第36話
「両親が死んでしまったのは、私が七歳のときだったわ。行商をしていたんだけど、旅の途中で馬車が魔物に襲われたらしいの。兄さんは私を養うために、十二歳で冒険者になった」
今から十年前のことだと、リィネは語る。
両親は留守しがちだったが、アレクはよくリィネの面倒を見てくれた。
兄は両親がいるときは手伝いをし、不在のときは妹の面倒を見て、遊んでいるところを見たことがないと言う。
「兄さんも最初から強かった訳じゃない。冒険者になってすぐは、よく怪我をして帰ってきて。私は兄さんまで死んでしまうかと思うと怖くて、毎日のように泣いていたわ」
行かないでと泣き叫んだ。
けれど、どんなに無謀でも依頼を果たさないと食べていくことはできない。
頼りにできる身内もいなかった。
「私の両親はどちらも家族を魔物に殺されていて、孤児院育ちだったの。だから、親戚なんてひとりもいなかったわ」
近所の人たちは皆親切にしてくれたが、他人の子どもを養えるほど余裕のある者はいない。
「私があまりにも泣くものだから、そのうち兄さんは怪我をしても隠すようになってしまって」
それが悪かったと、リィネは苦しそうに告げる。
「ちゃんと受け止めるべきだった。両親がもう戻ってこないことも、兄さんが必死に私を守ろうとしていたことも。それなのに泣いてばかりいて、重荷になってしまっていた」
「リィネ……」
まだ幼かったリィネが、両親の突然の死を受け止められないのも仕方がない。今度は兄まで失ってしまうのかと思って、泣いてしまうのも当然のことだ。
「まだ小さかったのよ。無理もないわ」
そう言って慰めたが、彼女は首を振る。
「でも、私がもっとしっかりしていたら、兄さんの負担は確実に減ったわ」
そしてリィネが十歳になった頃に、その事件は起きる。
仕事に出かけた兄の後を追って家を出てしまったリィネは、路地裏に迷い込んでしまい、人攫いに捕まった。
両親を亡くした子どもたちだ。特にリィネはその容貌で、以前から目を付けられていたらしい。たしかに子どもの頃のリィネは、輝くような美少女だったことだろう。
「すぐに兄さんが助け出してくれたから、大事には至らなかった。でも、私をひとりで家に残しておくのは危険だと、周囲の人たちにも諭されたみたいでね」
近所の人たちはとても親切にしてくれたが、彼らにもそれぞれの暮らしがある。ずっとリィネを見てくれることはできない。
「私を、父さんと母さんが育った孤児院に預けることにしたの。まだ両親のことを覚えている人もいて、とても親切にしてくれたわ。でも……」
そこでリィネは、三年ほど過ごした。
兄に守られ、泣いてばかりいたリィネを、ひとりで生きている孤児院の子どもたちは気に入らなかったようだ。頻繁に兄が尋ねてきて、リィネのために服や日用品などを持ってきているのも妬ましかったのだろう。
リィネは仲間外れにされ、最後まで友人はひとりもできなかった。
「今思えば、当然よね。でも私は本当に愚かで、自分のことしか考えられなかった。早く迎えに来てほしいと、兄さんに泣きついて……」
過去を悔いるように話す彼女に、どんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。
毎日のように泣いている妹の姿に、アレクは早くリィネと安定した暮らしを手に入れなくてはと焦り、危険な依頼を受けるようになってしまう。
そのときの依頼も、魔王の配下を倒すという危険なものだった。
冒険者になって、六年ほど。
強い意志と恵まれた才能で頭角を現していたとはいえ、あまりにも無謀な依頼だった。
「あのとき、兄さんが勇者として目覚めていなければ、死んでしまっていたかもしれない」
追い詰められたアレクは、リィネをひとり残しては死ねないと、強く思ったのだろう。
勇者として目覚めたアレクは魔王の配下を倒し、それで得た膨大な報酬で王都のあの屋敷を買い、リィネを迎えにきた。
兄からは、なるべく屋敷から出ないように言われた。ときどき窮屈になって外に出たこともあったけれど、それでも護衛の女性によってすぐに連れ戻された。
「勝手だったと思う。兄さんが私のために頑張ってくれていたのに、故郷の海が恋しくなって……」
「アレクさんも故郷の海の話を懐かしそうに話してくれたわ。だから、リィネの気持ちはわかっていると思う」
そう伝えると、リィネは少し笑った。
「私の前では、兄さんは故郷の話は絶対にしなかった。やっぱりラネには話していたのね」
妹を守るために戦っていたアレクは、今度は世界を守るために戦うことになる。
「でも兄さんが勇者だったと知ったのは、魔王が倒されたあとだった。兄さんはきっと、私がまた不安になって泣いたり後を付いて行ったりすると思ったのよ。そんな私が聖女の力を得たとしても、兄さんの助けにはならない。もっと負担になるだけだわ」
淡々と話していたリィネの瞳に、また涙がこみ上げる。
「魔王を討伐できなかったとしたら、命を賭けて封印するしかない。だから、この屋敷も兄さんが冒険者として得た収入も、すべて私の名義になっていたわ。兄さんは覚悟をしていた。でも、それすらも伝えられないほど、私は弱かったの」
