旧友②

 大野に指示されるままクルマを走らせること数分、目的の中華料理屋へ到着した。

「ここ? マジで?」

「すげぇでしょー」

「綺麗になりすぎじゃん」

 元々の店舗がかなり古めかしい外観をしていたから、真新しい店舗に一瞬戸惑ってしまう。だが、看板に書かれた店名を見て確信できた。ここは谷汲が通っていた中華料理屋だ。広い駐車場も八割方埋まっている。新装開店して間もないはずだが、元の店の味を知っている常連たちが集まってきているのだろうか。

 暖簾をかき分け、ひょいと顔を覗かせる。駐車場の込み具合と比べて、やや人の数が多い。八割どころか、ほぼすべての席が埋まっている。どうやら、自転車や徒歩で訪れた高校生くらいの子も数グループいるようだ。

「すごい人気だねぇ」

「厨房のスタッフが増えてから、お客さんも増えたらしいよ」

「へー。そうなんだ」

 特に気にしたこともない谷汲は、大野が自信満々に語ってくれる豆知識がイマイチ響かなかった。

 どうしたものか、と入口で立ち止まっていたら店員さんが飛んできてくれた。赤い髪をポニーテールにまとめた、美人な店員さんだ。この人には見覚えがある。前のお店でも、ホールスタッフをやっていた人だ。椿の花みたいに綺麗な笑顔を浮かべて、店員さんが谷汲と大野へ声を掛けてくれる。

「いらっしゃいませ。二名様ですか」

「はい。あのー、できれば座敷がいいんですけど」

「分かりました。少々お待ちくださいね」

 パチン、とウィンクをした店員さんが座敷席のあるフロアへとすっ飛んでいった。実際には速足で歩いているだけなのだが、随分と機敏な動きに見える。

 谷汲が首を傾げていると、大野がげへへと気持ちの悪い笑みを漏らした。

「やっぱり美人だよねぇ」

「……大野、あの人も”好み”なの?」

「美人でおっぱい大きい人は、みんな好きだよ」

 ぐへへ、とキモい笑いを繰り返す友人を軽く蹴飛ばして、谷汲は店内に視線を巡らせる。

 新しくなった中華料理屋は、前の店にあった風格をそのままに清潔感が増していた。テーブルや椅子は落ち着いた色合いのものを選んでいるのに、ところどころにある装飾は赤と金で派手にしてあるのは店長の趣味だろう。懐かしさによる寂寥感よりも、またこの店に来られた安堵の方が大きかった。

 谷汲に蹴られて拗ねた大野がぶーぶーと文句を言っていたのを聞き流していたら、先程の店員さんが戻ってきた。正面からは揺れるポニーテールが見えないけれど、髪を根元で結っているゴムに付けられたアクセサリーが左右にリズムを刻んでいた。

「お待たせしました! こちらへどうぞ!」

「はーい。行くよ、名草」

「ほいほい」

 店員さんの後ろについて、谷汲たちは店を進んでいく。

 この中華料理屋では、テーブル席と座敷を選ぶことが出来る。座敷と言っても小上がり席と呼んだほうがいいだろうか。谷汲はいつも座敷を選んでいた。理由は単純で、靴を脱いで楽に過ごせるからだ。大野も文句を言うことなく、それどころか率先して店員さんの後ろについて座敷席へと向かった。

 店員さんに案内された先は、奥まった壁際の席だ。大野に押し込まれるようにして、谷汲がより隅に近い側へと座った。背後から聞こえてくる音から察するに、谷汲の側からは壁際に備え付けられたテレビが見られないようだ。まぁ、この時間はニュースしか流していないだろうから、さして興味もないけれど。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

「いえ、まだ。決まったら呼びます」

「はい、ありがとうございます!」

 元気よく挨拶をして離れていった店員さんのポニーテールが、今回こそはしっかりと見える。

 ぴこぴこと、可愛らしく跳ねていた。

「んー。素敵な店員さんだ。名草もそう思うだろ?」

「普通だと思うけど」

「かーっ、これだから名草は。あの人はなぁ!」

 聞いてもいないのに、大野が店員さんの情報を喋り始めた。

 雑誌のモデルをやっていたとか、大学に通っていた時はミスコンで優勝したことがあるだとか、高校時代から付き合っている彼氏がいて羨ましいだとか、そういうことを。そんな話をしているうちに谷汲は何を注文するか決め終えた。ほい、と手渡したメニュー表を前に大野が固まる。

「はよ選べ」

「名草、ほんとにそういうとこだぞ……」

「先に唐揚げだけ頼んでいい?」

「どーぞ。かーっ、自由人め」

 大野も相応に自由な振る舞いをしているはずなのだが、彼女から見た谷汲は自由人らしい。谷汲としては、それほど自由気ままに振る舞っているつもりはない。むしろ他人に迷惑をかけないように、なるべく大人しくしているつもりでいるのだが、他人からの評価とはかくも難しいものである。

