するべきなのは婚約者ではないのか。そう思って軽い気持ちで尋ねたのだが、リィネは難しい顔をして首を横に振る。
「王家とはいえ、婚約者が嫌がらせをされたくらいで、他の貴族に文句を言うことなんてできないわ。まして王妃陛下が幽閉されている今、クラレンス様の立場は複雑なのよ」
王妃はクラレンスの生母だが、第二王子の罪に関与していたことで王城から退いている。
もし彼女が王妃でなくなれば、次の王妃は第三王子の母となるだろう。そうなれば第三王子は王妃の嫡子となる。
「第三王子のクロン様は兄さんに憧れて剣を持ち、いずれ騎士になりたいそうだから、心配はないと思うけれど」
「そうだったの」
王族の婚約者は、なかなか気苦労が多そうだ。
それでも自分で選んだ道だからと、彼女はこれからも努力を続けるのだろう。
「ねえ、リィネ。いつからクラレンス様のことが好きだったの?」
そう尋ねると、彼女は白い頬をほんのりと染めて、恥ずかしそうに言った。
「初めて会ったときから。ひとめ惚れなの。父さんと母さんも、お互いにひとめ惚れらしいから、そういう家系なのよ」
情熱的だということだろうか。
自分の気持ちを自覚するまで時間が掛かったラネは、首を傾げる。
「兄さんもそうよ。ラネにひとめ惚れしたらしいから」
「……そ、そうなの?」
思わず頬に両手を添える。きっとリィネと同じように赤くなっているに違いない。
パートナーを申し込んだときから惹かれていたと言われたが、まさかひとめ惚れだとは思わなかった。
そうして翌日。
聖女アキの葬儀が厳かに執り行われた。
ドラゴンとの戦いで命を落とした聖女を悼んでいるのは、直接アキと関わったことのない平民だけだろう。彼女の人となりと死因を知る者たちにとっては、彼女の魂を悪霊にならないために浄化する儀式だった。
黒いドレスを着用したラネは、儀式が始まってからずっと浄化魔法をかけている。傍にはアレクがいてくれて、ラネの浄化魔法を助けてくれた。
アレクは常人離れした魔力を持っているが、魔法はあまり得意ではないらしく、初期魔法くらいしか使えないそうだ。その有り余る魔力を、ラネに譲渡してくれるお蔭で、ずっと浄化魔法を使うことができた。
これでアキの魂は呪法から解き放たれたに違いない。
エイダ―は妻の葬儀に参加していなかった。
癒しの魔法によって傷は癒えたものの、ドラゴンに喰われてしまった両手は再生できず、剣を持てないと知って自失呆然としているようだ。彼の回復を祈っているが、もう会うことはないだろう。
葬儀が終わると、今度は聖女としてのお披露目だ。
リィネが遣わしてくれたサリーの手を借りて、新しいドレスに袖を通す。
(やっとアレクさんに見てもらうことができる……)
メアリーに仕立ててもらった薄紫色のドレスを着て、髪を整え、薄化粧をしてもらう。
支度を整えてアレクの前に立つと、彼は目を細めてラネを見つめた。
「似合っている。とても綺麗だ」
「……ありがとう」
支度を手伝ってくれたサリーや他の侍女も、何度も綺麗だと言ってくれた。
けれどアレクからの言葉は、やはり特別だった。
「やっと、そのドレス姿を見ることができた」
「見てもらえて、わたしも嬉しい」
ラネの指には、アレクから贈られた婚約指輪がある。飾られた宝石は、アレクの瞳のような真っ青なサファイアだ。今日はふたりの婚約も正式に発表される。
こうしてクラレンスとリィナ、そして両親が見守る中、ラネは国王によって正式に聖女だと認定された。
聖女アキの喪中なので、披露のための夜会などは開かれない。ラネはアレクとともに、集まってくれた人々の前に姿を現して挨拶をする。
その中に、見知った顔がいくつもあった。
村の人たちだ。
皆、何か言いたげな顔をしていたが、遠くから手を振るラネと話す機会はない。
ラネにも、話したいことはなかった。
ただ生まれ育った村が、これからも平和であることを祈るだけだ。
アキの葬儀、そして聖女としてのお披露目を終えて、両親と一緒に屋敷に戻った。
「疲れたか?」
着替えをして広間に向かうと、アレクがいた。手を差し伸べられて、迷わずにその手を取る。
「ううん、大丈夫」
聖女の葬儀でもあったため、お披露目も簡素に終わらせている。これから一年、この国は聖女の喪に服することとなる。
ふたりはソファーに並んで座った。
「隣国では、前王の娘が即位したようだ」
「女王陛下?」
「そうなる。以前、女性は即位することができず、あの男が王になった。だが他に王位継承者がいなかったため、法律を変えたようだ」
「そうですか……」
引き渡された隣国の王は、罪があまりにも大きく証拠も揃っていたため、裁判なしで極刑に処された。
即位した新女王からは謝罪と賠償、そしてドラゴン討伐の謝礼が届けられたようだが、このことが公表されることはないだろう。
どちらにしろ、もう終わったことだ。
明日からは少しゆっくりと過ごして、ドラゴンとの激闘で疲れたであろう彼を休ませたい。
そう思っていたのに、次の日の朝早くから国王からの使者が来た。
「アレクさん?」
「北の国にフェンリルが出たようだ。討伐に行かなくてはならない」
「わたしも行きます!」
すぐにでも出立しそうな彼を押しとどめて、ラネはそう言う。聖女になったのは、こんなときにアレクを手助けするためだ。
彼は少し驚いたような顔をしたものの、すぐに頷いた。
「ああ、そうだな。一緒に行こうか」
ラネは素早く旅支度を整え、昼過ぎには王都を出た。屋敷は両親に任せ、リィネとクラレンスは知っているだろうからと、言付けもしなかった。
勇者と聖女なのだから、役目を果たすだけだ。
北の国に渡り、フェンリルを倒した。戸惑ったのは慣れない北国の気候だけで、魔物退治はすぐに終わった。
帰ってからしばらくすると、次は砂漠の国。
それぞれの国で討伐隊を組み、それでも打ち倒せなかった魔物を、倒して回る日々だった。
それでもアレクと一緒に過ごせるのだから、ラネにとってはしあわせな時間だ。もし聖女の力に目覚めなかったら、こんなに長い間、離れて暮らすことになっていただろう。
気が付けば一年などあっという間で、もうすぐ聖女アキの喪が明けようとしていた。
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