そんな兄が女性を連れて帰ったと聞いたとき、リィネは本当に驚いた。
それが、ラネだったようだ。
「最初は、いつものように人助けだと思ったの。話を聞いたら、とてもひどい目にあっていたから。でも……」
あの兄が、ラネに妹を頼むと言った。
その言葉だけで、兄にとって特別な女性だとすぐにわかったとリィネは言う。
「私の初めての友人にもなってくれて、嬉しかった。勝手かもしれないけれど、私では無理なの。どうか、兄さんを助けて」
「……うん。そのつもりよ」
ラネは頷いて、俯くリィネを抱きしめる。
まだ幼い頃に両親を亡くし、兄までいなくなってしまうのかと泣いて怯えたリィネが弱かったとは思わない。
幼い頃にそれだけの経験をしてしまえば、仕方がないことだ。
でもリィネが弱いままだとしても、構わない。アレクがいないときは、自分が守るだけだ。
守りたいと強く願った。
リィネだけではない。
この世界の人々すべてが、もう魔物の脅威に怯えることなく平和に暮らすことができたら。もう二度と、魔物によって家族を殺されることがないような世界を作れたら。
ラネはそう願いながら、そっと目を閉じる。
胸の中に小さな光が宿った気がする。
それはまだ小さくて何の力もないけれど、大切に育てれば、いつか世界を覆うほどの大きな光になる。
そんな予感があった。
しばらくは、クラレンスの保護下で平穏な日々が続いた。
隣国は、突然の聖女の死で混乱しているらしい。情報がなかなか入ってこないと、クラレンスは苦悩していた。
さらにこの国の王が、隣国に聖女の死の責任を追及しているらしい。
「それと同時に、弟が私にも責任があると言っている。たしかに聖女に隣国に行ってもらえないかと頼んだのは、私だ。貴重な聖女を危険な戦場に追いやって死なせた。そう言われても仕方がない。責任がないとは言い切れない」
ふたりの部屋を訪れたクラレンスは、少しやつれた顔でそう言った。
「そんな……」
リィネは不安そうにクラレンスを見た。彼を案じているのだろう。
「この国にいても、いずれアキは聖女の力を失っていたわ」
「わたしも、そう思います」
ラネもその言葉には同意した。
「そうだね。けれど、隣国でアキが亡くなったのは事実。責任を取って、王太子の地位を返上するつもりだ」
衝撃的な言葉に、ラネは声を震わせる。
「わたしが……。聖女の言うことを聞いてしまったから」
アレクを助けたい一心で、聖女の提案を受け入れてしまった。その出来事が、聖女が旅立つ原因のひとつとなったのは間違いない。
けれどクラレンスはラネに責任はないと、きっぱりと言った。
「最初から聖女は隣国に向かうつもりだった。だから、誰かが責任を取らなくてはならないのだとしたら、それは私の役目だ」
ノアはすべてを承知しているらしく、何も口を挟まなかった。
クラレンスは公平で優しく、きっと即位したら良い王になっただろう。それなのに、こんな言いがかりのような騒動で地位を返上しなければならないことに、やるせない気持ちになる。
「ただひとつ問題がある。弟が聖女候補の噂を聞きつけて、ふたりを狙っているらしい」
「え?」
ラネは思わずリィネを守るように手を握りしめた。
「狙っているとは……」
「次期国王の伴侶には、聖女が相応しい。そう思っているようだ」
独りよがりの妄想だが、問題は相手が第二王子だということだ。リィネもラネも平民で、アレクが不在の今、権力から身を守る術はない。
「そこで、私の婚約者を装ってほしい」
不安そうだったリィネは、クラレンスの申し出に、唖然とした様子で彼を見上げる。
「婚約者?」
「そう。まだ私は王太子だからね。その婚約者とあれば、弟はもちろん、隣国の王も容易に手出しはできないだろう」
クラレンスの申し出は、最適だとラネも思う。彼の身分ならリィネを守れるし、なによりも誠実な人だ。
「ラネも?」
不思議そうに尋ねたリィネに、その場にいた全員が首を振る。
「いや、そうではない。私が申し込んでいるのはリィネだ。ラネには、アレクがいる。彼女は勇者の婚約者とするのが、一番良いと思う」
「え……」
「それがいいわ!」
先ほどとは逆に、今度はラネが困惑し、リィネが賛成の声を上げる。
「兄さんがラネをエスコートしていたのは、たくさんの人たちが目撃しているもの」
「そう。何よりも世界を救った勇者の婚約者を奪うなど、たとえ誰であっても許されない。これ以上安全な肩書はない。どうだろうか?」
「ど、どうと申されましても……」
ラネとしては願ってもいないことだが、肝心のアレクの意思が伴わなくては意味がない。
「アレクさんの承諾なしに、そんなことをするわけには……」
「兄さんならむしろ喜ぶと思う」
「アレクが拒絶するとは思えないが」
「むしろ、もう婚約しているかと」
リィネ、クラレンス、ノアに次々にそう言われて、ラネは頬を押さえる。
顔が熱くて、赤らんでいるのが自分でもわかるくらいだ。
アレクをよく知る三人がそう言うのなら、期待してもいいのだろうか。
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