 谷汲がから揚げを注文してから五分後、ようやく大野が注文を決めた。

 腹を決めて呼び鈴を押そうとした大野の手元へ、にゅっと唐揚げのお皿が滑り込んでくる。

「へい、お待ち!」

「おー、相変わらずすごい量だ」

「ふははっ、それがウチの売りだからね!」

「あ、注文お願いします。私はレバニラと炒飯のセットで。大野は?」

「私はエビマヨと天津飯のセットで!」

 かしこまりましたー、と緩い雰囲気を残して厨房へと消えていくポニーテールの店員さんを見送る。げしげしとテーブルの下で大野に蹴られた理由は分からないけれど、谷汲は黙って耐え忍ぶことにした。なんだか、今日の大野はいつにもまして面倒くさい。それでも友人付き合いをしたいと思えるのだから、よほど相性が良いに違いなかった。

「じゃ、食べよっか」

「ちゃんと半分ずっこだぞ」

「大野こそ。勝手にレモンとか掛けるなよ」

 ニヤニヤと笑いながら、ふたりは唐揚げへと手を伸ばした。

 それぞれが成人男性の拳大ほどもある唐揚げだ。それが六個も乗っている。メニュー表の写真は小綺麗にかしこまった優等生といった雰囲気なのに、実際に出てくる唐揚げはオラオラ系のヤンキーちゃんだ。値段設定を間違えているんじゃないかと不安になるほど、量が多くて食べ応えがあった。谷汲が通っていた頃も運動部系の子が部員同士で誘い合って食べに来ていたが、新店舗になってもそれは変わらないらしい。谷汲から見える範囲だけでも、複数のテーブルで唐揚げを頼んでいる人達がいた。

 がしゅっ、と音を立てて唐揚げにかぶりつく。

 にんにくと生姜の香りが鼻に抜ける。美味しいの一言に尽きた。

「ビール飲みてぇ味だなぁ」

「ダメだぞ。私は免許持ってないんだから」

「……大野、はようクルマに乗ってくれ」

「絶対ヤだ。名草はすーーぐ私を足にしようとする」

「行きは私が運転するから、帰りだけ頼むよ」

「その帰り道が大変なんじゃんかー」

 やいのやいのと言い合いながら、から揚げを頬張る。パリッと歯ごたえのある衣の下からは、肉汁をしっかり閉じ込めたジューシーな鶏肉が顔を出す。サイズだけじゃなくて、味でも満足させに来る。この唐揚げを作っている人は、多分、食べることに情熱を燃やせる人なのだろう。

 唐揚げを二個ずつ食べ終えたところで、お待たせしました、の声とともに注文した料理が運ばれてくる。ふたりが頼んだセットは、それぞれに見た目だけで食欲を刺激してくれるものだった。谷汲の前にはレバニラ炒めと炒飯のセット。大野の前にはエビマヨと天津飯のセットが並べられた。箸を手に取り、いただきます、と声を揃える。

 大野は迷わずレバニラへと手を伸ばした。

「ここのレバニラ、最高なんだよな」

「わかるー。今日はエビマヨの気分だけど」

「日和は麻婆が好きだったよね」

「そうだっけ。ピヨちゃん、辛いものが苦手なイメージ」

「ここの麻婆は山椒が入ってないからね。日和でも食べられるの」

 あれやこれやと喋りながら、ふたりしてご飯にがっつく。

 懐かしくて、思い出深い味だった。

 シャキシャキの野菜と、香ばしい味付けのお肉。歯ごたえもあり、ボリュームもあり、高校生時代の谷汲がとても満足していたセットだ。大人になった今では、大満足にまでレベルが上がっている。噂では厨房で腕を振るっている若いお兄さんが現在も修行中の身を自称しているそうで、今後も更に美味しくなることが期待できるそうだ。どこから漏れ聞いた噂だったかなと首を傾げた谷汲は、目の前で猫舌を披露している元同級生を思い出した。

 つくづく、彼女は色んな事を谷汲に教えてくれる。

「ありがとな、大野」

「え、なに。こわ」

「たまには感謝しておこうと思って」

「謝意は現物で示してよ~」

「……んじゃ肉をやろう」

「わーい」

 さらに取り分けたレバニラ炒めを差し出すと、大野は万歳までして喜んだ。アホっぽく笑う大野の向こうに、あのポニーテールの店員さんが見える。彼女の左手薬指に微かにきらめくものが見えて、谷汲は不意に思考の海へと沈んだ。それは不可避のタイミングだった。道路を歩いていたら、偶然転んでしまったような。椅子から立ち上がる時に、太腿を机に打ち付けたような。気を抜いた瞬間に現れる、苦い痛みだ。

「…………」

 指輪。それは結婚の象徴だ。

 相手もいない自分が結婚するのはいつになることやら、とどこか他人事のように谷汲は考えて。そしてふと、日和も誰かと結婚するんだろうかと考える。その隣に立つ相手を想像して、妄想して、誰が立っていても”嫌だ”と考えている自分がいることに気付いた。じゃあ、誰が日和と結婚するのだろうかと発想を転換してみる。

 …………。

 ……。

「やめとこ」

「ん? なに、どったの」

「んーん。なんでもない。私にもエビマヨ頂戴」

「いいぜぇ。超モリモリにしてやるぜぇ」

 谷汲の変化に気付かない大野は、へらへらと笑っている。

 私と日和が結婚したら、この子はどんな顔をするのだろうと。

 急にそんなことを考え出す自分にびっくりして、谷汲はもらったエビマヨの味も分からなくなってしまうのだった。

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