第32話
そのまま王城を出て、リィネとふたりで屋敷に戻ることにした。
「もう二度と王城には行かないわ」
馬車に乗る直前、リィネはそう言って、睨むようにそびえたつ王城を見上げた。
ラネも聖女にもう王城には行かないと誓ったので、行くことはないだろう。
最初から不相応な場所だったのだと、それだけは聖女に同意する。
「帰りましょう」
ただの村娘が王城の夜会に参加できたのだ。充分だと、笑ってリィネを促す。
「……何だかラネって兄さんに似ているわ」
「アレクさんに?」
思いがけない言葉に、どきりとする。
「そう。兄さんも勇者とはいえ、身分のない平民だから、最初は侮ったり馬鹿にする人もいたの。でも兄さんは気にしなかった。兄さんにとっては平民も貴族も、悪人でさえも守る対象なのよ」
だとしたら。
不吉な予感を覚えて、ラネはもう一度王城を振り返る。
そのアレクが聖女を伴わなかったのは、何か理由があったのではないか。
「大丈夫よ」
そんなラネの気持ちを見透かしたように、リィネがそう言った。
「最悪な性格だけど、それでも聖女だから。聖女の力は魔物に対して圧倒的に強い。ドラゴン討伐を果たして、今までよりもっと傲慢になって帰ってくるわ」
「……そうね」
もう二度と会わないのだから、彼女がどれだけ我儘になろうとも関係ない。
ラネは不安を振り払うように、馬車に乗り込んだ。
サリーは前回に続いて、二回目の夜会でも早く帰ってきたことに驚いた様子だったが、俯いて暗い顔をしたリィネを見て、何かトラブルがあったと察したようだ。
何も聞かずに着替えを手伝ってくれて、温かいお茶をふたり分用意してくれた。
添えてあるのは、お気に入りの店のチョコレートだ。
ほろ苦い甘さが、色々な気持ちが入り混じった心を慰めてくれる。
「明日からまた、刺繍を頑張らないとね」
リィネも吹っ切ったように明るくそう言った。
「ラネも、新しい仕事を貰ったのよね」
「そうよ。今度はストールに刺繍をするわ」
そう答えながら、仕立てたばかりの薄紫色のドレスのことを思う。
もう公式の場で着る機会はないかもしれないが、アレクが帰ってきたら一度だけ、来ているところを見てもらいたい。それくらいは許されるだろうか。
それから二、三日後。
護衛の騎士を数人引き連れて、聖女は隣国にドラゴン討伐に向かった。
もちろん彼女の傍には、剣聖エイダ―が付き従っていたという。
少し時間が掛かったのは、国王が聖女を国外に出すことを渋ったからだ。
隣国の国王はまだ若く見目麗しいらしい。
そんな隣国の国王が、ドラゴンが出没してからは熱心に聖女に手紙や贈り物を届けていて、聖女を隣国に派遣したら戻ってこないのではないかと危惧していたようだ。
だがドラゴン討伐に向かう聖女を妨げてはならないと、大聖堂の神官長から忠告され、渋々承知した。
これほど権力者にもてはやされていれば、聖女が傲慢な性格になってしまったのは仕方がないような気がする。
とにかくこれで、ドラゴン討伐は果たされるだろう。
聖女が旅立った翌日に、再び屋敷を訪れたクラレンスは、そう言って頭を下げる。
「他の者たちの謝罪のために無理に来てもらったのに、あんなことになってしまい、本当に申し訳なかった」
三度目ともなれば、リィネもラネも相手が王太子だとしてもそれほど慌てずに、落ち着いて対応することができた。いつもと同じように、彼の隣には同じく頭を下げるノアの姿もある。
「……クラレンス様も、大変ですね」
リィネも思わずそう声を掛けてしまうくらい、クラレンスは疲れ切った顔をしていた。
どうやら聖女の派遣に関して、父である国王とかなり口論となったらしい。
聖女の損失を恐れる国王と、一刻も早い平和を望む王太子の諍いは、王都にも聞こえてきたくらいだ。
貴族たちは国王派が多く、当然のように平民たちは王太子派だった。
