第38話
もちろん、警戒は怠らない。
ラネはリィネを庇うように片手を広げ、第二王子の動向を注意深く探っていた。
クラレンスの実弟だというが、あまり似ていないようだ。
エイダ―やアキと同じ黒髪に、緑色の瞳。
痩身の兄とは違って、かなり大柄である。
「そんなに警戒しないでください。後ろには、正騎士も控えているのだから、私には何もできませんよ」
そう言ってにこやかに笑うが、瞳の奥には冷淡な光がある。
何かを企んでいるのは間違いない。
問題は、どこでそれを起こすつもりなのか。
ラネはさりげなく周囲を観察した。
馬車の後ろには、馬に乗った正騎士がいる。クラレンスの命で、婚約者であるリィネを守る騎士だ。
彼らは敵ではないだろう。
そして第二王子には護衛がひとり。
だがその護衛は、この馬車には同乗していなかった。こうして見れば、何もできることはなさそうに思える。
けれど、ラネは警戒を解かない。
第二王子の右手にある指輪が、どうしても気になっていた。
(何だか禍々しい気を感じる。あれは危険なものだわ)
指輪を睨んでいるラネに気が付いて、第二王子は感心したように笑みを浮かべる。
「これに気が付いたか。どうやら聖女の素質は、お前の方があるか。当たりを隣国の王に引かせるのは気に入らぬが、俺の好みはこっちだからな」
そう言って、ねっとりとした視線をリィネに向ける。
びくりと身体を震わせたリィネを、ラネは自分の身体で隠す。
「彼女は王太子殿下の婚約者ですよ」
きつい口調でそう言うと、第王子は目を細めた。
「たおやかな外見に似合わず、きつい女だな。心配せずとも、兄ならば勇者もろとも、ドラゴンの餌食だろうよ」
「ドラコンは討伐されたと聞いたわ」
ラネに庇われていたリィネが、彼の言葉を否定して、叫ぶように告げる。
「ああ、ドラゴンは倒しただろう。だがあのドラゴンには呪いをかけられている」
楽しげに、得意げに、彼は自分たちの企みをふたりに語った。
「ドラゴンに喰われた聖女は、その前に隣国の王と対面していた。そこで、俺が開発した呪術を聖女にかけさせている。呪いを刻まれた聖女を喰らったドラゴンは、討伐されたかもしれないが、今頃アンデットとして蘇っただろう」
「聖女に呪術が通用するはずが……」
「普通の聖女ならそうだろう。だがあれは、堕落寸前の聖女だった」
自己顕示欲の強い女だから、ドラゴンの元に向かわせるのは簡単だったと、第二王子は愉快そうに言う。
「こうして呪術はなされ、ドラゴンに呪いが刻まれた。予定通りだったよ」
「……そんな」
リィネの顔が蒼白になり、ふらりと倒れかけた彼女をラネは慌てて支えた。
アンデットドラゴンは、聖なる魔法でしか倒せない。
だが聖女アキは失われ、リィネもラネも、まだ聖女として覚醒していない。
「そんなことになれば、隣国だって無事にはすまないでしょう」
「アンデッドドラゴンは、一万人の命を奪えば呪術が消える。それくらいで俺は王位が手に入り、向こうは聖女を娶ることができるのだから、安いものだろう」
「なんてことを!」
歪んだ笑みを浮かべる第二王子を、ラネは唇を噛みしめて睨む。
アレクが必死に守った人たちを、たかが王位のためだけに犠牲するなんて、許されることではない。
(そんなこと、絶対にさせない……)
何とかしてここを逃れ、国王陛下に訴えれば、すぐに第二王子は拘束されるだろう。
隣国の王と手を組んで聖女に呪術をかけ、王太子と勇者を抹殺しようとしているのだ。
聖女が失われた責任は、間違いなくクラレンスではなくこの第二王子が背負うべきである。
それにドラゴンと対峙してるだろうアレクとクラレンスのことも心配だ。
やらなければならないことは多いが、まずリィネを安全なところに逃がさなくては。
必死に考えを巡らせるラネを嘲笑うように、彼は言う。
「無駄だ。この指輪には転移魔法が封じ込められている。お前たちをこのまま隣国の王城に移動させる。心配することはない。お前たちは隣国の王と俺が、妃として大切にしてやるからな」
言葉と同時に、第二王子の指輪が黒く光る。
怯えたリィネがラネに抱きついてきた。
「させないわ」
縋りつくリィネを抱きしめて、ラネは黒い指輪を睨み据える。
禍々しい魔の波動。
これはきっと普通の魔法ではなく、魔物の魂を利用して魔法を使う呪術だ。
そんな禍々しいものを使わせるわけにはいかない。
(アレクさん……)
ラネは彼を思い浮かべながら瞳を閉じ、自分の中に芽生えていた小さな光に力を注いでいく。
リィネを守りたいという気持ち。
アレクを助けたいと願う心。
そして、アンデットドラゴンに殺されてしまうはずの人々を、守りたいと願う祈りを、すべて力に変えて。
黒い呪術はもう発動している。
その力はリィネとラネを囲い、望まない場所に連れ去ろうとしていた。
けれどラネは白い祈りを込めた力で、その呪いを断ち切る。
「ラネ?」
腕の中のリィネが、驚いたように身を震わせた。
視界が真っ白に染まり、ラネはリィネを連れて、発動していた魔法の転移先を変更する。
(アレクさん、待っていて。わたしが、絶対に助けてあげるから)
ラネは、自分の中に芽生えたこの力が、聖女のものであると理解していた。
この力があれば、アレクを守れる。助けられる。
