第33話

(聖女って?)

 馴染みはあるけれど、あまり良い印象を持たない言葉である。

 こんなにも緊迫している状態だというのに、思わずリィネと顔を見合わせていた。

「何も知らないようだな」

「……その方が好都合だ」

「たしかにな」

 男たちはそんな勝手なことを言いながら、ふたりを取り囲む。

(どうしよう……)

 理由はわからないが、この男たちに捕まったら良くないことだけはたしかだ。

 ラネはリィネを背後に庇いながら、視線だけを動かして周囲を見渡す。

 広い公園の遊歩道は生い茂った木のせいで薄暗く、人通りが少ない。いくら近道とはいえ、こんなところを通ってしまったことを後悔するが、今さら遅い。

 何としてもリィネだけは逃がさなければ。

(アレクさんに、頼むって言われたんだから)

 そう決意して、男たちを見る。

 一番小柄な男に目を付け、突撃しようとしたところで、急に背後から肩を引かれた。

「待った。今、突っ込もうとしたよね?」

「え?」

 振り返ると、男たちと同じようにローブを被った者が、少し呆れたような声でそう言った。新手かと身構えるも、どこかで聞いたような声だ。

「まったく無謀なお嬢さんだ。ちょっと待ってて、すぐ片付けるよ。逃げたり暴れたりしないでね。危ないから」

 そう言って、あっという間に男達を素手で制圧してしまった。

 それは常人離れした動きであった。

 ラネもリィネも、呆気に取られてそのローブの男を見つめる。

「あれ、もしかして俺のこと、覚えていない?」

 黒いローブを脱ぐと、どこかで見たことがあるような顔が現れた。

 ひとつに結んだ茶色の髪。まだ少年の面影を残す容貌。

「ランディ?」

 彼の正体に気が付いたのは、リィネのほうが先だった。

 その名前を聞いて、ラネもすぐに思い出した。

 アレクと出会うきっかけになった、路地裏でラネの腕を掴んだあの少年だ。

「あなた、どうしてここに?」

 リィネの問いに、彼は肩を竦める。

「ずっといたよ。アレクに護衛を頼まれていたから」

「兄さんに?」

「アレクさんに?」

 ふたりの声が重なり、ランディは頷く。

「そう。でも話は後にしよう。今は早く屋敷に戻ったほうがいい」

「……そうね」

 足元に転がっている彼らの仲間が、まだどこかにいるかもしれない。

 リィネとラネはランディを連れて、急いで屋敷に戻ることにした。

「兄さんに頼まれたって、いつから?」

 急ぎながらリィネが問いかけると、ランディはアレクがドラゴン討伐のために王都を出る前だと答える。

「護衛はいるけど、念のために頼むって言われてね。あんたたちが町に出るときは、いつも遠くから見てたよ」

 護衛と離れて行動するなんて、と言われて、反省する。

 大丈夫だと思っていたのだ。

 でも、ランディがいてくれなかったら危なかった。

「ごめんなさい。それにしても、ランディって強かったのね」

 リィネの言葉に、ランディは当たり前だと言う。

「俺が負けたことがあるのは、アレクだけだ。俺も、魔王討伐に付いていくはずだったのに、子どもは連れて行けないなんて言って、あんな男を仲間にして。何が、剣聖だ」

 どうやら彼がもう少し大人だったら、エイダ―の代わりにランディが魔王討伐パーティのメンバーになっていたようだ。

 たしかに、恐ろしいほどの強さだった。

「それにしてもあんた、おとなしそうな顔をして恐ろしいことをしようとしただろう?」

 そう問いかけられて、ラネは曖昧に笑う。

「だって、リィネだけでも逃がさなきゃと思って……」

「無謀だよ。小柄だからって弱いとは限らない。俺みたいにね」

 そう言うランディは、たしかに圧倒的に強かった。

 ランディに守られて屋敷に戻ると、彼はいきなり出迎えてくれたサリーにこう言った。

「王太子殿下に連絡を取ってくれ。ふたりが狙われた。保護してほしいって。アレクから、事前にそうしてくれと言われている」

「え?」

 どうしてサリーにそんなことを、とか。

 アレクはこんなことになると予測していたのか、とか。

 聞きたいことはたくさんあったが、一瞬で青ざめたサリーが深く頷き、部屋で休む暇もなく迎えの馬車が来て、王城に連れて行かれてしまった。

 ラネは、見上げるほど大きな城の前で思わず溜息をつく。

(もう二度と行かないと誓ったばかりなのに)

