第39話
「ラネ、兄さん!」
空高く昇っていく光の粒子を眺めていると、リィネの声がした。
振り返ると、リィネがクラレンスを支えながら、こちらに歩いてくる。彼もまたアンデットドラゴンとの戦いに巻き込まれたようで、歩くのも覚束ない様子だ。
ラネはふたりに駆け寄ると、クラレンスに治癒と浄化の魔法を使う。
「……これで大丈夫だと思います」
アレクは自分に駆け寄らず、心配そうにクラレンスを支えるリィネを見て驚き、そして嬉しそうに笑みを浮かべた。
留守の間に妹が恋をして、成長したことを悟ったのだろう。
リィネがクラレンスに好意を持っていることは、ラネにもわかっていた。クラレンスも同じに違いない。偽装婚約したふたりだったが、これからその関係がどうなるかは、ふたりで話し合って決めることだろう。
(だからわたしも……)
自分の気持ちをちゃんと伝えなくてはと、妹の姿を見守るアレクに声を掛ける。
「あの、アレクさん」
そう声を掛けると、彼は視線をラネに向けた。
「どうした?」
アレクの瞳に自分が映っている。
そう思うと、胸がどきりとする。エイダ―と婚約していたときだって、こんなときめきを感じたことはない。気持ちを落ち着かせるように両手を胸に置いて、ゆっくりと深呼吸をする。
「す、少しお話したいことが」
手が震えそうになりながらそう言うと、アレクは頷いた。
「そうだな。話し合わなくてはならないことはたくさんあるが、まずは指輪を贈らなくては」
「指輪?」
ラネは首を傾げる。
「婚約したのだから、指輪を贈るのは当然だろう?」
不思議そうなラネに、アレクはそう言って優しく笑う。
この国には、何代前かに召喚された聖女によってもたらされた習慣が、数多くある。
好きな男性にチョコレートを贈るバレンタインデーや、恋人たちで過ごすクリスマスなど。
そして婚約指輪と結婚指輪も、聖女によってもたらされたものだ。今ではラネが育った小さな村にさえ、指輪を売る店があるくらいだ。
「ええと、わたしたちの婚約は身を守るための偽装で……」
慌てるラネの手を、アレクはそっと握った。
「偽装とはいえ、公表されたことだ。君を二度も婚約破棄させるつもりはない」
アレクらしい言葉だ。
ここで頷けば、ラネは恋した人を手に入れることができる。アレクはきっと優しくしてくれるだろう。しあわせになれるに違いない。
(でも……)
きっと一緒になれば、ラネは同じくらいの愛を求めてしまう。同情で結婚してくれた人に、そこまで求めるのは酷だろう。
それに愛しているからこそ、アレクには本当に愛した人と生涯をともにしてほしい。
リィネとクラレンスのように、成就する恋ばかりではないのだ。
ラネは涙を堪えて笑顔を作ると、そっと手を離した。
離れていく温もりに胸が痛くなる。
(これでいいの。わたしはアレクさんのしあわせを願っているから)
そう自分に言い聞かせる。
「ラネ?」
けれどアレクは、ラネがそんな行動をするとは思わなかったようで、離れていく手をもう一度捕まえる。
「わたしなら大丈夫です。婚約破棄くらい、何でもありません」
優しい彼が気に病まないように、笑ってみせる。
「これでも一応、聖女ですから。きっとわたしを貰ってくれる人の、ひとりやふたりくらい……」
「約束をしている者がいるのか?」
もう一度手を放そうとしたけれど、アレクは手を放してくれない。それどころか、もっと強く握りしめられる。
真剣な瞳に胸がどきりとする。
「い、いえ。そんな人はいません」
思っていたよりも近い距離に慌ててそう答えると、アレクはあきらかに安堵したようだ。
「そうか。よかった……。それなら婚約指輪を贈っても、問題はないだろう?」
「そこまでしていただかなくても、わたしなら大丈夫です。御心配をお掛けして……」
厚意に甘えるわけにはいかないと、必死に断ろうとしたが、アレクはそれを遮るように、ラネの手のひらを自分の頬に押し当てる。
「俺が相手では、嫌か?」
懇願するように言われて、視線を逸らす。
アレクのしあわせのために必死に断ろうとしているのに、受け入れてしまいそうになる。
だから、きちんと伝えることにした。
「いいえ。でもわたしは、アレクさんが好きです。だからこそ、優しさに付け込むような真似はできません。アレクさんは、好きな人と一緒になるべきです」
