第37話

「でも、私は兄さんの妹というだけの平民よ。いくら聖女になる可能性があるとはいえ、クラレンス様の婚約者として認められるとは思えないわ」

 リィネが不安になるのもわかる。

 アレクは勇者とはいえ、身分ならばラネと同じである。けれどクラレンスはこの国の王太子なのだ。

 その彼は、リィネは勇者であるアレクの妹だから大丈夫だと言っていた。

 でも長い歴史の中で、勇者は何人も誕生している。皆、魔王封印を成し遂げているが、その死後、勇者の親族が取り立てられたという話は聞いたことがない。

 だが、クラレンスは問題ないと言う。

「身分を気にしているのならば、たいした問題ではないよ。アレクは普通の勇者ではないからね」

 最初に会ったときとは比べ物にならないほど打ち解けた様子で、クラレンスはそう語る。

「たしかに、今までにも勇者は何人も存在していた。表向きは世界を救った勇者としてその功績を讃えているけれど、実際には、その待遇はあまり良かったとは言えない。魔王の封印のための犠牲。生贄のようなものだった」

「そんな……」

 アレクもそんな扱いを受けるところだったのか。そう思うと、リィネに何も言わずに旅立った彼の気持ちがわかる気がする。

(それなのに、わたしは……)

 魔王が討伐されたと聞いたとき、ラネはただ喜んだ。これでようやくエイダ―が帰って来ると、胸を高鳴らせていた。

 それが、彼の犠牲の上に成り立っていたかもしれないと思うと、胸が痛い。

「だが魔王は討伐され、千年の平和が保障された。アレクは魔王を倒した初めての勇者であり、以降、千年は勇者が誕生しないということでもある」

 百年に一度と千年に一度では、重みが違うと考える者もいる。クラレンスは言葉を選びながらそう言った。

「もちろん今の平和は、歴代の勇者が命がけで掴み取ってくれたもの。その恩義を忘れてはならないと思う」

 百年に一度、平和の生贄のように選ばれていた勇者ではなく、魔王を倒した唯一の勇者であり、以降、あと千年は誕生しないだろう勇者である。

 そう思えば、アレクの妹であるリィネにも価値があると考える権力者は多いのだろう。

 まして、聖女候補だ。

 勇者と同じように、聖女もまた、あと千年は誕生しない。王家にその血が入ることを歓迎する者も多いだろう。

「クラレンス様は、違うのですか?」

 不敬だとわかってはいたが、ラネはそう問わずにはいられなかった。

「ラネ、それは」

 リィネが止めようとしたが、アレクに妹を託された以上、たとえ罰せられても、これだけは聞かずにはいられなかった。

「私が、王太子の地位を守るためにリィネを利用するのではないか。そう危惧しているのか?」

「……はい」

 両手を固く握りしめて頷くと、クラレンスは怒りを表すこともなく、穏やかに頷いた。

「そうだね。そう思うのも、無理はない。たしかにリィネは勇者アレクの妹であり、聖女候補だ。もしリィネを妻にしたのなら、私も王太子でいられる可能性がある。だが、アレクを敵にしたこの国に未来があるとは思えない」

 そうきっぱりと言う。

「アレクさんを?」

「ああ。彼はとても愛情深い人間で、身内をとても大切にしている。勇者らしい博愛を持ち合わせてはいるが、大切な人を害する者には容赦しない。覚えがあるよね?」

 クラレンスにそう言われて、思い出す。

 エイダ―の仕打ちを知ったとき、アレクはとても怒ってくれた。

「そういえば、エイダ―を殴ろうとしていました」

「今となっては、彼はあのとき、アレクに殴られて再起不能になっていた方がしあわせだったかもしれない。私も、リィネを利用したなんて知られたら、同じようになるよ。王になる以前の問題だ」

「……そうですね」

 あのときのアレクを見ているので、否定することもできずに俯いた。

 だとすれば、あの当時からアレクはラネを大切に思ってくれていたのだろうか。

 そう思うと、つい頬を押さえてしまう。

「それに、誰かが聖女の死の責任を取らなくてはならないのなら、私がそうするべきだ」

 聖女の死はあまりにも重く、他の者では死罪になる可能性すらあると言う。

 どんなに横暴で、堕落して聖女の資格を失ったとはいえ、アキは正式な聖女だった。

「ですが……」

 リィネを狙っていた王子が王太子になるのも、問題ではないか。そう思ったラネの気持ちがわかったのか、彼はこう付け加えた。

「私には、弟がふたりいる」

 ひとりは例の第二王子であり、クラレンスと同じ正妃の子である。もうひとりは側妃の子で、第二王子よりも一歳年下だという。

「残念ながら、実の弟よりも異母弟の方が王太子の素質があるようだ。身分の問題はあるが、ノアと公爵家が後ろ盾になれば問題ないだろう」

「あなた以外の人に、仕える気はなかったのに」

 ずっと黙っていたノアが、ぽつりとそう言った。押し殺した声には、クラレンスに対する友情と忠誠が込められていた。

 それでも引き留めないのは、クラレンスが疲れ果て、今にも倒れそうな顔をしているからだろう。初めて出会ったときよりも、彼は随分と痩せていた。あの輝かしい笑顔は、とうに失われている。

