第35話
クラレンスの衝撃的な発言の後、部屋の中は静寂に包まれた。
誰もが思い詰めたような顔をして、俯いている。
静かな声で、クラレンスは経緯を話してくれた。
「アキは隣国の王の許しを得て、その国の騎士を囮にした。ドラゴンに喰われることが前提の、生贄のようなものだ。そして聖女の力で一気に討伐しようとしたらしい」
「ひどい……」
あまりにも非道な作戦に、ラネは思わず声を上げていた。
アキは、人の命をそんなに軽く考えていたのか。
「アレクさんが、そんなことを許すはずがないわ」
「もちろんだ。だからアキは、隣国の騎士の治療をするから、優先する者を選んでほしいと言った。そうして彼を現場から遠ざけて、実行したらしい」
犠牲になったのは身分の低い騎士たちで、彼らも聖女の力で守るから大丈夫だと言われ、ドラゴンに突撃させられた。
あのドラゴンは人喰いだ。
騎士たちは、ひとりも残らなかったという。
それは恐ろしい地獄のような光景だったに違いない。
現地の有様を想像して、ラネは青ざめた。
「たしかにドラゴン討伐は長引いていた。多少の犠牲も仕方のない状況だったのかもしれない。だがあれほど長引いたのは、隣国の王が自国の騎士を無理に討伐に参加させたからだ」
「どうして、わざわざそんなことを」
「国を脅かしていたドラゴンの討伐を、勇者ひとりの手柄にしたくなかったのだろう」
だが、その代償は大きかった。
隣国は、聖女が失われた地となってしまった。
「だが、アキが亡くなってすぐにリィネとラネを浚おうとしたのだから、隣国の王も、アキの今までの所業は知っていたのだろう」
アキならば聖女の力を失うこともあるかもしれないと、以前からアレクの周囲を調べていた可能性もある。
「……あの男は、私たちが聖女候補だと言っていました。それは、どういう意味でしょうか?」
俯いていたリィネが、顔を上げてクラレンスに問いかける。
彼は話を整理するようにしばらく黙っていたが、やがてすべてを語ってくれた。
「聖女が寿命以外で亡くなると、新しい聖女が誕生することがある。とくに、魔物との戦闘で命を落とした場合は可能性が高い。そして、新しい聖女は勇者に関する女性に限られている」
「え……」
リィネとラネは顔を見合わせた。
アレクの妹であるリィネ。
そして、彼と関わりが深いラネ。
このふたりが、アキの代わりに聖女になる可能性が高いと、クラレンスは言っているのだ。
「リィネはともかく、わたしなんて」
アレクと出会ってからまだ間もない。
それに、深いと言い切れる関係でもない。
「いや、アレクには今まで懇意にしている女性はひとりもいなかったから、間違いなく君が一番親しい女性だ。それに君たちを襲った男たちも、ふたりを聖女候補だと認定していた」
クラレンスが、確認するようにランディに視線を向けると、彼は頷いた。
「はい。ふたりとも貴重な聖女候補だと言っていました」
「こうなってしまうと、君が聖女候補かどうかよりも、襲われたことの方が重要になるだろう。まして、アレクに保護してほしいと頼まれている。すまないが、ふたりとも私の保護下に入ってもらうことになる」
「……わかりました」
聖女候補を浚って何をするつもりなのかわからないが、一度襲われていることを考えると、クラレンスに保護してもらうのが一番だろう。
ラネは納得して頷いた。
もちろんリィネもだ。
「王城内に部屋を用意させよう。アレクが帰ってくるまで、あの屋敷には戻らないほうがいい。必要なものはサリーに運ばせる」
「あの、刺繍の仕事を貰ったんです」
リィネは、そう言ってサリーを見る。
「刺繍の道具を持ってきてください。初めての仕事なので、ちゃんとやり遂げたいから」
「……わかりました。仕上がったら、私が納品に参ります」
サリーの返答に、リィネはほっとしたようだ。もちろんラネも仕事道具を持ってきてくれるように頼んだ。
「何か他に希望はあるか?」
「ラネと同じ部屋にしてほしいわ。ひとりだと怖くて」
「わたしも、リィネと一緒がいいです」