突然の告白に、驚いたのだろう。握られていた手から力が抜け、ラネはそっと離れる。
「ですから、わたしのことは気にしないでください。自分のことくらい、ちゃんと自分で」
「ラネ、俺が悪かった。少し浮かれていたようだ」
繋いだ手を放すのはつらかったのに、またすぐに捕まってしまう。さらにアレクは謝罪を口にする。
「浮かれて?」
「ああ。伝わっているものだと思い込んで、きちんと言わなかった」
「アレクさん?」
甘く蕩けるような瞳を向けられて、胸がどきりとする。
強い意志を秘めた瞳や、真剣な瞳なら何度も見てきた。
でも、こんな彼は見たことがない。
「君にパートナーを申し込んだときから、惹かれていた。よく知るにつれ、意思の強さや優しさに、心を奪われていった。この婚約が、君の身を安全のためだったことは事実。嫌なら解消してくれてもかまわない。だが俺が愛しているのは、君だけだ。このまま継続することを望んでいる」
「え……」
すぐには信じられなくて、ラネは何度も瞬きをする。
「アレクさんが、わたしのことを?」
「ああ、愛している」
「……本当に?」
「そうだ。信じてもらえるまで、何度でも言う。だから、他の者と結婚するなんて言わないでくれ」
アレクが、自分のことを愛してくれている。
その言葉がゆっくりと心に染み渡っていく。
婚約を喜んでいるだろうと言っていた、リィネやクラレンスの言葉は正しかったのだ。
同時に、ラネもまた思い込みで話を進めようとしていたことに気が付いた。
「ごめんなさい。わたし、二度も婚約破棄をされたらかわいそうだからと、アレクさんが同情して結婚するつもりなんだと思い込んで」
「いや、いくらドラゴン退治に奔走していたとはいえ、きちんと伝えなかった俺が悪い」
互いに謝罪したあと、目を合わせて笑い合う。
「こんな思い込みの激しいわたしでも、いいの?」
「もちろんだ。言葉が足りないことはわかったから、もう二度と同じ過ちは繰り返さない。ラネ、君を愛している。だから、婚約指輪を受け取ってほしい」
「……はい。わたしでよかったら、喜んで」
アレクの胸に飛び込むと、しっかりと抱きしめられた。
温かく優しい腕。これがもう自分のものだと思うと、言葉にできないほどの幸福感が胸を満たす。
ふと顔を上げると、リィネとクラレンスも抱き合っているのが見えた。
向こうも上手くいったようだ。
あのふたりの婚約がどうなるかわからないけれど、リィネの顔を見る限り、クラレンスから離れることはないだろう。
それからラネは、瓦礫と化した町全体に浄化魔法をかけた。
これで、この土地に色濃く残っていた死の波動は消えた。時間は掛ってしまうかもしれないが、いずれ町は復興するだろう。
ラネはリィネと一緒に、アレクとクラレンスに第二王子と隣国の王の企みをすべて話した。そのふたりを光の檻に捕えていることも伝えると、クラレンスは厳しい顔をした。
「それだけのことをしてしまったのだから、弟は王族から追放されるだけではすまないだろう。罪はきちんと裁かれるべきだ。今のことを、父の……。国王陛下の前でも証言してもらえるだろうか」
「はい、もちろんです」
ラネは頷いた。
「君が聖女の力に目覚めたことも、公表しなくてはならないが……」
「心配はいらない。俺はもうラネと離れるつもりはない」
アレクがそう言って、ラネの肩を抱く。ラネも嬉しそうに、その腕の中で微笑んだ。
勇者と、彼に対する想いで力に目覚めた聖女を、引き離せる者など誰もいない。
「それよりも、クラレンスはどうするつもりだ? 王太子を辞する理由は、これでなくなった」
聖女の死の原因の責任は、第二王子にある。
それが判明すれば、彼が王太子の地位を返上する理由はなくなる。
アレクの言葉に、クラレンスは表情を引き締める。
「私は、自分の責任を……。王太子の義務を果たそうと思う。リィネには苦労を掛けてしまうかもしれないが……」
「兄さん、私はクラレンス様とともに生きようと思います」
寄り添い合うふたりの姿に、アレクは優しく笑う。
「お前がそう決めたのなら、反対などしない。だが俺の妹であることには変わらない。助けが必要なら言ってほしい」
「うん、兄さん。ありがとう」
リィネはようやく兄に抱きつき、アレクは成長した子どもを見つめる親のような優しい瞳で、妹を見つめていた。