 王と貴族。聖女と王の間を取り持ち、ドラゴンの件では隣国をけん制しつつも連絡を取り合っていた彼は、ラネが見てわかるほどに疲弊していた。

「クラレンス様は、これからどうなさるのですか?」

 リィネが尋ねると、彼は目を細める。

「そうだね。どこか景色の良い場所で、静かに暮らせればと思うけれど」

「でしたら、私の故郷に行きませんか。海がとても綺麗なんです。兄さんとラネと、そしてクラレンス様と一緒に暮らしたら、きっと楽しいわ」

 明るくそう言ったリィネの言葉に、クラレンスが目を見開く。

 そして、嬉しそうに笑みを浮かべた。

「海か。それはいい。そんな楽しみが待っているのなら、あと少し頑張れそうだ」

 ラネは、視線を交わし合うクラレンスとリィネを見つめる。

 ふたりはきっと、互いに好意を抱いている。

 さっきは思わず口を出してしまったが、身分の問題さえなければ、お似合いだと思う。

 今まではリィネとラネ、そしてアレクの三人だったけれど、愛情で結ばれた家族が増えるのは嬉しいことだ。

(家族だなんて、気が早いわ……)

 リィネとクラレンスも、ラネとアレクもまだ偽装婚約の状態なのだからと、先走る気持ちを抑えるように、深呼吸をした。

 アレクの屋敷で、三人で過ごした日々はとてもしあわせなものだった。

 でもこれからは、四人になるのかもしれない。

 

 王城では、王太子が女性を引き入れたと噂になっているらしい。

しかも、ふたりともまったく外に出ていないから、噂だけがあらぬ方向に広がっていた。おそらくその女性がリィネとラネだと掴んでいない第二王子が、兄の瑕疵にしようとして騒いでいるようだ。

 だが逆にそれを利用して、正式にではないが婚約者として発表してしまおうと、クラレンスが言う。

「公表さえしてしまえば、誰も君たちに手出しはできないからね」

「わかりました。私はそれでいいです。ラネはどう?」

 リィネがきっぱりとそう答え、ラネを見た。

「わたしも、もちろんいいわ。アレクさんがどう思うかだけ、少し気になるけれど」

 ドラゴンとの死闘を繰り広げているところで、まったく身に覚えのない婚約話を聞いてどう思うだろう。

「喜ぶに決まっているわ。私も、暫定的とはいえクラレンス様の婚約者となるのだから、もう少ししっかりしないと」

 出会った頃よりも大人びた顔で、リィネがそう言う。

 アレクが一番喜ぶのは、きっと妹の成長だろう。ラネは、その姿を見てそう思う。

 こうして、クラレンスは父である国王にリィネとの婚約を申し出、同時に勇者とラネの婚約を公表した。

 勇者の妹との婚約を、国王は歓迎したようだ。

 もちろん国王も、リィネとラネが聖女候補であることを知っている。そんな貴重な存在を他国に奪われることなく、ふたりともこの国で結婚することを選んだのだ。

 歓迎するのは当然だと、クラレンスは言っていた。どうやらその通りになったようだ。

 王妃と第二王子は反発したようだが、国王はそれを厳しい態度で退けた。

 こうしてふたりの婚約は公表され、ドラゴンの襲撃で不安になっていた国に、その吉報は瞬く間に広がったようだ。

 ふたりには正騎士が護衛に付くことになり、外出もできるようになった。

 あとは、アレクの帰りを待つだけ。

 そんなある日、とうとう待ち侘びた知らせが届く。

 ドラゴン討伐完了。

 部屋に駆け込んできたクラレンスからそれを聞いたリィネとラネは、ふたりでしっかりと抱き合って喜んだ。

 これでアレクが帰って来る。

 彼が帰還したら、聖女の死も公表されることになっている。クラレンスは責任を取るために王太子を辞して、婚約者のリィネとともに王都を出る。

 もちろん、ラネも一緒に行くつもりだ。

「兄さんなら、事後承諾で大丈夫だから」

 リィネはそう言って、護衛を連れて頻繁に屋敷に戻り、せっせと荷造りをしている。

 もちろん、故郷の海の見える町に移住する準備のために。

 明日からクラレンスも戦後処理のために隣国に向かう。そうして、アレクとともに帰還する予定だった。その日を待ちわびて、リィネもラネも荷造りに精を出している。

「これからは四人ね」

 そう言うと、リィネは嬉しそうに頷いた。


 けれど、事件はクラレンスが隣国に旅立った次の日に起こった。

 屋敷から王城に戻ろうとしたとき、町中で馬車が止まってしまった。どうやら車輪が壊れてしまったらしい。護衛の騎士が慌てて新しい馬車を手配しようとしたとき、第二王子を乗せた馬車が通りかかった。

「こんな町中で立ち往生していたら危険です。王城までお送りしますから」

 そう言われてしまえば、断ることもできない。

 仕方なく、ふたりは第二王子の馬車に乗ることにした。

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