だが大神官長からの進言と、このままドラゴン討伐が長引けばこの国にも被害があるかもしれないと言うクラレンスの言葉で、ようやく国王も聖女派遣を決意してくれた。
「これでようやく、ドラゴンを討伐することができるだろう」
「どうして兄さんは、聖女を置いて行ったのかしら……」
リィネが口にした疑問は、ラネも、そしてクラレンスも同じように思っていたようだ。
「アキは自分の身を案じて止めたと言っていたが、それすらも本当かどうかわからない。むしろアレクはアキを嫌っていたはず。煩わしいから置いて行ったと言われた方が納得できるくらいだ」
「たしかに、私もそう思います」
クラレンスの言葉に、リィネも頷いた。
「真相は、アレクが戻ればわかるだろう」
今は、何を言っても想像でしかない。彼の帰りを待つしかなさそうだ。
魔王を討伐したメンバーが揃えば、ドラゴンもすぐに退治できると思っていた。
けれど聖女アキは、ドラゴンが暴れている場所に近付かず、まず隣国の王都に向かっていた。聖女として隣国の国王に挨拶をして、それから討伐に向かうという話だったが、そこで国王にもてなされ、数日も滞在していたらしい。
どうしてそんな話をリィネとラネが知っているのかといえば、あれから何度も屋敷を訪れたクラレンスから、聖女に対する愚痴を聞かされるのだ。
国王からは聖女が戻らなかったらどうするのだと責められ、聖女の派遣に賛成してくれた人たちさえも、ドラゴン討伐がなかなか終わらないことを責められ、王太子であるにも関わらず、なかなかつらい立場にいるようだ。
そんな彼が本音を口にできるのは、ここしかないらしい。
国家機密に近いような話をするので、リィネもラネも最初は戸惑ったが、今では同情しているくらいだ。
一緒にいるノアも、日に日にやつれている気がする。
彼らのためにも、一刻も早いドラゴン討伐を願いながら、リィネとラネは屋敷の中でせっせと刺繍をして過ごしていた。
この日も、ようやく仕上がった刺繍を納品しようと、リィネと一緒にメアリーの店に向かった。
店の常連のとある夫人が、ハンカチを気に入って受注してくれたというスケールはメアリーも絶賛してくれて、買取金額を上乗せしてくれた。
「想定よりも良い物を納品してくれたのだから、金額を上げるのは当然ね」
そう言ってくれたので、有難く受け取った。
町に出たついでに買い物をしていこうと、大きな公園を横切って商店街に向かう。
護衛の魔導師はメアリーの店までは同行してくれたが、この後にどうしても果たさなければならない依頼があるらしく、そこで別れた。
迷う彼女に、まっすぐに帰るから大丈夫だと言ったのだが、商店街は帰り道の途中にある。
「私も次から、ハンカチを刺繍してみないかって言われたの」
刺繍を見てもらい、褒められたリィネは嬉しそうだ。
「そうね。リィネならきっと綺麗なものが作れると思う」
リィネの上達はラネの想像よりも遥かに上回っていた。これなら仕事にしても大丈夫だろう。
「ありがとう。ラネの教え方が上手だからよ」
ふたりで他愛もない話をしながら歩いていく。
大きな木がある遊歩道まで差し掛かったときのこと。
茂みから複数の人影が飛び出してきて、ふたりの周りを取り囲む。
「!」
あっという間の出来事だった。
助けを求めようにも、周囲には誰もいない。
ラネは咄嗟に手を広げてリィネを庇った。
全部で五人のようだ。
皆、ローブを目深に被っていて、性別もわからないが、屈強な体つきをしているので男なのだろう。
「どっちだ?」
先頭に立っていた男が短く問う。
答えたのは、一番後ろにいた男だった。
「両方だ。どっちも貴重な聖女候補だからな」
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