それからは四人で国境を越え、国に帰還したところで、アンデットドラゴンの影響が国を越えないようにと結界を張っていた大魔導ライードと合流する。彼の転移魔法で、一行は王城に帰還することができた。
クラレンスは国王に謁見を申し出て、ドラゴン討伐の結果を待っていた国王はすぐに許可をしたようだ。
勇者アレク、王太子クラレンスは、それぞれの婚約者を連れて、国王と対面した。
国王との謁見には、宰相の他に貴族が何人か同席しているが、そこに王妃の姿はなかった。
討伐されたドラゴンがアンデット化したことは、ライードによって報告されていた。聖女がいなければ討伐は不可能であるアンデットドラゴンを倒したという報告に、国王も新しい聖女の存在を感じ取っていたのだろう。
ラネが聖女として目覚めたことを報告しても、誰もが疑うこともなく信じてくれた。
けれど第二王子と隣国の王の企みを告げると、謁見の間が騒めいた。
第二王子と隣国の王が通じていただけでも罪になるというのに、聖女に呪術をかけ、アンデットドラゴンを生み出したのだ。さらに王太子クラレンスと勇者アレクの抹殺まで企んでいた。
ある貴族に証拠があるのかと問われ、後ろに下がっていた大魔導ライードが前に出てきた。彼によって、光の檻に囚われた隣国の王と第二王子が目の前に出現した。
「国王陛下。自白魔法の許可を」
ライードの言葉に国王は少し躊躇ったようだ。
第二王子だけならともかく、隣国の王もいる。けれど真実を明らかにしなければならないという周囲の言葉に、それを許可した。
彼らが自白したのは、ラネが説明したこととまったく同じだった。
ふたりは光の檻のまま地下牢に閉じ込められ、隣国には王の罪とドラゴン討伐完了の連絡を送ったようだ。
いずれふたりは極刑に処されることだろう。
あの場にいなかった王妃も多少関与していたらしく、彼女は王都から遠く離れた場所に幽閉されることとなった。
クラレンスは王太子のまま、リィネを正式な婚約者として迎える。彼女は妃教育のために、このまま王城に住むことになっていた。
いずれ王太子妃になる彼女と、もう一緒に暮らすことはないだろう。けれどアレクの妻となるラネにとって、彼女は正式に義妹となる。
縁が切れるわけではないのだと、寂しい気持ちを押し隠して笑顔で送り出した。
そしてラネにも、新しい聖女としてのお披露目が待っていた。
「村に残っている両親を、王都に呼んだらどうだろう」
リィネが出て寂しくなった屋敷に、ラネの両親と同居しようという提案だった。 アレクにそう言われて、ラネは村に残っている両親を王都に呼び寄せることにした。
手紙では到底信じてもらえないだろうからと、ただ王都で一緒に暮らそうとだけ書いて呼び寄せた両親は、婚約者として紹介したアレクを見て固まっていた。
「ラネ、もしかしてあの御方は……」
「ええ、アレクよ。この世界を救ってくれた、勇者アレク」
震える声で尋ねた母親に、そう答える。その問いが何度か繰り返され、ようやく信じてくれたようだ。
さらにラネが聖女の力に目覚めたこと。アレクが、両親も一緒にこの屋敷で暮らしたいと望んでいることを話すと、両親は揃って頭を抱えてしまった。
「ごめんなさい、面倒なことになってしまって」
「……いいのよ。少し困惑したけれど、あなたがしあわせになるのなら、それが一番だから」
婚約者に裏切られ、村ではのけ者にされて、悲痛な思いで村を出た娘がしあわせになるのなら、こんなに嬉しいことはない。
そう言って、ラネをしっかりと抱きしめてくれた。
「アレク様。娘をよろしくお願いします」
頭を下げた父親に、アレクはもちろんです、と答えてくれた。
「どうかアレクと呼んでください。これから家族になるのですから」
幼い頃に両親を亡くし、自身もまだ子どもだったのに、妹を養うために戦ってきたアレクは、そう言ってラネの両親に微笑みかけた。
「そうね。こんなに素敵な息子ができるなんて」
事前にアレクの過去は話していたので、両親はすぐにそれを受け入れてくれた。
彼が大切に守ってきた妹は巣立ち、自分で選んだ人と生きていく。
だから今度は、アレクがしあわせになる番だ。
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