第11話

「わたしとエイダ―は同じ村出身の幼馴染なんですが、実はそれだけではなくて」

 言葉を選びながら、慎重に話を進める。

「五年も前のことですが、あの、彼と結婚の約束をしていたことがありました」

「何?」

 気遣わしそうにラネを見ていたアレクの視線が、瞬時に険しくなる。

「……っ」

 ランディと対峙していたときもそうだったが、彼の怒りはとても恐ろしい。自分に向けられていないとわかっていても、血の気が引く思いがする。

「……すまない。君を怖がらせるつもりはなかった」

 アレクはそう言うと、ラネから少し離れた。伺うような表情に、本当の彼はとても優しい人なのだろうと察せられて、ラネは微笑んだ。

「大丈夫です。ごめんなさい、わたしの話を聞いてくださっていたのに」

 勝手に怖がって気を遣わせてしまうなんて。

 そう反省したラネは、笑顔のまま話を続ける。

「たいしたことのない話なんです。わたしたちは幼馴染の中でも仲が良くて。田舎の村のことだから、他に相手もいないからそんな話になって。でも、エイダ―が村を出てからだんだん手紙が来なくなりました。そのうちエイダ―は魔王討伐にも選ばれるようなすごい人になったんです。だから自分でも、このままエイダ―と結婚することなんてあり得ないとわかっていましたから」

「エイダ―から、婚約を解消しようと申し入れが?」

「……」

 ラネは俯いたまま首を振った。

「いいえ。何も聞いていません。昨日、突然エイダ―の両親から、聖女様との結婚が決まったと告げられました」

 がたんと音がして顔を上げると、アレクが立ち上がっていた。

「明日の結婚式は、執り行われるべきではない。すぐに中止をするべきだ」

「え、あの。待ってください」

 ラネはそのまま飛び出して行きそうなアレクの腕に縋りついて、必死に止めた。

「結婚式はもう明日です。今さら中止なんてできません」

 しかも、王城で執り行われる剣聖と聖女との結婚式だ。

「エイダ―の行為は、完全に君に対する裏切りだ。しかも正式に解消をするどころか、謝罪もないなんて許されることではない」

 彼はラネの目を真っ直ぐに見つめて、そう告げる。

 強い瞳だった。

 正義感に溢れ、弱い者が虐げられることをけっして許さない。

 きっと彼ならば、本当に明日の結婚式を中止にしてしまうだろう。

 アレクが誰なのか知らないまま、ラネはそう思う。

 だから必死に止めた。

「聖女様はきっと何も知りません。明日の結婚式を、とても楽しみしていらっしゃるでしょう。それなのに前日に中止をするなんて、わたしはそんなひどいことを望んではいません」

「だがアキも聖女であるならば、誰かを犠牲にすることなど許されない。聖女だからこそ、君の幸せを最優先にするべきだ」

 そうきっぱりと告げる姿は高潔で、アレクが人の家に立つべき人間であると示していた。彼自身はただの平民だと言っていたが、とてもそうだとは思えない。

 そして、そんな彼の高潔さは、傷ついたラネの心を優しく労わってくれた。

 エイダ―とはもう住む世界が違う。しかも相手は世界を救った聖女様だ。

 だから周囲の人たちもラネ自身も、自分が諦めるのが当たり前だと思っていた。

 けれどアレクはそうではないと、ラネが身を引く必要などないと言ってくれた。

 それがどんな嬉しいことか、きっと彼には伝わらない。

 ラネは両手を組み合わせるようにして、目を閉じる。

(それだけで、もう充分だわ)

 彼の言葉だけで、ラネの心は救われた。

「わたしは、エイダ―を取り戻すことを望んでいません」

 だから、きっぱりとそう告げることができた。

「たしかに、エイダ―のことが好きでした。けれどその愛も、彼の裏切りによって跡形もなく消え去りました。わたしはもう、エイダ―との未来を望んでいません」

 五年も婚約をしていたのに、結婚すると聞かされたのは、エイダ―の両親からだった。

 彼らだけではなく村の人たちもすべて、ふたりの婚約をなかったものとして扱った。

 謝罪どころか、エイダ―はラネの存在を自分の中から抹消したのだ。

 どうしてそんな人を信頼することができるだろう。一緒に生きる未来を望むというのだろう。

「……そうか」

 そんなラネの気持ちを理解してくれたようだ。

 アレクはゆっくりと腰を下ろすと、ラネを見つめた。

「君が、エイダ―を見限ったんだな」

 ラネは静かに微笑んだ。

「はい。もうわたしにエイダ―は必要ないんです」

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