第21話
そうしているうちに、馬車はゆっくりと停止した。
アレクの屋敷に戻ってきたようだ。
彼の手を借りて馬車から降りると、困惑した様子のサリーが出迎えてくれた。
「随分と早いお帰りですね。何かございましたか?」
「話はあとだ。ラネの着替えを手伝ってほしい」
「は、はい。承知いたしました」
アレクの言葉に、彼女は戸惑いながらも頷く。
「それと……」
サリーが何か伝えようとしたとき、屋敷の奥から声がした。
「おかえりなさい。兄さん、早かったのね」
声とともに姿を現したのは、すらりとした長身の、アレクによく似た美貌の女性だった。
「リィネ、戻ってきたのか?」
その姿を見たアレクが、驚きの声を上げる。
「ええ。あの聖女には腹が立ったけれど、兄さんが困っていると思って」
どうやら彼女が、アレクの妹のリィネらしい。
「でも、必要なかったわね。こんなに綺麗な人、どこで見つけてきたの?」
そう言って笑った彼女は、ラネに向き直った。
「初めまして。私はリィネ。今日は兄さんのパートナーになってくれてありがとう」
その笑顔に、思わず見惚れてしまう。
「いいえ。あの、わたしはラネです。こちらこそアレクさんには色々と助けていただきました」
そうやって互いに挨拶を交わしたあとは、屋敷の中に戻り、サリーに着替えを手伝ってもらう。
「私も手伝うわ。脱いでしまうのがもったいないくらい綺麗だけど、ドレスって窮屈なのよね」
リィネは美しい外見にも関わらず、気さくで優しい女性だった。
「同じドレスでも、こんなに印象が変わるのね。私はきつい印象を持たれることが多いから、ラネさんみたいに柔らかい雰囲気の女性って羨ましい」
誰が見ても際立った美貌を持つリィネにそう言われて、ラネは恥ずかしくなって俯いた。
「そういう、奥ゆかしいところも好まれるのよね。ラネさん、きっと王都ではモテるわよ」
「そんなことは……」
ラネは困ったように笑う。
婚約者がいたということもあるが、村で男性に褒められたことなど一度もなかった。
「兄さんとどこで出会ったの?」
ふたりに手伝ってもらって着替えが終わり、広い応接間でサリーにお茶を淹れてもらう。
本当はもう誰にも話すつもりなどなかったのに、真摯に、けっして急かすことなく静かに聞いてくれるリィネに、気が付いたらすべて打ち明けていたのだ。
「そうだったの。大変だったね」
すべて聞き終わると、彼女はアレクによく似た顔で優しく笑う。
「ランディも、悪い子じゃないのよ」
路地裏で出会った彼のことをリィネも知っているらしく、そう言いながら困ったような顔をする。
「それにしても、最悪ね。五年も待たせた挙句、一方的に、謝罪すらなく婚約破棄。さらにそんな言いがかりでラネさんを悪者にするなんて」
そこで、向こうも着替えをしてきたらしいアレクが部屋に入ってきた。リィネは兄の姿を見ると、顔を顰める。
「兄さんが悪いわ。どうしてそんなひとを魔王討伐パーティに選んだの? 絶対に、そこで自分は特別だって勘違いしてしまったのよ」
「リィネ?」
いきなり責められて、アレクは少し戸惑ったようだが、やがて静かに頷いた。
「ああ。俺もそう思っている。出会った頃のエイダ―は剣の腕も良かったが、何よりも正義感が強かった。必ず魔王を倒して、この世界を平和にしてみせると意気込んでいた。まさか、あんなふうに変わってしまうとは」
「エイダ―も、最初はあんな人ではなかったの。むしろ泣き虫で自分に自信がなくて、子供の頃はわたしが守ってあげていたくらい。だから驚いてしまって」
アレクのせいではないと言いたくて、ラネもそう主張した。
「……それって、あの聖女のせいじゃないかしら」
ふたりの話を聞いたリィネは、ぽつりとそう呟く。
「昔は弱かったのなら、コンプレックスは色々とありそうだし、庇ってくれていたのが婚約者なら、尚更よね。一見か弱そうな聖女にあなただけが頼りです、なんて言われたから、気が大きくなってあんなことをしたのかも。人を乗せるのが上手い女性って、いるから」
ラネは、聖女アキの姿を思い出した。
聖女だというから、優しくて慈悲深いひとだと思い込んでいた。何も知らないだろう彼女に迷惑を掛けたくないとすら思っていた。
けれど実際は、幼馴染のメグよりも質の悪い女性だった。ラネがエイダ―に罵倒されるのを、楽しんでいた。
「あんな女性が聖女だなんてね」
聖女と揉めて故郷に帰ったと言われていたリィネは、そう呟く。
「アキには、このままでは聖女の力を失うと警告したが……。聞き入れてはくれないだろうな」
魔王が倒されたとはいえ、まだ魔物は数多く出没している。聖女の力が失われることは、彼女があんな女性だと知っていても恐ろしいことに思えた。
「それにしても、クラレンス様やノア様までラネさんを疑うなんて。彼女がそんな人ではないことくらい見てわかるし、そもそも兄さんと一緒にいるのよ? もしラネさんが本当にそんな女性だったとしたら、兄さんが見抜くに決まっているのに」
リィネもクラレンスやノアと面識があるらしく、そう憤ってくれた。
だがラネにしてみれば出会ったばかりの、本当ならば話す機会などなかったくらい高貴な身分の人たちだ。そんな彼らに疑われたとしても、特に何も思わなかった。
「もうお会いする機会などないでしょうから」
正直にそう告げると、リィネはくすくすと笑い出す。
「そうね。気にすることはないわね。それで、ラネさんはこれからどうするの?」
「村には戻らず、この辺りで仕事を探すつもりです」
そう告げたラネの言葉に付け足すように、アレクが身元引受人になること、仕事が見つかるまでここに滞在することを説明してくれた。
「そうだったの。仕事が見つかるまでなんて言わないで、ずっとここにいてくれたらいいのに」
「い、いえ。そこまでご迷惑をお掛けするわけには」
「迷惑だなんて思っていないわ。むしろ嬉しい。私たち、名前も似ているし、姉妹みたいじゃない?」
そう言ったリィネの瞳はきらきらと輝いていて、本当に歓迎してくれていることがわかった。
「じゃあ、さっそくラネさんの部屋を決めてしまいましょう。細々としたものは、買いに行かなくちゃ。兄さん、明日はラネさんの買い物に行くから、予定を空けておいてね」
「……わかった」
少し呆れたような、それでもひどく優しい顔をしてアレクは頷いた。
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