第20話
会場を出る寸前に、アレクは一度だけ立ち止まり、まだラネを罵っている聖女に視線を向ける。
「アキ。君は召喚された聖女だ。魔王が消滅した今、その力は不変ではない。あまり悪意のある行動ばかりしていると、聖女の力を失うことになるぞ」
「……っ」
その言葉に、聖女は怯んだように口を閉ざした。
「そんなの、嘘よ。でたらめよ。私は聖女なのよ?」
けれどすぐに自分を奮い立たせるように再び喚きだしたが、アレクはもう振り返らなかった。
「あの、アレクさん。いいんですか?」
ラネの手を取ったまま、彼女に合わせて歩いてくれる彼に、そっと問いかける。
魔王討伐の祝賀会も兼ねているのに、勇者が不在でいいのだろうか。ラネは不安に思ったが、アレクは厳しい表情のまま、かまわないと言う。
出るまでにも途中で何度か呼び止められ、必死に懇願された。それでもアレクは、すべて無視して王城を出ていく。
あまりにも早い帰りに驚く馬車の御者に、アレクはすぐに屋敷に戻るようにと告げた。
「わかりましたから、もう少し殺気を押さえてください。馬が怯えて馬車が出せません」
老齢の御者にそう諭され、アレクははっとしたように深く息を吐いた。
「……すまない」
「いいえ。あなたがそんなことになるなんて、よほど酷いことがあったのでしょう。制止される前に、さっさと帰ってしまいましょう」
御者が上手く馬を宥めてくれたので、すぐに馬車を走らせることができたようだ。
「ラネ、すまなかった。まさかエイダ―があんなことを言うとは思わなかった」
馬車を走らせてしばらく経つと、アレクがそう謝罪する。
「こんなことになるのなら、無理に連れて来るべきではなかった」
後悔を滲ませる彼の言葉に。ラネは慌てて首を振った。
「いいえ、アレクさんのせいではありません。わたしもまさか、あんなことを言われるなんて思ってもみなかったので」
たしかにショックで、どうしてあんなことを言われなければならないのかと思うと、涙が零れそうだった。
けれどアレクは、直前に交わしていた会話通りにラネの言葉を信じた。
それが救いだった。
悪意によって冷たく凍りつきそうなラネの心を、太陽のような光で守ってくれたのだ。
「……そうか」
アレクはほっとしたように小さく頷き、そうして考え込むように視線を落とした。
「会ったばかりのエイダ―は、あんな男ではなかったのだが」
「たしかにもう少し繊細で、優しかったと思います」
最初からあんな男だったらラネだって婚約などしないし、アレクも魔王討伐パーティの一員には選ばないだろう。
少し考えてから、答える。
「昔から身体の小さいこと、弱いことを気にしていたので、力と権力を手にしたことで、暴走してしまったのかもしれません」
エイダ―にとってキキト村と婚約者だったラネは、弱い自分の象徴だった。
嫌悪しているのかもしれない。
だからこそ、強い言葉と態度で貶めようとしていた。
(でも……)
よく考えてみれば、あんなふうに責められる覚えはまったくない。むしろ文句を言いたいのはこちらの方だと、今さらながら怒りがこみ上げる。
「むしろ僅かに残っていた、幼馴染としての情さえもさっぱり消えました」
思わずそう口にしていた。
それに、アレクがこの件に関して罪悪感を持つ必要など、まったくないのだ。
けれど目の前でラネが罵られているところを見たアレクは、そう簡単に切り替えることができないようだ。
「エイダ―に伝えたいことがあると言っていた。何を伝えたかったんだ?」
「それは……」
アレクにエイダ―に会わせると言ってもらったときから、心に決めていた言葉があった
彼と言葉を交わすのも、会うのも、これで最後だから。
「……結婚おめでとう。お幸せに。そして、さようなら」
ラネは困ったように笑う。
「そう言いたかったんです」
伝えたかったのは、決別の言葉。
もうエイダ―に対する恋心はないが、五年間分の想いを忘れるために必要だと思ったのだ。
「でも、言わなくてよかったのかもしれません。実際に会うまで、聖女様は何も知らないだろうと思っていたので」
実際には、彼女も悪意をぶつけてきた。
だがあの暴言で、そんな感傷など綺麗さっぱり消し飛んでしまった。
あんなことを言われてまで彼を想い続けることなど、絶対にあり得ない。
だから、告げるまでもなく決別することができてよかったのだ。
「もう家族には話していますから、このまま村にも帰らずに、仕事を探そうと思います」
幼馴染たちも、あんな扱いを受けたあと、今まで通りエイダ―を称えるようなことはしないだろう。
でも、ラネはもう村に帰るつもりはなかった。
「わかった。もちろん身元引受人になるよ。仕事が決まるまで、あの家で暮らしたらいい」
「そんな、そこまでお世話になるわけには」
慌ててそう言ったが、アレクは首を振る。
「ここまで関わったんだから、最後まで見届けさせてほしい。君のことが心配なんだ」
「……ありがとうございます」
そう言われてしまえば、断り続けることはできない。
実際、王都のことは何も知らない。仕事が見つかるまで宿に泊まっていたら、手持ちのお金などすぐに尽きてしまうだろう。
一刻も早く仕事を探すことを誓って、その申し出を有難く受け入れることにした。
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