そう思うと、自然と笑みが浮かぶ。
もちろん、邪悪な企みをした第二王子と隣国の王を逃すつもりはない。
光の檻を作り出し、ふたりをそこに閉じ込める。
この檻は、聖女の力でなければ破壊することはできない。すべてが終わったら、このふたりにはきちんと裁きを受けてもらう。
「リィネ、アレクさん達のところに飛ぶわ。あなたは王城で待っていて」
「ううん、私も行く」
安全な場所に逃がそうと思っていたリィネが、そう言って首を振る。
「もう逃げるのは嫌なの。ちゃんと兄さんの戦いを見届けたい。お願い、私も連れて行って」
「わかったわ」
ラネは優しく微笑んだ。もちろん、一緒に連れて行ってもリィネには傷ひとつ付けるつもりはない。
「わたしが守るから、大丈夫」
そのまま光魔法を使って、アレクのいる場所まで移動した。
初めて使う魔法だが、不安はなかった。
どうすればいいのか、どう力を使えばいいのか、
身体が勝手に理解しているようだ。
白い光が消えると、そこには今までとは違う光景が広がっていた。
瓦礫と化した町。
ドラゴンブレスによって焼き払われた大地。
そしてこの地に色濃く残る、呪術の影。
「……っ」
瘴気が漂い、呼吸も苦しいほどだ。
アレクも心配だったが、まずこの瘴気を何とかしなくてはならない。
そう思った瞬間、大地を揺るがすようなドラゴンの咆哮が聞こえてきた。
「きゃっ」
地震のように揺れ、立っていることができないほどだった。
倒れそうになったとき、誰かの手がしっかりと支えてくれた。
その手の体温を背中に感じた瞬間に、涙が溢れそうになる。
(ああ……)
この人に会うために、この人を助けるために、ラネはここまで来たのだ。
思えば小さな田舎の村を出てから、そう時間は経過していない。
けれどひとりで生きる覚悟を決め、故郷を出てから、あまりにも多くのことがあった。
その間に彼への気持ちを自覚した。
この恋心があったからこそ、ラネは聖女の力に目覚めたのだろう。
「アレクさん」
思わず抱きついたラネを、アレクは動じずにしっかりと抱き止めてくれた。
「ラネ。本当に、ラネなのか?」
「……うん、そうよ」
涙をぽろぽろと流しながら、こくりと頷く。
「どうして……。どうやってここに」
困惑したまま、けれどアレクは、ラネを腕に抱いて離さなかった。
見た目は、別れた日とそう変わらない。
けれど濃い血臭を、ラネは見逃さなかった。
そして未練のように彼に絡みつく、聖女アキの妄執も。
かけられた呪いによって、アキの魂はまだこの地に縛り付けられている。
「ごめんなさい。あなたに彼は渡せないの」
両手をアレクの頬に添え、そっと額を近付ける。
理由など知らないのに、彼は逆らわずに、むしろラネがやりやすいように屈んでくれる。
「アレクさん」
彼が好きだと。
だれにも渡したくないと、改めて強く思う。
額を合わせて、聖女の力を使う。
痛みも傷もすべて癒し、瘴気を浄化する。
ラネの腕の中にアレクが、心地良さそうに息を深く吐いた。
「聖女になったのか」
短く問われて、こくりと頷く。
「わたしが望んだ力よ」
アレクが何か言う前に、ラネはそう告げた。
「あなたの力になりたい。傷を癒したい。わたしはずっとそう願っていたの。だから、望が叶って、わたしはしあわせよ」
笑顔でそう言うと、アレクは眩しそうに目を細めた。
「ラネならばきっと、力に圧し潰されることなく、溺れることなく、正しくその力を使うことができるだろう」
アレクにそう言われたら、期待を裏切ることなんてできない。
「話したいことがたくさんあるの。でも、まずはあのアンデットドラゴンを何とかしなくては」
「そうだな。ラネがいてくれるなら可能だろう」
リィネは、と小さく尋ねたアレクに、多分クラレンスのところだと答える。
一緒にこの地に転移してきたが、それぞれ望んでいる場所に飛ばされたようだ。
ラネがアレクの傍に移動したように、リィネはクラレンスのところにいた。
「そうか。ならば、早く終わらせるか」
アレクが咆哮するドラゴンに視線を向け、剣を構えた。
ラネはその剣に、聖なる力を付与する。
もともとアンデットは、聖属性に弱い。
アレクの腕ならば、おそらく一撃で終わるだろう。
「アレクさん」
「わかった」
付与魔法を終えて声を掛けると、剣を手にしたアレクが走り出す。
腐りかけたドラゴンの前脚を避け、骨が剥きだしになった尾の攻撃を交わし、放たれたドラゴンの息吹を受け流す。
そのまま一度も足を止めることなくドラゴンの懐に飛び込むと、聖なる力が付与された剣を、ドラゴンに突き立てた。
眩いほどの白い光か、ドラゴンの全身を包み込んだ。
耳を塞ぎたくなるような凄まじい唸り声を上げて、ドラコンの身体が崩れ落ちていく。アレクは後ろに大きく跳ねて、巻き込まれる前に交わしていた。
ラネは彼に駆け寄ろうとして、まだドラゴンの屍に呪術の影響が残っていることに気が付いて足を止める。
「浄化します」
「頼む」
両手を組み合わせて、祈りを捧げる。
聖女の祈りによってドラゴンの屍は光の粒子となり、やがて空に昇って消えて行った。
これでもう、その屍が悪利用されることはないだろう。
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