ラネも同じことを頼もうと思っていたから、すぐに同意した。王城にある部屋はどれも広く、ひとりきりで過ごすには心細い。
「わかった。そう手配しよう」
クラレンスは王城内でも特定の者しか入れない王族の居住区に、ふたりの部屋を用意してくれた。
食事を運んでくれるのも、お茶を淹れてくれるのもサリーだけ。
部屋からは極力出ないように言われていたが、もともと王城内をうろつくつもりはない。
「ラネと一緒の部屋にしてもらってよかった」
身体が沈み込みそうになる豪奢なソファーに腰を下ろして、朝から熱心に刺繍をしていたリィネは、そう言って顔を上げた。
「ひとりだったら色々なことを考えてしまって、落ち込んでいたかもしれない」
ラネもそうだった。
襲われたこと。
隣国で戦っているアレクのこと。
そして、非業の死を遂げた聖女アキのこと。
あのあと、クラレンスは話さなかったが、ランディがエイダ―のことを教えてくれた。
聖女と一緒にいたエイダ―は両手をドラゴンに喰われてしまい、命は助かったものの、もう二度と剣を持てない身体になってしまった。今は隣国に一番近い教会で静養しているものの、傷の痛みと熱にうなされているらしい。
ラネを裏切った人だ。
けれど、当然の報いだとは思えなかった。
少しでも早くその傷が癒えることを、祈っている。
「ねぇ、ラネ」
そう声を掛けられて、我に返る。
「なぁに?」
「ラネは、聖女になりたいと思う?」
「……それは」
即答することができず、ラネは口を噤んだ。
聖女の力は、道を踏み外すと失われてしまう。もし聖女に選ばれたとしても、いつアキのように無惨な死を遂げるかわからない。
それを思うと、たしかに怖い。
(でも……)
聖女の力は、魔物に対して圧倒的な力を持っている。
「アレクさんを助けられる力なら、わたしは求めてしまうかもしれない」
正直にそう告げると、リィネは驚いたように目を見開く。
あれほどの悲劇を聞いたあとで、ラネがそう言うとは思わなかったのだろう。
「兄さんを助けてくれるの?」
「わたしの手助けなんていらないかもしれない。でも、わたしはそう思っているわ」
こんなことを言えば、アレクに好意を抱いていることがリィネにもわかってしまうかもしれない。でも、想いはもう溢れてしまいそうで。
アレクの傷を癒せたら。
その敵を、打ち砕くことができたら。
そう願ってしまうのだ。
「……ラネ、ありがとう」
リィネの瞳から涙が溢れ出る。
彼女は次から次に流れる涙を拭おうともせず、そのままラネに抱きついた。
ふいに泣き出した彼女に驚くも、その身体を受け止めて抱きしめる。
彼女にも、ラネの知らない苦労があったのだろう。
「もし私が聖女になったとしても、兄さんはひとりで戦うわ。私は、兄さんにとって守らなくてはいけない妹だから」
たしかにそうだろうと、ラネも思う。
いくら聖女になって強い力を得たとしても、アレクが妹を戦わせるとは思えない。
「でもラネなら……。あんなにひどい目にあったのに、卑屈になることもなく、人を恨むわけでもなく、前を向いて生きているラネなら、兄さんと並んで戦えるかもしれない。ラネの傍でなら、兄さんは安らげるかもしれない」
泣き続けるリィネの背を、ラネは優しく撫でる。
「わたしも、そうなりたいと思う」
聖女になれるかどうかわからないのに、こんなことを話すなんておかしいのかもしれない。
でも、ラネの想いは本物だ。何があってもけっして揺るがない。
「アレクさんから嫌と言われる可能性もあるけどね」
本人の了承を得ていないのに、勝手に盛り上がっていると気が付いて、途端に恥ずかしくなる。
けれどリィネは静かに首を振る。
「そんなことはないわ。兄さんはきっと、ラネを特別に想っている。そうじゃなかったら、家に連れてきたり、私に会わせたりしないもの。兄さんが勇者だとわかってから、色々なことがあったから」
そうして彼女は、昔のことを語り出した。
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