 どうしてこんなことになったのだろうか。

 リィネも状況を理解していないようで、周囲をしきりに見渡して、不安そうである。

 けれど、一緒に馬車に乗っていたサリーもランディも、何も言わない。

 おそらく、人目につくところで話せることではないのだろう。

 ラネも少し不安だったが、これがアレクの指示だというのなら、きっと悪いことにはならない。成り行きに任せても大丈夫だという安心感があった。

 迎えにきた侍女に案内されたのは、今まで来たことがある来賓用の部屋ではなく、もっと奥にある、王族の居住区のようだ。

 自分のような平民が立ち寄って良い場所とは思えなくて、ラネは思わず立ち止まる。

「王太子殿下が、この先でお待ちです」

 不安そうな様子に気が付いたのか、侍女がそう言ってくれた。

 この先に待っているのがクラレンスならば、きっと大丈夫だろう。そう思ったので、リィネと一緒に先に進んだ。

 案内された部屋は、クラレンスの私室らしい。

 中には当然のようにノアがいて、ラネたちを出迎えてくれた。

 大きくて広い部屋に驚く暇もなく、応接間に通される。

 ふたりとも疲れ果てているのか見ただけでわかってしまい、さらなる揉め事を持ち込んでしまった身としては、申し訳なくなる。

「王都の公園で、このふたりが五人の男に襲われていた。おそらく、隣国の手の者だ。証拠はこれ。男のひとりが契約の指輪を持っていた」

 ランディはクラレンスの疲れ切った様子には目もくれず、そう言って、いつの間にか奪っていたらしい指輪を彼に差し出した。

「……たしかに、隣国のものだ。君はどうしてその場に?」

「アレクに頼まれていた。俺にもよくわからないが、こうなることをある程度予想していたようだ。もしふたりが隣国の者に狙われたら、サリーに王太子殿下に連絡を取らせて、ふたりを保護してもらえと言っていた」

「……そうか。アレクは、サリーが私の知り合いだと知っていたのか」

「え?」

 リィネは驚いてサリーを見たが、彼女は何も言わずに頭を下げる。

 そう言えばクラレンスは、ラネがキキト村の出身だと最初から知っていた。他にも、知らないはずの情報を知っていたことがあった。

 勇者であるアレクの身内であるリィネを守るために、必要なことだったのかもしれない。

 でも、何も知らなかったリィネは少しショックを受けたようだ。知らない間に自分たちのことが報告されていたのなら、それも当然だろう。

「すまない。私の指示であり、サリーはそれに従っただけだ」

 クラレンスの謝罪に、リィネは静かに目を伏せた。

 けれどすぐに顔を上げて、笑顔でこう告げる。

「兄さんが知っていたのなら、文句は兄さんに言うことにします」

 クラレンスはそんなリィネを眩しそうに見つめ、すまない、ともう一度謝罪した。

「それよりも、どうして隣国の人が、わたしたちを狙ったんですか?」

 ラネは、先ほど聞いた信じがたい言葉を思い出しながら、クラレンスに問いかける。

「聖女候補、と言われました。聖女は世界にひとりしか存在しないはずです。どういう意味なのか、ご存じでしょうか」

「……」

 クラレンスは、すぐには答えなかった。

 俯き、何かに耐えるように手を握りしめている。

 重い沈黙が続いた。

 彼の様子から、間違いなく悪い話だと、ラネにもわかった。

 隣にいるリィネが腕を掴んできた。その手も震えている。

 やがてクラレンスは深い溜息をついたあと、ゆっくりと顔を上げた。

 まるで死人のように青白い顔に、背筋がぞくりとする。

 反射的に耳を塞ぎたくなるが、聞いたのは自分だからと、覚悟を決めてクラレンスを見上げた。

 彼は静かにこう告げた。

「アキが死んだ。ドラゴンに喰われてしまったらしい」

「……っ!」

 あまりにも衝撃的な言葉に、言葉を無くす。

 ラネの腕を掴んでいたリィネの手に、強い力が込められた。

 さすがにランディも驚いたようで、目を見開いている。

「せ、聖女の力は……。魔物に対して圧倒的に、強いはず。それなのに、どうして……」

 震える声で何とかそう呟いたラネは、いつかのアレクの言葉を思い出す。

 彼は、我儘放題の聖女にこう言っていた。

 魔王が消滅した今、その力は不変ではない。あまり悪意のある行動ばかりしていると、聖女の力を失うことになる、と。

「まさか……」

「そう。アキの聖女の力は失われた。よりによって、ドラゴンと対峙しているそのときに」

 悲鳴のような声がした。

 それがリィネのものだったのか、自分のものだったのかわからない。

 ただ、この世界から聖女が失われたという事実に、呆然とするしかなかった。

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