旧友③

 大野を送り届けた谷汲は、ついでに彼女の部屋を覗いていくことにした。

「うーん。はやく帰りたいんだけどな」

「とか言いつつウチに来てんじゃん」

「まぁね。興味本位って奴だよ」

 大野の母親に挨拶をした後、階段を登って彼女の部屋を目指す。

 実家暮らしの元同級生の部屋は、随分と荒れていた。部屋のドアには堂々と「思春期あけるな!!」と殴り書きされた紙が貼られたままになっている。谷汲が知る限り、大野が招き入れた友人は自分と日和だけだ。変人気取りで色々な子との交流はあるけれど、自宅に招くほどに親しい友人は少ない。それが大野一葉という少女だった。

 ギィ、と開いた扉の向こうには、見慣れた景色が広がっている。懐かしいが、一歩を踏み出すのには少しの勇気が必要だ。それは、大野と会ったのが久しぶりだからじゃない。もっと、根源的な要因がある。……言ってしまえば、衛生観念の問題で色々と躊躇する光景が広がっているからだった。

「どーぞ。お入りなさって?」

「……なんかムシ出てきそうでヤだ」

「失礼な。ちゃんとバルサン炊いとるわい」

「…………」

 大野の言葉は、どこまで信じていいものか迷う。

 覚悟を決めて部屋に入ると、化粧台に放置されている化粧品が目に入る。ファンデーションや口紅などが転がる化粧道具の横に、大量の空きビンと空き缶が並んでいた。チューハイ、焼酎、ウイスキー。度数が高いものばかりが並んでいる。他にもコンビニのビニール袋や、ドラッグストアのレジ袋などが乱雑に化粧台を飾り付けている。

「飲みすぎじゃん」

「んなことないよ。吐く前に寝るし」

「失神してるだけじゃね? 大丈夫かよ」

「へへっ。まだ死んでないから平気だぜ」

 ケラケラと笑う大野の、なんと頼もしく阿呆なことか。

 床にもゴミが散乱していた。空になったティッシュの箱や読み終わった雑誌が投げ捨てられていて、足の踏み場もない。ベッドの上には脱ぎ散らかした服が山積みになっている。部屋に漂う僅かな甘い香りは、大野自身のものだろうか。それとも、ゴミ箱へと突っ込まれているお菓子の空き袋から漂っているものだろうか。判断がつかなくて、谷汲は思考を放棄した。

「相変わらずヤベェな……」

「わっはっは! 生活能力が皆無だからね」

「お母さんに掃除してもらいなよ」

「それは無理。絶対に嫌」

「……でも、私と日和には掃除させたじゃん」

「それは、君達が特別だからだよ」

 特に名草がね、と大野が谷汲の肩に手を置いた。

 元々、今日は部屋を覗くだけのつもりだったのだが、ここまで酷い有様を露呈されたら多少の片付けをしなくては寝覚めが悪い。谷汲がそう思ってしまう程度には、部屋の惨状は目に余るものだった。仕方がないなと息を吐いて、谷汲が動き始める。

 まずは足を踏み入れたくない場所として真っ先に頭に浮かんだベッドの上。そこにある洋服をかき分けてスペースを作り、そこに腰を下ろす。深呼吸を挟んでから、足元に落ちているゴミを拾い始めた。

 ペットボトルやら菓子の空箱、そしてティッシュの箱。半端に残っている中身は賞味期限などを確かめて、大丈夫そうなものだけをまとめる。空いた袋は綺麗に折りたたんで、ゴミ袋へと詰めていった。

「名草に働いてもらうの、助かる~」

「自分で掃除しろよ」

「いやぁ、それが難しいのですよ。名草も私と一緒でさ、家事とか出来ない派だと思ってたんだけどなぁ」

 ちらり、と大野が何か含みのある視線を向けてきた。

 谷汲は黙ったまま掃除を続ける。実際、谷汲に出来るのはごく簡単な家事だ。掃除や洗濯、炊事のほとんどを日和に任せて生きてきた。一人暮らしをしてみようと思い立ったまではいいものの、日和が一緒に暮らしてくれなければ、大野みたいにゴミの山と一緒の暮らしをしていた可能性も否定できない。しかし谷汲は、それを口にするつもりはなかった。

「ほれ、大野も仕事しろ」

「私は大学生なので。労働の義務はいでででっ!」

「次、ジョークを吐いたら骨を折ります」

「えげつねぇ。名草、マジでえげげつねぇ」

 文句を言いながらも掃除を始めた大野を眺めながら、谷汲は微かな溜め息を吐いた。

 日和に選ばれなかったら、今頃の自分はどんな生活をしていただろうか。そんなことを、ふと考える。きっと日々の家事もこなせなくて、忙しい毎日を過ごすことになっていただろう。最近こそ日和の指導によって多少の家事がこなせるようになったが、やはり圧倒的な力量の差がある。谷汲は、日和がいなければただ生活していくことでさえ困難だった。

 文句を言い合いながらも三十分ほど掃除をしたら、少しは生活できそうな部屋になった。額に浮かんだ僅かな汗を拭って、谷汲は息を整える。

「マジでゴミ多くなってね?」

「んなことないよ」

「いや、大野。マジだって」

 高校時代と比べても、あまりにゴミが増えすぎているようだ。

 大学に通い始めたことで、せっかく高校時代に築いた習慣まで崩れてしまったのだろうか。まぁ、あの頃だってゴミは多かったけれど、少なくとも捨てるごみとそうじゃないゴミの分別くらいは出来ていたはずだ。

「大野、ゴミはちゃんと捨てろって言ったよね?」

 谷汲の鋭い指摘に、大野はうぐっと言葉を飲み込んだ。誤魔化すように笑った大野が、言い訳するように言葉を並べる。

「いやぁ、飲み食いしてるとゴミが溜まっちゃうんですよ」

「じゃあ食うな」

「殺生な。私に死ねというのか!」

 ぽこぽこと叩いてくる拳は、日和のそれと比べて重い。

 けれど、心地よさは比肩していた。少しだけ休憩してから、谷汲は家に帰るべく重い腰を上げる。帰り際、大野が玄関まで見送りにきた。

「今日はありがと。ピヨちゃんにもよろしく」

「ん」

 了解した、と返そうとして。

 そういえば、日和と一緒に暮らしていることを大野に話しただろうかと首を傾げる。谷汲をじっと見つめる大野は、何を考えているか分からない不思議な顔をしていた。その瞳を見返していても答えが出るわけもなく、谷汲は疑問をそのまま口にした。

「ねぇ。私が日和と暮らしているのって、大野に話したっけ」

「……ひひ。名草。君達が仲良しなのは、よーく分かってんだぜ」

「ふーん。そういうもん?」

「……うん。そういうもんさ」

 べしっと背中を叩かれて、谷汲は玄関の敷居を越える。

 バイバイと手を振った大野はいつもと変わらず、底抜けに明るい笑みを浮かべていた。また彼女と遊べたらいいなと思いつつ、谷汲も手を振り返す。そして、クルマを停めていた駐車場へと、振り返ることなく歩き始めた。

 谷汲の世界に必要なものは日和だけだ。でもそこに、先輩とか、酒とか、大野とか。そういう、心の拠り所が増えていくことで、人生ってのは豊かになっていくんだろうなと思った。

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