第19話
彼に会うのは、随分と久しぶりだった。
婚約を一方的に解消されてから、昔のことばかり思い出しているせいだろうか。
目の前に立つ、背の高い青年がエイダ―であることがまだ信じられない。
しかも、五年前よりもさらに逞しくなったようだ。幼い頃、泣きながらラネの後をついてきた面影は、もうどこにもない。
離れていた年月を感じる。
けれど漆黒の髪に黒い瞳は、たしかにエイダ―のものだ。
そんな彼の隣にいるのが、聖女アキだろう。エイダ―と同じ黒髪に、焦げ茶色の瞳をしている。
聖女もまた、勇者と同じように百年に一度くらいの周期で誕生していた。けれど勇者と違い、魔王が復活しても聖女が生まれないことが何度かあったようだ。
そんなときは、数百年前の大魔導師が残した召喚魔法で、異世界から聖女を召喚する。
聖女アキは数年前、召喚魔法で異世界から召喚された聖女であった。
成人している年齢だと聞いたことがあったが、小柄で幼い顔立ちは、もっと年下に見える。エイダ―の逞しい腕に両腕を絡ませて、拗ねたような視線をこちらに向けていた。
さらに彼女の着ているドレスは、変わった形をしていた。
肩は大きく開き、スカートはかなり短めである。足が見えてしまうことに、羞恥は感じていないようだ。彼女はこの世界の人間ではないので、きっと異世界では当たり前のことなのかもしれない。
「アキ。今日はたしかに君たちの結婚式だが、魔王討伐の祝賀会でもある。主役は君たちだけではないよ」
クラレンスが穏やかな声で、諭すようにそう言う。
だが聖女は、その言葉でますます拗ねてしまったようだ。
「だったらアレクシスも私と一緒にいればいいよ。そうすればみんな、私の元に集まるでしょう?」
無邪気な声で、聖女は彼をアレクシスと呼ぶ。
「我儘な妹がいなくなって、ひとりで寂しいでしょう? 私が一緒にいてあげる」
そう言ってアレクに手を伸ばしたアキは、ラネの存在に気が付いて顔を顰めた。
「あなた、誰?」
低く、威嚇するような声に戸惑ってアレクを見つめた。彼は、そっと背中に手を添えてくれる。
「大丈夫だ」
背中に感じる温もりと耳元で囁かれた言葉に勇気づけられて、ラネはまっすぐにエイダ―を見上げた。
「エイダ―、ひさしぶりね」
そう声をかけると、隣にいる新妻ばかり見ていたエイダ―が、訝しそうにラネを見る。
それでも美しく着飾ったラネがわからなかったようで、首を傾げている。
「君は?」
「何よ、エイダ―。知り合いなの?」
不機嫌そうな聖女の声に、彼は慌てて首を振る。
「いや、こんな女性は知らない。君、どこかで会ったかな?」
本当に自分がわからないのだと、ラネはほんの少しだけ、泣きたくなる。
エイダ―にとっては自分の顔など、もう覚えてもいないのだ。
「五年ぶりだから、覚えていないのも仕方がないわね」
震える声でそう言うと、アレクが庇うように肩を抱いてくれた。
「ラネ、大丈夫か?」
気遣ってくれたアレクの声に、エイダ―の顔が一気に険しくなる。
「まさか、お前はラネか。こんなところまで乗り込んできて、どういうつもりだ?」
激高したエイダ―の声に、周囲の視線がラネに集まる。
急に怒鳴られると思ってみなかったラネは、びくりと身体を震わせた。
「エイダ―、誰なの?」
聖女が怯えたようにエイダ―にしがみつくと、彼は愛しい新妻を守るように腕の中に抱きしめる。
「以前、話しただろう? 俺の婚約者を名乗る、勘違い女のことを」
「え、その人がここまで乗り込んできたの? 怖い……」
聖女は本当に怯えた様子で、エイダ―に縋る。
「そんな人が、どうしてアレクシスと?」
「大方、嘘をついて上手く騙したんだろう。結婚の約束をしていたのに、捨てられたとか。そういう女だよ」
「……」
エイダ―の言葉に、今までにこやかに話しかけてくれた令嬢たちが、ひそひそと小声で話しながらラネを見る。
「今の話は本当か?」
「いや、たしかに彼女はエイダ―と同じ、キキト村出身だと報告が……」
クラレンスとノアまで、そんなことを囁き合いながらラネを見つめた。
その視線は先ほどとは比べ物にならないほど冷たい。
「……っ」
周囲には、エイダ―の話を信じる者ばかり。
彼らにとってラネは、一方的にエイダ―に恋心を抱き、勝手に婚約者を名乗った上に、アレクを騙して結婚式の祝賀会にまで乗り込んできた悪女なのだろう。
疑惑と悪意の視線に晒されて、足が竦む。
「ラネ」
震えるラネを救ってくれたのは、アレクだった。
「大丈夫だ。俺は君を信じている」
「アレクさん……」
堪えきれなかった涙が滲む。アレクは慰めるように、優しく背を撫でてくれた。
「アレクシス、その女に騙されるな」
「そうよ。何を企んでいるのかわからないわ」
エイダ―と聖女がそう言ったが、アレクは鋭い視線をふたりに、そして周囲の人間に向けた。
「俺には、嘘は通用しない。それを忘れたか?」
この言葉に、クラレンスとノアの顔色が蒼白になる。それは周囲の貴族たちも、エイダ―も同様だった。ラネは知らなかったが、勇者であるアレクには真実を見抜く力があるのだろう。
「ラネ、もう帰ろう。こんなところに、いつまでも居る必要はない」
失望を隠そうともせずにそう言うアレクに、ラネもこくりと頷いた。
エイダ―に言いたいことがあってここまで連れてきてもらったが、もう彼のことなどどうでもよかった。
「待ってくれ、アレク」
呼び止める声がしたが、アレクは振り向きもしなかった。そんな彼に連れられて、ラネは会場を出た。
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